情報サービス業としての学び舎。

近所の大学で開催中の社会人講座に通っている。
これが実は講義の内容だけでなく、それ以外でも興味深く、
少子化に向かう教育産業の生き残り、サービス業化などに
ついて考えさせられている。
過去にもいろいろ受講したし、昨年は別のところで
作家業についてのお勉強にも出かけたが、行ってみないと
わからない面白さが満載だ。

今はジャーナリズムを考える講座と、外国語の入門講座
を受講しているが、前者にくる人たちは、いずれも
報道についての関心、問題意識を持っている人であるはず
なので、真面目というか、硬いというか・・。
その講義を受講することが目的で、教室に入ってきても
受講生同士、挨拶もしないのがふつう。
とにかく黙々と聞き、メモをとり、質問をする。
私もこの講義が大好きで、つい講師から名刺をいただき
後でメールで感想を送ったり、やりとりさせていただいて
いるが、とにかく、受講生同士の交流はなく、各自が
自分の興味テーマに向かっている感じ。
一方、外国語の講座は、もちろん言葉の勉強であるので
学び方自体も、コミュニケーションなしには成り立た
ないため、まるでサロンのような教室になる。
しかも、言葉を学びたいマダムも多く、前者の講義
とは違う空気である。
授業に出かけてくること自体が、大きなイベントのようで
皆さん楽しみに来られている。
実は私はこの講義は少々つらい。
ついていくのが必死、そして復習もやらねばと思うが
そのまま時間が経って・・・という状態でいつも
教室に駆け込む。
和やかなムードのなかに、その時間だけいかに集中するかと
血走った様相でいるであろう自分と、もう一人、研究者らしき
おじさま。
おじさまがいてくれて、安堵する。

いくつになっても学びたいと思うことがあること自体、素晴らしい。
いろんな客層を集められるだけのコンテンツ・サービスを
もつ大学は、少子化になっても経営していくことができるだろう。
授業ごとに違う客層を見ながら、そして自分もその中にいることで
学べるサービス。
これは永遠であることを再認識する。

ということで、いろんなところへ行き、いろんな客層を見て
その人のバックグラウンドを想像する。

観察の場としても、大学はとても面白い空間だ。

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メディアは量から質へ。

東京の将来が心配と思い始めたのは、スマホ・SNSの普及も関係している。
電車の中で、歩きながらも、ひどい場合は運転しながらでも?スマホを見続けている人が
いかに多いかということに、嘆かわしいと思った。
みんな、それぞれが自分のスマホに向かい、それぞれが自分がほしい
メディアと過ごしている。
癖になっているのだ。それなしでは生きられない。
何かを知りたいときも、別に知りたくないときも、とにかく情報漬けだ。
これは東京だけではない、東京は人口が多いため、その現象が異様に見えるが
世界中がその傾向だ。
子供たちが、親のスマホを使う、依存することも社会問題になっていると
欧米のニュースも報じているが、メディアとの関わりを、放っておけば
依存状態になり、健康をも害するという状況。

メディアとは、本来は、発信者と受信者がいて、有益な情報を得るための
媒体であった。
読むとためになるとか、参考になるとか、感動するとか・・・。
今は、誰もが発信可能であり、誰もがメディアになってしまう時代であるから
恐ろしい。
メディアの意味や影響を考えない人たちが、単に自分のことを発信したい人たちが
多く、興味本位に発信、それが拡散する世の中。
メディアの数は増加する一方。しかし、大切なのは、やはり質である。
良質な情報を発信するプロの存在こそが必要であり、その賢明な活用法を教える
大人の存在が必要であり、そして賢い受信者の育成が急務である。

利便性は行き過ぎると、健康を害し、人生が壊れていく。

どこまでも、量ではなく質を・・。
どんどんそぎ落としていくことが、良きメディアとの付き合い方かもしれない。

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情報を大切に扱った時代に学ぶ。

この20余年の間には、いろんな情報を集め、またそれを活用した。
ネットが普及していなかったころ、デジタルカメラがなかった頃、
珍しい印刷物などは、迷いもなくコレクション、その当時は
丁寧にファイルに入れて保存。そしてそのファイルもたまっていった。

写真はネガフィルムで撮影し、プリントし、写真はアルバムに
入れて眺めていた。
その後、印刷物を収集する量は次第に減り、写真もデジカメで撮る。
プリントはしない、最近はスマホで十分という状況。
と、こんな具合に、
情報収集の方法がずいぶんと変わってきた。
またお金を払わなくても、海外に行かなくても、いつでも検索さえ
すれば、何の苦労もなく、いとも簡単に欲しい情報へとたどり着ける・・。
と、一見、大変、便利で結構な時代である。

