足下をみつめ、自分をなくさず

朝4時に起きるまで、なんども起きてはあと1時間大丈夫、あと5分は・・・。と寝ているときから落ち着かない日もある。寝ていても緊張しているようだ。そして、ひとたび起きれば、ゴングが鳴るごとく、あわただしい1日が始まる。とくに長期出張に出る朝はかなりすごい状態だ。家のこと、今日のこと、明日のこと・・・それぞれの段取り、準備。いない間の洗濯物の整理、ごみの心配から、イベントの景品のこと、昼の弁当につける野菜ジュース、きっぷのプリントアウトなどなど・・・・。出かけるまでの4時間が2日間ぐらいを生きたぐらいの濃厚な時間となる。地下鉄に乗り込みため息、さらに新幹線に座ってもう一度、ふ~っとため息。人間は同時にいくつのことを考え、なしえるのだろうか?その限界に挑戦しているような、ちょっとふらっとしそうな瞬間もある。そんなときこそ、落ち着いて、足元を見よう。ころばないように、忘れ物がないように、何度も確認し、余裕をもって出かける。ばたばたしないで、帰ってくる夜のイメージをしっかりもって出発する。どんなにやることが多くても、いつも自分をなくさず、落ち着いて判断、行動しなければ。忙しい・・・とは心をなくすから、心をもってひとつひとつ
大切にこなしていこう。

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やるだけやろう!

誰にも、いつでも何かしらの不安はある。いつか、わからない時まで生きるという宿命を背負っているのだから、不安がないわけはない。しかし、いちいち小さなことで不安になっていても、時間がもったいない。わからないのが不安であればわかるように行動すればよいし、不安なことが頭をよぎってもその事柄をもっと先から見たり、俯瞰してみることで、いかに自分のもつ不安が小さいことかにも気づく。何事も時間が決まっている、いつか終わる。どんなに苦しくても瞬間のこと。だから、その結果を最高の形にイメージし、よかったよかったということができるように、精一杯努力しようと思う。
人間は、一秒ごとに老いていくが、それより一秒ごとに気力を込めていけば、すごい力が出るのではないかと勝手に信じている。この1か月間、4つの山を登りながら。普段どおりの生活をする。ハードと思わず、ビジーと思わず、濃厚な1か月だと思い、元気にのりきる。
とにかく、「やるだけやる!」。

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客商売、最後は「相性」か?

医者も、美容院もお気に入り、行き付けに巡り合うのはなかなか難しいことだと思う。
なんでも、最初は評判でもって、「よさそう」と思い、その店の扉を開く。そのあと、その評判、イメージ、期待どおりであればいいが、会話や関わりのなかで、違和感をもってしまうと、心の中に?マークが湧いてきて、それが増えてくると、残念ながらその店にはもう行きたくない、と思ってしまう。とくに医者は自分の健康、命について問題があるから訪れるため、自分のことをどこまで思ってくれて、なおかつ適切なアドバイスがなければ、信用もできない。たらいまわしにされた暁には、もういいや。という気持ちにもなり・・・。だから、基本的に病院は好きではない・・。待ったら待っただけの価値があればいい。その価値は自分の困りごとにどこまで応えてくれる、応えようとしてくれているか・・である。
美容院やエステは自分の皮膚、体に直接触られるため、これこそ相性がある。触られて気持ちよくなりたいのに、かえって逆効果であるとその時間がストレスとなり、早く帰りたくなって
しまう。しかしお客さんによっては、そのタッチが気持ちいいという人もいるのだろうから、
お互いの相性につきる。
五感で相性はわかる。それで満足できる相手であればリピーターになる。
また、コミュニケーションでも相性はわかる。それで伝わる相手であれば、これもリピーターになる。
万人に合ういい相性・・・をもつ才能とはなかなか難しいのだろう。だから、お客側も、いつもいい相性のプロに合うため苦労する。相性とは理屈ではないため、本当に難しいものだ。

