ある企業の方から「いつも、駆け引きなく心から応援していただき、とてもうれしいです。これにぜひ応えたいと思っていますから、これからもよろしくお願いします」とのお言葉をいただき、「駆け引き」という言葉が気になった。それはGIVE AND TAKEをストレートに出す状態か?下心が透けている状態か?少なくても、自分にはその駆け引きするものすらなく、ただ好きだから、応援したいから、一緒にがんばりたいから、共有したいから・・というのが根底にあるのかなと思う。だから好きだから、ずっと長くつきあえる、向き合える。言いたいことをなんでも言い合える。聞いてもらえる。
いや、ビジネスの場面では駆け引きが必要なとき、相手ももちろんある。でも、心から応援したい相手にはそんなものは不要。いい関係を長く続けていくには、ひたむきさや純粋なきもちこそが優先される。
どんな人間関係においても、これはとても重要。どんな人とも、そうでありたい。
駆け引きなしで、純粋に
本当に世の中のため?いつでも確認
政治家という職業の方は、その血筋の家に生まれたから政治「家」というのだろうか?代々受け継ぐべき、その家の人しかできない特別な仕事だから?ということなのだろうか?芸術家にせよ、〇〇家というからには、その仕事自体が後世にわたり、世の中に役立っていることが必須だと思っている。しかし、最近のこの政治家と一般に呼ばれているお仕事は「政治屋」さんのごとく、それで自らの名声や繁栄が最優先のもくろみの方もおられるようであり、また何か知らないけれど、急にこの方たちの「就活」もはじまったようであるが、なんだか国のためとか、国民のためと言えば言うほど、彼らが何をもって、何を見て国だとか、暮らしだとか言っているのだろうかと大疑問に思えてくる。と感じているのは私だけではないと思う。
どんな仕事も、人の役に立たなければいけないと思う。そして、人のためを思うならば、今何をすべきかも見えてくるのだと思う。
いつもそれは人のため?世の中のため?よくよく考えていかねばならないと思う。
人の振りみながら、自分のことも見直していこう。それは、本当に世の中のため?
薄っぺらな言葉、見た目ではなく、地に足がついたきちんとした行動。これこそが人々を感動させ、応援者を増やすはずだ。
「高校に受かったみたい」な気持ち
春に胃がんがみつかり、手術をした母。あれから半年の検査となった。術後、驚くほどの回復力、前より元気になったのではないか?と周囲が首をかしげるほどに、本当に元気、元気。食事を一度に摂れないため、バッグにいつも一口チーズを入れて持ち歩くようになった習慣以外は、まったくの健康人のように見えるが、検査となるとちょっとびびってしまう。元気そうにしてはいるが、実は・・ということにならないようにと。検査当日、「病院の先生に、『検査は高校受験みたいやね。もっとも私は高校行かずに大学行ったからわからんけど・・』と言って笑わしてきたわ」という報告。生まれてどの受験もしたことがないはずのに、何を言うのかな、この人は?検査のときに冗談言えるぐらいだから、ま、大丈夫かと思いつつも、結果が出るまで、内心心配。本人も同じであっただろう。そして結果当日の夕方。「どうだった?」「大丈夫だった。」「良かったねえ。高校受かったのと同じだね」と言ったら、電話口で笑っていた母。癌の定期検査は受検のようだとたとえるのも母らしい。が、受験していないのにたとえるから、尚母らしい。これからもずっと受験生の気持ちで、気を付けて長くがんばってほしいと思う半年検診であった。
直接的、間接的どちらでもうれしい。
以前、ボランティアで通っていた認知症の病棟。毎月出かけていき患者さんの前でふれあいコンサートと称して、ピアノを弾き、歌い、おしゃべりをした。あのときの患者さんたちの反応は今も忘れることができず、瞬間ではあるけれど、音楽がその人を元気づけたり、勇気づけたりすることがあるということが実感できた。心に灯を点す、情熱を蘇らせる、記憶が戻る・・・いろんな反応があることを知った。そしてそのボランティア活動を支えてくれたひとりの友人。彼女は知り合ってから脱サラして看護師になった。本気でなければできない転身。彼女がずっと私の演奏を聴き続けてくれており、それを最近の訪問介護でも生かしてくれているという。あるお宅でのこと。そこにご高齢のご夫妻が住んでおられ、ご主人はかつてピアノが好きでよく演奏されていて、ご自宅にもピアノがあるとか。いろんなことがあって体調を崩され、精神的にも安定せず、食事もままならぬ状態であり、家族もお困りであったが、彼女がたまたま私がライブで弾いてきたのをずっと見聞きしていたため、ピアノがお好きなご主人に「〇〇さんピアノ弾きますか」と言うと「いいよ」と二つ返事で演奏されたり、ついには私がライブで弾いてきた曲の名前を挙げるとその曲を弾いてくれたり・・・ということがあったとのこと。リクエストに応えてくれた・・ということをその看護師の友人はとてもうれしそうに報告をくれ、さらにはもっとリクエストしたいから、この前演奏した曲のリストを見せてほしいと言ってくれた。奥様も歌がお好きだそうで、愛の讃歌は自ら少し歌ってくださったとか。彼女は、これからもその訪問先で、自分が知っている曲をもっと彼にリクエストしたいという。それが意欲を維持できるお手伝いになるのであれば・・と。直接的であれ、間接的であれ人を元気にすることに関われることがとてもうれしい。音楽はやっぱりハッピーコミュニケーションツールだ。その意味をこれからも伝えていきたい。
何色の糸で結ばれている?
