どうしたら、みんなが平和で暮らせるのか?
そのことについて、しっかり考えたいときは、長崎に出向く。
いや、出向くと、自然と心がそっちの方に向くという
のも正しい。
出向けないときは、そっちのことを思って見るだけでもいい。
だから、長崎には何度も訪ねたくなる、現地の人たちに
会いたくなる。そんな心のよりどころ。
つらい経験を重ね、被害を受けては立ち直って
きた人にとって、平和の希求は、息をすることと
同じぐらい、当たり前のことだろう。
痛い思いをしたからこそ、痛みがわかり、
それを乗り越えたことに感謝できるのだと思う。
そこには、神様の存在もあるのだろう。
九州の人は優しい。長崎ももちろん優しい。だから大好き。
昨日、有る会話のなかで、そんな声をきいた。
確かにそうかもしれない。
とくに、自分が知る長崎の人は、言葉は少なげであるが、
本当に優しく、あたたかい。
敵ではないかと思える人のことも赦し、相手を包み込む。
そんな力がある。寛容であり、慈悲の心があふれている。
だから、暴力でもって解決を図るという間違った選択は
なく、話し合いで乗り越える。
よく話し合えば、痛い思いもせず、相手への理解も深まりながら
解決もする。
もっと、対話をしよう。
長崎の人を思い出しながら、このコミュニケーションを欠かさず
丁寧に生きていかねばと改めて思う次第。
最近の「対話ではなく一方的であり、ご都合主義な方のふるまい」を
知ると、絶望するが、世界には、そんな人ばかりではないと
信じ、対話ある日々を大切に生きたいと改めて思う。
対話でなんとかなる。
全ての関係をそこから、はじめたい。
対話でなんとかなりませんか?
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