明暗を乗り越え、光に向かいて

クリスマス。たまたま出張していた都内で。
丸の内の夕方は、大変にぎわっていた。
何が昨年と違うのかといえば、どの人もマスクをしているぐらい。
この光景に慣れてしまったけれども、昨年まではまったくなかった世界。

また、ケーキ店の行列は、例年より多いような・・。
チキンを買って行く人も大変多い。
普段店内でチキンを売っているファーストフード店では、サンタの
帽子をかぶったスタッフたちが、店頭でチキンを元気に販売。
「私、二本ください」
そんな声が聞こえる。一人暮らしかな?そんな想像が膨らむ。

コロナでもクリスマスなんだ。
しかも 自宅で過ごすクリスマス。
今年は、家で家族で、ひとりでゆっくりしよう。
クリスマスから、この年末年始に向けて、
元気が良い、フードサービスや食品業界。

一方、ディナーショー、クリスマスパーティーや忘年会・新年会。
いわゆる外食産業や宿泊業、遠距離の交通機関にとって、今年は史上初、
かつて経験のない大変で過酷な1年を閉じることになってしまい、
本当にお気の毒だ。
自分たちでできる努力をどんなにしても・・お客さんが来られないのだから
どうしようもない。

そして医療業界。
うかれる若者、緊張感をなくした人々の賑わいとうらはらに、医療業界では
救える命が救えなくなると、これまでなかった緊迫感が漂っている。
クリスマスどころではない、深刻な状況が続いている。
せめて、静かに過ごして、少しでも感染がおさまるようにせねばならない。

今、思っていること。
コロナで今年は全世界が揺れた。もうあの日常は戻ってこないのかと
絶望も生まれた。
それでも、それなりに生きている。生きていかねばならない。
そして、今、生きている。
状況がどんどん変わっている。動いている。
ずっと同じ状況ではない。

今ある明暗も、時間とともに変化するだろう。
いつ逆転するかもしれない。
知恵と工夫と、主体性。
ある人によると、時代は風の時代に入ったとのこと。
風向きをしっかり感じながら、光に向かって吹かれていこう。
町のイルミネーションに包まれながら、2021年への光を探し始める。

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勇気あるリーダー。

時期アメリカ大統領になるバイデン氏。アメリカ史上、最高齢での着任になるという。高齢化社会でもあるため、それはそれで珍しいと思わないし、日本も他の国もかなりの高齢者が今だにその座にしがみついている例も少ない職業のなか、
バイデン氏の挑戦は、好感をもってみている。
アメリカがまともに、普通に、あるべき国に戻ろうとしている。
そのことに対して拍手を送りたいと思っている。
平和になんとか交代してもらいたいものだ。
そのためには、なんとかバイデン氏には元気にいてもらわないと。
コロナにもかからないように・・・。
そんななか、ワクチンを自ら率先して接種される様子が世界中に流れた。
正直、勇気があると思った。

その前に、歴代の大統領たちも接種されると聞き、いいことだと思っていた。
リーダー自ら、良いと思っている者に対しては、自らが体験しなければならない。
日本の場合は、どうなるだろう?

とにかく、勇気をもって社会の改善に、問題解決に向かおうとするリーダーこそ、尊敬に値する。
高齢であっても現役の方は多数おられる。どうぞ、健康により一層注意されて
任務をまっとういただきたい。

勇気あるリーダー。日本にいるか?
もちろんあるべきリーダーは、嘘を重ねたりはしない。


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すべて、視覚からはじまる。

毎朝のように、早朝にクラシック番組を流しながら仕事をする習慣がある。
ピアニスト、歌手、バイオリニスト・・・。さまざまな演奏家について
知り、学ぶ。
まず、第一印象が大事だ。見た目。容姿はもってうまれたものであるが、
衣装や表情・・・これらでかなり印象は変わる。
音楽家とは、見えない世界を表現するから、その演奏者はその世界のイメージを
表現している方がより伝わる。
以前、あるピアニストが庶民の人生を描いた作品を弾くのに豪華な衣装は不釣り合いだとして、それ以来パンツスーツで演奏をするようになったという話を聞いたことがあり、大変共感したことがあった。
演奏者がそれぞれ衣装にこだわったりするのは、自分の思いの表現である。
見た目がすべてとはいえないが、視覚的アピールは演奏上、大変重要だと思っている。
醜いとせっかくの演奏が・・。見られていることを意識しながら、表現する。
演奏という仕事は、なかなかむつかしい。
その音楽は、私たちの生活に不可欠な存在だ。
心豊かに、人生を楽しく、導いてくれる。
ときに癒し、ときにエナジーを、聴くものに与えてくれる。
目に見えず、瞬間に消えていく、その芸術の力は凄い。
そこでの見た目は重要なのだ。
あまりに見続けられない場合は、目をつむって聴く。そんなこともある。

