母国への思いが導いた勝利か

久しぶりに大相撲の千秋楽、決勝戦の様子を見た。
残念ながらテレビでの観戦ではあるが。

20代になったばかりの若き力士が、優勝するかどうか。
日本中の相撲ファンにとって大きな注目の的。
今年最後の取り組み。まさに2025年の相撲ファイナルに
ふさわしい決戦となった。

相撲は時々、気になった時だけ見る。
今回は、ウクライナから17歳のときに来日したという
青い目の若き力士のことがとても気になった。
まだ日本へきて、プロの相撲業界に入って3年というの
に・・・。どんな稽古を積み上げてきたのだろうと
知るほどに興味が増す。

そして、多くの期待どおり優勝した。
物凄い快挙である。大先輩を次々打ち破っての初優勝。

優勝後のインタビューも聞いた。
質問に的確に、答える。日本語も見事だ。
ただ、ほとんど笑わない。

笑わない奥にある気持ちを勝手に想像していた。

戦争で苦しむウクライナの人びとのこと、
そしてご両親のこと。
ふるさとから 戦争を逃れ 日本にやってきたのは
本当に重い決断で、命を懸けるぐらいの勇気がなければ
成し遂げられなかったと思う。
本当に全身全霊、相撲に尽くしてきた3年であったのだろう
と推察する。

翌日のニュースで優勝したことを、電話で母国の両親に伝えたら、
喜んでおられ泣いておられた・・・との報道も見た。
息子の努力と、現実の戦争と・・・。複雑な思いで
日本での息子の活躍を祈り続けての3年であっただろう。
よくがんばったね。ほんとうによくがんばったと喜んで
おられることだろう。

ウクライナの青年の快挙の報せで、彼のふるさとに
住む人たちが、少しでも元気になるといい。

日本は、今のところ平和だ。明日はわからないけれど。
世界から逃れてやってきた海外の人たちの応援、支援は、
今、日本にこそできることだ。

「日本はいいところだよ。」
と、日本に来て働き、夢をかなえた若者たちが
心からそう思って、胸をはっていつか故郷の土を再び
踏めるように。そして、日本との新たな交流が生まれることも
とても素敵だ。と、想像を勝手に膨らませる。

平和の使者としての、日本の存在を忘れてはいけない。

安青錦、ほんとうにおめでとうございます!
世界をしっかりみつめ、ふるさとを大切にする
素敵な力士として、ますますのご活躍を!

戦争がまだ終わらない。
そのことと、笑わない顔が重なってしまう。
ウクライナの人たちが笑顔で暮らせるように、
心から祈りたい。


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助け合い、支え合う社会に。

京都駅ビル内にある回転寿司。
このところ、通るたびに行列ができている。
待っているのは外国人観光客。
店内を覗くと、座って食事をしているほとんどが
やはり外国人。
日本人、地元の人であれば、こんなに並んでいるなら
ここじゃなくてよいとあきらめてしまうだろう。

でも、コロナのときの店内は閑古鳥が鳴いていた。
そんな時にこそ、よし!と思って、ひとりで何度も
足を運んだものだ。
今は空席だらけのあの様子が、少しだけ懐かしくもある。
今は、もっぱらテイクアウト。その時は店頭に並んで
いない納豆巻きを決まって握ってもらう。

今回も仕事の帰りに立ち寄る。
閉店時間が近いのに、行列だ。
あと30分ほどでこんなに多くのお客さんをさばくことが
できるのかな。と余計な心配。

納豆巻きができる間、店内を眺めていた。
よく見ると、カウンターの中の職人さんたちが以前より
増えている。そうだよな~いつも満席なので、職人さんは
お寿司を握りっぱなしになる。
そんななか、外国人のスタッフが納豆巻きを握っているのを
みつけた。おお!彼が握っているのか!急に親近感がわく。

