すべては「関係」で成り立つ。

「こころの時代」という番組がある。Eテレのなかでも、よくできているコンテンツだと思う。宗教・哲学について幅広い視点で取り上げ、しかもわかりやすく表現している。尊敬する学者さんや、宗教者が登場するときもあり、共感することも多い。が、だいたいは、ながら見であるので、断片的な記憶でとどまることも多いが。
今回も、ながら見をしていたが、ちょっと手を止めた瞬間。瞑想と仏教をテーマにしていた。専門家が、「一切は空である」。という概念の話をされていた。たとえば、家というものは、さまざまな建材・素材の関係があってこそ、成り立つのであって、それらの関係がなければ、家自体が存在しない。
という考え。これはわかりやすい例えだ。
たとえば、グラン・ルーの発想もそうだ。それに近い。
私がいう、心の観覧車とは、そういう乗り物があるのではなく、会社でも町でも家族でもいいが、そこに集う人たちの心がよく結ばれる、関係性がよければ、観覧車が生まれるという意味だ。
人がここにそこにいるだけでは、楽しいコミュニケーションは生まれない。
関係性だ。
気が付けば、自分のマーケティングの考え方をお伝えするときにも、この10年以上「関係」という言葉を使い続けている。
すべてのステイクホルダーとの関係性。お互いがよければ、万事うまくいく。
あの人のために、この人のために。とお互いを思い合うことによって(慈悲という言葉に近いか?)そこに信頼が生まれ、関係がよくなる。
結局はそこだ。
関係性をよくするには、やはりコミュニケーションだ。
ここを、改めて意識し、今日も素敵な関係が生まれ、育まれるようにしたい。

カテゴリー: Essay (Word) | すべては「関係」で成り立つ。 はコメントを受け付けていません

父の日に、笑いを届ける。

先に、父の日について思うことを書いたが、つい最近、父に会って、
ネガティブな思いは消えた。
今、生きている。施設の皆さんにお世話になって毎日過ごしている。そのことが
ありがたく、先のことを悲観せず。とにかくポジティブに!と思うのみ。
それはひとえに、父がなんとか元気にしてくれていることを確認できたからだと思う。かけがえのない存在が、いてくれること。これは本当にありがたい。
明日は何が起きるかわからないが、それは誰もが同じこと。
そんなことで、どうせなら、楽しい気持ちで過ごせるように。
写真は最近みつけた、かえるの置物。貯金箱らしい。
なんとなく、母の存在感に似ていると思った。
よし、これを父の日のプレゼントに。
施設の部屋のテレビの脇にでもおいてもらって、母と思って、笑って暮らしてもらえたら。
と、すべて自己満足なんだろうが、それでもきっと思いは届く、通じると思って、やろう思ったことを、楽しくやる。
改めて、世界でひとりのわが父に、感謝を込めて。
お父さん、ありがとう。お母さんの分まで、生きなあかんで。

カテゴリー: Essay (Word) | 父の日に、笑いを届ける。 はコメントを受け付けていません

神がおりてくる瞬間、あります。

今、一緒に仕事としている仲間(といっても人生の先輩であるが)とのやりとりで、「神が降りてくるのを待ちます」というくだりがあって、思わず、わかるな~と共感。

見えないものを見える化する、誰もしたことがないことを表現するときは、
まさに想像と創造がクロスする。
考えたり、書いたり、あるいは表現するとき、ずっとずっとそこに集中していると、ふっとアイデアが湧いたり、筆がすすんだり、いいメロディが湧いてきたり・・する。
そういえば、ある音楽関係の仕事をしている人も、作曲をするとき、「何か知らないけど、気づいたら曲が湧いてくる。それは、まさに神がおりてきた感じ・・」と、そんなことを言っていたことを思い出す。

私自身も、時々、神がおりてくるのを感じるときがある。
ずっと頭のなかにあるけれど、ふとした瞬間におりてくる、湧いてくるのだ。

見えないものを見える化する仕事。
これって、本当に最高だ。
自分で考え、自分でつくりだす生き方。仕事。
やりがい、いきがいは、すべて「想像と創造」にあるのかもしれない。
人がやらないこと、やれないことをしよう。し続けよう。
そう思うだけで、わくわくしてくる。