今回、20年~15年前の資料ファイルを久しぶりに見ながら、
大切に情報をとっておこうとしてた当時の自分の姿勢に感動する。
集めた情報は自分の宝物のように扱っていた。
そんな時代の自分の仕事の仕方を振り返り、反省をする。

ネット社会になり、情報への接し方が雑にになり、もしかしたら
情報だけでなくモノや人に対してもそうかもしれぬと。

多すぎる情報や出会いのなかで、大切なことを忘れて
時に流されてきた自分はいないか、
ときの勢いで、IN & OUTのスピードが速く、でも浅く・・
実は、その真意や背景までしっかり咀嚼できていなかったものもあるのではないか。

情報化社会は、人間を無能化しているような気がしてきた。
いい面はもちろん認めつつも、少なくとも情報との接し方
を改めなければ・・・。若き日の丁寧に作られたファイルを
一つ一つ処分しながら、懐かしさとともに、戒めることが
多い今日この頃である。

とにかく、もっと情報にも、人にもモノにも・・丁寧に
接する姿勢から改めるようにしよう。

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ホンモノのジャーナリスト探し。

ここんところ、毎週、ジャーナリズムについての講座に通い、
発信する仕事についての在り方、真のジャーナリズムについてなど
自分なりに考え巡っている。
毎回、違う講師からそれぞれの専門からの報道についての知識や
見解を拝聴しながら、今日、マスメディアから発信されている
情報がいかに表層的であり、恣意的であり、あるいは偏っており
もっといえば、本当のことが伝わっているか・・については、
大いなる疑問であることを改めて確認。ホンモノをしっかり
見極めることの難しさのなか、いかに自分自身がしっかりすべきか
ということも学んでいる。
そして、世界にはいろんなジャーナリストが存在するが、
ホンモノを見極めることの大切さや、メディアとのかかわり、
利用の仕方についても改めて学ばせてもらっている。
そんななか、災害報道の専門家の講義を受講する機会を得た。
その先生は、防災・危機管理ジャーナリストという肩書の方だ。
最初から、「ジャーナリストなんて、胡散臭いですよね」。
報道関係者としての在り様を模索されている方なんだろうと
じんわり好感が沸く。そして飽きさせない講義では、昨年の
熊本の地震後の報道についての体験談やメディアの仕事につ
いて話をされた。
報道関係者ならば、現実的には災害直後に現地に向かうが
今回、この先生は1回目の地震後、すぐ現地に向かわれ、
そして現地で2回目の、いや「本震」に遭遇されてしまい、
自らの経験も踏まえ、被災地の様子やその報道について
興味深い話をされた。
話を聞きながら、ホンモノのジャーナリストって、やっぱり
現場感覚があるかどうか。だと痛感した。
ネット社会であるため、簡単に情報を得ることができる時代、
素人も、プロもそれを活用しない手はないが、それだけでは
確信に迫ることができない。
かといって、災害を体験しようと思っても、いつ起きるか
わからないのが災害。そうできることではない。

今回の授業から、学んだことは、ホンモノのジャーナリストは
上から目線ではなく、あくまでも、現場感覚があるということ。
そして事実に加え、世の中に役立つ情報も提供できること。

マスコミの常識は社会の非常識。

こんな言葉も交え、静かではあるが、心にしみる言葉を
紡がれているこのジャーナリストに、ホンモノ感を感じながら
もっと話を聞いてみたいという気持ちになった。

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崖っぷちと、タイムレス。

石岡瑛子さん。
もう亡くなって5年が経つが、久しぶりにNHKで、在りし日の姿を見て
懐かしく思い出す。
一緒にお仕事をしたことはないが、昔、在籍していた会社では石岡さんの
写真集を印刷していたこともあり、担当する編集者から、その名と偉業を
聞き。ただただ、憧れの人であった。

アカデミー賞の衣装部門での受賞後、日本でのそのお祝いのパーティーが
スパイラルビルで開催された。本来そこに伺えるような立場でないが、
上司に連れられ、その場違いな、華やかな場に伺うことができ、
30才そこそこの私は、世界的に活躍する石岡さんを目の前で見る
ことで、大いなる刺激を受けた。
おお、世界のEIKOだ。すごいオーラだ。かっこいい。
と思う一方、石岡さんが日本に住む、お母様(その当時80代ぐらい)
をお招きされ、お母様と一緒にお祝いされていた、あの姿が印象的で
その後、何かあったら親を呼べるぐらいの人にならねばと
真剣に思っていた。
そう、仕事をして親孝行をする。という生き方のお手本は
石岡さんだったかもしれない。

