観覧車関連のものがないかと、たまたま立ち寄ったパリの土産物店のスタッフは、日本人女性。声をかけられ、すぐに打ち解けた。
最近のパリツーリスト事情なども聞くと、やっぱり中国人観光客がすごいと、予想どおりの反応。「インパクトありますよね」その一言でとてもよくわかる。町中、どこへいってもそうなのだ。今回、パリがもっとも変わったと感じたのはこの現象のせいと確信する。
エッフェル塔のグッズはどこにいっても多種類見かけるが、観覧車のそれは少ない。パリの土産物業界では、パリイコール「グラン・ルー」ではないのだ。当店にもなかった。残念そうにしていたら、「観覧車が好きなんですね。乗りました?」ええ、ええ、好きどころではなく、乗ったどころではなく、毎日乗っていますよ。。と言いたかったが、なんせ初対面なので説明しすぎるのもよくない。
「何の仕事をされていますか?」と聞かれ、一言で言い尽くせないところが私の職業。「そうそう、ここの観覧車に乗って曲を創り、日本で歌ったりもしていますよ」と言うと、その方は(HARUMIさんという)「へえ、そうなんですか~。すごーい。夢のある仕事ですね。」と言ってくれた。夢のある仕事とは何か。人を元気にすることももちろん大切だが、夢があるというのもいい表現だ。
HARUMIさんが言ってくれた「夢のある仕事」について、それからずっと考えている。「いいなあ=」と人様に思っていただけたら、夢のある仕事なのだろうか。笑顔を増やす仕事だろうか?妄想している状態であろうか?・・・とにかく、いい年になってこんな言葉をいただくとうれしい半面、背筋も伸びる。
夢を与える、夢が膨らむ・・・そんな仕事をもちろんしたい。現実と夢の間にはもちろん距離はあるけれど、それを埋めていこうとすることが夢ある仕事なのかもしれない。
HARUMIさん、どうぞお元気で・・。初対面なのに、今度いつ来るの?と言われて、ちょっと不思議な寄り道時間を楽しんだ。
「夢のあるお仕事でいいですね」という激励
原点回帰から新機軸を見出す
と、タイトルはちょっと大げさになったが、ハッピーコミュニケーションマグネット「La Grande Roue」発想の生誕地はパリである。独立後16年間に何度かそのきっかけとなった、ConcordeにあるLa Grande Roueに数度再会した。季節限定というところもなかなかいい。偶然出会えたらこの上ない幸運!といつも思う。これを見ながら、「人生は観覧車のように」の曲も浮かんだ。そして、幸運にもわずか1日滞在のパリで、今回も再びわがルーツに出会うことができた。風雨に傘ごと飛ばされそうになりながら、しっかり歩み寄り、この観覧車を360度から観察し、目に焼き付ける。ふと35歳を前に、これに乗った自分を熱く思い出す。何を思ったのか。どう勇気付けられたのか。今一度、自問したく久しぶりにこれに乗りこむ。パリの景色を上から楽しみたいから…という人が多いだろうに、自問するためにこれにひとりで乗るとは、クレージーな感じではある。急ぎ早に乗りこみ、3回転している間に、景色だけはあの頃と変わらないパリの街を眼下に、これからの人生はどんな観覧車がいいのか?メンテナンスやリノベーションは必要ないか?などなど、普段思っていることをあれこれ思い浮かべながら、観覧車はゆっくり上に上がって、そしてゆっくり降りていく。社会全体がこんなに高齢化になっている現在、自分の行うべきことは?そしていずれ自分も高齢者になったときには、このコミュニケーションクリエイターという存在はどうなっていくことがより幸せなのか、などなど。
不穏、不安がはびこるこの社会の中に、一本軸を持ち続けなければ、生きることがむつかしい。うーむ、西側に来ると、ちょっと哲学的になってしまうが、その考えをベースにして、自分の活動の新機軸を創ることを決意する。
