キューバに誘(いざな)う、元気女子

カメラ女子といっても、素人ではなく、プロとして活躍する女性フォトグラファーと会い、4時間余り話し続ける。35歳だという。自分が独立した年でもあり、こんな時代もあったと懐かしく思い、
またかなりの年齢差にも関わらず、ほとんど違和感なく人生の、仕事の価値について語れることに快感も覚える。
なかなか行動的で、プラス発想のこの彼女は、バックパッカー的暮らしもお好きなよう。英語コミュニケーションも好きで、でも結局写真に魅せられ、会社勤めをしながら、カメラマンとしての修業も積んできたという、なかなかの経験派だ。
生きる道筋が、まっすぐ系統立っていないところ、思い立ったらすぐ行動するところ、一人でもどこにも行ってしまう・・などなど、かなり共通点が多く、笑いも豪快だ。
作品と商品の両方を作っている仕事という点でも、その違いや仕事の価値の伝え方の難しさという点でもよく理解でき、見えない仕事というのは生きづらいものだと思う反面、自分を表現する術がある、作品が創れるという点は恵まれている・・そんな点もお互いに理解しあえた。
要するに、私もであるが、その彼女もかなり好きなことをやり、楽しく生きている感じだ。
最近の旅の話をする。南米にユーラシア大陸を越えて行ってみるという計画について話すと、彼女はつい最近、キューバに行ってきたばかりだという。
飛行機を乗り継ぎ乗継ぎ、ホテルもほとんど民泊利用とチャレンジャーだ。そして3週間過ごし、戻った今も余韻さめやらぬ・・・そして私にも、ぜひキューバに行ってほしい!とすすめてくれる。
社会主義の中の不便な暮らし、これからアメリカとの交流が盛んになることで、急速な経済変化も予想されるが、今のうちにぜひ、ハバナを訪ねるべきだ!と。
もちろん興味はもともとある国であり、いつかという思いはあるが、彼女がカメラ越しにみたその楽園はどんなだろうと想像も膨らむ。
元気な女子はどこまでも。そこは35歳にも負けへんで~。彼女も最後に「今尾さんに負けないようがんばります!」と言ってくれた。
素朴な生き方、純粋な生き方は挑戦を重ねることで磨かれていくのかも。

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愛の元気人2月放送分は、本日オンエアです。

ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」今月の放送は2月27日土曜18時~19時です。
今回のゲストは、燕市で障がい者雇用促進活動に取り組む、アビリティ燕の近藤麻理子さん、
来週3月5~8日に新潟市メディアシップで開催される、フラワーウェーブ2016事務局で、新潟市内で園芸店フレンズを経営されている、石川昇さんです。
どうぞ、お聴きください。新潟市外・県外・海外の方は、FM KENTOのサイトからネットで
そしてスマホ専用アプリでお楽しみいただけます。
FM KENTO

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ネット社会と住宅街での街頭演説

政治活動とは、表裏いろいろありそうであるが、なぜか街頭演説という方法は今も健在のようで・・。もちろん新宿駅だ、〇〇広場だという公的な場所であれば仕方ないが、住宅街の小さな地下鉄の駅の前でやられるとたまったものではない。
しかも通勤時間でもなく、普通に生活し、仕事をしている時間だ。
襷さえかけていれば大声出してもよいのかと思うほどに、大迷惑。警察に通報しようかとも思ってしまうぐらいだが、政治活動をされる賢明な皆さんは、一応警察の許可ぐらいは得てやっているのだろう。
物言わぬネット社会。いや、スマホとスマホの間に飛び交う見えない言葉で社会は音なしの騒音・暴力社会になっているのかもしれない。
そして、ネット社会なんだからネットで好き放題自分の考えや意見をご披露すればよいのに、いきなり大きな声でまくししたてる政治家・そのたまご。
住民の騒音迷惑を考えることもなく、日本と言う国を良くしたい~と何百回叫んでくれても、うるさい!黙れ!と思うのが先だ。
聞きたいと思ってもらえる環境でこそ、そういう環境を創った上で、自らのメッセージを発信すればよいのに。
一見ネット社会と無防備・自分勝手な街頭演説はまったく違うようであるが、よく似ていると感じた。人のことより、自分のことを大切にする人が増えている・・・という残念なことを露呈しているという点において・・。
伝えることは、本当に難しい。