今年春に上海で亡くなった、台湾生まれの親友。彼女への想いを曲にして、先日からスタートしたライブで歌っている。この作品をいつか彼女の旦那さんに伝えたいな~とぼんやり思いつつ、その手段を考えていたところ。夜中に1本のメールが入っている。アドレスは今はなき親友自身のメール。瞬間、彼女が実は生きていたのかと目を疑った。すると、その英文のメールは旦那からだった。へ?何?このタイミングは?メッセージには来週、来日するのでぜひ会いたいという内容。覚えていてくれたんだ。彼女が旦那に天から呼んだのかな?
彼女なしでお会いする日が来るとは思ってもいなかったし、それは寂しいことであることに変わりないが、彼女の命を彼がそのままあずかっているのだとも思えば、一緒に来日するような気持ちで迎えたいと思う。「ANNEソロジー」を伝えたい。彼は何と言うだろうか。いいお土産になればいい。とにかく、このタイミングとは不思議で仕方ないが、やっぱりつながっている。思えばなる。笑顔で再会しよう。人は人といろんな糸で結ばれている。ANNEと私は七色の糸だったのだろうか?とにもかくにも、まったぐ偶然では片づけれられない距離感に驚く。
市場は最高の観光地、そして学び場
仕事でよく築地界隈に出かけるが、普段は時間がないため場外市場を歩くこともなく、ただ道路でやたら観光客らしき人、外国人が多いな~と遠目に見ていたが、たまたま時間があり、市場の中を通ってみる。月曜の午前なのに、なんだこの賑わいは!と驚くほどの盛況ぶり。
年末といってもまだ師走でもない、おせちでもないのになぜ?見るとほとんどが観光客であり、アジアからの観光客よりも欧米人の散策ぶりが目に飛び込んでくる。いやー、築地は今や東京有数の観光地とは聞いていたが本当だ。各店には「NO PHOTO」と英語のPOPから、英語のメニューもあり、また接客も英語という店も少なくない。またなんといっても試食がさかん。まずは食べさせる。海外のマーケットもよく歩いたが、試食をさせてくれる店は少ない。日本はやっぱりおもてなしの国なのか、珍しい食品が多いため試食なしでは売れないせいか、とにかく玉子焼やほたてまで試食させてくれる。大盤振る舞いの市場である。
混雑する狭い通路を、搬入用の車が入ってくる、そこはまさに市場という感じで、緊張感もある。調味料や乾物を扱うお店に入ってみた。やけに空いている。「久しぶりにここへ来ましたけど、昔に比べてすごい人ですね。観光客ばかりですね」と店番をしていた男性に声かけてみるとその人は「そういう人たちには来てほしくないんですよね。」と意外な返事。市場を利用するのはプロであり、地元の人であるべしという考え方だろうか?確かに一見地味な調味料のお店だと観光客や海外の人が押し寄せるということもなく、恩恵が少ないのかもしれない。
アメリカでよく見る巨大な体格の男女が半袖で歩いていた。どこから来たと聞いたら、アラスカの近くだと言った。向こうは厳しい寒さなのに、まるでリゾート感覚で市場散策か。
私も実は海外に行くとマルシェを見るのが好きだ。そこの国の食事情がよくわかり、自然と人の関係もわかるからだ。それにしても、月曜の午前のあの賑わい。ここだけアベノミクス?
