自由の有難み、しみじみ。

香港の人々の抵抗が、心痛い。
表現の自由を奪われることの怖さ。
なんという恐ろしいことをするのだろう。国って、権力って何だろう。
同じことしか考えてはいけない・・・なんて、この時代に果たしてそんなことは
必要なのだろうか?
自由を失う恐怖感。
権力から自由を奪われる。
歴史の間違ったサイクルだ。何とか、逆風が吹き、革命でも起きてほしいと
思ってしまう。

一方、行動の自由を失った老人たち。たとえばわが両親。
だんだん自分で動けなくなり、生活が一変した。
そこにはいら立ちや、怒りや、悲しみがある。
行動の自由は、元気の証拠だ。
今から思えば、車の運転免許を変換したあたりから、父にとっての自由は
奪われた・・、そして心身の老化から歩くのもままならず、ひとりで
どこかに行くということも今となれば難しくなってしまった。
不自由な身である。

いずれも自分だったら、と考える。
表現の自由を奪われるも、行動の自由をなくすのも、耐えられない。
今のマスク着用ひとつとっても、不自由ではある。早く解放されたい。

いい環境で、いつまでも元気に生きられるよう善行を重ねること。
ちょっと神頼みっぽいが、最近はそんな心境でいる。
自由に生きられることを改めて感謝し、それが続くようにと心から願う。


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コミュニケーションの履歴はお宝。

ある親しき方より、この一年半にわたる私とのメッセージの往来を見返し、有意義な月日だったと、感銘したとのメッセージをいただいた。そういえば、おそらく100通以上の往来があった。ビジネス、社会情勢、人生・・・さまざまな内容について気が付いたら、送っていた。気になれば応援の言葉を送り合ってきた。

とくに何も決めず、よいしょもなく、強制もなく、お互いに自然に応援し、刺激し合い、敬意を表し続けての時間。きっと何があってもこの方はわかってくれている、見守ってくれているという、そこはかとない信頼感。ずっと顔を合わせなくても、人は大切な人のことを忘れることなく、ずっとその存在を見守ることができるのだ。そんなことも学んだ。

人とのやりとり。ともすれば、言いっ放しになることもあるかもしれない。
自分の言いたいことだけ、言いたい放題。が多い時代。
実は聞いてもらえるありがたさに対して、もっと謙虚にならなければならない。

生きる以上、多くの人とのコミュニケーションはずっと続く。コミュニケーションをとりたい人、やめたい人、いろいろあれど、関わりなしには生きられない。そして、発した言葉は消しゴムでは消せない。慎重である必要もある。
でも、縮こまったり、警戒しているだけでは、いい関係は育まれない。
いろんな人とやりとりを続けながら、そのあるべき姿を学んでいくこと。
この姿勢と実践が大切だ。

冒頭に書いた方のような、お互いじっと長く関係を続けられる人との交流は
一生ものだ。大切にしなければならない。
時々、突然、思い出したときの往信でも構わない。根底で相互信頼があるから。

そして、
ときに人とのやりとりの歴史を見返すことは大変意味がある。

ときに大切な人との会話の履歴を見てみよう。どんな言葉を交換して、ここまできたかが見えてくるだろう。

コミュニケーションは途切れず繋がり続けること。人を大切にすること。

自分を大切にしてもらう前に、まず自分が人を大切に思うこと。
このことから、本当に通じる人との長い関係が始まるのだと思う。
前に進むだけでなく、これまで来た道をたどり、見直す。
死ぬまで、コミュニケーション。この道は長いのだから・・・。
どんな言葉を伝え、いただいてきたか。大切にしたい。

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香港、涙の風。

大好きだった、香港島と九龍島を結ぶスターフェリー。乗っている10分ほどの間、さわやかな風が頬に触れた。そして、フェリーを降りると湿気たっぷりの香港特有の空気が身を包んだ。あ、香港だ。いつもそんな感覚がした。

