、先日鹿児島へ出向いた際、金沢を訪問した際、それぞれ
タクシーを利用した。
それは土地勘がないため、公共交通機関がないから、
遠いから・・・などの利用。
慣れない町であるので、どの道を通っているかわからない
ため、メーターがとても気になる。でも、必要であるから
それなりにかかっても良しとする。
さらに、この季節。
地元であっても、タクシーを利用することがある。
習慣にはしたくないので、極力使わないが、この暑さでは
やむを得ない。
タクシーに乗るときは、運転手さんの印象を見て、
話しかけやすい方には、いろいろ質問を投げかけること
にしている。タクシー業界、またそのドライバーさんの
背景など見えて、とても興味深い情報を得ることができる。
「これだけ暑いとタクシーの利用も多いですか?」
「夜の町でのタクシー利用はどうですか?」
「遠いところだったら、どこまで乗せていかれるんですか?」
などなど。
この暑さでは、バス停でバスを待っている人が多く
手をあげられ、タクシーに乗られそうそうだ。
待っていららない、立っていられない。
こんな暑かったらちょっとお金かかってもタクシーに
乗ろうと思うらしい。
そしてタクシーに乗ると、ひんやりした車内に皆さん
ほっとされるそう。
だから、終日車内にいる身としては、体が冷えるけれど、
ある程度は冷やしておかないといけないそう・・。
最近の名古屋の夜の町は、40代、50代のサラリーマン
よりも、もっと若い人が増えているようだ・・。
名古屋からだったら、豊田、三重、岐阜あまりまで
深夜であれば乗っていく人もいるそうだ。
電車がなくなっても、どうしても帰らなければならない人、
行かねばならない人。そんな人のための24時間使える
乗り物がタクシー。
あるドライバーさんは、パン職人であったが1年前に
転職されたそう・・・。
乗っている時間が長ければ長いほど、いろんな話を聞く。
タクシードライバーを素材にしたコンテンツがあるけれど、
私自身も、この職業には大変興味がある。
いつか、本にしたいと思ったぐらいだ。
ふと、コロナで大変苦労した京都で頑張る、
友人のドライバーを思い出す。
今は、暑さに加え、インバウンド含めた観光客や
季節によっては修学旅行生の対応で、多忙を
極めていることだろう。
元気にきばってはるかな?
と、名古屋の転職組のドライバーと話しながら
京都の彼のことを思い出し、元気な笑顔が浮かぶ。
真夏はタクシー利用も増えそうだ。
束の間のコミュニケーションも楽しみ、
いろんな人生に思いを馳せたい。
世界中のタクシードライバー。
いろんな客を乗せ、運ぶ。
どうぞ、安全運転で!ご無事で!
夏のタクシーコミュニケーション
愛あるAIとのつきあい方。
AIとは、ほどよい距離でおつきあいする。ぐらいの
関係が私には好ましく、ありがたい。
びったりそばにいてくれなくてよい。
自分でできることは自分でやるから、
AIには想像もできないことをやってやる。ぐらいの
気概は持ち続けたいと思っている。
そんななか、親しい方が病で会話がしづらい状況に
なってしまった・・とメールが届いた。
先月まではお元気で、講演もきいたし、食事も
ご一緒したのに・・・。そんなことがあるのか
と最初信じられなかった。
何かお手伝いすることはできないか?