客席も厨房も国際色豊かな、京都の開店寿司屋。
値段もそこそこ、美味しさもまずまず。十分満足できる
店だから、SNSでの評判も高いのだろう。

一方、今度は、名古屋駅にほど近い居酒屋に寄ってみる。
名古屋に住む前から存在は知っていたが、初めて店に入った。
駅前の喧騒を離れ、少し落ち着いているたたずまいで安心。
なぜか新潟の酒と料理が売りのようで、個人的に興味が湧く。

店長以外の厨房スタッフはすべて外国人の
女性スタッフ。ホールでも外国人の女性スタッフが
接客をしている。
なんときれいな日本語で、丁寧でちゃんとした仕事を
されているのか。
総合的に良い店だ。と、満足して店を出た。
インバウンド客もおらず、ちょっと前までの普通の
居酒屋の風景で、落ち着けたのも、満足の理由かもしれない。

「外国人」という言葉は実は好きではない。
区別のようであるが、隔離的な線引きを感じるから。
人手不足の業界では、日本人以外の皆さんに助けられている
ことを忘れてはいけない。

先日コンサートで伺った老人ホームでも東南アジアの
青年たちが利用者を丁寧に介護されていたことを思い出す。
飲食、福祉、建設ほか、人手が足りない現場を担っていただいている。
彼らの力がなければ、日本の産業は成り立たない。

当たり前であるが、助け、助けられる世界。
国を越え、年代を越え、お互いに支え合う社会が
現場では当たり前になっているし、必要とされている。

強いか弱いか・・といった閉じた価値観ではなく、
やさしく、助け合う、支え合うことができる人になりたいし、
それぞれが生きやすい社会づくりをもっと意識したい。

自分ができることからで良いから。
等しく優しくできること、しなやかに生きることの方が
本当の強さではないかとも思う。

分断する社会が加速すると言われているが、その反対に
融合する、相互協力する、みんなが生きやすい社会こそ
目指さなければ。
小さなことから、はじめればよい。

居酒屋で清算したあと、スタッフに
「日本語うまいね、これからもがんばってね!」
と声をかけたときの、あのさわやかな笑顔が今も
思い出される。
日本でがんばる皆さんに、感謝とエールを!




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マイステージを探す旅

下北沢と京都。どちらも演劇の町。
前者は全国から役者を目指して上京した役者たちが、夢を求めて
表現する町。NYのブロードウェイとは規模は違うが、スターを
目指す人たちが挑戦する町。駅を降りるとわくわくする、独特な
空気は今も昔も変わらない。ちょっと非日常な町。

京都は学生時代から劇団で活動してきた人達が、社会人になっても
変わらずに、自分たちらしい表現を求めて創造を続けている・・
そんなイメージだ。「学生の時からやってました!」という会話を
よく耳にする。演劇やってた学生が、すっかりおじさんになって
いる。でも、その当時からの熱い思いは変わらぬままだ。
と、そんな人が身近にもいる。

下北沢も京都もそれぞれ素敵だ。
また、それ以外にも各地に劇場はあり、その土地ならではの
雰囲気もあって、作品の印象も変わってくる。
そういえば、以前、長野の上田まで出向いて、演劇の演奏を
担当したもことがあった。今も、その時の舞台と
そこにあったアップライトピアノが浮かんでくる。

新しい劇場も快適であるが、ちょっと不便でレトロな洋館での
上演も、建物自体が演出に一役買ってくれそうな、そんな良さもある。

ずっと、自分の新たなステージを探し続けている。
新宿のお店はコロナで閉店してしまい、京都のお店ももう
世代交代となった。
そんなこんなで、新たなステージ探しはずっと課題のまま。

昨日、足を運んだ京都の築90年の洋館。へえ、こんなところに。
演劇を観ながら、ここでコンサートをしたらどうだろうか?
とイメージを続ける。

演じる、表現する内容と会場。コンテンツとステージ。
まさにソフトとハードの両者が一体となって、素敵な作品と
してお客様に観て、聴いていただける。
そう、料理と器の関係と同じだ。

