東京に単身で住み、仕事で新潟と東京を行き来している社長さんとの対話で、共通するのは東京と新潟~言い換えれば、都会と地方の違いについての感覚だ。
東京は忙しすぎる、目の前のことに追われている。もちろん、地方にいるだけでは仕事が十分でないから東京に出てきたけれど、それは仕事のためと割り切っている。
東京での暮らしでは、健康も害しやすい。だから、本当はどうなのかと思いながら、走っている。時々帰る新潟は、食べ物がおいしいのはもちろんであり、その生育、成長を支えている、空気が違うのだ!という点で共感。
そう、幸せを感じるところって「いい空気」がある。いい空気といえば、「ブエノスアイレス」。あの町が好きなのも、名前のごとくいい空気を感じるから。新潟も然りだ。
お金持ちになるよりも、名声を得るよりも、いい空気のなかで心身ともに健全に、笑顔に満ちて生きる方がリッチなのだと思う。
もちろん、東京でもリッチな空気を体感できる日はある。この週末は、まさにそうだ。空気がいいと、幸せを感じる。人はまさに「気」とともに存在している。
空気がリッチ!がいい
「いつもの私」であるということ
応援している会社のCSR活動をまとめたコミュニケーションレポートに出てくる言葉で、とても気になるフレーズがあった。「いつものモスであるために・・」。そうか、これをキープすることがブランドイメージの向上にもつながる。企業は、事業者はお客様が想像、想定、期待するお店、商品、サービスについて応えなければならない。「いつもの〇〇」というのは、「そうあるべき状態」を指すため、言葉に出すのは容易であるがずっとその状態を維持することは難しいことだ。そして、組織が大きくなればなるほど、関係者全員で「いつもの〇〇」のイメージを共有し、具体的に行動することは難しいがそれをやり続けなければ、長きにわたってお客様の支持を得ることはできない。
そして、これを自分自身に置き換えてみる。「いつもの私であるために。。」いつもの私とは何か。しかもお客様、相手から見ての私である。その認識をしっかりと行う。
自分を客観的にみつめることは難しいが、これまで出会った方々からの声から、たとえば「会うと元気になれる人」というのが「いつもの私」であるならば、私はずっとそのままでいなければならない。雨の日も晴れの日も・・・。それを心掛け、自然体に実行できるのがプロである。
そこに行けば、会えば必ず「いつもの〇〇」に出会える、触れることでお客様は安心する。日々、何も考えないで生きるのではなく、「いつもの私、当社」を意識することで、行動はおのずと前向きになってくるはず。「いつもの私」とは、私らしい私ということ。自分ブランディングに大変参考になる。
「自分」でしか がんばれない
応援してくださる方もいて、本当にありがたいと思う。また私自身が応援している人や企業もたくさんある。いつも折に触れ「がんばってくださいね!」とエールを送ったり、送られたり。
がんばれないほど、その言葉自体が重くのしかかってプレッシャーになることもあるかもしれない。でも、最後行き付くのは、結局、がんばるのは自分しかないということ。
自分の人生、誰が代わりに生きてくれるわけでもなく、途中逃げたい気持ちになってスルーしたつもりでいても、それは何の解決にもなっておらず、結局は自分で現実を受け止め、自分でやる!しかないのだ。
人は代われない、どんなときも。それを思えば、ある意味、気も軽くなる。
誰しも、自分の人生を生きるのは自分。代打も補欠もない。
だから何をやっても自分持ちだから、楽しんで大いにやればいい。
開き直るという言葉を思いっきり、前向きに解釈し、自分しか生きることができない
自分が唯一主役のこの人生を、どうせならば、悔いないように進めばいい。
人は迷いながら、ぶれそうになりながら、よたよたになりそうなときもあっても、それでも生きる。
そう、「それでも生きている」現実を肝に銘じて、進むのが良い。
「モテルオトコ」の時代、到来。