1997年7月1日。イギリスから中国に返還された香港。あのときのセレモニーのことを、今も印象深く覚えている。
チャールズ皇太子が、香港に来て、その儀式を執り行われた様子を報道で知り、
ああ、香港が中国になってしまうのか・・ととても悲しい、寂しいなんともいえない気持ちになってみていた。
アジアなのに、ヨーロッパの風が吹き、自由で、みんな英語で会話して、活発にいきいきと生きている・・。そう、香港人は活発な印象であった。
台湾とも共通点があるが、やはりイギリス領土であったため、どこかあか抜けている、憧れもあった。返還後も数年は足を運んでいた。まだまだ自由な空気は変わらなかった・・・。
しかし、こんなことになってしまった。
一国二制度は形骸化。
あの自由な、民主的な教育も受けてきたHONGKONGの人たちは、これから
どうなってしまうのだろうか。
テレサテンが生きていたら、どう思うだろう。

今後、香港の人たちはどうするのだろう?

このままで生きていけるだろうか?
おそらく多くは台湾へ、カナダへ、イギリスへ 移住するだろう。

自由を奪われるなんて、どんなことだ。
他人事と思ってはいけない。

私の中の大好きな香港。ずっと忘れてはいけない。
香港の町を包むあの湿気。
きっと23年前と比べ、人の涙でより濡れていないか。
べたっと重苦しい感じがないか・・・。

自由の似合う、香港。悲しい7月1日。
そこに住む人に、若者に寄り添い、彼らの人生が
うまくいくように応援したい。

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ピアノと向かい、違う時計を回す。

実家を整理し、こちらでも仕事や活動ができるようにと動き始めている。
毎日は難しいが、週に何度か、こちらも活用する。
とくに、40年近く別居していたピアノたちとのひ久しぶりの再会は、
大変うれしい。
部屋を整理しながら、長らく弾かれていなかった鍵盤を押したとき
懐かしい響きに心が震えた。鍵盤は練習を続けていた頃と同じく、黄ばんでいる。
子どもの頃から、毎日数時間以上、向かい合っていたあの時代。
努力していたなあ。何があってもピアノの前に座ると自分の世界があった。
親に怒られても、ピアノを弾いていれば、すべては収まったなあ・・。
そんな自分を思い出し、あの一心不乱のときと比べ、
今の自分はどうだろうかと・・・と反省もする。

この長き別居から、今、新たな新生活を考える。

ピアノを死ぬまで弾き続ける。

もっと活動の場をつくる、広げる。

人々に感動を伝えることをもっと増やす。

そんなことを思いながら、ベートーベンやショパンを記憶のままに
辿る。かなり怪しい暗譜。
しかし、暗譜しているといつでも弾ける。

コロナ後の展開。
経済優先で走り回っていた時計と違う時計が動き出す。

私にとってピアノとの対面は、違う時計が動くこと。

より内面に、より深く、より心豊かであれ。
久しぶりのピアノはそんなメッセージを投げかけてくれる。


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寄り添いの修行は続く。

いつでも話せる。
家族であれば、そんな風に思ってしまい、断片的な会話を投げかけ、
わかっているつもりのとても雑なキャッチボールを長年してきた。

でも、家族であっても、この先、時間は限られるので、
できる限り丁寧に、やさしく、しかもしっかり、きっちりと
話をしておかねばならないと思う今日この頃。

親子というのは、不思議な存在で、遠慮がない。
どんなに雑で、乱暴なコミュニケーションであっても、
親子だから、わかっている前提。という甘えもあった。

しかし、もうそろそろ人生の仕舞い方を真剣に話し合っておかないと
後悔することになる。
だから、今のうちに、意識も言葉もちゃんとしているうちに、
会話を続けていかねばと思う。