その方はとても前向きで、リハビリも頑張って
なんとか会話ができるように、とがんばって
おられ、会話をサポートする何かいいソフトが
あったら教えてほしいとの連絡をいただく。
早速、AIに精通している仲間にも相談しながら、
テキストをその方の声に近い音声に変換する
ことができないかと日々模索。
ご本人からも以前の講演の音声データを送って
いただき、専用ソフトで再現を試みる。
そんなこんなで、なんとかその方の会話の
サポートがしたいと奮闘中。
技術に強い仲間もいることで、いろんなこと
が考えられる。大変心強い。
ご本人があまりに前向きなので、こちらも
それに応えたいと思ってしまう。
困ったときにAIが助けてくれる。これは大変
ありがたいことだ。
私も何かあったら、世話になるだろう。
人助けは自分助けである。
AIは、あの人のためにと思うところで
大いに貢献してくれる、心強い味方になることも
ある。
そんなこんなで、その方の会話が元通りに
なることを祈りつつ、愛あるAI活用で
少しでもお手伝いできたらと思っている。
来週は一緒にそのソフトの使い方の
勉強会を行う予定。
私一人だけでは無理なことを、一緒に真剣に
寄り添い、関わってくださる仲間がいることも
ありがたい。
人は話せることが、当たり前ではない。
ある日突然、会話ができなくなる。
「回復するステップを楽しみたいと思います」
と、ご本人から言われて、
どこまでも前向きなその方の生き様に
感動しながら、応援団でいられることに
感謝したい。
2026年カレンダー
あっという間に2025年も8月に突入。
時の経つのはなんと早いことかと思うが、
この暑さでは早く季節が変わることを祈る日々。
今朝も、月替わりカレンダーをめくりながら、
あと2枚めくったら暑さも収まるか。
どうか早く過ぎ去るように・・・と念ずる。
そして、
来年のカレンダーをそろそろ・・と毎年
取り寄せているデザインのものをオーダー
した。なんと、もう販売していた。
お届けは9月後半だそうだ。
そんなことをするだけで、頭が新年モードに
切り替わり、暑さも少し和らぐ。
毎年、来年のカレンダーを注文するとき、
来年も生きるのかなと思いながら
手配する自分がいる。
来年は、今の自分にとって不確実な未来でもある。
でも、
新しいカレンダーがくるから、がんばって
生きなくちゃと、自分にとって新しい
カレンダーは未来を生きる力になる。
仕事では何食わぬ顔で2030年の話をしながら、
日々取り組んでいるのに、実のところ、
自分自身のことはあまり考えていない。
まずは、現在・今日ありき。
もうすぐ大好きな、ERが付く季節がやってくる。
それまで1か月、この夏も大いに燃焼しよう。
カレンダーが届くのが楽しみだ。

最高のおもてなし大使
酷暑のなか、久しぶりに訪ねた金沢。
ひとつめのミッションである打ち合わせが
終わり、次の待ち合わせまでの時間のこと。
土地勘も薄らいでおり、記憶をたどりながら
街中から駅まで歩く。
歩けない距離ではないはず・・・。
ただ、この暑さだ。
それに加え、すでに途中で道を間違え、
暑さでたまらず、呼んだタクシーも道を
間違えてちょっと不満が募る。
加えて、昔は静かだった美術館も
インバウンドで混雑・・・など・・・。
正直、どこも日本は変わらなくなった、
まさに小京都。いいも悪いも・・・。
と思いながら、駅に向かう。
とにかく日差しを避けたく見つけた
地下道の入り口。
これは駅まで通じているのか?
交差点だけのものか?
ちょっと考え立ち止まっていると、声をかけられる。
「どうかされましたか?」
若い男性だ。
「いや、この地下道、駅までつながって
いるのかなと思って。」
「ずっとはつながっていないですけど、
地下の方が涼しいですよ。駅に行かれるん
ですか?」
「そう。つながってないか・・でも
ずっと外を歩くよりましですね」
「良かったら、僕も駅まで行くので
ご案内しますよ」
とのこと。なんだか、とても親切なその
応対ぶりに感心して、一緒に歩くことにした。
おそらく数分ほどの会話だっただろう。
地下道を歩き、途中から地上に出る。
でも、ずっと話していたため、暑さを感じなかった。
聞くと、金沢大学の学生さんだ。
明日、教員採用試験で実家である福井に帰る
のだということ。
ふと、40年前?のことを思いだした。
そして、金沢大学・・・。
もしかしたら、後輩になっていたかもしれない
人と出会ったのか。結果はそうではないけれど。
「理科か数学の教員免許をとりました」
「へえ、私は社会科をとったことがあるよ」
親子ほどの年の差でいつの間にか親しい口調で
話していた。
「今の日本も世界も大変だから、子どもたちが
夢を描けるような未来にしないとね。」
「はい、そういうことができる先生になりたい
です。」
「先生も夢ですけど、政治にも興味あります」
など、短い時間にいろんな話題にお互いに反応した。
今の日本や世界の憂いについても意見を交わし、
若者たちが置かれている現状も自分なりに理解でき、
心に響いた。
大変しっかりしているのと、あまりに波長が
合い、あっという間に打ち解けた。
気持いいキャッチボールを楽しんだ。
目的地が見えてきた。
「じゃ、ここで大丈夫。ありがとう。明日
がんばってね。」
笑顔で別れた。
ああ、いい出会いをいただいた。
一気に金沢の町の印象がグンとあがった。
最高のおもてなし大使に出会えた。
今日は、彼の試験日だ。
心からうまくいくことを祈っている。
自分が京都で試験に臨んだときのことを
思い出し、結果、違う道にきているが、
それはそれ。
今、まさに真剣勝負に向かう、
学生さんに心からエールを送りたい。
きっと彼とは、また再会する。
そんな予感も楽しみながら・・・。
人生のマイレージ
何に先行投資してきたか?