カテゴリー: Essay (Word) | 神がおりてくる瞬間、あります。 はコメントを受け付けていません

BGMの重要性。

店という特別な空間。お客様には、五感で感じていただきたい。
もちろん料理を提供するお店であれば、その料理の見た目、食器から、接客にいたるまで、すべてがお客様の満足につながるものでなければならない。
その満足をさらに高めるための演出が、フラワーアレンジメントであったり、
店内ディスプレイであったり・・・。
そして、音も大変重要な演出のファクターだ。どんなBGMが流れているかでお店のセンスと質がわかる。そしていい曲だと聴き入ってしまい、長くそこにいたくなる。
BGM。まさにバックグラウンドミュージック。主役になってはいけない。
でもできる限り、お店のコンセプト、イメージ、サービスに似合う音色がいい。


以前、ある野菜や食材にこだわるレストランで、有線チャンネルからピアノ演奏を流していた。たしかにピアノではあるが、どこか人工的で機械音の限界も感じ、あまり料理を引き立てていないと感じたことがあった。無機質な音と有機野菜が合わない感じがしたのだ。ではあるが、これはこちらが勝手に感じたこと。
選ぶ人の感性も大変重要だ。
こだわりの珈琲店にはジャズやクラシックが良く似合う。
音楽によって、店を選ぶこともある。

さて、このたびリニューアルした楽器店の楽譜売り場。
楽譜を探すときは、書いてある譜面を見ながら、メロディを確認し、ああ、この曲だ。と、理解してから楽譜を購入する。
そのお店は、リニューアル直後で、お店が快適になりました。といわんばかりに
スイング系のジャズを流していた。
確かに、一歩店に入ったときは快適。お、いい感じ。さあ、楽譜探そう!
と楽譜の棚の前まで進む。
しかし、クラシックの楽譜を手に取った瞬間、ジャズの弾むリズムが、クラシックの楽譜の読み取りを遮ることに気づく。
静かな空間であれば、頭のなかに楽譜を見ることで、その♪がそのまま頭の中で広がるが、ジャズのリズムに流されて、楽譜が読み取れない。♪が頭に描かれないのだ。
ああ、楽譜売り場にBGMは要らないな。邪魔になる。静かな方がいいな。直観的にそう感じた。図書館と同じだ。
ピアノの楽譜ですらそうだから、オーケストラの楽譜だと尚更だろう。
楽譜を探すには、BGMがない方がいい。
困ったな~と思っているときに、店員さんが品出しに売り場に現れた。
「すみません・・。」かなり小声で話しかける。
「あのー、大変申し訳ないのですが、クラシックの楽譜を見るときは、ジャズが流れていると気になって、楽譜が選びづらいんですけど・・・。いい音楽が流れているので申し訳ないのですが・・・・」というと、店員さんは意図を察してくれて、
「ああ、すみません。そうですね。教えていただきありがとうございます。」
といって、すぐバックヤードへ行き、すぐボリュームを下げてくれた。
かなり小さくなった。鳴っているかどうかわからないほどだ。
まあ、これぐらいなら、楽譜の読み取りの邪魔にはならない。

早速、ショパンの一冊をみつけ、確認して、レジに向かう。
帰り際に、マスク越しに店員さんと目くばせをしながら
「ありがとうございました」と、言い合う。

いい店は五感でお客様を喜ばせてくれる。
そして、快適にストレスなく、目的が達成できるよう、臨機応変に対応してくれる。
お客さんの声にも耳を傾け、すぐ行動をとってくれる。
このコミュニケーションを重ねることで、お店はさらに磨かれる。




カテゴリー: Essay (Word) | BGMの重要性。 はコメントを受け付けていません

納骨前のおひとり様コンサート。

もうすぐ納骨。なんとなく、ここで亡くなってからの
さまざまな行事が一区切りになりそうな、
そんな気持ちになる今日この頃。
一般には、納骨とはお墓にお骨を納めることで、引っ越しでもある。
思えば、亡くなる10日前、救急搬送されてから、自宅に戻ることがないまま
約三か月で、納骨になる。
お骨を母の肉体の一部とすれば、それはもう、永遠に自宅に帰ることがない。
という考え方もある。
そこで、
そうか、母にもう一度、ピアノを聴かせてあげたいと思いたつ。

