奇跡よ起きて!のクリスマス

先日のライブではお料理でお世話になり、その前から会社のことも応援させていただき、社員さんには勉強会にも参加いただき、いつもほほえましく、頼もしい会社だと大好きで・・・。ライブ中も上司・部下ともお楽しみいただき、それぞれから温かいお言葉をいただき、とくに上司からは、「前の会場で聴いたライブよりも、迫力があり、心に染み入るものがありました。部下が今尾マジックにかかったようで、モチベーションがよりアップして、頼もしい限りです・・」と書いてあった最後に「最初に流れた八海山のDVDも感動しました。私も山に登るので、あの山の美しさがわかります・・。」と書いてあったことが印象に残り、ああ、この方は登山がお好きなんだと新たな一面を知る。そしてそのあと、届いた手書きの1枚のハガキ。丁寧なお礼状であった。そして「これからも、この地域がお世話になります。ご指導よろしくお願いいたします」と結んであり、この方は自分の会社のことだけを言っておられるのではなく、地域全体の発展を願っておられるのだと頭が下がった。
そしてそのハガキはなぜか、捨てられないでずっと机の前においてあり、毎日その文字を眺めた。そして直近の休日の夕食では、その会社のおいしい海の幸を味わい、やっぱりここの商品はおいしいなとその方や部下の顔をまた浮かべていた・・。。
翌朝、関係者から連絡が入る。富士山から滑落、心肺停止の状態で発見された・・・と。そのメールの本文とご本人からいただいたハガキの文字が同時に目に入る。
うそでしょ。嘘だよね。確かに山が好きだと先日聞いたけど、あかんよ、死んだらあかんよ。あなたは生きていないといけない人なんだから・・。あかんよ、今日はお店も忙しいイブで、これからお客様が増える年末なのに・・・。突然の報せに動転しそうになる。
まだ詳細はわかっていないと聞く。
奇跡よおきてくれ。神様、助けてください。お願いします。
捨てないで置いていたハガキのその文字。これが最後のハガキにならないで~。
信じたくない。こんなクリスマスは、切なすぎる。

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「〇〇として」生きる

今年と来年は隣り合わせで、連続しているから、人間が暦を考えだしていなければ、新年という発想はない。が、実際には人間は暦に沿って、1年というサイクルを何十回も生きつづけていることになる。節目がなければ、人生はただむやみに長いだけで退屈なモノになってしまうのかもしれない。暦を考えだした人はグレゴリウスさんだったか大したものだと改めて思う。
そして、その年の瀬・・・まもなく新年を迎えるにあたり、どうせなら心身ともに新しく生きはじめたいと思う人は、来年の目標や計画を考え始めているはずだ。
私も今しばらくのばたばた時間が過ぎたあと、次への道を模索している。
そんななか、あるチェリストのインタビューを聞き、考えさせられた。
音楽を愛し、音楽と向かい合うことで、音楽家「としての」生き方がみつかる・・。
その一言は大変美しく、重い。
そう、私は何として生きるのだろう。何として生きればよいのだろう。
最終的には、「今尾昌子」として生きて、死ぬ。そのために、何かをやりながら生きていかねばならない・・・。今、自分にもっとも自然で適切でふさわしい私なりの「〇〇として」を考え続けている。答えはもうそろそろ見えてきているが・・。
新年という節目を生かすために、普段考えないことに頭を使ったり、心を動かすことは有効だ。

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「小少軽短美」でいこう

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企業文化を学ぶには、企業資料館を訪ねるのが良い。トヨタの資料館にも、足を運んだことがあるが、そのときは世界のTOYOTAをまるごと知ることができる有意義なミュージアムとして感動したが、それ以上に、今回訪問したSUZUKIの歴史観!には脱帽。徹底したマーケティング志向にもとづくモノづくりのあるべき姿を垣間見ることができた。
またあの85歳のお元気な経営者の背景、ルーツを知ることができ、このSUZUKIを急に好きになった。しかもあの修社長は岐阜出身でスズキ家にとっては婿さんなのだ!またまた親近感を抱く。
軽自動車は、新潟へ行くとよく見かけ、女性ドライバーの増加とともに普及してきたのだとは思っていたが、車といえば最高のぜいたく品という見方もある一方で、この軽自動車のポジショニングは対極にある。暮らしとともに、そして働く車。これが軽自動車の役割。
とにかく無駄を徹底的に省き、極限までいいモノづくりを目指す。これは全社一丸でなければできない難関だ。展示ショールームで面白い言葉をみつけた。SUZUKIのモノづくりのこだわりを表わすキーワード。
「小少軽短美」。一目でこの言葉が気に入る。
あ、私もこういう人でありたい。こういう存在になりたい。と、思わず自分とSUZUKIの車を同一視してしまった。小さくてもパワーがある。無駄がない。
ああ、いい。今年の言葉が「安」と言われているようであるが、私にとっては、はるかにこちらの方がピンとくる。よし、来年は、すべてにおいてこの5文字を実践すべく、努力していこう。

