弱き人を思い・・・

強い、弱いの定義は実は難しいと思っている。
一人の人間でも、強い面、弱い面がある。
また、社会の中では、私自身は好きではないが「弱者」という表現も
あり、どこかにハンディを抱える人をそう括っている。
高齢者も、障がいをもつ人も・・・。
日本語が読めないという点では、外国人はその面では弱者であるが、
勉強や努力で、克服できることも多い。
自助努力は前提であるが、助け合うこと、支え合うことは社会に
生きる同じ人間として大切にしたいことである。

差別と隔離という話を最近聞いた。
差別は同じ社会にいながら、異質な存在に対し自分と違うという点で
一方的な対応をすること。偏見も含み、世の中からは消えない。
このネット社会では差別はさらに加速している、助長されていると
感じ、悲しく思う。
一方、隔離はもっと残酷だ。社会から締め出す、自分たちの敷地に
入れないようにするという、あってはならない差別行為。
アパルトヘイトはそうであった。区別といっているが、これは
残酷きわまる差別でしかない。と思っている。この隔離は現在も行わ
れており、同じ地球に本当に悲しく、何とかならないかと強く思う。

肌の色や宗教で人を差別する。また、身体的・精神的な病で
差別、隔離する・・・。
人間の悲しい歴史に、実は思うところがあり、関心を寄せている。
声も出せず、一生を終えていった人。
そういう人がいる社会について、思うところがある。

おかげさまで、今の自分は、五体満足でまた表現すること、行動
することもできる。
弱き人の助けになれば、癒しになれば、弔いになれば・・・と
思う。

誰しもが、いつ、弱者になるかわからない。
覚悟しながら、そして今日も元気に動き回れる幸運に感謝して
1日をフルに生きたい。

とこの原稿を書いていたら、ハンセン病の病棟で撮影をされてきた
写真家の方のニュースが流れてきた。

カテゴリー: Essay (Word) パーマリンク