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マカオを思わせる、島国の島

佐渡
1年に一度、佐渡の企業さんに会いにいく機会がある。新潟市からジェットフォイルで1時間。カーフェリーで2時間半。なぜか同じ新潟県への移動なのに、ちょっと海外に行くような気持ちになってしまう。船に乗って島に行くという行為は出張であっても少し情緒的になる。
今回は往きは時間節約のためジェットフォイルに、復路はぜひ新しいカーフェリー「ときわ丸」でということになる。往きはまるで香港からマカオへ行くような気分になる。ジェットフォイルであること、所要時間が似ている点からそう思う、そして、現代の町からタイムスリップした懐かしの町へ行くというギャップも共通している。でも、マカオに着いたときと佐渡に着いたときの感覚はちょっと違う。マカオのフェリー乗り場にひとり初めて降り立ったときは治安が悪いのでは?変な人に捕まったらどうしようと思い、用事をすませてとんぼ返りで香港へ戻った。(さすがに何度も行くことで、すっかり慣れたが)佐渡はフェリー乗り場に降り立ったとき、佐渡おけさが流れ、なんとものんびりした空気に包まれ、現実を思わず忘れそうになる。日本は島国、佐渡はその島国に属する島。この島は自給自足ができ、関西の文化も息づく歴史ある。最近ではフランス人が移住し、この地でワインを作り始めた・・また有名な映画監督、俳優が専用機でワインを買い付けにくる・・など、東京でもどの町にもない吸引力で人々を寄せ付けている一面、やはり人口は減っているため、将来は心配。
どこを見てもレトロであり、人々も素朴であり・・・。海あり、山あり・・・。
わずか半日の滞在で、とんぼ返りなのに、帰り際フェリーに乗り、船が動き始めたときちょっと悲しいような、後ろ髪をひかれるような思いにもなった。この島からある日、新潟へ東京へ出発した若者たちは多数いる。彼らが島を出るときどんな気持ちだったろう・・・と想像し
じんとしてしまった。
日本は島国なのに、中に住んでいるとそこがわが世界になる。この島に住む方も同じこと。
またここを訪れたい。できれば、ゆっくりと。いい日本の原風景がここにある。

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本気と時間の関係

本気で何かを取り組もうとする人はすぐに決断し、行動を起こす。ある会社の若きパワフルな専務さんは「本気と時間は比例していますよね」とメッセージをくれたが、そのとおり。
本気の人は、いつも貪欲にその方法やターゲットを追い求め、これ!と思ったらすぐに行動を起こす、この人!と思ったら徹底的にどう近づけるかを考え、コンタクトする。
人生は短い。元気に動ける時間も短い。若いときはそんなことも意識しないかもしれないが、
最近はやたら意識する。やらねばもったいない。じっと考えている暇はない。と、そんな価値観で生きている人の周りには、同じ価値観の人が集まり、ますますその人たちはますますパワフルになる。
環境もいろいろあるけれど、ときには障害もあるけれど、やっぱり思ったら即行動。迷っている時間もない。その代わり、やってみてダメなら、少し戻ってまた進む。いつまでも、だらだら、うじうじ・・・は人生がもったいない。本気で生きているか?改めて自分に問い直す。11月、今年の締めを意識してもっと本気で進もう。

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動かねば見えぬ。経験こそが一番の宝

日々いろいろやることがあるが、あえて、そこに「これは観ておかねば」「会っておかねば」と
思う作品鑑賞や、ライブ研究、面談は時間をとるように調整する。そして、無理して時間を作っていくことで、一生懸命それを吸収しようとするし、時間を無駄にしたくないと自分のアンテナを張り巡らせるため、いろんなインプットが進む。ときには知識、ときには感動。ときには新たなビジネスヒント。急に思い出され気になった人との久しぶりの再会というのも、また新しい感動があるものだ。ああ、連絡とってみてよかった。会わない時間が長いと、お互いそれぞれ違う世界で違う経験を積んでいるため、以前と違うパワーをお互い感じることができる。
ネットだけを見ていても、実際に物事は変えられない。簡単に得る情報だけでは、そんなに大したことはできない。常に自分しかできないことを考え続けて、いろんなモノ、ヒトに接することで、行動することで必ず道が開けるのだ。
この10月の終わりは、次への準備を確信するタイミングだと思いたい。
苦労もなんでもいい。経験こそが自分を成長させる最高の道だ。いろんなパートナーに出会え、
いろんな先輩に巡り合え、本当に幸せな秋。

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自分の星のもとで輝き、私の空で羽ばたく

アルゲリッチの愛娘が撮りつづけた映像で創った映画を観た。子供の頃からあまりにも著名なあの美人ピアニストは、今は73歳。彼女のどこが好きだったか・・・今思えば、あの強いしっかりしたピアノタッチだったのでは?そしてクラシックを弾いているのだけれど、どこかに秘めた情熱を彼女がたたく鍵盤の下から感じる・・・そんな不思議な音を出す演奏家で、ぴりっとしたところが好きで・・。そして彼女がなぜあのような演奏をするのかが最近、私なりにわかった。なんとアルゼンチン出身だったのだ。あまりの才能に当時のペロン首相から留学すべく、外交官であった父の勤務先がウィーンになったとのことであるため、少女時代にすでにヨーロッパの土を踏み、暮らすようになったけれども、もともとはインディオの地も混じっていると聞き、なるほどと納得した。さて、4歳のときからピアノを・・という点では自分のスタートとはそれほど違わないのに、人生はそのおかれた環境でこんなにも変わるのかと、またピアノだけの人生を歩んできた天才ならだからこその苦悩も尽きず、なんと波乱万丈の人生を過ごしてきたのか。日本でも活躍するアルゲリッチ。彼女の指は、世界の人を癒す・・。なんと素晴らしいことか。彼女とはまったく次元の違うわが人生。生まれた星が違うぐらいに。しかし、私には私の星、私の空があるという点では同じであり、また私なりの幸せや充実もある。時々天才の生涯に触れると、自分の凡人ぶりに落胆する瞬間もあるが、やっぱり自分の空を羽ばたくしかない。それができるだけでも幸せだ。さあ、自分の空を楽しく飛び描くとしよう。
頭がロマンチック〇〇・・・で妄想が膨らむこのごろ、彼女の演奏を聴きながら、パッションを備えたロマンチック、ラテンを備えたロマンチックはとても素敵だ。
私の空なりに、その世界を描くとしよう。

