今から思うと、親たちが元気な頃に夫婦そろって、地元の馴染みの
カメラ屋さんに撮っていただいた写真があって良かった。本当にいい笑顔で、
いざという時に、迷いもなくその写真を使うことができた。
でも、その写真が活躍する頃には、本人たちはここにおらず、
その写真を見るのは他人ばかり・・・。
写真がその人の代役となって、生き続けることになる。
そんな意味からも、いい写真が残せると、人生の締めも良い。
ただ、遺影となると、背景をいきなり白やブルーにさせられる。
実際、そのときはそんなことはわからないので、
それを選択せざるを得なかったが、
母のときは大変違和感があり、父のときは自然の背景をそのまま
生かして用意したことを思い出す。
改めて背景をなしにする写真は、どうも好きではない。
境界線ができてしまう感じがするのだ。別れの悲しみが深まるのだ。
つい最近、パスポート用の写真を撮っていただいたが、
実際 証明用に使う場合は背景を白かブルーなどの
無地にしなければならない。
たちまち、いい感じの写真が、見ようによってはあの遺影のようになる。
証明写真は、雰囲気がいいとか、素敵であってはいけない。
その本人であることだけがわかればいい。そのための証明である。
ということで、今回の背景は白にした。
背景がないと、やはり写真はベツモノになる。
ま、パスポートは仕方ないが、この写真、今後背景も生かして
大切に使いたい・・・。そう、遺影にもなるなあ。
そう思ったら、なんだか安心してきた。
いい1枚がキープできたのだ。
でも、遺影として使われるときには、自分がそれを見ることは
ない。
そんな日が来るのだなあ・・・。
写真は存在を思い出として残す大切なコミュニケーションツールだ。
たかが写真、されど写真。
最後は写真でしか会えなくなるか・・・。
存在を証明し、のこす1枚。
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