見た目という話から、音楽以外で、こんなことも浮かぶ。

料理。こちらも人が生きる上で不可欠な存在だ。
こちらも人に栄養とエナジーを与え、そして笑顔と幸せをもたらしてくれる。
この料理も、実は第一印象が大事だ。
どうやら、人が美味しいと感じるのはほとんど視覚による。
実際の味より、見た目で人は美味しさを想像し、感じる。
見た目まずそうな料理は、実際まずいということになる。

だから、料理店では、ケーキ店では・・・どの店も見た目を重視
している。

最近、音楽と料理の関係に興味があり、両者をそんな目で見始めている。
いずれも、瞬間が永遠。人を幸せにするという点では人類上、最高のギフトだと思うが、いずれも見た目が決め手になるのだ。
つねに見られているということを忘れずに、表現していかねば。

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このまま過ぎてはいけない。

久しぶりに地元の方のライブに行ってみた。自分が普段演奏している同じ場所で、他の人はどのように演じるのだろうか?興味関心と何か新しい発見を求めて・・・。
コロナ禍でのコンサートは大盛況にはなりにくいが、それはそれで静かに聴き合うという点で悪くない。
アーチストはそれぞれできることが違って、想いもあって、その人らしさが滲み出て良い。
今回拝聴したのは、ギターの弾き語りで、いわゆるフォークソング的なカテゴリー。その方も自分で作詞作曲されている。
日頃より子どもを対象にしたお仕事、活動をされていることもあり、曲も子供のことを思ってかかれたものがあり、音楽はそのヒト自身を現すものだということを改めて知る。

今回学んだこと。コロナ禍だからこそ、今こその新曲ができるということ。
コロナだから感じたこと、思ったこと、知ったこと・・いろいろある。
いろんな感情も生まれた。
それを歌にする。今を生きた証しのひとつとして。

すでに世界では、コロナをテーマにした曲で話題になっているシンガーもあると聞いているが、それをわざわざネタにしなくても良いが、今こそ生まれる作品はあるはず。
と、思うと、このまま過ぎてはいけない。と思えてくる。
今すでにあふれんばかりにある、さまざまな思い、感情を忘れないように、まとめておかねばならない。
よし、次の演奏会では新曲を。
と、久しぶりに、そんな気持ちになって、お尻に火がついた感じ。

コロナだから・・といって、創造を活動を止めてはいけない。むしろ前に。今がチャンスだ。

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あと何回。と思えば、、、。

ずっといると思うと、ずっとあると思うと、想いのままに、モノを言ったり
自分に思うがままに行動してしまうことがある。人にやつあたりすることも
あるかもしれない。
しかし、何事も有限だ。

いつまでもいない。いつまでもない。

そう思うと相手を大切にしなければ思えてくる。

全力で親とぶつかってきた日々であるが、よく考えたら、あと何回こんな風に
やりとりできるのだろう?と思うと、見方が変わってくる。
あと、何回食事ができるだろう。
あと、何回この人に会えるだろう。
そう思うと、おのずと優しくなれる…そんな気がする。

いつまでもいない。いつまでもない。

全ては有限。意識していこう。もちろん自分自身も。
と思いつつも、やはり生身であるため、それでも気を抜くと
全力でぶつかってしまうこともまだある。
あと何回。
これを呪文のように唱え続けること。
これが、私の今の課題だ。
そうすれば、何事もおおらかに、そしてやさしくなれるはず。

本当に毎日が修行の道。

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わたし流飲食店の応援。

GO TOのゴテゴテ、ゴタゴタ。今回のコロナの影響で途方もない苦労をされている観光業界や外食産業の皆さん、その業界との取引がメインの農家の皆さん・・・。皆さまにとっては、本当に大変な年末になってしまった。
どうやって、切り抜ける、どうやって生き残る?
人には任しきれない。自分でがんばるしかない。
公助はあてにならないことは、今回みんなわかった。
あとは、共助、自助。

飲食店での夜の会食は難しくなってきた。
であれば、昼の利用。しかもできる限り、売り上げに協力できるように。
ということで、可能なときの、昼呑み利用。

夜ほどではないけれど、単にランチをいただくだけではなく、
売り上げにも貢献できる。

土曜日。久しぶりの岐阜の昭和の繁華街、柳ケ瀬。高島屋の前にある
寿司屋。地元のお店だ。子どもの頃から知っている。
久しぶりにその前に立つ。
「全室個室です」と書いてあり、コロナ対策をしているという姿勢を
感じる。
個室と書かれていることで、家族連れにも安心のようだ。
加えて、工夫された手書きのメニューが掲示されて
道行く人の目に入る。寿司やは旬の情報がとくに決め手になる。

