真なる指導者はタフネス

タイから移動され、夜に東京入り。翌朝、長崎に移動、その日中に広島にも。
それぞれでミサを行われ、被爆者たちとも面談され、その翌日は東京で五万人のミサ、東日本大震災の被災者らとも面談、天皇陛下とも会談、帰国前には学生たちにもメッセージ。
わずか4日でこんな強行なスケジュール。
82歳の高齢にも関わらず、笑顔を絶やさず、優しさと愛に満ちた平和へのメッセージを日本に発信されたフランシスコ様。
東京ドームのミサに参列したKENさんはきっと生涯、忘れることのできない感動をされたことと想像する。
私は映像や活字で見ているだけでも、心から感動しているのだから、直接お会いになった方たちにとっては、もうそれはそれは・・まさに神様の祝福ということだろう。

それにしても、タフネスなお方だ。
お疲れが出ないようにと、倒れないようにと、本当に心配する。
父と同い年のフランシスコさま。
きっと彼に与えられた使命のために、心身ともに強くしなやかに、世界中にパワーを与えるために、体力気力を養われていることだろう。
弱弱しい人からは、元気はもらえない。
元気で心も豊かな人からこそ、いただけるエネルギーがある。

まったくまったく足元に及ばないけれど、せめて真のリーダー像を自分の中に
抱き、尊敬しながら、自分も誰かに元気を与えることができる人になりたい。
タフネス。これは発信者には不可欠な要素だと今回改めて、学ばせていただいた。

もうご無事にバチカンに帰国されただろうか。

教皇に就任後、初の来日をされた教皇様に、日本という国はどう映っただろうか。

効率と秩序。そのような印象が語られていたようであるが、

言葉に出ない印象もお持ちだろう。

ぜひこれからも、世界中をより正しい道へと導いていただきたい。

タフネスに生きる。これも能力。

これは生きる信念により培われるのだろう。

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平和で自由が一番。

フランシスコ教皇のメッセージからは、聴いているだけで、じんわりと伝わってくるものがある。
どこまでも利他のために生きている方からのお言葉だから。


そして、純粋な力に人々は心揺さぶられる。世俗のさまざまな争いごとを本当の意味で、俯瞰しながら正しいこと、
真なるものが何であるかを伝えておられるのだと思う。


何を信仰していても、平和を求めることは人類共通の永遠の課題であり
希求すべきこと。
そして、自由も人間が人間らしく生きる上で、もっとも大切なこと。
不自由な時代にも信仰を続けてきた長崎の方に、教皇さまは思いを強く
されたことだろう。まず、長崎市の西坂で二十六聖人への祈りを捧げられたことがそのことを物語っている。

平和も自由も当たり前ではなくなってしまった。
現代に生きる日本人は、もっとそのことを意識しなければならない。
と、対岸でおきるさまざまなことを見ながら、改めてフランシスコさまのメッセージをありがたく受け留めたい。

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本日、岐阜新聞でミニコンサートです。

本日11月25日は今年最後の岐阜新聞でのミニコンサートです。

12時30分~13時 ぜひおいでください。

https://www.gifu-np.co.jp/info/lobby_concert/

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精神的リーダーの存在と感謝

バチカンより、キリスト教の最高指導者、フランシスコ教皇が初来日。ローマ法王としては38年ぶりの来日で、信徒の方々はもちろんのこと、それ以外でも日本中が湧いている。
父と同じ年齢なのに、颯爽と飛行機に誰の手も借りることなく乗り込まれる姿を見て、本当にかっこよく、素敵だと思った。
南米大陸出身の法王は史上初。貧しい人やさまざまな弱き立場のに寄り添うその姿勢と行動が世界中で支持されている。
私も心から尊敬しており、その思いあまって、以前自作のザビエルの曲を入れたCDをお送りしたことがある。
なんだか、直接コミュニケーションしたい、直接お言葉をお聞きしたい、声をかけていただきたい人なのだ。
その人柄、優しさ、心の広さは、国も宗教を越えて、伝わってくる。