その点から、これまで来た道を振り返ってみる。
まず、親たちは幼き私に「音楽」という高価な先行投資を
してくれた。目先の目論見は外れて気の毒でもあったが、
でもその投資のおかげで、今の自分がある。
自分の人格形成から、現実的な活動にいたるまで
生かされ、自分の個性のひとつにもなった。
大変ありがたく、この投資に心から感謝している。
では自分自身が行った先行投資とは。
これは今から思えば、「動くこと(移動)」。
このことにかなり時間も費用もかけてきた。
小一からひとりで電車に乗ってレッスンに
行っていたことも影響したか、
一人旅が好きで、青春18きっぷは
長きにわたり、ずいぶんと活用させてもらった。
中学時代に夜行を乗り継いで、夜明けの横浜に
到着した感激は今も忘れない。
同じく中学時代の大阪のアメリカ村の探検・・・。
なんだ、日本なんだ。そこに本当にアメリカが
あると想像していたのか?今から思えば
笑えるが・・・。
それだけでなく、高校、大学時代、社会人
になってからも旅を続けた。
25歳での初NY出張が初海外。
あの時のカルチャーショックは今も鮮明に
覚えているし、あれからさらに旅が増えた。
ありがたいことに会社員時代も出張が多く、
そして独立後はさらに自分のペースで
どんどん出かける機会をつくった。
台湾の仕事が始まったことで、世界を旅する
頻度も増え、香港、マカオ、上海、北京、韓国
・・・。
わたしにとっての良き時代の香港・マカオ・・・。
NY、パリからドイツ、イタリア、ポルトガル、
アルゼンチン・・・。
国内、海外・・・とにかくよく動いた。
いつも駆け足の旅であった。
ゆっくりできず、ゆっくりせず、
日々の仕事を抱えて、そのまま移動した。
911のミアミスは特別な思い出。
などなど、まだまだ、
ふりかえれば、地球を何周したかと言っても
過言ではないかもしれない。
20代から40代までによく利用した航空会社からは
ワンミリオンマイル以上の距離を移動した人ということで
そう称されているが、ひところはマイレージに夢中な
時代もあった。(そういえば、そんな映画もあった・・)
飛行機に加え、新幹線移動も含めたら、本当にすごい距離を
移動してきた人生。
そして、訪ねた街ではとにかく歩きまくった。
今思い出せば、ニューヨークのブロードウェイを
南北に歩き続け、足の裏が熱くなり、もう歩けないと
思いながら、ウォール街まで進んでいったあの頃も
懐かしい限り。
どこに行くにも隣町感覚。見知らぬところこそ、どんどん
開拓したい。
そんな行動がとれたのは、
ひとえに健康に生まれ育ったからだろう。
今日は金沢方面に出かける。
ずっと気になっていた北陸の応援。
何かできるかもしれない。
そして、石川の仲間との久しぶりの再会。
これも動くからこそ、実現するのだ。
待っているのではなく、自分から出向く。
そこでいろんな人に出会ってきた人生。
人生のマイレージは、人生を価値あるものに
してくれる。
素敵な出会い、貴重な経験は、動かないと
実現しない。
元気な限り、自分から出向く。
さあ、足腰を改めて鍛えなくちゃ!