ペンと紙、ペンと神。
ちょっとすぐメモができるということは大切だ。メモとはメモる。メモリーに残す。そう記録しておかないと忘れてしまう。
自分の中から湧いてくる何かを表現したいとき、言葉や文字、音符が有効だ。とくに言葉と文字は万能なコミュニケーションの記号。
各種情報ツールがなくても、ペンと紙があれば電池がなくても、何はなくともとりあえず記録できるのだ。
記憶のために、記録のために、書く行為は必要だ。もっと昔は口述で記憶、記録していた時代があったと聞き、驚くが、これは自分以外の人間が必要だ。しかし書くことは自分ひとりで成り立つコミュニケーション行為。
いつでもペンと紙を持ち歩くことは、やはり心がけたい。もちろんそれをスマホで行うという方法もありだ。
が、ペンが紙に向き合う瞬間が、とてもいい。すらすらっと頭の中から湧いてくる泉のように文字や言葉が出てくると面白い。
もっと書けるようになるためには、もっとうまく残すには、日ごろから読むことに慣れている必要がある。
いずれにしても、ペンと紙。は自分の中の才能の神様が登場するかもしれない瞬間なのだ。
政治よりバロックが好き。
海外に行き、いろんな世代、職業の人たちとプチ交流するのはとても刺激的だ。信仰・宗教の類の話題については、とくに最近慎重でなければならないが、さほど突っ込みすぎず、相手が切り出してくる話題の流れから、学ぶことも多いし、出会ったことが偶然かもしれないが、ときに宝物を得たような気持ちになる言葉もある。もちろん、会話だけでなく行動を見ているだけで、その人がわかることもあり、自分に置き換えて教訓とすることも多い。
ドイツ人のタクシードライバーとの会話。今はどこへいっても危険だ・・という話から、ユーロ圏はこれからどうなるかという話、ドイツはスイスほど、物価も高くなく安定した国で、住みやすい方だ。パリなんかは物価が高すぎるので、今さら住もうという人には不可能なぐらい。そういう面でもフランクフルトはいい。それは政治がいいということかも?と思い、メルケル首相の評判は?と聞いてみると、「ああ、彼女は強い女性だ」といいつつ、そのドライバー、「私は政治には興味がないんだ」といい、「それよりも音楽、とくにバロックが好きなんだ」・・・へえ、政治と音楽が同じ土俵とはすごい、しかもそれがバロックという古典中の古典だ。
日本でももしかしたら、「政治より落語がいいね~」という人がいるかもしれない?のと同じノリ?。とにかく興味深い。「バロック」という言葉に興味を示すと、彼はたちまち人が変わったように、話し始めた。聞いていくとオーボエの音が好きなんだそうだ。そして独学でやろうとしたがうまくいかず習い始めたとか。そしてヴィバルディがいいと言う。すぐにあの四季のメロディーが浮かんだ。バロックの話をしているとき、その運転手はとても幸せそうで、楽しく話し続けた。なんでも楽器もバロック時代と、現代演奏されているクラッシックの楽器とは形も大きさも違うという点は興味深かった・・。車を降りるとき、すっかり友達になった。、とまたもやいつものパターン。人生のなかでは、よっぽど意識しないと再び会うということはない、そんな出会いもいっぱいあるが、すれ違う人に教えてもらえることはあまたあるのだ。バロックか~。いいな。さすがドイツだ。政治がどうであれ、世の中がどうであれ、深い精神性に満ちた世界を自分自身がもっていれば、それだけで幸せになれるのかもしれない。いいものは何百年経ってもいいのだ。さらにパリで出会ったドライバーからもクラシックの魅力について聞かされる。やはりバッハが大人気であることを知り、感動する。
古典的に生きることの意味を西側に来ると感じる。どんな仕事をしていても、内面がどうであるか・・で人生の意義は変わるのかもしれない。
その人の母に感謝し、妄想するひと時