間もなくフランクフルトで始まるインテリア、雑貨、日用品のに総合見本市に出展する企業さんが、展示商品の見本が完成した~と、出来立てを見せにやってきてくれた。出来立てのホヤホヤを「なんとか間に合った~」と雪の中、駆けつけてきてくれたことに感激する。そうだ、この商品シリーズを開発する際、NYの市場調査をお手伝いしたり、いろんな関連商品のデザイン情報をお伝えしたり・・・この何年間かの応援が懐かしくなる。
この会社では、曲げ木の技術を使って、こだわりの小物を企画制作している。すでに万年筆ケースなどは内外のショップでも展示販売され、話題を集め、そこの社長はこの商品シリーズのブランド力を高め、世界で通用するモノとして育てたいと意気込む。
そして今回見せてくれた新商品は・・・。昨今、男たちの行動が変わったことに対して必要な小物である。その昔、男たちは仕事での外交時以外、バックを持ち歩くことは少なかった。とくにおしゃれな人ほど、手ぶらで歩く~のが普通だったのでないか?まさに手ぶらがスマートだった時代。
財布が長財布になり、スマホが必需品となった今、男性も手ぶらではすまなくなったようだ。先日、アメリカでi-pad専用バッグを見て、そうか~そんな時代になったのかと
思っていたが、さらに・・・ということらしい。ライフスタイルが変わるなかに、モバイルスタイル(移動様式とも言おうか?)が変わる。ということが含まれ、そこに新たな需要が生まれる。ニッチといえば、ニッチであるが面白い。
「へ~、そんなカッコいいの、誰が持つの?」「そうですねね。たとえば、いつも高級車に乗っている人が車から降りたときにさりげなく持つ・・・・・そんなシーンかな。」なるほど。
具体的な使う人の顔から持ち物から、極端な話、飲むお酒まで・・・とかなり細かくそのイメージするターゲットの暮らしまで、かなり詳細に浮かぶ。マーケティング上、そこは大変大切なポイント。この商品の反応が楽しみだ。
個人的には、いつも何かと持ち物の多い自分の荷物をもってくれる男性が好きだが、これからは、自分の持ち物も増えるためどうなるか、そこまで気が回らなくなるかも?」モテルオトコがもてなくならないように、見守りたい。
「移動式元気カフェ、本日営業」
ある仕事仲間より、1通のメール。「今日20時すぎお時間ありますか?よかったら少しお話ししたいのでお茶でも飲みながら・・・いかがでしょう?」彼女からのプライベートな誘いは初めてだ。ちょうど、さきほど会食キャンセルもあり、ホテルで仕事をしていたので、「はーい、お待ちしております」と返事をして、来訪を待つ。
「急にすみませーん」と申し訳なさそうな、でも笑顔で目の前に現れる。きっと会わない10日ほどの間に、いろいろあったか、あるいは何か私に言わねばならないことがあってかわからないが、ともかく1日ハードな仕事に疲れているのに訪ねてくれるとは嬉しい気持ちにもなり・・。
コーヒーを飲みながら仕事のことを話し始める。「実はなんだか疲れてしまって、元気もらいたいなと思いましたので、連絡しちゃいました」と話してくれる。
私自身は、この意外な一言がとってもうれしく、仕事でのおつきあいという関係だけでなく、人と人として、なんだか彼女との距離がより縮まった感じがした。年度末に向かい、次の1年はどうなるのかわからないが、一緒に行動した2年間がとても懐かしく、仕事そのもの、それ以外の寄り道や世間話の思い出も雪空にキラキラ光る宝物のように思えてきた。
「何もないけど、元気あります」そんな看板でも出して日々生きる。先の原稿にはジプシーと書いたが、あわせて「移動式元気カフェ」が潜在職業かな?そういえば、その前日もある方から「マーサからのメールで元気出ました」なんていう言葉もいただいていたな~。そんなことを思いながら、翌朝から雪の1日、越後の町々をフルに移動、いろんな方に会い話をし、話を聞き・・・無事ラジオの収録も済ませ、新幹線に飛び乗り、元気カフェも営業終了。このカフェは営業時間、かなり長いかも・・。
雪国ジプシーは今日もゆく!