先人に学ぶ夏に。
戦争の恐ろしさ。目を向けようとしなければ、かかわりを持って
生きることもできるかもしれないが、こんな世界の情勢では
いつ日本も巻き込まれる可能性があるかもしれず・・・。
分断が進めば進むほど、理解が誤解になり、摩擦が生じることも
あり得る。
だから、そうではない今のうちに戦争とは絶対にしてはいけない。
平和の大切さを常に意識し、伝え続けなければならない。
ある知人の御父上が第二次世界大戦に出征され、傷痍軍人として
戻られてからのお話や、ある方のおじい様はシベリア抑留を経験
されたという話。直接お聞きする話はとても強く胸にささる。
ご本人たちのご苦労を話や表情で、直接見聞され、ご本人たちに
接してこられたから。
わたしの場合は、身近にそういう方はおられなかったが、
子ども時代に岐阜駅の近くの通路や地下道で、傷痍軍人の人
たちが痛々しい姿でアコーディオンを弾きながら、通行人に
物乞いをされていたことを今も覚えている。
なぜ、あの人たちは今も戦争の恰好をしているんだとか、
手足が不自由なのだ・・とただただ、日常ではないその姿に
強い印象をもっていた。
ただ、当時、小学生の低学年ほどであった私には、詳細は
わからなかった。
家に帰れば、新聞社が発行している戦争の写真集があった。
そこに掲載されている、あまりに残酷な戦いの場面を写した
その写真と、そのアコーディオンを抱えていた軍人さんたち
のことが結びついていなかったのかもしれない。
なぜ、あの頃、もっと学校でも平和教育などしなかったのか。
と今になって思うが・・・。
今年は、いろんな資料から戦争の現実を知る機会が多い。
知ることができる絶好の機会だ。
先人たちの経験があり、今日がある。
戦争経験が、敗戦経験が、今の日本をつくりあげた。
しかし、80年も平和が続き、平和ボケにもなってきた。
ボケないように、平和への感謝を忘れないために、
先人たちの苦労を少しでも知り、自分の現在の平和な暮らし
に感謝をしたい。
戦争で別れ別れになった家族のこと。
戦争のせいで、一生ふるさとの土を踏めずに
終えていった人たちの思い・・・。
暑いこの夏。ぜひ先人たちのさまざまな経験を改めて
知り、感じ、考えたい。
今日も当たり前の、日常の朝を迎えられて、
本当にありがたい。
人のせいにしない。
勝負事があるとする。
組織で戦うものだとする。
スポーツでもそうだ。
そのチームがライバルに負けた、負けが続いた場合
どうするか?
この戦いをしっかり反省し、原因分析をしっかりして、
それを踏まえて、どうしたら勝てるか?勝ちに行くか?
について考えを出し合い、次に勝つための対策を講じ
計画的に実践する。そのときに役割を見直す必要は
あるかもしれない。
しかし、まず結果が出たからといって、責任をとれと
組織の一部の人たちが、トップに対して抗議をする。
さも、それが正論のように声高に・・・。
負けたのは、トップの責任だけとは言えないことも
ある。
原因分析もろくにせず、トップに責任をとれと
偉そうに言う。
そのチームの組織力に不安を感じると同時に、
まず人のせいにする、という姿勢、物事の見方に
違和感を感じる。
なぜそうだったのか?自分はどうだったのか?