お寺からお骨の外出許可(?)をいただき、しばし自宅へ持ち帰る。
亡くなってから初めての帰宅。
実家には誰も住んでいないため、お寺にお世話になってきた約三か月。
せめても、今、短時間でも納骨前に自宅で過ごしてもらう。

そして、ピアノのある部屋にお骨を運んで、ピアノがよく見える位置に写真とともに置く。そして、母の笑顔を横目に、演奏を開始する。
「では、はじめます」
母のための、母ひとりのための、いや、母と私のプチコンサートだ。
葬儀でも歌った「みのり愛」、父との金婚式記念につくった「ひと・文様」
出張先でふるさとのことを思って生まれた「みず・つち・ひと」、そして長良川の鵜飼を描写した「おもしろうて・・・」と母やふるさとにまつわるオリジナル曲。さらに、3歳のころ、オルガンを始めた頃、母と並んで一緒に弾いた唯一の曲「悲しき天然」を弾き、歌う。
母の写真から、拍手が聴こえてきたように感じた。そして、笑顔が飛び出してきそうに感じた。
ひととおり演奏してから、
「ありがとうございました。」
と、なんどもなんども言う。
「ピアノを習わせてもらって、ありがとうございました。」
「こんなに立派なピアノを買ってもらって、ありがとうございました。」
いろんな「ありがとう」を母に伝えた。

私と母を結ぶものは、ピアノ・エレクトーン・歌。そう、音楽。
好きなジャンルもすべて違うけれど、
音楽という絆で結ばれていたのだと思う。

特定の形は亡くなっても、まさに無形の存在として、
生き続ける母との「関係」。
そう、人は個としての死以上に、その人との関係が大切で、
そのつながりが強ければ、その存在は永遠だ。
そんなことを、直感できたひとときでもあった。

母は長い旅に出たばかり。いい旅をしてほしい。


カテゴリー: Essay (Word) | 納骨前のおひとり様コンサート。 はコメントを受け付けていません

やっぱり、店で買おう。

オンライン会議が増えてきて、カメラ付きパソコンにも予備があった方が良いと
思い、今使っているもの(SURFACE)の最新型を入手しようかと、ネットでいろいろ調べ始めた。
ネットでいろいろ情報を見ながら、同系機種のものであれば、ネットで買うのも問題ないかと思いつつも、やはり2年ぶりに購入するのだし、どこが変わったのかを見てから、納得して買いたい。
ネットで、パソコンや家電をささっと購入できる人は凄いと思いつつ、自分には不安も残ると思い、ネットで購入せず、まずは近くのショップへ向かうことに。
すると、なんと二年前に前の機種を購入した際に、説明してくれたスタッフらしき人が店頭にいた。
「あ、あの人、見たことある。確か・・・」2年前はマスクはしていなかったため、断定はできないが・・・。
早速、その人にその最新機種の説明を受け、あれこれ、思うことを質問した。そう、ネットではこういう細かい会話が、難しい。
その担当者は大変丁寧に、顧客に寄り添った対応をしてくれ、安心して購入しようという気持ちにさせてくれた。
ネットで検討と言う場合、チャットで・・といわれても、メーカーにしてみれば、パソコンを購入するぐらいで、いちいち細かく対応はしない。
すでに公開されているQ&Aや他の人のレビューを参考にするぐらいだ。
私はすぐ新機種を購入することに決め、さらにその人の勧めにより、さまざまな小物や保証も一緒に・・。気が付けば、かなりまとまった買い物になったが、なぜか安心感がある。納得しているからだ。
「やっぱり、パソコンは、店で見て買う方がいいよね」
購入を決定してから、そのスタッフに言うと
「まったく同じものを購入されるなら、ネットでもいいと思いますが、違いを見たり、説明聞いたりして‥と言う場合はやっぱりお店がいいと思います。皆さん、そうおっしゃいますね」

話していてだんだん思い出した。2年前の新機種を購入したときも、彼のこの応対が素晴らしく、気持ちよく購入したのであった。
「あの、あなたはいつからここにいますか?私、前買ったときもお世話になったと思いますが」
「2年とちょっとですね。あ、そうですか」
もちろんそのスタッフがいちいち、パソコン1台買うお客を覚えているはずがないが、私の方が、今回の会話により、彼の前回の接客のことを思い出したのだ。
「あなたの接客がよくて、前回も買ったんですよ。今日もそうです。話していてだんだん思い出したわ」
すると、そのスタッフはマスク越しではあったが、目を細めて喜んでくれた。