「ここでやりたい。」
という場所に、まだまだ出会いたい。

次に予定している、長崎も申し分ない、最高のステージだ。
あそこも「ここでやりたい!」と出会えた空間。

ブロードウェイの舞台に立ちたい。
カーネギーホールで演奏したい。
と、これらは憧れの世界ではあるが、
今は手が届く、小さな夢をいくつか実現したい。
華やかだけがステージではない。

生み出す人、演じる人。伝える人。
演劇は多くの人の力で作品が完成する交響曲のようなもの。
私の場合は、ピン!ソロである。
それぞれに合う、ステージがある。

ここでやりたい!
ステージ探しの旅を、これからも続けるとしよう。



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引退日を決める日

40年近いおつきあいになる。当時女性のマーケティングプランナーと
いう職業はまだ珍しく、しかも独立してやっている方は少なかった。
そんななか、その方との出会いに刺激を受け、自分なりにがんばって
きた。組織の上司もありがたい存在であるけれど、実は組織と関係なく
外の世界を見せてくれる先輩は人生の上司のような一面もあり、
本当にありがたい。
「まだ、企画書書けるわ」とそんな会話をしていたのはその方が50代
後半の頃だったか。若いもんには負けへんで。と、プランナーとしての
誇りをいつも示され、その強い信念にまた刺激をいただいた。
お茶の世界にも精通され、精力的にその精神をしっかり伝えていこうと
活動をされ続けている。
時々、イベントの案内や活動報告がメルマガとして届けられる。

最新号が届いた。年末に向けてのご案内かと、
今回は何が書いてあるのだろう。今度はどんなことをされるのだろう。
とわくわく読み進めていくと、いつもどおりの精力的な活動の情報に
続いて、なんと、ご自身の活動の引退日についての言及。
ご自身の77歳の誕生日を迎えた年の年末。3年後になる。
そうか・・・。
あと3年がんばろうという決意。

それを読み、時間には限りがあるのだということを改めて知る。
また、自分がその幕引きをしなければならない時がいつかやってくる
ことも。
今は、まだ元気いっぱい「行けるところまで行こう!」
と意気込んでいるが、永遠にそうはいかないということも・・・。

私の引退日は?
もちろん今のところ決めるつもりもないし、最期の最期まで走るつもりで
未来に夢を描き続けたいと思っているけれど、
そうはいっても、必ず「終わり」はあるのだ。

それをいつと想定するのか?

目を背けたいけれど、そんなことも意識しながら、
自分の人生じまいを考えていかねばならない。
だんだんそういう年齢になっていくのだ。
理想をもちながら、現実と向き合うこと。そして
決して悲観的ではなく、責任をもって人生を全うするために
期限を設けることは前向きな選択。
そんなことを教えられた気がした。

マーケティングプランナーとして生きてこられたから、
自分の人生もそのように最後までプランニングして実践して
いかれるのだろう。
改めて尊敬する。
そして、近いうちにまた訪ねていかねばと思っている。

行けるとこまで行きたいならば、健康であり続けること。
それしかない。
引退日を決める日。それはいつか・・・まだわからないが
最期までとことんポジティブで突き進みたい。

今、ゴールを決め、ラストスパートをされる先輩の健康を
祈り、最期まで敬意を感謝を持ち、応援し続けたい。
貫く人生は、美しい と思う。



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劇にもなかなか。

久しぶりに下北沢に出向く。
この10年ほどの間に、行く機会も増えた。
観るだけでなく、弾く。
なかなか貴重な経験をさせてもらってきた。
今回は、音源を提供し、場面転換などで使っていただく
という、これもまた新たな経験。
録音にあたっては、東京に行く時間がとれなかったこと
もあり、リモートで東京と岐阜でやりとりしながら、
そのまま実家のピアノを弾きながら、録音、共有。
なんとまあ、便利な時代。
音源を作家の方にお任せで、編集いただく。
連絡ないけれど、うまくいったかな、劇に合ったのかな。
音源を渡したあとも、気になりながら、
「音楽、大丈夫そうです」
という作家から届いたメッセージに少し安堵。
そして本番まであっという間に時間が過ぎる。
(現場は稽古と準備で大変だったろう)

