それぞれの春が始まる。

新幹線のチケット予約をいつもお願いしている店舗。
コロナの影響で、この旅行業界も本当に大変な状況で、緊急事態宣言中は
閉店している時期もあり、心から心配していた。
顔が見えないなら、声が聞こえる方がよいため、ネットではなく
電話で予約し、チケットを送付してもらっていた。
宣言も解除され、久しぶりに店舗に受け取りに行く。
名古屋に移ってからの3年、
すっかりなじみになっており、スタッフにも「いつも、ありがとうございます」
と気持ちよく声をかけてもらう関係に。
昨年からは、店舗に行くと、毎回対応くださる担当の方に、
「大変ですね。がんばってくださいね」
と、声をかけてきた。
そして、今週になってまたチケットを受け取りに行く。いつも電話対応もしてくれる馴染みの男性スタッフが応対してくれる。用事が終わりかけたころ、
「あのー、私、3月末で転勤になります。法人担当になります。本当にいつもありがとうございました。お世話になりました。」
突然、そんな言葉をかけられ、
「そうか~。ああ、もうそんな季節やね。さみしくなるね。でも、また帰ってきてくださいね。法人営業もがんばらなあかんしね。会社も大変だろうけど、
元気にがんばってください。あなたのこと、忘れないよ。えっと名前は・・・」
と話しつつ、名札を再度見て
「あ、イトウです。ありがとうございます」
こんな会話で、なんだか春を感じ、じんわりしながら、店を後にした。

コロナも影響しての転勤かもしれないな~。
でも、がんばっていれば、またどこかできっと会える。
こんな会話が、全国各地で聞かれる今週。
コロナがなければ、もっと盛大に送迎できるだろうに。
それぞれの春。
今日は京都で、新たな春を迎える人たちとも会える予定。
どんな言葉を送ろうか、とびっきりの笑顔で・・が良い。

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五感が目覚めるゴーアウト。

緊急事態宣言も解除されてか、町に人があふれ始めている。
季節性もある。冬眠、巣ごもりから目覚める春でもある。
リバウンドにつながる密集地への外出は見合わせたいが、
リサーチ兼ねて脇道の町歩きは、おすすめだ。
いいアイデアが出ないとき、 何か違う目線で物事が欲しいとき。
ちょっと風に吹かれてみる。季節の変化を感じながら、体内の空気を
入れ替える。
図書館に行く、本屋に行く、ただひたすら歩く。
たとえば女性向けの企画を考えているときは、女性が集まっているお店に
出向き、うろうろする。女性の心理と行動を観察する。但し、密集の中には入らず、脇から眺める。観察をする。並ぶ人の心理を想像する。
お店を彩るPOPや、ポスター、デジタルサイネージから、町をゆく男女の
ファッションまで・・。あるいは人々の会話まで・・・。
その時々のテーマに合わせて、それにつながる世界を、ソーシャルディスタンスでウォッチングする。
マーケティングリサーチのひとつとして、
30年前は、海外に出向いて、日本にはないものを探してきた。
あの頃の感動は今も忘れない。そう、出会い、発見に感動があったのだ。
今はネットで多くのモノ、ことが探せてしまう。でも、あくまでも二次元の
モニター越しの世界である。手を触れることはできない。味わうこともできない。カンタンにみつかることに慣れてしまい、感覚もマヒしがち。
検索することがリサーチの全てではない。
五感で感じる感動は、直接見る確かさは、ネットで得る情報とは大違いだ。

だから、今でも企画に困ったら、外に出る。
ひとたび市場に出れば、何かを得ることができる。

中に籠って、パソコンでの企画も便利にできるが、
感じる時間を大切にしよう。偶然の出会いも楽しもう。
感じることは、ヒラメキに通じるから。
今日も、わずかであっても、時間をみつけて、ゴーアウト。
道に咲く桜との出会いも楽しみながら・・。

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運命と宿命と受容。

運命とは、命が運んでくるもの?命に運ばれてくるもの?巡ってくるもの?
本人とは意志が関係ないけれど、おりてくる幸・不幸?

しかし、宿命は、すでに命にやどっているもの。
前世があるならば、その時からすでに決められていること。
だから、本人の意志とは関係ないし、努力で変えることはできない。
運命は変わることがあるけれど、宿命は変えられない・・・。

以前、親しくさせていただいているマジックアーチストより
ご自身の人生になぞらえて、この運命と宿命について聞いたことがあったと、
そんなことを思い出す、今日この頃。

人間の意識の世界はあまりに小さくて、自分ができることは、
本当にささやかだと思う。
その微力さに気づかねばならないとも、思う。
そして、やはり人は、生かされているのだとも思う。

今、両親のこの状況について、運命、宿命について考えることが多い。
決めることができない最期のステージは、間違いなく宿命だろう。
そこに向かう、そこを覚悟しながら、普段どおりに普通に生きる。
それが人間の強さなのかとも思う。
一方、生きることは、怖いとも思う。
一歩先が見えないから。
でも、信じることで見えない先が光に見える。