予定変更した1週間という時間は、ある意味予想もしなかったギフトの時間であり、また思索の時間でもあり・・。1週間に久しぶりにお会いした、いろんな方々との会話を振り返ってみると、やっぱり自分にはじっとしている・・・暮らしは似合わないし、やっぱりいつでも動いている~風の人~が良いようだ。誰かに新しい風を送ったり、メッセージを発したり・・。そんなことが人様にとっての自分の存在感のようである。
いつでもそこにいる。それは場所の問題ではなく、親しい方々の心の中にいつもいる、そして体はどこかを舞っている、飛んでいる・・・のが私らしい・・ようだ。
また始まった1週間。まずは雪国への行脚からはじまる。いつもそこに根を生やさないように、ジプシーのごとく?いくとしよう。
立ち止まってわかるのは、立ち止まり続けることはしんどいということ。
本当に、前世は何者だったのだろう?と想像するのも楽しいことだ。
それにしても今年の最強寒波といわれる日に新潟県内を行ったり来たり・・。吹雪にも負けず、積雪にもころばず。
雪国にジプシーとは聞いたことがないが、なんとなく逞しくなりそうで、今日は雪をかき分け、新潟~長岡~新潟~東京。
写真は新潟市内のホテルからの1枚。これぐらいは降っていないと同じ。という感覚になってきたのもうれしい。
文字や言葉で想像する力を
便利な世の中になればなるほど、欲しいモノ、情報すぐ手に入る代わりに、人はだんだん考えることをしなくなるような気がする。
すでに制作したザビエルの歴史や影響を今さらのように調べたくなり、久しぶりにネットを断ち、読書する時間が必要だと思うようになる。あるいは騒音のない静かな空間で瞑想するのも大変有効だと感じる。
たとえば、遠藤周作が残した数々のキリスト教に関する書物。信者でないという理由から若い時代は読まなかったが、長崎やポルトガルに興味を持ち始めてから問題意識をもって
それに関する情報が欲しくなった。しかもネットで簡単に検索できる情報ではなく、深い意図をもって練りに練って表現されたその描写に触れたいと思うのだ。
そして、緻密な取材、調査にもとづき描かれているであろう、キリスト教弾圧の数々の場面を読むにつれ、現代社会が今まさに争っている世界と重なって見えてくるものがあり、
信仰とは、神とはいったい人間にとって何の意味があるのか?ということをいやおうなしに考えさせられる。文字、言葉で綴られたその描写があまりに残酷で、でもそこを読まなければ日本人がやってきた惨たらしい過去の蛮行に触れる機会もない。意識がなければ、そのことを知る由もなく、単に見た目の情報だけで人は浮遊するようになる。
書物は大切だ。もっとももっと大切なのは現場を見聞きすること、現場を知っている人から聞くことも有効であるが、その経験は限定的であるから、時間空間を越えて多くの学びをくれる書物は大切にしなければならない。
想像力が欠如する、あるいは減退しているのが現代社会だ。想像力があると創造ができる。制作もできる。どうかこの短絡的で直線的すぎる世の中ではなく、もっと想像することを楽しめる暮らし・・。もっと本を読もう。できればペラ、ぺらっと1枚づつページを捲りながら、紙に向かう時間。
それにしても、言葉、文字だけで人間はさまざまな世界を表現できるものだ。音楽も然り。想像力をもっともっと養おう。その究極は妄想かもしれないが、プラスの妄想は歓迎すべきものだと思う。
「暗号ネーミング」でハッピーコミュニケーション
ちょっとしたことで、コミュニケーションがより楽しくなるということがある。たとえばビジネスマンとの会食の場合。といっても、まだ気ごころ知れていないと、最初は難しいが、親しくしている方との会食には、それぞれ名前を付けたりすると面白い。たとえば、
ある企業の方とは、普段は大勢と会食することが多かったので、たまには「さし」でミーティングしましょう。ということで、「さしミ」と命名。その後、その方と「そろそろ、さしミを」となれば、会食しましょうか。という合図でもある。一方、私もそうであるが、年々?さっぱり系の食事がいい、もっといえば、蕎麦が好き!というMENも増えてきており、また近所にお好みの蕎麦屋があったり、その町が蕎麦どころだったりすると、蕎麦で会食ということも増えてくる。それを「あなたの蕎麦DE サミットしましょう」