いよいよ公演がはじまる。
初日の夕方、舞台を訪ねる。
元気はつらつ、やる気に満ちた役者さんたちに出会い、
ああ、この人たちの演技に音楽が絡むのだと
本番を待つ時間、緊張と期待が入り混じる。

そして、本番。
もちろん台本は読んでいたし、どこに音楽が入るかも
わかってはいたけれど、実際に劇になってみると、
セリフも音楽も立体的になって、一体感を増して、
作品として見る側に迫ってくる。

おー、いいやん。
実は最初の出だしから、ぐっときていた。
今回は劇を楽しみながらも、自分の音楽がどんな
風に聴こえているかを確認するという鑑賞。
音、ちゃんときれいに出ているかな。大丈夫かな。
そんな心配はよそに、さすがの編集である。
ちゃんとうまくまとまっており、安心。

そして、劇用につくった曲ではないのに、
なぜか、とてもマッチしている。
音楽とは、演奏会で聴くものだけではなく、
演劇を完成させるためにも、大変重要な要素である。
そういった活用もあるということを大いに学ぶ。
場面転換に音楽が効果的であることは、改めての発見。

あっという間に95分の上演がクライマックスへ・・・。
最後に流れた曲で、おお。こんな風に感動がつくれるのか。
と思いながら、泣いた。

そして、余韻を抱えたまま、東京駅までダッシュした。

劇が音楽に合っているのか、
音楽が劇に合っているのか。
とにかく、素敵な作品の一部になっていることが確認でき、
一安心。

楽しくて元気が出る、鴨川リトルウォーズ。
ぜひ、おすすめ。
週末は、ぜひ下北沢へ!

上演後は、アーカイブ上演もあるため、
遠方の方にはこちらもおすすめです。

次回公演「鴨川リトルウォーズ」 | B.LET’S

きらきらした役者、作家、熱心なスタッフたちと
一緒に仕事ができることはとても光栄だ。
千秋楽まで毎日応援し続けたい!

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「対話」と「会話」

最近、「対話」という言葉についてよく考える。
この「対話」=Dialogos は紀元前の古代ギリシアの時代、哲学者ソクラテスに
よってその重要性が伝えられた。
有名な「問答法」も対話を進める上で、有用な一手法であるのだろう。

2000年以上前のことは想像を働かせるしかないが、結局、人間が
社会で生きる上で、コミュニケーションは不可欠であり、
対話によってお互いをより理解し、さらに知り合うことは、
よりよく生きるために大変重要。
それは、昔も今も変わらない「真理」。だと考える。

デジタル化が進めば進むほど、簡単に何でも調べられるが、
とくに対人間となれば、人の力で相手を知る努力が必要となる。

相手を知ると、理解や共感が生まれ、より確かな関係が育まれるし、
そこで新たな発見も生まれ、世界も広がる。

その相手を知るためのコミュニケーション手段が「対話」である
と考える。

先日、音楽仲間と、コンサートのテーマについて意見交換
していたときに、
「お客さんに演奏をただ聴いてもらうだけでなく、
音楽を通じて、『お客さんと対話する』といった考え方もありでは?」
という提案をしてみた。
音楽もコミュニケーションであるから、一方的な関係では成り立たない。
さらに、音楽をもっと身近な存在にしていくためにも、
「対話」をテーマにしてみるのもよいのではと思ったのだ。
演奏家だけでなく、お客さんにも演奏に参加してもらうことも含めて。