ちょっと惑ったがおもてなしが光る素敵なNIPPONを発見。東は築地?西は錦?やっぱり市場は面白い。
東京ライブレポートアップしました
さる11月14日新宿ミノートル2で開催した愛の元気人ライブIN TOKYOのレポートを
公式サイトにアップしましたので、ごらんください。
ナポレオンに会いたくなる日
時々、会ったことのない、今は存在しない人にも会いたくなる日がないだろうか?
私はある。あるときは、ベートーベンと話してみたくなり、あるときはマストロヤンニにも
会いたいし、イブ・モンタンやピアフにも・・・。
それぞれの世界と重なる自分がいるとき、その人だったらどう考えるだろう?どんな言葉を返してくれるだろうかと勝手に想像することで問題が解決する、豊かな気持ちになれることも
ある。最近は、人間の力の限界について考える。高齢になると肉体的な衰弱は否めないだろうが、気力があればそれを乗り越えることができるのではと思ってもいるが、「わが辞書に不可能という文字はない」と言っていたらしいナポレオン、実際はどうだったのだろうかと最近、興味深く思うことがある。不可能と思えば、やっぱりできない。失敗すると思えば、うまくいかない。できると思い込み、自分を信じて行動を興せば、自分の意志がある限り、可能になるのではないかと思いたい。
もちろん何を可能にしたいか。という夢の持ち方もポイントである。
が、世の中、正しいこと、適切なこと、そして善意に満ちていることであれば、願えば必ずかなうのではないかと信じたい。
島流しになり、生涯を終えたナポレオン。パリのパンテオン内にある棺を思い浮かべながら
彼の言葉も思い出してみる。ところで、ナポレオンというブランデー、最近聞かないな?
セブンティーンの花束
誰かが自分のことをずっと覚えていてくれることは、この上なき幸せだ。たとえば誕生日のケーキに年齢分のキャンドルを立て、お祝いしてもらうという習慣は大人になるにつれ、なくなるかもしれないが、自分の記念日、年齢や活動年数を自分以外の誰かが記憶してくれていることは最上のギフトだと思う。ライブのとき、バラの花が届く。またもってきてくださる。花束とはかわいいラッピングのブーケになっているとか、それが大きいとか、種類豊富というだけでなく、その1本1本に意味を込められているという場合にも感激する。
今回いただいたバラの花。17本のバラ。独立16周年を過ぎ、17年目を走り始めているからという意味のようだ。自分のことをずっと見守っていてくださるから、ここまで気がつき、また気が利くということなのだろう。粋というか洒落ているというか、さすがの感性。最初はやけに大きなバラの花束だな~とその大きさとダイナミックさに感動していたのであるが、持ち帰り、じっと見ていたらその意味がわかってきてこみあげるものが・・。
送り主は会社員時代の上司と、その時代からお世話になり今もずっと応援してくださっている方。いつも花束をもらってばかりだ。このセブンティーンのバラの花束に、17年前の自分を思い出し、1本1本にその後の自分の1年1年を重ねていく。いつも見守られ、支えられ・・。じっと記憶され、ずっと愛されることほど幸せなことはない。17本のバラは、百万本のバラよりも私には価値がある

予習、復習されるお客様
先日岐阜のライブのあと、ご参加いただいたお客様から「CDを聴いて復習しようと思います」
というメッセージが入る。そして東京ライブの前夜(夜中)に、「明日の予習をしました。『夜のグラン・ルー』が大好きです」というメールも朝目覚めたら届いていた。
ライブに来ていただけるだけでも大変ありがたく、その上、お誘いありがとうございますと
喜んでいただき、また予習復習までもしていただけるとは・・・。
そう、どの方にとっても貴重な人生の時間をいただき、共有させていただくのだから、その時限りだけでなく、長く余韻が残るように努めなければならない。
・・・と、真面目なお客様に支えられ、東京ライブも無事終了。今回はROMANTIC Pにとことんこだわり、いろんなロマンチック~を私なりに表現。それが伝わっていたなら、企画者としてもうれしい。今日のライブからまた復習していただける方がいたら、うれしい