以前、ブエノスアイレスで修行された教会にも出向いたことがあった。

法王に就任されたときのブエノスアイレスの町での盛り上がりも現地で垣間見たことがあった。皆、心の支えとして、法王さんを慕っている。

長崎にまず行かれたことが素晴らしい。そして広島へ・・。
長崎は日本を代表するキリスト教が普及している町であるが、その困難の歴史は世界にも例を見ない・・。だから、世界遺産に登録された。
その町に、まず出向き、原爆や弾圧という苦難を乗り越え、生きてこられた現地の人々に直接発せられる言葉は、さぞかし、心に重く、優しく響くだろう。
一生のうちにお会いすることができない方に、人生の瞬間にお会いできることはその後の人生のお宝になるはずだ。

長崎に多くの人が集まってこられた。

私はその余韻が残る数日後、たずねる予定。

雨の中、大勢の人が集まった長崎、広島両市での祈り。被曝者への思いと平和への願いは、静かな感動とともに世界中に伝わったことだろう。

リーダーとは何か。人をより良き方向へ導ける存在のこと。

日本においでいただき、本当に光栄です。

今日のコンサートでは、その気持ちを演奏に託したい。

フランシスさまに連日のハードスケジュールが心配であるが、それこそ神さまが見守ってくださることを祈りつつ、、、。

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道草、いいね。

父が入院する病院は、最寄り駅から徒歩15分から20分。
多くの人は、車で見舞い、面会に行くが、私はひたすら駅から歩く。
だからできる限り、雨以外の日に行きたい。
もともと公共交通機関を利用して移動するのが習慣になっているので
どの町にいっても、それがわがスタンダード。
毎日1万歩の記録を獲得するには、それぐらい歩くのは当たり前。
少しひなびた、昔の繁栄を過去に感じさせられる商店街を
歩き続ける。なんだかタイムトリップしたような、街並みが新鮮でもある。
シャッター街ではなく、お店もそんなに多くはないが立ち並んでいる。
でも、歩く人はおらず、お客様の姿もあまり見えない。
魚屋さん、洋品店、神社、酒屋さん、小さな宿屋、薬局、果物屋・・。
昔ながらの専門店(路面店)が続いているのがうれしい。

みなさん、よく閉店されずに頑張って営業されているな~と感心しながら、
でも、よくやっていけてるなとも思い、週に何度もこの商店街を歩く。
道を覚えるために、どこにどんな店があるかも意識して歩き続ける。
お菓子屋さんが多いことに気づく。
そして、何回も何回も通り、ついに見つけたお気に入りのお菓子屋さん。
4代目が今、東京に修行にいっておられるというから、明治時代の創業か。
決して新しいのでもなく、ハイカラでもなく、ただひたすら、昭和の匂いが
する、和洋菓子やさん。
最初、店内に入るのには勇気がいったが、一度入って、すぐにそのお店が
気に入った。そこの女将さんの接客が明るくて素敵だったからだ。
そして、お菓子もおいしい!昔から気に入っていた昭和の味。シンプルな
懐かしの味。いずれも気をてらわず、街の人に身近な感じ。
商品も、店主夫妻も、あたたかいのだ。
気が付けば、最近はその道を通るたびに、寄っている。
見舞いに行く間に、今のうちに、このお店をもっと知っておきたいという
気持ちになっている。
そんなこんなで、見舞いに行き、ちょっと重くなる気持ちを明るく
してくれるこのお菓子屋さん。
予定にないのに、ついつい寄ってしまう・・。これは道草というのだろう。
ふらふらっと立ち寄ってしまう・・。

徒歩の良さはここにある。

道草ができるのだ。

どんなに忙しくても、道草をする。

心が豊かになるなら、それもよし。
見舞いに行く道中で、いい人たちに出会えたことがうれしい。

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やりきった!のあとのお楽しみ

三日連続の講演・研修に加え、出張。他の課題ももちろん抱えながらの1週間。
月曜から金曜まで、無事計画どおり予定どおりこなすことができた、それぞれ手ごたえがあった。計画していた全てのプログラムを終えたときふっと全身の力が抜けた・・・・。
毎日緊張する予定が入っていると、心身ともに力が入ってしまう。
集中していい仕事をしようとすると、かなりのエネルギーを消費する。