と、久しぶりにテレビで拝見した、石岡さんの生前の姿から
いろんなことが走馬灯のように巡り、ああ、東京ではこんな
感動もあったと懐かしく思えてきた。

オンエアされたインタビューから
「崖っぷちに自分を追い込まなければ、新しい自分は
生まれない。」
と、広告代理店を卒業されるときの自分を語られていた言葉と、
「デザインは、タイムレスでなければならない。」
という言葉が鮮烈に心にささった。

そう、タイムレスなるもの。
このことへの希求が、軽視されているかもしれない、
この現代。
このクリエイターの生き様は、それ自体がまさに
クリエイティブだ。

ああ、おまえもそうしろ。見習え。
と、
石岡さんの在りし日のクールでありながら、情熱的な横顔を見ながら
「崖っぷち」と「タイムレス」の
言葉は何度もよぎった。

残した作品も、石岡さんの生き様もすべてが
タイムレスである。

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本日、「愛の元気人」5月分オンエアです。


本日5月27日18時~「愛の元気人」オンエアです。
今回、「にいがた元気人」のコーナーにご出演のゲストは、「いけめん米」の普及をはじめ、安心安全な農業づくりに貢献する、エヌオーエス
の赤原信之さん、ぬったりでお好み焼屋「わかつき」を営む、若槻慎吾さんです。
どうぞ、お楽しみください。
FM KENTO 愛の元気人

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1年先のことを考え、しっかり行動する。

尊敬するマジックアーチストは75歳。私よりも22歳も年上で、年齢でいけば
親と同世代。
であるのに、なんと、お若いことか。
これはマジックを生業にされているため、つねに頭も体も動かし、活性化されて
いるためだろう。
また、マジシャンはその技術だけでなく、トークや歌や演奏など、総合的なエンターテイメント力
が求められるが、それにももちろん長けておられ、独自の芸風もおもちだ。
さらには、ビジネスマンとしての力も発揮され、マジック商品の開発をしながら、
世の中にマジック文化を普及され、そしてその結果、認知症にならない、健康長寿社会に
貢献する・・という、本当に理にかなった仕事を生涯現役でされており、
自分にはできない生き方と、いつも尊敬している。

久しぶりにお会いし、お互いの近況や問題意識について語ること2時間。あっという間に
時計はすすむが、充実の時間だ。
今回も心に残る話題が盛りだくさんであったが、そのなかでも、
「とにかく、1年先のことだけを考えて生きている」という言葉。

見えない何年も先のことよりも、1年先であれば具体的であり、目標も実現しやすく、
1年後を目指しているのであれば、毎日を大切に生きることができるという。
なるほど。そうだ。今の世の中、10年先を思ったところで、どうなるかわからない。
それよりも、手の届く1年後を見据えることはより、確実であり、生きごたえもある。
こうやって1年先の目標のため、1日1日しっかり生きる。これしかない。
それにしても、人生の先輩なのに、私に対しても一人の人間として
向き合ってくださるその姿勢自体に頭が下がる。

ずっとずっと1年先を見据え、何年も何年も、私に刺激を与える存在として
健康長寿をまっとうしていただきたい・・と切に願っている。

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新たなリーダーに期待すること。

お隣の国の歴史は・・なんとも哀しい。
なぜ、この国では代々の権力者が、最後には没落してしまうのだろう。
ハッピーエンドがない。国に尽くし、人生をまっとうするという
例がないようだ。みんな、悲しい結末に終わっている。
今もそうだ。
個人的には罪を犯したならば、罰を受けるのは当然だろうが、
あまりマスコミでその姿をさらしてほしくないと思ってしまう。
その落ちぶれた姿を人前に見せること自体が、まさに「見せしめ」
なのだろうが、私は追い詰められてきた、元国家元首について、
いいようのない悲しみを抱く。
この女性の宿命を思うと・・・。とことん、追い詰めるのだろうか。

一方、国民がNOといった代わりに、選んだ新しいトップが
誕生、やっと国が責任者を取り戻し、活動を再開した。
この新たなリーダーには、個人的に期待している。
今度こそ、この国を良くしてほしいと思うし。
今、偏った見方で周辺国との緊張関係が高まっているが、
北朝鮮との対話を試みようとしているなど、
新しい風が吹きそうな気がして、それらの言動行動がわが国にも
新しい風を吹かせるきっかけになるかも・・と、そんなことも
妄想する。
私だけそう思っているのかもと思っていたら、尊敬する哲学者
梅原猛先生も、新聞のコラムにそれに関することを書かれていて
安心した。