店とは。商品だけではなく、その空間に人がいる。
コミュニケーションができる ということ。
その道の「プロ」がいるということ。ちゃんと答えてくれる、安心して購入できる。
ここがお店の存在理由だ。

やっぱり、店で買おう。
そして、店を利用しないと・・・。リアル店舗は厳しい状況だ。だから応援しなないと・・。

店で見てからネットで買う。
そんな人も、場合も多くあるだろうが、改めて、今もっとお店の価値を大切にしたいと思った。お店を大切にしないと・・なくなってしまう。ロボットに接客されるだけでは、やはり・・。人と話したい。

メーカーは、単にモノを売るのではなく、価値を伝え、届けてほしい。
そのためには、コミュニケーションが不可欠だ。伝える人の存在が重要だ。

彼は、私が帰るときも、なんども頭を下げ、にこやかに送ってくれた。
店は、こういう余韻もある。
ちなみにこの担当者は小売店のスタッフではなく、メーカーの人であった。売り場の担当者とよく連携して、
その売り場で、自社の商品が売れるように、がんばってほしい。 彼を応援したいと心から思った。

カテゴリー: Essay (Word) | やっぱり、店で買おう。 はコメントを受け付けていません

ギフトの選択肢。

電車のなかで出張ビジネスマンらしき上司と部下の会話が
聞こえてきた。
「おまえ、父の日何かおくったか?」
「はい、自分の親に・・を送りました」
「そうか。おれも自分のおやじと嫁さんの方に両方・・を送ったわ」
和やかな会話だ。仕事もがんばり、家族サービスもばっちり。
二人のいい関係性も感じる。
そう、父の日が近づいているのだ・・。

今年の母の日は、生まれて初めてたまらなく
きつかった、苦しかった。
ということは前に書いたが、
今度は父の日について、これまでと違う気持ちが湧いてきて
いる。
何をあげようか。と選択肢があったこれまでの父の日。
結果、父の好きな野球帽、焼酎・・・。そんなに代わり映えしないもの
しかあげた記憶がないけれど、それでもプレゼントを選ぶという
ことが当たり前であった。京都から、東京から、名古屋から・・
何かを贈っていた。
しかし、
今、父には何をあげたら・・・。
父が元気なら、あれも、これもと思うが、認知も進行、体力も減退、
気力も低下、食欲もない・・。
そんな父に何を贈れるのか・・・。

父が一番ほしいのは、もしかしたら実家に帰ること。
楽しい元気な昔に戻ること。母と喧嘩をすること。
すべて叶わぬ、夢のようなことであるが、父が喜ぶのは、もはや
モノではない。でも、そのことももう意識できない状況かも
しれない。
そして、父の日。あと何回あるのだろう。
それを思うと、また胸が押しつぶされそうになる。

世の中のさまざまなプロモーション、催事は、
それどころではない状況に置かれた人にとっては
つらいだけだ。
オリンピックも、まさにそうだ。
そんなもん、いらんから・・・。
もう、そんなことどうでもいい。
という気持ち。

父は何がほしい?
人間、終末にほしいものは何だろう?
想像が難しく、つらい。
と、そんな気持ちで、いる人は世の中に多く
おられると思う。

今できることを一生懸命することが、
今、できる最大、最高のギフト。
がんばれる人ががんばらねば。





カテゴリー: Essay (Word) | ギフトの選択肢。 はコメントを受け付けていません

信頼のセカンド、サード・・オピニオンを活かす

重要なこと、判断を誤っては後悔すると思われること。
そういった局面においては、必ずセカンドオピニオン、サードオピニオン・・
それ以上でもいい。信頼できる人に相談しながら、情報を集め、整理して、
俯瞰して、悔いない正しい判断ができるようにしたいと思う。

最近、親のことについては、そういった手段が必要と感じることが多い。
体験したことのない重要な判断は、その道のプロや人生の先輩に聞き、
その上で、自分でよく考え、判断する。そんな思考法がとても重要だ。
そして、広く情報をとるためには、ネットも有効だ。
人の命にかかわることの判断は本当に難しい。