たまにはと思い、その個室利用をリクエストして、順番待ち。
しかし、みなさん週末の昼時、ゆったり過ごされて、なかなか席が空かず、
結局はカウンター席に案内される。コロナ対策で、隣の席があいているため
こちらも安心。

そこで、ゆっくりと食事をいただく。昼から少しお酒もいただいて・・・。
明るいうちのお酒はちょっと健康的だ。酔っ払いすぎることなく、
ほどよく終わる。
1時間余り、ゆっくり静かに食事をとり、
「昼ちょっと飲むのは、いいね。健康的な感じ」
とそんな感想を抱きながら、午後の用事にとりかかる。

夜がダメなら、昼呑み応援。
年末年始、静かに乾杯するなら、それならまだいい。

いつまでもだらだら飲んで、大きな声になって・・・
そんなストレス解消型、憂さ晴らし型の外での飲み方はこれからなくなって
いくだろう。

酒の飲み方も、どんどん変化する。

とにかく、今はまず自分で努力する飲食店をできる限り、応援したい。

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鉛筆でサイン、愛を伝える。

施設に暮らす父へ時々持ち込む、差し入れ。
コロナで面会制限があり、食べ物を差し入れても直接食べさせられないため、出来る限り、スタッフの方にお手間をかけないようにと、カステラを切ったものとか、プリンとか、食べやすいものを持参。
会えないので、手紙を添えて・・と思いながら、毎回写真付きの手紙をつくる。
今回は母と一緒に写った写真を添えて作成。今回は3回目。
母にそれを見せる。
「お父さんのこと気になっているんやったら、ここにお母さんもひと言書いたら?」
最初は、拒否していた母が、
「お父さんのこと、好きなんやったら、一言書いてあげたら?会えんし。」
とペンを渡すと、
「マジックやと、間違えたらあかん。鉛筆がいい」
と言った。へ?書く気があるんだ。
鉛筆を渡すと、母はその余白に
「敏子 がんばりましょう」
と書き始めた。
その行動に、正直、びっくりした。母が文字を書いたのを久しぶりに見たのだ。
「こんで、いいかな」
「いいやん。これ渡してくるわ」
目が見づらくなり、書くこともしなくなった母が、珍しく鉛筆を手にとったことに驚いた。
やはり、夫婦なんだなとうれしくなった。

施設にもっていき、受付で手紙を渡すとき
「ここ、母がサインしたので、そう父に伝えていただけますか?」
とスタッフに伝えた。笑みがうまれた。

母の願いが思いが、鉛筆のサインで父に伝わっているかな。
だと、いい。

自筆のサイン。やっぱりいいものだ。
大した親孝行はできないが、こんなこと続けられたら。

※添付は、サインをする前の手紙。サインしたものはすでに施設にお届け。
写っている写真は、まだまだ若く元気だったころの両親と地元ライブの会場での1枚。

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ベートーベンはコロナを越えて

12月16日。ベートーベンの誕生日。ドイツの古都ボン。下の写真にある、自宅の屋根裏で生を受け手から、250年。彼を生んだマリアさんは、今もこのボンの墓地に眠っている。

今年は地元ではもちろん、世界中で大々的なアニバーサリーイベントが企画されていたが、ほとんどがキャンセルもしくはネット配信となった。
クライマックスのコンサートも、ネットで執り行われたとのこと。

250年の間には、スペイン風邪もあり、さらにその昔にも、さまざまな事象が起きていただろう。歴史的な事件も多くあっただろう。
今。この瞬間に生きている私たちは、コロナで残念だと思うけれど、こんな経験も何度も乗り越え、ベートーベンの楽曲は演奏し続けられている。受け継がれている。
コロナがあったからといって、途切れ、消失してしまうのではなく、このときの対応も、後になればきっと、特別な思い出になる。

私も、この12月はわが初恋のベートーベンの生家を改めて訪ね、新たな着想で、今の思いを曲にしたいと思っていたが、それが叶わぬ今、写真、映像、書籍などさまざまな資料を改めて目にしながら、自分なりの思いを綴っておこうと思う。
この冬の宿題だ。
ベートーベンならこのコロナ期をどう見ただろうか?もし、生きていたら・・と思うと、それもわくわくしてくる。

永遠なるものは、あらゆる困難を乗り越えることができる。
運命、田園、悲愴、月光、英雄・・・そして歓喜のうた。
なんと世界観のあるテーマで書き続けたことだろう。(あとで命名されたものもあるだろうが。)
普遍性あるテーマだからこそ、250年経っても、いつまでも新しいのだ。