何を信じるのか。
きっと今日もうまくいく。
これだけを信じるようにする。そして、自分自身を信じる。
そうすることで、どんな運命も宿命も受け留められる・・・
と、いいなと思う。
さまざまな苦難を受容し、流す力を身につけよう。
いろんな方法があるが、私にとっては音楽がそれに役立ちそうだ。
ベートーベンを背後に聴きながら・・・。

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また会わせたい。

夫婦。
形はどうであれ、夫婦。
時代がどう変わっても、夫婦。

わが両親のおかげで、私が存在する。

親の金婚式の年につくった曲がある。
「ひと 文様」
いろんなことがありました・・・。
人生ふりかえるとそんな感じかなと・・・。

もう別居して19か月も別居を強いられている
両親は、それぞれどんな思いでいるか?
もっとも認知も進み、病気の身では、そんな
ことも考えられないかもしれないが・・。

でも、コロナが終わったら母と一緒に、父に会いに行こうと
思っていた。
今は,、コロナが終わって、母が元気になったら、
父に会いに、施設に連れていこうと思っている。

夫婦なんだから、もう一度会って、会話してほしい。
夫婦なんだから、また会わせたい。

元気いっぱいの日々を思い出し、この曲を思い出し・・・。

「ひと・文様」の歌詞と作った年のライブでの様子はこちら。

La Grande Roue:Poem & Songs (mahsa.jp)

ひと・文様 / Mahsa(今尾昌子) – YouTube

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悔いはなくても・・

いつも、どんなときも自分に悔いがないように・・とは思ってきた。
公私ともに、そのつもりで、そのとき自分が思うことをちゃんとやろう!と
思ってきた。
だから、悔いはない。とは言える。

でも、親の復帰を24時間、ひたすら待つだけの今。
悔いはないけれど、
もっとこうしたい、これもあれもしてあげたい。
と思いが次々とあふれてくる。

美味しい美味しいと食べてくれるおかずがあれば、
また食べさせてあげたい。と
野菜を切りながら思い、

京都や東京の写真や映像を見ると
昔案内した場所が蘇り、
また連れていってあげたい、
大相撲も見に行ったな。もう一度・・はもう無理かな。
でも、・・・と思う。
また、今ならば、桜を見に連れていってやりたいが
来年は連れていけるかな・・
と、思うし・・・。

悔いはないけれども、今となれば、
あれもこれも、まだまだしてあげたい。

これは私自身の勝手な願望であるが、
思いが毎日、あふれてくるのは事実である。

いつ鳴るかわからない携帯を手もとに置きながら
なんとか、と思ってしまう。
生きていると、
悔いはない。
ということは、ない。
どんなに一生懸命やっていても まだ一途の光があるならば
まだまだと思ってしまう。
とにかく、
今は前向きに、
戻ってきたら、あれもこれもしよう。
と思い続けることにする。

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観覧車復活!!!

「観覧車復活」と書かれた色紙。
A3サイズ。画用紙を張り合わせ、そこに8名のみなさんのメッセージや写真のコラージュ。まさに寄せ書きだ。
こちらが実家の洗濯機の中に入っていた。

母の入院時に、一時は迷ったが、母が日頃懇意にしていただいている方に
ご連絡し、ぜひ応援していただけたら・・・とお伝えしたら、なんとその当日にこの色紙が届けられたのだ。この情報収集力と即戦力、行動力、表現力に驚く。
なんたるチームワーク。しかもそのスピード!!
この仲間は日頃からさまざまな活動を一緒にやっている。
農協での出会いから、何かを一緒につくったり、茶話会したり、お出かけしたり、そして、ありがたいことに私のふるさとライブの常連さんたちでもある。
地域のよき仲間、元気印のマダム集団?
その取り組みのひとつは、ゴキブリ団子を作ること?
しかもこのユニット名は「観覧車」だそう・・。
おそらく、グラン・ルーの親戚筋?母が言い出した名前だろうか?
色紙には、元気カラーのオレンジが使われ、
とにかく、元気になってほしいという思いが紙面からあふれている。
なぜか、3Dに見える。

これを、確認し次第、病院に持参、看護師さんに託す。
「狭いので飾れるかどうか、ですが確かにお預かりしますね」
「どうか、見せてやってください」
帰り道、発起人の方に、病院に届けたと報告と、御礼。
「みんなで祈っていますね」
の応援がかえってくる。

翌日、病院から電話が入る。ドキドキしながら出ると
「これから、一般病棟に移動となりますので」

とのご連絡。
いい方向には向かっているようだ。
早速、ゴキブリダンゴを作りながら、この色紙をつくっていただいた
観覧車ユニットの元気パワーと応援の気持ちが母に届き、
細胞に注入されたに違いない。

観覧車復活!
色紙に書いてある文字。
ごきぶりダンゴと、観覧車。
このミスマッチ?というかなんともいえない融合?は母らしいと
思いつつ・・ひたすら、ご近所の皆さまにただ、ただ感謝。

下の写真は、色紙と一緒に届けた、母が最近、懐かしがっていた写真。
私が幼き頃、叔父の出身校が甲子園に出場するというので
これからバスに乗るところの記念写真。岐阜駅だそう。
おそらく昭和40年頃の1枚。