また、つい最近、1枚のアート作品を通じたコミュニケーション活動
「対話型鑑賞」のワークショップにも同席した。
同じ絵を見ながら、どう感じるか、どう見えるのか?について
チームで自由に意見を交わし合う。
そこから、絵の見え方も広がって楽しくなるが、この対話こそが
お互いを知るのに役立つ。
楽しい対話の時間を共に過ごし、参加された方も笑顔になった。

企業においてもこの「対話」の重要性をもっと伝えたい。
「会話」ではなく、「対話」だ。
もちろん会話も必要だ。挨拶は会話のはじまり。
世間話や日常的な会話も、もちろん環境づくりに欠かせない。
さらに一歩、「対話」なのである。

わかりあえるために、ともに生きるために「対話」なのである。

今しばらく、このことを、いろんな場面で考え、そして、
「対話」を増やす活動を、実践していきたいと思っている。



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旅立ちを思い出す朝

さあ、今日も元気に!とスタートしはじめたところに、
1通のメールが届く。
気になっていた仲間のお父様の訃報。
「たった今、亡くなりました」と書いてあった。
遠くに住んでいるので、立ち合いができなかったとも。

良かったら施設に伺って、歌でも歌いに行こうかと
言っていた矢先だった。

ふと、父や母の時のことを思い出した。
いずれも、臨終に立ち会うことができなかった。
そして、駆け付けて、対面したときの瞬間が蘇った。
自分の人生で初めての感覚であった。

人は一人で生まれ、ひとりで終わっていく。

人生は、なんとも孤独なもの。

「早く行ってあげてね。待っておられると思うから」
と、つい、そんな言葉をかけてしまう。

親は常に自分の鏡でもある。
時に反面教師であることもあるが、それも含め、
やはり鏡だと、時間を経た今も思う。

人はいのち絶えても、周囲が覚えている限り、
心のなかに生き続ける。

心からご冥福をお祈りしたい。

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夜中から、働き続ける人

もう20年近いおつきあいになる わが心族のひとり。
彼が20代の時からずっと応援してきた。また私も応援し続けて
もらっている。
会社員時代、起業する時、そして起業したての頃、そして現在に
いたるまで。
競争激しい都内のビジネス街でお弁当屋さんを営んでいるため、
大変忙しい。
なんといっても、仕込み、仕入れを含め、自らが動く、働くこと
を毎日、やり続けている。
とにかく毎日夜中から仕事を始めている。

ボリュームがあって、値段もお手事で、そして美味しく、毎日
変化がある。「元気ごはん」を都会で働く人たちに提供し続けている。
大ファン、リピーターも多く、昼前には長蛇の列。
1日700食を売り切るというから、スゴイ。

私も毎日未明から1日を始めるが、彼はもっと早い。
仕込みをして市場に仕入れにいかねばならない。
時間を逆算すると日付が変わったあたりから仕事を始めなければならない。
パートさんたちが来るまでに、どこまで仕込むか。
毎日が時間との格闘だ。
たまに会えるときは金曜の夜か、土曜。
なんとか、年に1回は会いたいと思っている。でもやりとりは続いて
いる。

先日、ある知人からメールが届き、
「今尾さんの知り合いらしき人が、夕方のテレビ番組に出ていたけど、
あの弁当屋さんですよね?」
へえ。確かに時々メディアに取り上げられているので、不思議ではない。
本人に尋ねると、確かにそのようだ。
お茶の間でも、すっかり話題のお店になっているのだ。
そして、後日、その番組がYouTubeにアップされたので、と本人から
メールが入る。

その番組を見て、ひとり泣けてきた。
本当に毎日、深夜からずっと働き詰めで・・・。
彼の若き日からの交流でのいろんな場面が浮かんできた。
あの青年が、今や立派な店主である。