おかげさまで、日々に終われる自宅での家事、雑務に終われる生活から解放され、施設に入ったおかげで、ゆったり過ごせることで、親も自分の人生を
悲喜こもごもに振り返っていることだろう。

できれば、残された時間のなかで、できることはやっておこう。

「一生懸命やっとるでね」

施設での別れ際に、父や母に声をかけると、静かにうなづいた。
心身ともに寄り添う、言葉でもしっかり寄り添う。なかなかむつかしいけれども、悔いないように努力は続けていくつもりだ。
言葉が通じる、会話が成り立つ今のうちに・・・。


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最後のギフトを噛み締めて。

賞味期限が切れそうな、おせんべいが箱に入って、ずっと見える場所に
おいてあった。

新潟の手作り、こだわりのもののようだ。
これまで見たことも買ったこともない会社のもの。
実は、4月の初めに送っていただいたもので、
きちんと包装されており、開けるのももったいない高級なお菓子。
その送り主が、その月の後半に、亡くなられた。
コロナの影響で、その報せも後で知ることとなった。

私には、その方が今年書いてくださった年賀状、
闘病中に何年間も続いたメールの履歴と、そのお菓子が遺された。
形見のようなお菓子になってしまった。
いつも美味しいものを送っていただき、その方がお好みのカステラをこちらから
送って喜んでいただいた。
そのせんべい。賞味期限が迫り、そして過ぎた・・・・。
これを食べてしまうと、その人が消えてしまいそうで
ギリギリまで、持っていようと思っていたが、さすがにもういただかないと
・・・。
心を鬼にして、
「みちこさん!いただきます」
そう言って、そのおせんべいを開封する。
あ、まだ大丈夫だった。あ、おいしい。めっちゃおいしい。歯ごたえも醤油のシミ方も、さすが米どころの地元の会社の御煎餅だ。

心のなかで、「みちこさん、おいしいです」と合掌。
彼女が最後に送ってくれたこのお菓子。なぜ、これを選んでくれたのかな?
「おいしいですよ、これ!いいでしょ?小千谷のですから」
と声が聞こえてきそうだ。

最後の贈りもの。
涙が出そうなおせんべい。
この味を一生忘れない。そして、このおせんべいを、今後自分が買えば
あの方にまた会える、そんな気がする。

そのおせんべい。まだある。大切にちょっとづついただいて、みちこさんとの
語らいの時間を思い出そう。

これから人に何か差し上げるとき、それが最後になってもいいように、
心して品を選ぶとしよう。

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ソーシャルとパーソナルの間

非接触コミュニケーションが求められる今日、欧米流挨拶は自粛が求められる。なぜ、欧州で感染症が拡大したかについては、ハグやキスといった肌の直接のふれあい習慣が関係あるとも言われ、最近ではその習慣をなくすように、意識されてきている。直接触れ合わない、ふれあい。
直接接触しない、日本のおじぎ文化は、今回の事態で世界でも評価されることになった。

その日本で、多くの場合は、おじぎの挨拶、手を振る別れ・・・それで良いが、
どうしても、のときもある。
もちろんハグはしない。が、親しい人、大切な人、もう会えないかもしれない人、と特別なときには・・・ということもある。

先日ある親しい方との別れ際、これまでどおり 
「じゃ!」と手を差し伸べられ、こちらも自然に手が出る。
「ま、いいか」
と、短い握手。やっぱりそれがいい。そう、そういう関係。
でも、そのあと、手を洗う、消毒するのがエチケット。
というのもなんだかではあるが、仕方ない。

親しい人とのコミュニケーションこそ、難しい。

ソーシャルディスタンス・・一律に2メートルとはいかないこともある。
ソーシャルとパーソナル。境界線は難しい。
ではあるが、とにかく、今はソーシャル優先で。パーソナルももちろん大切に。