とにかく、復活!
祈る日々。
色紙を見て、写真を見て、私と喧嘩せなあかん。
と奮起、蘇ってほしい。

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今は、心にハンカチ。

あの東日本大震災から10年。
その後、知人の住む大船渡に行って何度か演奏をさせてもらった。
震災から1年経過していたが、町には大きな傷跡が多数残っていた。
一方、何事もなかったように穏やかな表情を見せていた海。
津波が押し寄せたとは、想像できない別の顔をもっていた。
空は青く、かもめが飛んでいた。
そこで生まれた「かもめりぃ」という歌。

これを、東北への、そして悲しくても辛くてもそれを乗り越え、
がんばる人へのエールソングとして唄ってきた。
そのなかに、

♪泣いてない 今は泣いてない
けれど いつも 心にハンカチ♪

という歌詞がある。
ある知人は、ここの部分がとっても好きだ、と言ってくれたのが
うれしかったことを懐かしく思い出す。

そして、今まさに、私の状態はこんな感じだ。

久しぶりに歌わなかったこの曲。口ずさみながら歩くとしよう。

「かもめりぃ」歌詞と演奏風景はこちら(演奏は過去の新潟モノリスでのディナーショーでの演奏です)

Petit Poem かもめりぃ (mahsa.jp)

かもめりぃ / Mahsa(今尾昌子) – YouTube

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思い続ける心のオンライン。

今、コトバを発することができない状態でも、会えなくても、対話できる環境になくても、相手のことをずっと思い続け、心の中で言葉をかけ続けることで、
相手には絶対に通じる。
とそんなことを信じる今日この頃。

どこにいる相手でも、心通う相手には、必ず通じるはず。

ネットのオンラインは便利であるが、突然途切れることもある。
心のオンラインは、信頼関係で通じあい、自分次第でつながり続ける。

だから、きっと聴こえているはず。
思いが届くはず。

と、今日も思い、信じて、病床の母に届くようにと、思い続ける。

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「らしくない」を捨てる。

万が一のことを考え、ふと弱気になったり、マイナス思考になる。不安になる。
この発想は、私らしくない。

と、そう思うことに決めた朝。
どんなことでも、わずかな可能性がある以上、それを信じて、とことんポジティブでいく。
前に向かって進んでいく。
そうすると、涙も出ないし、もしも涙が出ても、すぐ乾く。
めそめそしない。しっかりする。元気な私がちゃんとする。
今、私の頭の中には、そんな言葉が多くわいてくる。

母の命を救いたい。助けたい。医療のことは病院に任せて、今は母にせっせと
エールを送る。
早速、母の仲間に呼びかけ、「母のことを応援してください」とお願いすると、
皆さんが、二つ返事で、「一緒に祈りますね!」と言って、早速、母へのメッセージを色紙に書いてくださった。
「裏の洗濯機の中に色紙を入れておいたので、お母さんに見せてやってくださいね」
そう、実家の洗濯機は、近所の方からのお届けモノ入れにもなっている。
ありがたい限り。呼びかけてよかった。

どこまでも、私らしく、元気に進むことにしよう。
母がそれを望んでいると思うから。
数日前まで、あんなに喧嘩していたのに、もう嫌!

と思っていたのに、不思議な気持ちであるが、
まだまだ寄り添いたいと思っている。
だから、「らしくない」は切り捨てる。
強くなれるチャンスだと思うことにしよう。




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待っとるよ、待っとるから。

人生、本当に何が起こるかわからないものだ。
母が緊急搬送で、入院という事態になってしまった。
本当にまさか、こんなことが、このタイミングで・・・。

一昨日の投稿にもある
「長生きせなあかん、喧嘩せなあかんから」という言葉を残し、
3日後、緊急病棟にお世話になることに・・・。
10時半から20時半すぎまで・・・。こんなに長い時間、病院にいたのは生まれて初めてだ。
また検査待ちの間、さまざまな救急搬送の様子にも触れ、まるで映画のようだと感じる場面もあり、そのなかにいる自分が信じられないような現実ではないような気もした。

検査待ちの間、ベッドの上で、一生懸命息をする、母に静かに語りかけた。
「あかんで。あんた、喧嘩するんやろ?喧嘩せなあかんで、帰ってきてよ」
「今日、ちらしずし作ってきてたよ。また今後作ってあげるで帰ってきてよ」
「ピアノ習わせてくれてありがとうね。岐阜新聞、またライブやるよ。」
「ずっと息してよ。それがお母さんの今の仕事、がんばって」
ずっとそんな風に語りかけた。
母はじっとしていながら、時々、涙が目にあふれていたから、きっと聞いている
と確信した。

まさかの事態に、まずは自分が動揺しないように、しっかり生きていかねばと
こみあげる感情をぐっとこらえる。
待っとるよ、待っとるから。また帰ってきてね。

母が必ず自宅に戻る日が来るようにと、心から願っている。
そのために、自分ができることは絶対にやる。

人生は、ある日突然に、何の前触れもなく、次のステージに進んでしまうものだ。

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