ちょっと大げさなタイトルになってしまったが、
改めて、「新聞」の存在を大切にしたいと思う今日。
地方紙では、すでに夕刊を発行できない新聞社も増え、
朝刊も20年前、10年前に比べたら厚みもなくなって
きており、でも値段はその当時より高め。
それでも、記者が汗をかいて取材して書いた記事だ
と思えば、高いとは感じないが、情報を無料で
入手することがごく普通になっている今日、新聞を
わざわざ購読するという人は減少の一途をたどっている。
また、日々ちゃんと情報を得たい人はネットでの
有料版を購読する。といっても、無料の情報で済ます
人も多い。
ましてや、紙の新聞を購読する人は高齢化とともに
現象しているかと思われる。
ちなみに、周囲でお元気な高齢者で、新聞大好き。
と言う方もおられ、その方は大変お元気だ。
東京から地元へ引っ越してくるまでは、毎朝、
玄関の郵便受けまで新聞を届けてもらえるサービスが
本当にうれしく、朝が来るのが楽しみだった。
一時期は、二紙購読していた頃もあった。
読み比べも楽しかった。
新聞の宅配は日本固有のサービス。そんな国は
どこにもないと海外の人に驚かれたことも。
本当に便利。今はセキュリティの関係でドア前
までは来てもらえない。それが購読を辞めた理由。
また、新聞は喫茶店で読めるからいい。という
人もいる。それは今もそうで、喫茶店に行って、
いろんな種類の新聞を読み比べるのが、楽しい
と言う人もいる。
昔、喫茶店やレストランでバイトしているとき、
毎朝新聞をホッチキスでとめるのも、朝の日課
であった。多くの人が読んでもばらけないように。
最初に考えた人は偉いと思っていた。
最近、新聞が好きな人に出会った。
休みの日に喫茶店に行って、家でとっていない
新聞を読むのが楽しみという方だ。
「新聞って、会社によっていろいろ違うから
面白いよね」そんな会話自体がノスタルジー。
「わたしは、いつも出張先の地元紙を購入して読む
のが好きで、よく京都新聞は駅やコンビニで買って
読むのが好きだ」というと、その人は興味をもたれ、
「へえ。京都新聞って、どんなの?」
と聞かれたので、先日、その人のために京都新聞を
一部購入して、プレゼントした。
すると、とても驚きながら、喜んでおられ、ゆっくり
楽しみながら読まれている様子。そんなに新聞を
味わって読んでいただけるなんて・・・。
「やっぱり、中日新聞とかとは違うねえ。」
地方紙でその町を知る。知らなかった世界を知る。
新聞とは、その名のごとく新たに聞く情報が掲載され
ているから、やはり世界の「新」を知る貴重な媒体だ。
メディアとは、第三者が客観的にとらえ、社会に
役立つ情報として公に提供してくれる存在。そうあり
続けてほしい。価値ある情報を届け続けてほしい。
もともと、新聞が誕生した頃は、知識人のためのコミュ
ニケーションツールであったと聞いたことがあり、
確かに求める人が自ら手にとるツール。簡単に手に
入らなくてもいい。と思う一面もある。
とはいえ それでは作り手の環境も厳しくなる。
経営がたちゆかないと作れなくなる。紙も媒体は
作るのに、届けるのにお金がかかるのだ。
そんななか頑張っている新聞社、とくに地方紙を
応援し続けたい。
そして、表現の自由が赦されている現在の日本にも
感謝したい。
新聞のことを書いていたら、香港の新聞社のことを
思い出し、胸がいっぱいになった。
人々にとって、新聞が頭のブレックファーストで
あり続ける。世界中のそんな朝の光景が懐かしくて
たまらない。
今日は新潟日報と・・・どれを読もうかと楽しみ
になる。