とお誘いすると、なんだか誘う方も誘われる方もうれしくなって、思わず「あなたのお蕎麦でお蕎麦だよね~」というでれっとした声をかけてもらったりするのも、両社の関係良好維持にかなり貢献する。わが家ではなんでも名前をつけて、他人様がきいたらわからないような言葉が暗号のごとく通用している。たとえば「カチカチ」。これはズボンに入れっぱなしになって洗濯機に入れ忘れたカチカチに固まったハンカチのこと。よく出し忘れるので、使ってそのまま放置してあるハンカチは「カチカチ、また出てきた」という具合に会話する。ちょっとしたことをネーミングすることで、怒りがおさまったり、わくわくするのがいいのではない?と、書きながら、こんなたわいもないことでもうきうきするのが幸せだ。
「旅人でいてほしい」、というリクエストに
2~3年ぶりに再会した高校の同級生。音大を出た彼女は、岐阜に帰らず東京で会社経営をし、また教育活動にも文化交流にも熱心だ。
17歳の時、二人で青春切符で高山まで旅したことが今でも、懐かしい。
会わなかった時間に起きたことをいろいろ報告し合う。お互い別の道を歩んで30年以上経っても女子高生のようにわいがやな感じで話す。
「これからの生き方を模索しているんだわ」、というと「まあ子(高校生時代の呼び名)は、旅人で生きて欲しいわ。私たちが行かないところへ行っていろんな人の暮らしを教えてよ。そこに音楽もあるというのがいいよね。」と、昔、毎週日曜の朝、テレビでやっていた兼高かおるさんの番組のような事だという。「そうね。やっぱりジプシーだよね。でも動き回るにはいろんなパワーがいるから、それも常に備えないとね」と答え、そうか~と自分の将来に想像を膨らませてみる。
たまに会う時しか話さない、とそんな関係ではあるがそれでいい。お互い会うときは夢多き乙女になれる。私の関心テーマにも共感してくれるのは、一緒にクラシック音楽を学びながらも違う道に行ったという共通点もあるせいだろう。彼女が豊島園で営むドイツカフェで瀬戸内のレモネードに癒されつつ、自分の夢をまた膨らませる。旅人として生きるか。せめて心の中はいつでもそうありたいと思ってはいるが・・。
時間割変更でご無沙汰解消
NYの仲間よりメールが舞い込む。「今回のキャンセルは正解です。ゆうべから降り積もった雪をやっと雪かきしたかと思ったら、次々と激しくまた降ってきて・・・ギフトショーに行く予定でDCから帰ってくる娘も中止しました・・」悪天候、便の欠航の可能性、この世界情勢とそんななかで不安定な体調・・・ということからどたキャンしたNY行。1週間不在の時間が戻ってきた感じで、急きょ、国内での予定を組みなおす。
普段であれば、国内外限らず、まず出張が優先になり、レギュラーで会う仕事関係の方が優先であるため、「時間が合ったら会いましょう」という約束になっている人々とはなかなか一度に会うことが難しい。が、今回はどこまで普段の不義理を解消できるかも含め、次々とご無沙汰している方にコンタクトし、どんどん予定を入れていく。もちろん急にはお会いできない人もいるが、OK即答の人も多く、あっという間に不在であったはずの1週間の予定が充実したものに変わる。さらに、いつも後回しにしていることもどんどんこなしていける。「この人に会う」という1枚のパズルがたくさんたまっていたが、それぞれのピースが自分の時間に組み込まれていく。
予想していなかった充実の1週間が進んでいく。冬はトラブルも多いけれど、その結果得られるラッキーもある。どんな事態も自分次第で楽しく過ごせるのがうれしい。
ご無沙汰だった方々と急遽連続面談でき、不義理も果たせてなんだかすっきりする。そしてもちろん行ってやるはずだった課題もできる限り片づけなければ。
時間割変更で、当初とは違う経験を積む。これもまたよし!ニューヨークの列車事故の報せに、上記のメールの知人はそこに乗っていないよな?・・・とふと気になりながら。。