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ふるさとで知る「ドーナツの穴現象」

岐阜の町を半日歩き続ける。生まれ育ち18歳で出たわがふるさと。町の変化を現時点でとらえなおし、東京と比べて、他の地方都市と比べてあれこれ比較。長良川の向かい側から、長良橋を渡り、岐阜公園から柳ケ瀬~岐阜駅まで・・てくてく、ぶらぶら歩きながら町と人の様子を観察する。
故郷といっても、自分がかつて知っていた場所は限定的であり、こんなところもあったのか、ここは意外と面白い・・。また最近はどこでも田舎暮らしを推奨し、自治体でのサポートもさかんであるが、その支援も活用し、若者らが新たな目線で柳ケ背に人が集まる工夫をしている。40年前の賑わいはないけれど、それでもマルシェやゆるキャライベントやら、小さなイベントで町に人が行きかう姿を見て、なんとなく安堵する。地方にできた大型ショッピングモールに人々が流出し、町中から人がいなくなった・・・と言われてきているが、地方のSCもどこもここも同じになってきて、人々は飽きてきているのではとも想像する。
また町中に、元気な高齢者が集まる場も増えている。路地を歩くと、ああ昔の店がこんな風になっているんだ。若い人が昔ながらのものをリメイクしてこうしているんだ・・など新たな視点での回帰現象も発見して、楽しかったりする。岐阜はもうだめかなと思っていたころもあったが、各地を巡ったあと改めて見てみると、まだまだ可能性があるな~とうれしくなる。
子供のころ歩いたことがなかった、大人の町としてのふるさとをてくてく、歩いてみる。そうすることでいろんなアイデアや発想が沸いてくる。東京で歩きなれているせいか、岐阜の町を歩いても疲れることはない。市場調査は歩くに限る。そう、ドーナツ現象はそろそろ終わり。ドーナツの穴にチャンスがある!と感じることができ、期待と希望が膨らんだ。

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「いい人」は難しい。

「あの人はいい人だね~」というのは褒め言葉ではないと思う人も多いようだ。
魅力がないとか、どうでもいいとか、とくに取り立てて言うところがないから「いい人」と言うのだろうという感じで・・。
私はそうではないと思って使う。「〇〇さんってほんとうに『いい人』ですよね。」と言うときは、具体的に○○な人と言うだけではない、何か言葉にならない素敵なところがあるときだ。
総合力というか、バランスがとれているというか、やさしくて大人で常識もあって・・などなど
それらを合わせて「いい人」なのだ。
自分のことばかり考え、俺が俺が・・という人は決してそうではない。
今回もある方に、「〇〇さんってほんとう~~に、いい方ですよね」と自然に言ったら、素直に解釈されなかったので、上記のような説明をしたが、それでもすべてを実は言い得ていなかったが、意図を理解していただいたようだった。
今書いていて気付いた、私が言う「いい人」とは、いい空気を醸し出す人だ。
そういう人とは、いい時間を共有でき、いい関係も紡ぐことができる。
また、そんな「いい人」に出会いたい。

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地方紙のフットワークと地域愛

2015.12.16東海新報 CD売上金を寄託|東京都 今尾さん2015.12.17東海新報 力強い歌声届ける|今尾さん
小さな活動にも目を向け、耳を貸し、筆を摂り、住民に伝える。今回、ほんのささいな自分の想いだけで大船渡に出向いたことがなんと二度も新聞掲載となり、地域FMにも取り上げてもらい、曲まで流していただいた。被災地である当地は、その惨くつらい経験を経て、より一層、地域が一体化され、そこに住む人たちが思いやりをもって、助け合って生きているように感じる。そして、そこで活動を続ける地元メディアは震災があったからこそ出会ったという皮肉さもあるが、地方紙のありようというものを私に教えてくれている。
そこに暮らす人、働く人、訪ねる人のことを知り、これは!と思うとすぐ取材、あるいは地域の方もこれは!と思うとすぐ「10分五にコンサートがはじまるので取材に来られる?来てね」という感じで、人々とメディアがとても近いことに感動を覚える。
地方紙の経営は厳しいとも聞く。でも中小企業や地方の人々と出会うにつれ、地方紙の存在について考えさせられ、また応援したい気持ちが募るのだ。大手ではなく、全国紙ではなく、ターゲットもミッションもより具体的であり、そこに働く人たちが愛と責任をもって働く地域のメディア。自分自身がコミュニティFMにかかわっていることもあってか、ますます地域をつなぎ、地域を発信するメディアの役割の一端を自分も担いたいと思う。
それにしても、どんなことも少額の寄付金。金額が大きく掲載されたことは、とても恥ずかしかった。でも、きっと金額の大小ではないのだ。行動・行為がニュースの素なのだ・・・と思うことにしよう。