今だからこそ、改めて感謝したい、わがベートーベン。
楽聖は、私に哲学と歴史と、音楽との接点を教えてくれた。
世界の動き方、精神世界の力強さを身をもって示してくれた。

1770年生まれのベートーベン。大哲学者ヘーゲルも同い年であったことも
改めて頭においておきたい。
ルードヴィッヒ、ありがとう。これからも愛し続けたい。
コロナを越えて、何事も越えて、人類が存在し続ける限り、存在する・・・
とてもそんな人間にはなれないけれど、大きなお手本として、小さいことから
はじめよう。

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言葉を味わう。

いろんな世界、業界のことに触れることは、大変新鮮で勉強になる。
たまたまキリスト教関連の広報誌を見ていたら、
「派遣」という言葉が出てきて、目が留まった。

私たちの日常生活において、派遣といえば、派遣社員とか自衛隊の派遣とか
そんな場面で使う、耳にする。
派遣元から派遣されて、派遣先で契約時間内で
契約した仕事を行う。と、そんなイメージ。
であるから、その資格を有する人であれば、誰が行っても対応できる仕事であり、合理的な雇用、働き方、仕事のスタイルのひとつが「派遣」。
・・・と、そんな風に受け止めていた。

一方、キリスト教の世界での「派遣」とはラテン語ではmission。英語でいえば「使命」の意味である。
神様からの命を受けて、いのちをかけても、全うする仕事。それが「派遣」とのこと。この12月3日に帰天したフランシスコ・ザビエルのアジアへの布教という大きな仕事。こちらも「派遣」ということになり、また隠れキリシタンたちが時の政府に弾圧され、島流しにあったり、さまざまな極刑にされたこと・・これも神様からの派遣。何があっても信仰を貫き通すという使命なのだそうだ。

なんと、この世界での「派遣」とは重い意味なのだろう。

クリスチャンでなくても、今この言葉について改めて考えてみる。

自分は今、ここでこうして生きていること自体は派遣だろうか?
誰の命令とか、オーダーとかは別として、なぜこのように毎日がんばって生きようと思うのだろう。
自分なりの生への使命感はある。たとえば親のことをちゃんとしなくちゃとか、
世のなかを元気にしたいとか・・・。これらの思いを胸に小さいながらも、努力するということは、生きることに対しての使命感がある。
見渡す限り、どこからも頼まれていないけれど、見えない力にそうするようにと導かれているのかもしれない。
と、この「派遣」という言葉から自分の生き方について、思いを巡らすことになった。

言葉は面白い。たったひとつの言葉から、さまざまな背景や意味が見えてきて、
人がその言葉を使いコミュニケーションをしているのだと思うと、改めて
言葉とは最重要のコミュニケーションの道具であると思えてくる。

そんな風に、出会う言葉をしっかり味わい、世界を広く深く理解して、豊かに生きる糧にしていきたい。

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これでいいのか?正解はなし。

親がお世話になっている施設からの郵便。毎月の必要な書類が送られてくる。
そこに父の最近の様子のカンタンな報告とともに、施設内で撮影された1ショットのコピーが貼り付けられている。
そこにある父の顔を見て、愕然とする。
施設暮らしで、コロナで会えなくなって、どんどん変化していっているような。
どんどん別人のようになっていくような・・・。
施設の方が書いてくださるコメントは、最近は穏やかに暮らしておられます・・と家族を安心させるメッセージもあり、本当にありがたい限りであるが、
穏やか=当初の元気は低下していることが想像できる。
こうして会えない間に、どんどん変わっていくのかもしれない・・。

同世代のある方が、「介護には正解がない」と言われていたことを思い出す。
確かに、その時その時は、ベストと思ってこの1年半、選択しながら進んできたつもりであるが、親にとって果たして最高であったか?と思うとおそらくそうではないはずだ。

老いて自分で自分のことができなくなると、周囲が自分のことを決めていく。
お世話されるということは、ゆだねることであり、自分の意志に反することもあるはずだ。
父はどうしたかっただろう。と思うと、本当に胸がつぶれそうになる。
家族の事情、住居の都合、身体の状況・・・さまざまな要因から、今の状態がある。いつも、これでいいのだろうか?と自問している。

今年を振り返ると、このことが一番気になることである。
介護は本当に正解はない。終わってからも手放しで喜べない・・・そういう仕事のような気がする。
長く生きることについて・・改めて考えさせられるが、
親の日々について、ご協力・応援してくださる方への感謝だけは持ち続けたい。
自分がこのように生きられるのも、皆さんのおかげだから。

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