久しぶりにボンを訪れる。ベートーベンが生まれた町だ。例によりベートーベンハウスに立ち寄り、わが人生の師に見えない教えをいただきたいとの目的は毎度のことだが、今回、ふとこの師の母親のことが気になった。ボン駅前にあったベートーベンゆかりの地の地図らしきものにベートーベンの母の墓のことが記載されていたからだ。
実は、最初にボンに来たとき、雨に降られ突然乗ったタクシーに連れていってもらったことがあったのに、すっかりしばらく忘れていたのを思い出したのだ。そうそう、シューマン夫妻と同じお墓だった。ドライバーは気を利かせて連れてきてくれたが、そのときはベートーベン自身のお墓でなかったせいか、あまり印象に残っていなかったのが正直なところ。
ところが今回はその地図をみたとたん、ベートーベンの「母」のことが急に気になってしまった。よし、会いにいこう。
またもや妄想が始まった。ボン駅から遠くないところにお墓があったのはうっすらと覚えていた。そして記憶どおりにその墓地に到着。西洋の墓地はどうもなんとも・・身がすくむが、今回も同じだ。その怖さを抑えて、その母の墓石を探し、さほど目立たないところではあったが、すぐに見つけることができた。そうか、なぜドライバーが前回連れてきてくれたか。こんな偉大な方を生んだ方なんだよ。母こそ、われらの誇りだよ!という意味だったのかもしれない。
今回、墓石の前に立ち、いろんなことを想像した。どんなお母さまだったのだろうか~。と・・。子供のころに読んだ伝記では厳格な音楽家の父の元、かなりスパルタ的な音楽教育を受け育ったようで、母親ことほあまり記述されていなかったが、少し調べてみると
このお母さまは40歳で(当時ベートーベンが16歳)なくなってしまったようで、息子の成功を知ることもない、はかない人生だったようであるが、ベートーベンは母に大切にされ、母親こそが自分の師であると言っていたという記述を知り、胸が熱くなった。
このお母さんがいたから、世界中の人が今なお感動してやまない名作が生まれたといっても過言ではないだろう。
日本でも偉人の母のお墓を案内している例は多くないと思うが、どんな人もその母により、父により存在していることを今回の妄想で再確認した。ところで、ベートーベンは母親のことを思って曲を作ったことがあるのかな?これはまだ調べていないが、そのことがわかる前に、代わりに書いてみるかな。またまた妄想。ベートーベンの母に贈る歌か。今年の自分の課題のひとつに早速入れてみる。
大好きな人の親に感謝するということは大切だ。このあと、再び生家を訪ね、生まれた部屋を見る。お母さんがベートーベンを生む場面が映画のように浮かんできた。
蔓延する緊張と曇天
冬ということもあるが、ドイツの空は曇りっぱなしで、今にも降りそう、でも降らないという不穏な空模様だ。やはり空と人の心は関係あり、空が青く晴れると人の心も晴れ、暗雲たちこめる空の下では不安な気持ちにもなる・・・不思議なものだ。
加えて、昨今の世界の緊張状態。日本にいればまだメディア上での話題であり、空港関連の場所以外でさほど多数の警官を見ることはないが、西側の空港、駅には警官も多く、地下鉄に乗っても、地下道を歩いても、これまで以上に緊張する自分がいて、また周囲の人々も同じような感覚ではないかと思える、そんな硬い表情である。警官ですら、道を尋ねると不審な奴ではないかと観察されてしまう。カフェに行っても、デパートに行っても、劇場、見本市会場に行っても・・・すべてに危険の可能性があるかもしれないと思うと、つい肩に力も入り、持ち物も用心しぎゅっと硬く持ち、道を尋ねられたときの応対にも・・これまで気にならなった些細なことにも身構える自分がいる。
どこにいても気を抜かない、抜けない・・・そんな毎日が続くと、人々はどこにも出かけず家にいるのが一番ということになるのでは?
