ステージママの記憶。

たまたま、あの美空ひばりと島倉千代子の生涯をたどる
コンテンツを録画していた。
歌謡番組は、基本的に見ないけれど、親が大好きだった
この昭和を代表する歌手二人には、特別の思いがある。

美空ひばりも島倉千代子もあの歌手人生を育てたのは、
ステージママともいえる母上の存在。
一生懸命に娘を歌手にしようと、並々ならぬ苦労を
されたということは、子ども時代から知っているぐらいに
有名な話。

ステージママといえば、美空ひばりのお母さんと
思っていた。

その成長、発展、結実すべてにおいて、まったく足元に
及ばないけれど、
わが母も私が3歳でオルガンを始めてから、気づけば
音楽の道に進むべく、その一所懸命さがスゴかった。
音楽の素人であるが、とにかく娘のレッスンに
全てを賭けていた。そのために苦労をしていたと、
大人になって改めて思う。

もちろん、私自身が音楽が嫌いで途中でやめていたら
何もなかったかもしれないが、そうではなかったため、
母の私への熱の入れようはすごかった。
周囲からは、「まさこちゃんのお母さん、ステージママやね」
とよく言われ、当時、その意味を理解できないでいた。

初めて一緒に鍵盤をなぞった「悲しき天然」の
メロディは今も鮮明に覚えているが、
オルガンで童謡を弾く時代から、当時流行り始めた
エレクトーン、電子オルガン。
楽器店のおすすめだったのかわからないが、
母がこれだ!と思ったのだろう。
小一になって、電車に乗ってすぐに通い始めた。

母は毎回ついてきて、教室の後ろで、自分が見たことも
聴いたこともないCやFやGといったコードを自分の手帳に
必死にメモをとっていた。
そんなお母さんは見たことがないと、その後何十年も
当時お世話になった先生からも言われていたぐらいに
珍しい保護者。それぐらい母は私のレッスンに熱心であった。

先生から勧められるコンクールにも毎年のように出場。
そのためのレッスン、予選、地区大会・・・。
母はマネージャーのごとく、そして父は運転手。
今から思えば、わたし中心の家族生活・・・。
そんな小学生時代を過ごした。

美空ひばりや島倉千代子のようになってほしかった?
かもしれないが、(もちろんそんな才能も実力もない)
母はとにかく夢中で私をサポートしてくれていた。
密かに期待はしていただろう。

その後、このスターたちは日本を代表する歌手として
成功した後、母上を送ることになる。
二人三脚でがんばり、自分を信じ支えていてくれた
そんな母がいなくなったら、自分は生きていけるだろうか・・。
歌っていけるだろうか・・・。

ましてやその道一本で生きてきたのであれば、
母親の喪失は、本当につらいもの・・。
と思うと、自分も母の旅立ちの後を思い出し、
涙があふれた。

もちろん、大スターたちは、悲しみを乗り越え、
その後も歌い続け、人生を全うされた。
姿が見えなくなっても、母上たちはずっと歌い続ける娘を
見守り応援されていたことだろう。

ステージママになれなかったけれど、母と一緒に
音楽の土台づくりができた小学時代。
何をおいてもピアノ、エレクトーン。
すべてを賭けてくれていた。

結局途中で一度音楽を捨ててしまった時の
母の心情は・・・。と思うと懺悔したくなるが、
あのときの、無我夢中の時間が、今の自分の礎になって
いる。

そう、母は私の人生のステージママとして
今も、生き続けているのだ。
と、そんな風に思いたい。

だから、これからも出張・出前コンサートを
続けていこう、もっともっと!https://www.mahsa.jp/creation/

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