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コロナで、目力アップ。アイ愛コミュニケーションの夏へ。

マスクをしていると、とくに遠くから見ていると、人の識別、判別がしづらいことも多い。口元が塞がれているということは、こんなにも不便とは・・・。
話しづらい、聴きづらいだけでなく、見分けづらいのだ。
しかし、マスク着用は今しばらく、やむを得ない。

そんな状況にいると、どうしても隠されていない目をよく見るようになる。
メガネも今となっては、以前以上に注目される、その人の個性をキャッチする
大切なコミュニケーションツールになる。アイメイクも同様だろう。
そして、
真剣に人の目を見ると、その人のことが見えてくるような気がする。
まさに、目が口ほどに、口以上にモノを語っていることに気づく。

目力が強い人。時々お見受けする。
世のなかをじっと見ている、見ようとしている。そんな意志の表れか、
目力は、その人の精神性を語っているようにも見える。
自分はここにいる。と、自分の自立性を物語る、目の力。

おそらく、マスクを着用しなければならなくなり、多くの人が以前より目力アップしていることと思う。

睨んでいるのではなく、真剣にみつめている。
そう思って、その心をしっかり受け止め、友好な交流につとめたい。
本当に自然に着用できる超薄型透明のマスクがあればいいけれど、
一長一短。

まさに、アイ愛コミュニケーションでいい関係育みたい。


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最後の株主総会に。

ある経営者。このたびの株主総会で、長らく担ってこられた代表取締役という役割から卒業された。
その前夜に
「これまで、本当にお疲れ様でした。」
と感謝のメッセージを送る。
すると、すぐに以下の返事がきた。きっと翌日のことを考えておられたのだろう。

「明日は本当に最後の株主総会となります。人生も仕事も常に決めて生きて来ました。人生の最後は『まぁ〜良かったかな?』と思れば良いと思っています。」

とのメッセージ。
そう、自分からやめる。と決められたのだ。

この経営者と出会って20年近くになる。
この方のおかげで、私自身、自分の価値を高めようと努力できるきっかけを
いただいたと思う。
またこの企業のすばらしさを、その人を通じて心から実感することができ、
理念に共感し、長きにわたり、応援、伴走することに喜びを感じることができた。

企業は永遠に存在しなければならない。だから人の交代はあり。
この世代交代を心から祝福し、感謝し、そしてこれからも自分ができることをしていこうと思う。

この経営者との関係は変わらない。
肩書きは、人を変えることはない。
素晴らしい人であれば、人はついていく。人が集まる。

長年大変お疲れ様でした。
総会での退任のあいさつを聞いたとき、
会場で鼻をすする音があちこちで聞こえた。
私もその一人であった・・・。





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プロの仕事。

仕事。どうせならば、プロと思っていただける仕事をしたい。

そのためには、その分野での能力があり、経験があり、
それが与えられた機会に発揮できなければならない。

プロとして仕事を請け負うには、さまざまな条件が伴うが、
その中で、どんな結果を出すことができるか。

お客様のご要望に沿えることが、まず大切だ。
できたら、期待以上を目指したい。
手を抜くのはプロとはいえない。
どうしたら満足していただけるかと誠心誠意考えて
工夫し続けるのも大切なこと。
プロでも人間だ。間違えたりすることもある。
そんなときには、責任を果たすよう努力する。
お客様に寄り添い、とことん対応する。
これもプロの仕事だ。

「やっぱり、プロですね」
「プロは違うわ」

お客様から笑顔で、この言葉をいただけるかどうか。

最近、まったくの異業種のプロたちと接する機会も多く、
時において、感動・感激・感謝がうまれることがある。

この人に頼んでよかった、この会社を選んでよかった。

自分が素直にそう思えるかどうか。

プロに出会い、その仕事ぶりに接しながら、自分の仕事はどうだろうか?と
見つめ直すいい機会をいただく。

改めて、プロフェッショナルの仕事をしよう。
ぶれずに、自分が決めた道で。

プロは、自分の仕事が好き。
実はここが一番重要かも。



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