このハードワークの後に、実は、ささやかな楽しみを用意していた。
空港での待ち時間に美味しいそばをいただくこと。できれば、ビールも添えて・・。

vx今週の山を越えたら、帰りは美味しいそばを食べよう。
そんなことを楽しみに、今週を乗り切った。
そして、予定どおり、新潟空港内の蕎麦屋に向かう。
ひとりでカンパイしながら、いつもの野菜天ざるをいただく。

ご褒美とか大げさなことではないが、やりきったあとのささやかなお楽しみがあると人間がんばれるもの。もちろん蕎麦のためにがんばるのではないが・・。

ちなみに、いつでもどこでも蕎麦なのではない。

やりきった!この感覚は気持ちいい。これからも時々そんな一週間を過ごすかも。もちろんそれが毎週になると、それはとても無理であるが、時々、そんな緊張と緩和を交互に味わえるのはとても刺激的だ。
自分の限界に挑戦する。ちょっとしたお楽しみ付きで、人はいくつになってもがんばれてしまうものかも?


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今こそ量より質!

このところ目にする「最長〇〇」と報じているニュースを見て、耳にする「外国人観光客数が過去最高」という報道を聴いて、違和感を感じる今日この頃。

長いから、多いから何なんだ。
それを目指すのは、かなり時代遅れな感じもしている。
長寿社会も同じだ。長く生きればいいということではない。

その仕事の、その現象の価値は、量や数字ではないはずだ。
その中身が大切なのだ。

どんなに長くても、それが害になっていることもある。

もうそろそろ、そこではなく、中身を重視したい。

こんなに人のために尽くした、こんなに骨折った、こんなに感動された・・
人のために何をしたか、それがみんなにどんないい影響をもたらしたか
こそが大切だ。

短命であっても、意味のある仕事をする人がいい。
人々から尊敬され、惜しまれる人。
目立たなくても、しっかり人の役に立っている人を讃えたい。

最近、世界を見まわして、権力と尊敬は相いれないものなのかな・・とつくづく思っている。

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話す前から、はじまっている。

今、さまざまな企業や団体に向け、コミュニケーションや広報の勉強会、研修を行っている。連日行なっていても、業界や対象者が変わる。準備は大変であっても相手ごとに、工夫するのは、実は楽しい。

少しの工夫が相手に伝わり、感動してもらえることも多い。「そこ、わかってくれてありがとう。」という気持ちになる。

はじめての会社での研修。会場に入ってくる人がいたら、こちらから声をかける。その返答ぶりや、表情から、すでにわかることがある。挨拶を交わす前に、もう見えている。
この人はどんな人?というのが見える。もともとコミュケーションが好きではない、やる気に満ちている、ちょっとやらされている感じ・・・などなど。

コミュニケーションは、出会った瞬間の空気で、結構決まってしまう。

日頃からいう、AIDMAのAが、意識しないうちに伝わっている。いいオーラが伝わっていればいうことはないが、そうでなければもったいない。

これからはじまるコミュニケーション、会話する前に、意図せぬところでポイント落とさないように。

さて、そんな私自身。伝わるための勉強会をやる自分自身が、伝わらなければ意味がない。
実は毎回、そんなプレッシャー。今日もまた新たな相手に伝える工夫を・・。
伝わった喜びが一日の喜びとなるように。