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まだまだ続く、「今年のうちに会っておこう!」

岩手、青森を巡り、そして地元にいるときも・・。都内のほど近いところでお店をされているのに、今だ訪ねたこともなく、ゆっくりお話しをしたこともない、ライブにお出かけいただいているお客様に会いに行くことにする。「よし、今日行くぞ~」と意気込んでいく。
東京は面白い。20年以上住んでいても、まだ未開の地が無数にある。
東長崎という駅に降り立つ。東京に長崎があるんだ!という感覚。しかも長崎十字会という商店街。
本当にわが愛する西の長崎と関係があるに違いない・・。胸わくわくしながら、そのお客様のお店を初めて訪ねる。アンティークショップなるものを営んでおられる方。
ライブに来られるお客様で、口コミでおいでいただいた方とは、ライブでしかお会いせず、あとはお礼状やメールだけ・・・がほとんどであるが、印象に残る方には会っておきたい。どんな人がどんな風にみて、聴いてくださっているかもヒアリングしておきたく、またどんな方たちが、自分の世界に興味をもってくださるのかもしておきたいのだ。そして、単なる好奇心というのももちろんある。
ライブでお会いするお客様が、今度は店主となって迎えてくださる。その人の城に行けば、その人のまた違う表情や言葉に出会う。「立って歌って、かっこいいよね~」とそんなところから始まる会話。最初はおつきあい。2回目は行きたいと思って、そして「次、来年もやる?絶対行くからね」
とそんなうれしいお言葉をいただく。しっかりわがCDをお店の外に向けて流してくださる。
「ノスタルジック・ルージュ」や、「夜のグラン・ルー」のメロディがアンティークショップから流れているのはお似合いだ。気が付けば2時間ほど。お話しをし、CDとアンティークのカップ&ソーサーを物々交換して、お互いに感謝する。
ああ、わざわざ出かけてきて良かった。こうして残った時間にこうして人に会いにいくのは、今年の良き思い出をまたひとつ増やしたいという願望なのかもしれない。
応援してくださっている方たちに会いに行く。やっぱり年の瀬だ。また東京の長崎に出向くとしよう。

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愛は法を超えられないか?

夫婦同姓が合憲だということになり、また波紋を呼びそうだ。実際のところ、これが違憲となるとはちょっと思っていなかった。
この夫婦別姓についての主張をしてきているのは、おそらくほとんどが女性だろう。男性でそれに賛同する人は女性からみればよっぽどの理解者だ。多くの男性からすればどうでもいいことというか、そういうもんだろう世の中は!という感じかもしれない。
またこれは、社会の一員としてがんばろう!と思ってきた女性にしか理解できない感覚なのかもしれない。かなり社会参加について前向き、積極的な生き方、また自分の人生について自立的に向き合っている人だと思う。
今回の結果をメディアで知ったとき、何かしらこらえきれない感情があり、それを内側で押しつぶした。
何かわからないが、今回なんとかしたいと立ち上がった人たちに対しての同情の気持ちと、自分の中で何十年も闘っている気持ちが混ざり合ったような、悔しいようななんとも言えない気持ち。
今回のことが合憲だとなったからといって、では自分は即結婚という方法をとったか?これについても複雑だ。検討はするかもしれないが、そう簡単に人生の生き方を変えたりはしない。
今回の結果を知り、男性には理解できない、男社会の家族の価値観を当たり前に持って生きてきている人には別姓なんて不必要なこと・・なのだと改めて思う・・そのことが悔しかった。
生まれてからずっと日本はしょせん島国、男尊女卑が根底にある遅れた閉じた社会だ。
女性の社会進出といいながら、何なんだろう。
女性が輝く社会とかちゃんちゃらおかしい。やっぱりそのままだ。
いずれにしても合憲とか違憲とかの議論に負けず、自分は自分の生き方をまっとうするだけだ。
まだまだ勝負は続きそうだ。
その立場になる、そのことを意識しないと、理解できない。そんなもんだ。
引かれたレールに乗るか、レールを引くか、そのレールではない違う道で生きるか。
最初の方法以外は、なかなか難しく、生きるのには厳しい選択だ。
家族の一体感が苗字で支えられる?おかしいな。なんだそれ?遅れた日本。
家族って何ですか?どこから見た単位ですか?
女性をわからない奴らに、女性が輝くとかへらへら言ってほしくはない。
愛は、憲法を超える。これを目指して、さあどこまでいけるか?
何でもわからない人たちが決めていく。国も家族も何の単位なんだ?
と、この件だけは!と怒りが込み上げる。