データがないが、昨今のテロ事件の影響で人々の行動は変わっていないだろうか?定量的にはわからないが、私は人々の様子と流れる空気からその変化を感じている。
もちろん気を抜いて、へらへらしている平和ボケはよくないが、人が人を信用しない世の中、この緊張状態は決して良いことではないと思える。生きていく上で、緊張は時々するのがいい。ここぞというときに肩に力を入れるのも良い。適度なストレスは行動のエネルギーにもなるが、これがずっと続くと人々は疲弊し、コミュニケーションにも変化が起きてくる。そうでなくても、人々は下を向き、コミュニケーションをするようになっているというのに・・。
早く、人間社会に晴天の日が来てほしい。
8年前のこの日、同じ場所にいた
旅専用の雑記帳というか、日記帳というか「journal」という名がついた秘密の黒いノートがある。十年以上前に、NYの文具屋で入手したものだと覚えている。旅は心の非日常を描く上でも大切な時間とし、そのノートを持参し、出発し、自分との対話をそこに記す。だいたいはホテルであったり、カフェであったり、電車の中であったり、朝昼夜を問わず、まさに徒然なるままに、書き記していく。第三者の読者を想定していない。書いたものを脈絡なく読み返すのも旅時間の楽しみ、感動の復習というのもなかなか楽しかったりする。しかし、そのノートは義務ではなく自由に気ままに記されるjournalであり、1冊書き終えるにはかなりの時間を要する、さらにたまに他のノートに浮気したりして、まさに気ままに使っていて、中途半端ではある。この1冊を今回も持ち歩く。もう今回で書き終えるだろうと思いながら、過去に書いたページをペラペラ逆にめくってその時間に自分が書いていたことに向かうのも、また楽しい。ふと見ると8年前の記述がみつかる、同じ日時、なんと今自分がいる同じ場所~フランクフルト~にいることがわかり、びっくりする。住んでいるわけでもないのに、確率的にはかなり低いびっくりの偶然だ。8年前の自分が今自分がいる場所と同じ場所で書いた文章を読むのはなんとも面白い。時代も変わり、自分も50代に突入し、あれこれ小さな変化はもちろんあるが、共通して言えることは、やっぱり自分は旅をしながら自分について考え、いつも答えを出せずにいるのだ。明日への不安を持ちながらも、きょうの幸運を楽しみ、そして常に自分は何のためにいるのかと考えている。ゲーテやシラーの日記ならば、後世に残る貴重なメッセージ集であろうが、私の1冊は低俗で、人には見せられないが、自分で楽しむには最高の回顧録だ。しかし意図せずに、何年かぶりに同じ場所で自分をみつめることができるとは・・・。
気になるところへは必ず戻ってくる・・・そんな習性もあるのかもしれない。
ロマンチックだけに終わることなかれ。
情緒的な意味合いにおいて、ロマンチックという言葉はなんと魅力的であるかと思っており、人生を語る上で、また文芸や芸術の世界では、用いるのがふさわしいテーマであり、エクセレントワードでもある。
この「ロマンチック」の語源はローマ帝国時代にさかのぼるらしい。それが正式に滅亡してから考えても550年以上前のことであるから、語源はかなり古い。繁栄を誇っていた時代は、どこの民族、国家よりも自由に満ち、柔軟的で抒情的で新しさをもっていたらしきローマ社会。
しかし、そのローマ社会の本性は人間の欲望に素直であり、快楽的であり・・・その結果、内部から崩壊、没落していった・・。
「パンとサーカス」にあけくれ、賢明に働くとか。人として何をなすべきかと考えることもなく、放蕩な生き方をしたことがローマの没落につながったと、勤勉なゲルマン社会と対比しつづられている書物もあるが、すでに40年前に、そのローマ社会と現代の日本社会は似ているのではないか?ということに触れていた著作の存在を知り、愕然となった。パンとサーカス・・・。確かに現代の日本、そして欧米社会も中国も・・みんなそうなっているのではないか。パンとはグルメのこと、サーカスとは何か面白い見世物、イベント。