本当にわが国のために、いのちを賭けてがんばれる人。
として信じたい。
そして、日本にもいい刺激を与えてほしい。

世の中、何か間違った方向へ、自己的なリーダーたちが
進み続けていると思える。
そんななか、韓国と、そして前にも書いたが、
フランスの新たなリーダーには期待したいのだ。

おごらず、どこまでも誠実に、心身一体となって
人のため、社会のために尽くす。

そんなリーダーが必要だ。

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血の通う、コミュニケ―ションを心がける。

わがラジオ番組「愛の元気人」(毎月最終土曜日18時~オンエア)では、「コミュニケ―ション
なんでも相談室」というコーナーがあり、毎回、リスナーからいただいたコミュニケーション
に関する悩みについて、スタジオで答えさせていただいている。
番組内でリスナーの生のお悩み声が流れるという点で、とてもリアルだ。

「初めて会う人とうまく話せない」「人の目を見て話せません」といったことから、ときには、
家族が自分を理解してくれない、上司や部下とうまくいかないといった、まさに人生相談
といった内容のものまで、実に毎回様々な内容だ。
中には、この悩み事を公言するということだけでもすっきりするなんて人もいて、
ああ、たまっているんだな~と思うこともある。

最近では、老いた父親の介護、同居について家族の理解が得られなく困っている・・といった
内容で、他人事と思えない内容で、その方の孤立感が伝わってきて、胸がつまった。

回答は原稿なしでアドリブで答えることにしているが、どこまでも相手の立場に立って、その
方が元気になるように、より前向きになれるように、応援するという気持ちで言葉を紡ぐよう
にしている。

つい、人は自分中心になりがちだ。つい、自分優先の言動、行動をとりがちだ。
でも、相談されると、自分がその人の立場になれ、自分以外の人間を大切しなければ
と日頃の自分のことを反省できたりするものだ。

今、改めて、困っている人がいたら、血の通うコミュニケーションを心がけたいし。
もし、私が困っていても、そのようにしてくれる誰かがいてくれたら、きっと
それだけで悩みは解決できるような気がする。
心が通い合う、コミュニケーション。
これが希薄な時代。
ひと様のお悩みに接し、今の時代だからこそ、やっぱり相手を大切に、寄り添い、
人間らしく、血が通う、相手も自分も元気になるコミュニケーションを大切にしたい
と改めて思う。

自分に相談してもらえることに感謝して、丁寧に大切に応えていきたい。
(今月のオンエアは5月27日土曜18時~。相談室は18時45分前後のオンエアです)

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モンマルトルのわたしが眠っていた


「あれ~、これ。ああ~。あれだ~」部屋の片隅も片隅、引っ越ししてきてから11年以上、
一回も手を触れない場所にて見つけた1枚の額縁の絵が、これだ。
そう、これは私の20代後半の頃、パリのモンマルトル広場で描かれた。
おそらく27歳か28歳。会社員であった私は代休をとってか何かわからないが
パリに出かけていたのだ。

モンマルトルといえば、世界中から画家を目指して若きアーチストたちが集い、そこで客をモデルに
肖像画を、もしくはパリのモンマルトルの風景や、この丘から見下ろせるパリの町を描き続ける・・・
芸術家が活動する広場で有名だ。最近は行っていないが、25年前は間違いなく賑わっており、そして、将来のロートレック
も存在していたのかも・・。
そこでフランス語が話せなかったため、筆を動かす画家に興味がありながらも、言葉をかけずにきょろきょろ
広場の中を見ていた。そして、日本人らしき画家に出会った。パリで日本語が通じたのがうれしかったのを思い出す。
その人が描いてくれたのが、この肖像画だ。私の唯一の肖像画。
季節は冬。あまりに寒くてパリで帽子を買ったのかもしれない。
この肖像画、30代の頃は、ちょっと嫌だ、だから部屋の片隅に置きっぱなしにして、見かけることもなかった。
そうであるのに、今、観てみると、よく描かれている。そして自分だ~と思えてくる。
今の私に似ているというと、20代の私に怒られそうであるが、何か本質的な部分がよくとらえられていると
思うのだ。
なんだかとっても気に入ってきた。
この画家の男性は・・・。確か、名古屋出身だったような気がする。あのころ、ネット社会であったならば、
すぐ連絡とれるのであるが、その時代はそうではない。
それがまた何とも郷愁を誘う。
この画家さん、今もお元気か?まさか同じモンマルトルの丘にいるとは思いづらいが・・・
たぶん、どこかで会ってもわからないかもしれない・・が、もし、このタッチの肖像画をみたらわかるかも・・。
グラン・ルーの発想も何もない若い日の自分。この数年後に、同じパリからヒントを得て、独立するとは
思っていなかったが・・。

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