いのちの危険がいっぱい。

この暑さ。
エアコンがない夏を過ごしていた知人がさすがにエアコンを
設置したと聞き、安心したのが数年前。当時もかなり厳しい暑さ
であったが、まだ地域や場所によっては、確かにそれがなくても、
扇風機を使えばなんとかしのげる・・・という段階であった。
しかし年々夏の訪れとともに、気温は上昇、天気予報やニュースで
記録を更新と告げられることにも慣れてしまった。
子どもの頃は、30度越えだけでも、暑い暑いと騒いでいた。
当時はまだ熱中症という言葉もなく、日射病に気を付けて、
日かげを求めて過ごしていた。
学校にもエアコンもなかった。

近年のような体温以上の気温は異常で、その状態で過ごし続けることは
本当に危険である。

先日一人暮らしの80代の方が、自宅で熱中症になり、ケアマネージャー
の連絡で医者が在宅診療されている様子をニュースで見た。
エアコンのない生活をずっとされている。扇風機もない。
見かねた医者が、扇風機を1台、その方の自宅に運び、貸しておられた。
ご本人には、暑さがあまり感じられない様子で、インタビューにも
「我慢するので大丈夫」と力なく応えておられた様子が痛々しかった。

おそらく育った環境や時代も関係あるのだろう。
我慢すればなんとかなる。
そのように生きてこられたのだろう。
でも、この暑さばかりは我慢してしのげるものではない。

このような一人暮らしのお年寄りは全国に多数おられる
のであろう。
ケアマネさんや在宅医療をされている先生たちも、気が抜けない
大変な日々をお過ごしだと思う。頭が下がる。

母には、晩年酷暑をひとりで過ごさせるのが怖くて、本人の希望
もあって、夏の間 施設に入ってもらったことを思い出す。
あれはあれで良かったけれど、但し、自分で生活をする習慣を
忘れてしまったのが良くなかった。と反省もするこの季節。
まあ、毎日熱中症でくたばっていないかと心配するよりも
良かったのだと自分なりの言い訳をする。

暑さとの闘いは本当にいのちがけだ。

人間だけでなく、池の鯉たちも・・・。
昨日、観賞用に飼育されている美しい鯉の一匹が
酸欠で苦しそうに泳いでいるのを見つけた。
ほんとうに、苦しそうで異常な動きをしていた。

そのことを、その池を管理されている方に、
それを伝えたが、ずっと気になっている。
水温の上昇から、魚たちも生きづらいのだ。
池の中にもエアコンが必要なのだ。

と、我慢するだけでは、自分の努力だけでは
生きられない環境になってしまった。

先行きが見えない厳しい日々。

いのちがけの夏。早く終わってほしい。
酷暑に大雨に、地震に、噴火に・・・。
命がけで生きる時代になってしまった。

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