その欲望をあおるように情報が氾濫している・・。まさに現代のローマ、ここにあり??そんなことしていたら、滅びるよ。と、歴史が証明しているというのだ。
人はロマンチックすぎると退廃的になる。たしかにそうだ。それだけでは生き永らえることができない。
偶然にも、昨年秋からのわがライブツアーはそのテーマを「ロマンチック P」と命名しているが、
ローマ帝国と現代社会との共通点など考えることもなく、ただ人間、ただロマンチックだけを求めていては生きていけないな・・・と思い、そこにパワフル、パッショナート、ピース、パーソナル、ポジティブの意味も込め、生きる力としてのロマンチックを表現していたが、この命名の意図が間違っていなかったことに安堵を感じるとともに、この日本もこのままでは・・という危機感もより強く抱いてしまう。
言葉だけではなく、行動を起こす。何をすれば元気な社会になるのか。
目先の享楽だけでなく、根本的に己の生存意義を確認し、それに向かって行動すること。情報社会に踊らされることなく、生きなければ・・・。
「デミタス・デミタス・ルルルルル♪」な気分
ひみつのアッコちゃんは、私の幼少期にかなり影響を与えた。小学校1年のとき、あのコンパクトのおもちゃを買ってもらい、本当に鏡を見て呪文を唱えたら、変身できるのかなと信じ、何度も試していたころが懐かしい。
久しぶりにそのことを思い出したのは、ある美術館でのこと。
日本橋の私設美術館で開催中の「デミタスコレクション」を見学し、この「デミタス」という音が、そのアッコちゃんの呪文に似ているような気がしたのだ。
(意味的には、実際には関係ない)
この「デミタス」とは小さいカップという意味のフランス語で、エスプレッソやトルココーヒーを入れるのに使われてきた。コーヒーの歴史といえば、この小さなカップの歴史ともいえるかもしれないし、それは陶器の装飾の歴史かもしれない。
ちなみに、コーヒーは17世紀前半にトルコからヨーロッパに伝えられたとのこと。のち、世界に広まった。紅茶の歴史とどっちがどうかは、いずれも植民地支配の歴史とも関係ありそうだ・・。イギリス、フランス、ドイツをはじめとした欧州各国のデミタスカップのコレクションを見ながら、王妃になったような、モーツアルトを聴きながらカフェを飲んでいるような、そのコーヒーの香りを想像しながら・・。そして、いろんな懐かしめのメロディも浮かんできて・・。まさにタイムトリップしながら心の中で変身してしまった。
小さくて可憐で、小さいのに凛として・・デミタスカップはとても存在感たっぷりの貴婦人のような存在だ。
覚悟、ありますか?と自問する
ある企業さんに、「ここの店、参考になるので、訪ねてみたらどうですか?」と、同業の知り合いの会社に連絡し、視察訪問と面談など段取りする。訪ねていった企業の経営者は、その紹介先に行って、見て買って食べて、経営者の話も聴けて、本当に参考になったと感謝のメールが来る。そして「私に覚悟がまだ足りないということもわかりました」とも書いてあり、そのことが印象に残る。
そう、新事業をやるとき、どんなときもそうだ。ふわふわっとした気持ちで臨んではいけないのだ。ある意味、あの残念な結果になってしまったジャーナリストも、覚悟をもって行動した。そのことへの賛否はあるが、「覚悟」という点では同じだろう。ちゃんと使命感をもって仕事をしている人には、覚悟がなければならない。
企業さんから報告をいただき、わが身も同じことだと、背筋が伸びる。どんなときにも覚悟があれば、何があっても乗り切れる。
そのことを常に覚え、悟っていれば、怖いモノはない。
紹介し、喜んでいただいた報告から、自分自身が学びをいただけたことに感謝だ。
そう、覚悟をもって進みなさい!自分に言い聞かせ、西世界に向け出発する月曜の朝。