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年をとるほどに、「かわいい」を目指す

父の誕生日。ちょっとしたプレゼントを送りつつ、別にハガキも出し、ショートメールも出し、念のため電話もする。なんだかしつこいような感じもするが、それぐらいしてでも、残り少ない誕生日をよかったね!と言いたい心境。
毎年そんな気持ちになってくるが、おかげさまでこのたび、78回目はなんとかクリアしたようだ。父は人にプレゼントをするなどは、おそらくしたことがない人だ。そして人から何かしてもらうことにも、もしかしたら慣れてない人生をおくってきたのかもしれない。だからいつも「そんなことしなくていい、そんな気を遣ってもらわなくていい」と、多分心の中とはある意味反対のことを口癖のようにいう。遠慮しているのもよくわかるが、最近はそんな父に「素直に、『ありがとう』でいいんじゃない?」とつい言ってしまう。すると、「はい、はい。ありがとう、ありがとう」と照れくさそうに電話の向こうで言っている。
「くそじじい、くそばばあ」と言われるか「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼ばれるか、或いはいくつになっても名前やニックネームで呼ばれるか・・・は、人生の締めにとても大切なことだ。愛らしい呼び方をされているのがいいに決まっている。呼び方は愛情、愛着の表れ。いくつになっても素直で、かわいい人が一番好かれるように思える。
だから年を重ねるごとに「かわいい」を目指すのがいいと思う。笑顔で、元気で、ちょっと三枚目で、好奇心いっぱいで、そしていつも感謝感謝・・・。そんな素敵なご年配の方を見たら、こちらも手をさしのべたくなるし、話もしたいと思う。そして何より、自分もそんな風に年を重ねたいと思う。「かわいい!」はもはや、若者のための言葉ではない。そういえば、70歳を越えたアルゲリッチもかわいかった。あんな風になれたら、本望。

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やっぱり、混在社会が自然

他の国にあるとは思えないのが、女性専用車両なるもの。東京、そして大阪ではあったかもしれない。地方都市にはきっとないだろう。
名前は聞き、存在も知ってはいたが、今回やむなく初めて3分ほど乗車することになる。駅自体混んでいて身動き取れず、乗り込んだ車両がたまたまそれだった。オンナばかりが立ち座り、乗り降りする車両。うわー、こりゃ、不思議な世界。本当に女しかいないこの小空間。
ふと考えてしまった。もし、世の中が女だけだったら?と。恐ろしい感じがした。この車両から一刻も早く出なけりゃ、息苦しいとも思った。もし、男性が走り込んで乗り、間違えてこの車両に乗ってしまったら、すごい視線に囲まれて、何も悪いことしていないのに「すみません、すみません・・・」と言いながら、隣の車両に移動されるのだろうか?とにかく、違和感大ありの空間であった。
確かにチカンも、その誤解も困るけれど、でも、この車両は本当に必要なのだろうか?と改めて思ってしまった。
そして、社会は男女両方いる方が自然で、それが社会。何か特別なことをすぐにすることで問題解決だ、改善だと言っていること自体が根本的な物事の解決からずれているように思ってしまう。それにしても、あの不思議な女子空間。その分、どこかの車両に人が詰め込まれているかと思うと、申し訳ないひとときでもあった。自然が一番。オンナでごめんなさい!の朝であった。

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「これが終わるまで、死ねへんわ」

半年前に手術をし、一時はどうなるかと思った母。しかし元気になり、普段通りに生活をしているようだ。そして、11月に開催するふるさとライブでは、スタッフとして人集めから、集金から、お土産の袋詰めから、会場の椅子の心配から、会場までのお客様のアクセスの段取りまでなんやかんやとがんばってやってくれている。手術以来、毎朝6時に送るご挨拶メールに「ライブでは、いろいろありがとう、お世話かけます。」と書くと「これが終わるまでは、何があっても死ねへんわ。元気にがんばる」という返事が来て、驚く。そうか、こんなイベントでも彼女にとっては、いきがいのひとつになっているのかなと思うと、こちらも身が引き締まる。同じ世代の方たちの死が続いている昨今、
手術後奇跡的に回復でき、そして日常生活ができ、まともに会話ができ、生きがいややりがいをもてる日々を過ごせているとは、なんと幸せな家族であろうかと思う。病気や何かハンディがあればあるほど、ひとつのことに一生懸命になれるということもあるかもしれない。
私自身も、「これが終わるまで、死ねへんわ」の意志で、山とひとつ、ひとつ真剣に越えていこうと改めて思う。
これ以上ありがたいことは、ない。

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