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フランシスコさまによろしくお伝えください。

4年前のアホなる思い出話。自作のフランシスコ・ザビエルの曲を、バチカンにお住まいのフランシスコ教皇にもぜひお聴きいただきたいと、お手紙とともにCDを送ったことがある。ザビエルさんと同じお名前だからということもあったが、私が好きなブエノスアイレスご出身ということもあり、父と同い年ということもあり、そんなこんなで勝手に親しみをもっていたた。ブエノスアイレスの知人に歌詞をスペイン語にしてもらったり、お手紙をちゃんとした英語に仕上げてもらったり・・。その手伝いをしてくれたのが、わが心友KENさんだ。
KENさんは、人生の大先輩であるが、神戸出身という事で関西人感覚での楽しい交流、マーケティングの世界での接点もあり、彼の定年後もずっとおつきあいが続いている。
KENさんは敬虔なクリスチャンで、無宗教の私に対して、自分とは違った視野からの世界観をいつも教示してくれる貴重な存在。

久しぶりにメールがきた。
「散歩をしながら、久しぶりに(多分スマホ?ウォークマン?から)マーサの曲が流れてきて、懐かしく思い出していた。今月、フランシスコ教皇さまが来日されるのを知っている?そのミサの抽選に、当たったんだ。多分、近くでは見られないと思いますが、オーラだけは感じてきます。また報告しますね」
との内容に、やった!KENさん良かった!と、こちらもガッツポーズ。

きっとKENさんも私のあほな挑戦をサポートしてくれたことも思い出しておられることだろう。「マーサ、フランシスコ教皇のフランシスコは、ザビエルではなくアッシジのフランシスからきていると思うよ。でも、もともと日本にキリスト教をもたらしたのはザビエルだし、同じイエズス会の方だから、ま、送ってみたらいいよ。マーサの思いに共感して、お手伝いするよ」

といいながら、一生懸命翻訳を手伝ってくれたKENさん。
どうぞ、フランシスコさまによろしくお伝えください。

世界の多くの人から、尊敬を集めるフランシスコ様。

私はメディアから拝見する限りしかわからないが、その深い見識と愛には素直に敬意を表すとともに、あの笑顔、表情が大好きだ。
人間は内面があふれ出る。

日本のクリスチャンの方に、そしてそれ以外の人にも、生きる勇気と元気と愛が伝わることを願っている。
父と同じ年齢だけに、私は宗教を越えて、心のお父さんと勝手に思っている。

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表現できる才能と澄んだ心。

ハンセン病で苦しむ患者さん。社会と隔離され、差別されて生きながら、絵を描いて自分を表現して、生きてきた。
その作品は、あまりにも緻密であり、混じりけのない世界が描かれており、純粋な世界に心洗われる。
これは、ドキュメンタリーで知った話題であるが、以前、東京近郊にあるハンセン病の資料館を訪ね、こういう世界があったのかとショックを受けたときのことを思い出した。

一方、最近は知的障害のある方の作品の展示活動の応援をさせていただいているが、彼ら、彼女らの作品も本当に素晴らしく、どこの専門の大学を出たわけではないのに、なぜそんなに・・・と思うほどに、天才的な才能を感じることが多い。

型にはまった、無難な生き方、安定を求める生き方。平和が当たり前の生き方。
これを求める人が多いが、そうしたくても、さまざまな理由で不自由な境遇で生きている人が多い。一般社会で受け入れられず、生きてきた人たち・・・。そんな障がい者の中には、驚くべき才能をもつ人たちが多い。

その才能を表現する、発揮することで、その人の人生は豊かになる。

その応援をする人が私の周囲にはいる。このサポーターの力も素晴らしいと思う。

表現できる才能がある・・という幸せ。

人にはそれぞれ違った可能性がある。そのなかで表現という世界は本当に素晴らしい。

これからも、私は私の表現力を磨きつつ、素晴らしい才能のある人たちの表現の場づくりを応援できたらと思っている。

最後に。冒頭に書いたハンセン病の患者さんの言葉。
ある別の患者さんの作品を見て、こんなひと言を言っていた。
「あの人の作品は心が澄んでいる。ぼくのは濁っている。」
ご本人自体こそ、澄んでいるのに、、、と私には見えた。

私の心は、どうだろう?きっと濁っているなあ・・。いかん、いかん。

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