今、長寿について、延命について 考えさせられている。
そして、判断をしなければ。
医療、介護、家族、本人・・・・・。それぞれの人の立場から意見をもらいながら、そして最後は、「想い」が最も大切だ。

困ったとき、迷ったときに聞ける人。そういう人に恵まれていることが
本当にありがたい。感謝の日々だ。


カテゴリー: Essay (Word) | 信頼のセカンド、サード・・オピニオンを活かす はコメントを受け付けていません

越境の観覧車的生き方。

ボーダーレス。垣根のない世界。広がりと受け入れのある関係が好きだ。
国籍、職業、年齢、性差、あらゆる環境の差、信仰・・・。一人の人間には多くの属性があるが、そのことで制限をかけるのではなく、それを越えて、それも含めて、その人をトータルに理解し合うことがいいと思っている。
社長だから、主婦だから、〇〇人だから、障がい者だから・・などなど、そういう括りは、ときに必要ない。もちろん大切にしなければならないときもある。
いずれにせよ、最後は「人」と「人」。
社長だから偉いということでもなく、ピアニストだから感動的というわけでもない。一いろんな属性をあわせもっている、ひとりの人。そこに目を向けたい。

最近、檀家とかそういう括りは別として、母の死をきっかけに、お寺の方とのやりとりが続いている。ちょっと最初とまどいもあったが、いろんな会話を重ね、今は宗教を越えてお互いを理解できる、そんないい感じになってきている。
そして一人の人として、自然な会話ができ、またお互いに学びをいただいている。そんな会話のなかで、
「寄り添うってどういうこと?」
と聞かれた。地域の方に寄り添う活動をされているお寺の坊守さんにだ。
「寄り添うというのは、対面という感じでなく、並んで座って、同じ方向を見てるという、そんなイメージでしょうかね?私はそんな風に感じています。」
とっさにうまく答えることができなかったかもしれないが、寄り添うという言葉ひとつとっても、いいキャッチボールができることに意義を感じた。
また、母のことを、仏教だけでなく、長崎の教会のシスターが、信徒でもない私のために母への祈りを捧げてくださった話についても打ち明けることができた。
「いろんな人にお参りしてもらえる、祈ってもらえるということは幸せですね」
と、お寺の方が言ってくださったことが、とてもありがたかった。
これしかダメ、ではない会話がつながりを強くする。
越境。
自分の人生はそれをしながら、心の観覧車を回すこと。
改めて、その想いを強くしている。

カテゴリー: Essay (Word) | 越境の観覧車的生き方。 はコメントを受け付けていません

次から次へと。それが生きるということ。

母の納骨まで、もうしばらくの間・・・。というこのタイミングで、
なんと、次は父のことに追われ始めている。
食欲が低下しているとのこと。
このままでは・・という状況だと、主治医からも告げられ、人生は本当に
ドラマみたい、ドラマ以上だとこの重い現実を、不思議な感覚で受けとめている。

食事がとれない。
生きるとは食べること。

それができないとは・・。

どうするか?いろんな選択のなか、父の人生を考えてみる。
何が幸せなんだろう。

そう考えながら、さまざまな選択について、きちんと判断せねばと思う。
まさか、今、父にこんなことがふりかかるとは・・・。

次から次へと本当に事件がおこる。
生きている証拠か。
それにしても。

医療、介護それぞれの視点から、
病院や施設、それぞれの受け入れ体制。
このことを頭に入れつつ、
そして一番大切なのは、
「本人と家族の想い。」と、信頼できるケアマネが教えてくれた。

これこそ、延命か自然に任せるのか。
今、自分の人生ではなく、親の人生を背負っているような
気持になっている。

よく考え、悔いのない判断を。
コロナのせいで、とは言いたくないが、
人生の終わり方が平常時とは違ってしまうケースのひとつだ。

父と話したい。
父の想いを改めて確認したい。
きっとそうだろうという答えはあるけれど、
ここは、父に確認したい。

それにしても、次から次へと。
まさに、生きているという感じがしている。
意味がある時間だと思っている。



カテゴリー: Essay (Word) | 次から次へと。それが生きるということ。 はコメントを受け付けていません