売り上げが悪い、それは会社の責任。
もらうものを十分にもらえないのは、会社のせい・・。
とすぐ、会社の責任にするような社員ばかりであったら
会社は絶対に成長しない。
会社は、組織は全員で支えていくものである。
という認識を、どんな仕事をする人たちも
改めてもつべき。と考える。
すぐ人のせいにすることには、知性を感じられない。
薄っぺらいものを感じる。
そんな組織は、社会から世界から、
信頼されるだろうか。
まずは、自分を見つめ直そう。
人のせいにしない仕事を、人生を。
恥ずかしくない生き方は、誇りある生き方
と思う。
朗読に泣くわけは。
京都で行われた朗読劇の会。
作家本人の実家が営む酒店の一部屋を、会場に仕立てての開催。
地元での開催ということで、作家本人にとっても懐かしく、
ご縁のある方たちが集まり、下北沢で開催する雰囲気とは
ひと味違った、アットホームな空気のなかでその劇は始まった。
本番を待つ時間の緊張も柔らかい感じ。
映画好きな主人公と同級生との再会からはじまるその二人の
やりとりだけでストーリーは展開される。
そう、この朗読劇は二人のやりとりでのみ進んでいく。
直接会っての会話はなく、必ず「何か」を通じてのやりとりだ。
手紙、メール、ライン、フェイスブック、サイトへの書き込み
・・・長い歳月を経てやりとりをするその手段はどんどん変化
しながらも、改まったことを伝えるときは、やはり手紙になる。
手紙は、相手の住所がわかるときは直送されるが、住所がわから
ないときは、相手の行きつけの喫茶店であるとか、バイト先に
預けられたり・・・。可能な限り、あらゆる方法、手段が
使われ、やりとりが続く。
そしてそのやりとりは頻繁に、ある時は何年ぶりに・・・。
とにかくこの二人のやりとりは赤い糸のように生きる間、
ずっと続く。
そのやりとりの中に、数々の懐しい名画が音楽とともに、登場する。
主人公が語る、その映画の魅力が語られる。
あらすじ全部を書くことはここではできないが、
さまざまなコミュニケーション手段のなかで、
男女の心が交わり、ともに生き、そして・・・。
一見、どこにでもありそうな、恋愛物語が
名画の思い出とともに楽しめる、心地よい作品。
朗読は、たんなる音読ではなく、言葉の演技であるため、さすがに
役者の「読み」も素晴らしく、目を閉じて聞いていれば、演技そのものが
浮かび上がり、情景が浮かぶ熱演であった。
作家自身は、折々に入るBGM(各場面に出てくる名画の主題歌等)の
挿入操作に奮朗。
朗読劇では、聴覚に訴える作品であるため、セリフ以外にこのサウンドも
大変重要であるため、入れるタイミングはかなり緊張するはず。
80分ほどの作品が休憩なしに続けられ、そしてストーリーはおしまい。
あたたかい拍手が会場にあふれた。
見えない世界を演者と観客が一緒に創る「作品」が完成した瞬間だ。
朗読劇は、演劇以上に、観客の主体的な関わりが不可欠なのだ。
想像してもらってこそ、楽しんでいただける。
わたしは、静かな会場のなか、途中から涙があふれて、そのすすり声を
消すのに苦労した。
まさか泣くと思っていなかったため、ハンカチを手元にもっておらず、
焦った。
なぜ泣いたのだろう。涙がにじみ、湧き出たのだろう。
その作品の構成や出てくる素敵なセリフや、それぞれ泣ける要因は
あったのだが、作品に透けて見える、作家自身を思い、共感して
感動していたのか。
彼女はどんな思いで、これを企画した?書いたのだろう?