とにかく毎日働き続ける。
いちいち、何時から働いていますとか言わない。
コツコツ、働いている。
そこにとても深く共感するとともに、
彼の健康が、これまで以上に心配になる。

コツコツと働き続ける人。
とても尊敬する。

大きなことを言わずに、小さなことを重ねて
周囲を幸せにしている人。
そんな生き方が大好きだ。

ワークライフバランスを越えて、仕事をする。
このバランスには個人差があるのだと思う。
やりすぎる人には、周囲の目も大切だが、
ひたむきに努力し続ける人には、その人なりの
生き方もある。

心配しながら、応援する。
これまでも、これからも。
なんといっても、20代のころから、自称「乳母」
として見守ってきたから・・・。

取り上げられた番組はこちら
(番組側で公開終了になることもあるかもしれませんが
その場合はご了承ください)
https://youtu.be/Z0LSyF5JmPs?si=W2HJnjpeIxX4JDsJ

こうちゃん!がんばって!

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新潟ブーケで朝食を。

新潟で迎える朝。オレンジブーケを窓際に置いてみる。
窓の外には、住宅街から工場も連なる新潟の町が広がっている。

川や海を眺める新潟ももちろんお気に入りであるが、町の眺めも
気に入っている。
この「みなとまち」に、古くから多くの人が住まい、産業を文化を
育んできたのだと、その名残を感じる。

花のオレンジと、後方に見える朝の光のハーモニーで、
自分のなかに新たなエネルギーが湧いてくる。
そして、花をお届けいただいた方の、愛らしい笑顔もよみがえって、
幸せな気持ちでいっぱいになる。

朝のブーケ。とてもいい。
オードリーヘップバーンの「ティファニーで朝食を」にならって、
「新潟ブーケで朝食を」。
珈琲とベーグル。ではなく、やっぱりおにぎりと味噌汁がいいかな。
新潟の朝。贅沢な朝。

このブーケのおかげで、とてもリッチな朝をいただいた。
今回、新潟でいただいた多くの温かい愛に、心から感謝を込めて。

余韻を残したまま、新たな週に向かう。

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越後の大空に、再会を誓う。

おかげさまで、フルスケジュールの新潟3日ステイが無事、終了した。
ディナーショー、各種ミーティング、展示会、学生×社会人によるまちづくりイベント、
対話型鑑賞、長年応援している障がい者施設での作品展、そこでの演奏・・・。
空き時間を利用して、新潟商品の市場調査、仲間の音楽家との対話・・・。
3日で直接会った人、言葉を交わした人は数えていないが、100人は越えた。
右脳、左脳そして五体もフル回転で、予定どおり動け、今回のミッション、完了。

おかげさまで空もご機嫌さん!
新潟の空は冬に向かうにつれ、鉛色が日常の景色となるが、今はその手前。
青い大空に白い雲たちが連なり、「戻ってきたね。」と私を包み込んでくれるよう。
そうだ、まるでターナーが描いたような空だと、新潟県内を車で移動する際に、
何度も感じていたあの感じが蘇る。
そして、空の応援団たちがそこで笑っている。

雨もほとんどなく、いい天気のまま3日目のプログラムが終わる。
越後平野の夕ぐれ。今回は海側を見る時間はなかったけれど、車窓から見る
17時前の景色に、再び新潟の空の大きさを感じる。(下の写真)
次にここへ戻ってくるときは、どんな空だろうか。

新潟は、寒さ厳しき冬をまもなく迎える。

ほんとうに、本当にやさしき人たちに出会い、再会し、人の魅力が町を
つくるのだと、久しぶりに感じいった3日間。
またね、またすぐに戻ってくるね。

今回さまざまな理由で会えなかった人とは、次回のお楽しみ。
もう片手では数えられない人たちの顔が湧いている。

みず・つち・ひと。
の調和を教えてくれた町。にいがたは変わらない。

今回お世話になったすべての方に、改めて感謝を込めて。

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