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先端への憧れと寂寥と

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青森。2~3年前までに仕事で何度か県内各地を巡り、今回久しぶりに寄ることにする。以前宿泊した駅前の老舗ホテルが廃屋になっていたのは大変残念であったが、駅前商店街の衰退、観光客の減少などからすると予想できたことでもあり、それが現実になっており、寂しい感じがする。
真ん中と先端・・・。岐阜生まれ、海なし県に育った私にとって、先端、端っこで周囲が海というロケーションはロマンの象徴でもある。昔は青函連絡船でみな、本州と北海道を行き来したのだ。
先端は出発であり、ゴールでもある。太宰治もこの本州の最北端に立ったことがあるそうな。

青森は、私にとっては甘酸っぱい青春の町のひとつでもある。そう、まるでりんごのような・・。そんな味の町だ。約30年ほど前青春18切符で乗り継いでやってきた記憶がある。ねぶたのはじまる少し前。夏の賑わいがこれから始まるという青森は、祭りを待つドキドキ感があった。それに比して冬にここを尋ねると次は厳しい冬に備える静かな覚悟のような張りつめた空気をも感じる。

最先端というのは、いかにもロマンチックで、出会いと別れ、解放感と寂寥感の両方を感じるものだ。
でも、本州最北端は、先に北海道があるので、先が見える安心感がある。
北海道に向かう海を見ながら、今年の自分の軌跡を見つめなおす。

地図どおりになっているな~と地形をそこに立ち、リアルに見ることはとても楽しい。そして、ずっと歩いて地形をみて地図を作った人は本当に偉大だと感心もする。
まもなく、ここに新幹線が開通するとのこと。
地下トンネルを高速で走っていくと見えない、先端の感覚。
この景色を目に焼き付けておこう。時々先端に立つ。自分が大地に立っていることを実感する瞬間でもあるから。

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「今年のうちに、行かなくっちゃ」

1年半ぶりに大船渡をたずねる。マイオリジナルソング「かもめりぃ」のふるさとだ。この曲がアルバムに入ったこと、そのアルバムができたので、地元でお世話になった方に報告したいとの思いでの訪問。
来年になっては意味がない、今年できたことは、今年のうちに報告し、感謝し、そして次につなげる。形になったら行こう、行かなくちゃ!とずっと思っていた。そのことがやっと実現した。
いつも大船渡に行くたびに、何から何からお世話になる方がいる。ありがたい。車に乗せていただき、市内の目的地に出向く。
地元新聞社をたずね、そちらの記者やコミュニティFM局のスタッフにもお会いし、いつの間にか取材モードになる。
そのあと、2年ぶりに大船渡の町の変化を見に行く。まだ仮設住宅が多数あり、流された住宅の跡地が広大な空き地となって残っており、いたるところで工事が進んでいる。改めて、被害を受けた、免れたの境界線はまさしく紙一重であることを知り、それがそれぞれの人生の分かれ目になっていることを知り、心が痛む。まだ復興半ば・・そのことを改めて感じながら、1年ぶりに目的の老人施設をたずねる。ここでのライブがきっかけで生まれた曲が入ったCDを届け、報告、表敬訪問のつもり・・が、中に入ったとたん、コンサートの会場にしつらえてあることを知る。入居者の方たちが椅子に、車椅子にのり、大勢が私の登場を待っていた。あれ?今日はライブに来たのだった??
思わず今日の訪問目的を確認してしまう。そう、どうせ来たならば演奏した方がいい・・・とは思っていた。だから、違和感なくにわかに演奏を始める。1年と4か月ぶりの大船渡でのミニライブ。お年寄りたちが手をたたき、喜び、泣き、ある人は音楽の効果か、どなたが大きい声で眠いと言い始める。(笑)そうそう、これでいい。
クリスマスソングからシャンソンそしてオリジナル・・・最後は完成した「かもめりぃ」で締める。わずか15分のミニライブの完成だ。多くのあたたかい拍手をいただき、急いで帰路につく。
今年のうちにいかなくちゃいけない、しなければいけないこと。その仕上げに入っている。
大船渡にきて、自分なりの課題をひとつこなした。よし、明日は次の「今年のうちに・・・」にとりかかるとしよう。

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