彼女は役者が発する言葉で何を伝えたいと思ったのだろう・・。
などなど、ずっと作品=作家となって、さまざまな思いがあふれた。
作品を通じての、作家としての表現。
どの人生もどんな名画以上に、名画にもなるということ。
どの人生も死に向かっていくという点では、人生は決して喜劇ではない
けれども、単なる悲劇ではなく、その途中で楽しさも歓びもあるのだ
ということ。
誰もが自分の人生という映画の主人公であること・・・などなど。
そんな思いを伝えたく、これを書き、役者に演じてもらったのだろうか。
まるで1本の映画を生で見たような、不思議な感覚に包まれた朗読劇。
作品の後ろに作家がいる。
作家という仕事は素晴らしい。また作品を言葉だけで観客を引き込む
役者の仕事も素晴らしい。
やはり人の力による 生で作られるコミュニケーションがいい。
そのことが琴線に伝わった。
それが涙の理由だったか・・・。
実は理由はわからないが、それでいい。
泣ける作品をこれからもつくってほしいし、演じてほしい。
そして、わたしも 音楽でそれをつくりたい。
作家の実家での朗読会。
見守る作家のご家族、とくにお母さまの笑顔を見たら、
母親を思い出して、また泣けてきた帰り道。
親孝行ができたね。よかった、よかった。
共感すること、人とともに。
今日は京都で開催される朗読劇に出かける。
作家である友人の作品を、その仲間たちが演じる。
作家のご実家を劇場として開放されるという点で、
長く東京で活動してきた作家にとっての、凱旋的な
意味合いもある。
さぞかし、お母さまが大喜びだろう。
ちょっとユニークな劇場。世界でひとつの、しかも
超期間限定の劇場。
私自身、そのこと自体もとても興味がある。
岐阜の実家の活用についてのヒントにもなりそうだ。
作家である彼女のこの生き方がとても好きだ。
自分なりの課題、テーマを常に追いかけ、
彼女しか書けない、素敵な意味での女流作家らしい
人生の、社会の切り取り方、描き方が好きだ。
強さと優しさと、孤独と・・・さまざまな感触、心情を
ひとつの作品で味わうことができる。
彼女の作品に、私の音楽を使ってくれたこともあり、
そのコラボ、いやハーモニーが本当に心に沁みたし、
お互いを信じている力も感じた。
これは、彼女も私も生身の人として、クリエイターとして
自らが生み出したものだからの感動、共感だろう。
一方、最近クリエイティブの世界で、人工知能の活用も
加速しており、仕事を奪われる危険にさらされている人も
多いと聞く。
尊敬する著名な声優さんは、今、声優仲間たちの仕事を
AIから守るため、活動を興しておられる。
そのことに対し、私は心からエールをおくる。
その人が出した大切な声が、勝手に知らないところで使われたり、
それにより、自分たちの出番も減っていく。
声優という仕事の価値が、存在意義が危ぶまれている。
演劇では、人間自身がその場で演ずるものであるので、
そこでのAIとの摩擦は少なさそうであるが、
作品自体をAIに作らせたり、BGMなどでは使われていく
だろう。
人が考え、人が生み出し、人が表現するものこそが、
創造物である。作品である。
とても原初的な考えかもしれないが、私の根本的な思いは
ここにある。
だから、誰でもできることを喜ぶのではなく、
自分にしかできないことにこだわる人に、歓びを感じたい。
そのことに共感する人と一緒に仕事をしたいし、
一緒に進みたい。
AIファーストには、決してならない。
人任せでなく、AI任せでなく、自分自身でどこまで
切り開くことができるのか。
今日は、共感する仲間たちの超限定のパフォーマンスを
楽しみにしている。
次回公演「恋愛シネマ」 | B.LET’S
距離感、付き合い方。
さまざまな情報を蓄積しているネットの世界。
検索すれば、問い合わせすれば、たちまちのうちに、ある程度の
回答が得られる。
一度入力されれば、自分のものにしてしまう、人工知能。
この自動学習の力は本当に恐ろしい。
何かの原稿がほしければ、AIに伝わるように丁寧に聞けば、
必ず答えが出てくる。
もちろん、すでに入っている情報がもとになるので、
ゼロからの創造は難しいはずであるが、まあ、それなりの
答えをもっていることには、驚かせる。
だんだん、人は自分で考えたり、モノを書いたりしなくなる。
チェックをしたりするだけでは、自分のものにならない。
人が自分で考えて行動することから、離れていくことが心配だ。
AIは、とても便利で、使いようによってありがたいツールになる。
でも、その距離感や付き合い方を、自分で決めていかないと、
気が付けば、考えない人になってしまう。
ある種の退化である。
日々その利便性に感心しながら、付き合い方を考える。
主役は人間、わたし。すべてはそこから始まる。
学ぶこと、考えること。このことが、何より重要であることを
忘れてはいけない。
AIもいいけど、やっぱり人の生の力をより尊重したい。
便利ファースト、時短ファーストよりも、
丁寧に心通わす、コミュニケーションを大切にと、
ずっと思っていたい。