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祈りのための天職に生きる、情熱青年へのエール

新潟には多くの弟たちがいる。自分ではその一人一人に対し、そんなつもりで接している。
出会いは、学びの場。どうしたら自分の仕事がうまく伝わるかという命題についての問いかけをいただいてからのおつきあい。
そこから人生そのものについての考え方を交流したり、そんなところにもおせっかいしたり、心配したり、応援したり・・。
実にさまざまな職業の弟たちがいる。
そのなかのひとり。彼との出会いは、仏壇磨きという仕事を地域に知らしめたいと訪ねてきたことがきっかけ。その後しばらくご無沙汰していたが、久しぶりにまた再会。今度は現代社会のライフスタイルに合わせた国産仏壇のお店を立ち上げたということで連絡をいただき、マスメディアへの取り上げも含め、発信の応援をさせてもらった。
そして、やっと気になるそのお店を直接訪ねることができた。もともとは金仏壇の製造を修行しながら習得し、のち唐木仏壇のことも勉強、そして今浸透しつつある現代仏壇も取り扱うようになった。販売するだけではなく、ご要望にあわせて創ることができるというのがすごい。仏壇とはいろんな職人たちの技の結集であり、それを形にしていく仕事とは素晴らしい!
仏間クリエイター?という表現もしているようであるが、仏壇や仏間をクリエイトすること自体を優先するのではなく、一番大切なのは毎日、仏さまに手を合わせることだと教えてくれる。
どんな時代になっても、毎日手を合わせる、そして心を落ち着かせ、自らを静かにみつめ、1日を過ごす。そんな生き方を伝えたいのだという。仏壇に対する知識人であり、実際に仏壇を創ってきた職人であり、そして仏壇のお洗濯、クリーニングという長く大切に使うためのサービスも手掛けている、まさに仏壇の総合クリエイターだ。
彼のお店に展示してある仏壇たちは、いわゆる伝統的な金仏壇的なものではなく、現在の住空間に自然になじみそうな仏壇がほとんどである。しかも国内の職人たちの技が生かされ、緻密であり、安心の仏壇。
いろいろ質問をすると熱く語ってくれる。そして過去自分がつくった仏壇の装飾を見てほしいと、写真を見せてくれたり・・・。
祈りを大切に・・・。そのためのツールとしての仏壇。時代の変化とともに変わるもの、変わらないものがあるということを改めて感じながら営業時間をとっくに過ぎても話は続く。
その道に飛び込む。と、そんな熱い生き方をする青年を尊敬する。私ももっと飛び込まなくちゃと思えてくる。
彼の善意に満ちた素晴らしい仕事により、祈り、感謝を忘れることなく元気に生きる人が増えることを心から願っている。
店名は「仏乃蔵」。見た目はカフェギャラリーなのに、仏壇専門店。いろいろわいてくるアイデア・・・またおせっかいをしそうだ。

熊倉さん

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待合時間の至福的活用。

八海山
新潟県には、10年以上、最近はほぼ毎週通っている。春夏秋冬、上越新幹線の車窓が豊かに変化していくのを眺めながら、いろんな企業さん、事業者さん、その家族、お店・・・などなどその駅の周辺の方たちのことを思い浮かべるのが習慣のひとつ。
新潟は車社会で、実際に暮らすとなると、新潟市の中央区の一部に住む以外、車は不可欠だ。私のように公共交通機関大好き人間にとっては、乗り継ぎがなかなかむつかしい鉄道区。電車の本数が少なかったり、乗り継ぎが悪かったり、天候によっては運休もしばしば・・・。そんな鉄道環境であるが、できる限り自力で電車で移動することを出張の楽しみにもしている。
歩きで見えること、電車で見えること。高速道路はもちろんありがたい存在であるが、やっぱり電車は面白いのだ。
今回、浦佐駅で在来線の乗り継ぎに、1時間以上時間があった。駅にもなにもない。寒い。そういえば・・・近くに自分がかかわったDVDを販売している美術館があったような・・・。ということで、思い立って出かけた、池田記念美術館。なんでもスポーツ専門出版社を創設した方が創られた私設ミュージアムのようだ。駅からタクシーに乗る。乗ればすぐ。雪が今年は少ないな~。運転手とわずかの会話を楽しみながら、現地に到着。復路も予約し、40分の視察とする。そこでみつけた感動の風景。
八海山がこんなに美しく、静かに拝めるロケーションであった。例年であれば、もっと雪があってもっと銀世界なのだろう。
この風景は、自分のピアノ音をお使いいただいた八海山のDVDで見ていたから、少し懐かしくもある。これが本当に八海山。
この自然の巨大アートを目の当たりに、心が落ち着き、また浄化される。
わずかの時間ではあったが、いい乗り継ぎ時間であった。
不便なところには、お宝がある。便利や効率ばかりではなく、小さな宝物発見を求めるのは最高の幸せだ。
おかげで、午後からの仕事も心豊かに、元気いっぱい取り掛かることができた。
不便はいいよ。新潟は多くの学びを私に与え続けてくる。それにしても、雪が少なすぎるのが・・・気になるまだ2月。

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心の師匠の存在。

ある落語家が、落語含めた演芸の業界の子弟制度について話をされていた。プロの落語家になるには、必ず師匠の下に弟子入りをして、芸事のみならず、その師匠の生き方も同時に学び、そしていつしか自立する・・。昔から、上司と部下という関係よりも、先生と生徒というよりも、師匠と弟子という関係には惹かれるところがあった。先日の本ブログでは、習い事はどうも苦手とか書いているが、この弟子入りというのは、習い事の域を超えた、もっと人生を賭けた入門!であり、覚悟のいる決断であるからまったく違うものだ。
師匠がいると目標ができる。ただ、職業によっては生き方によっては、この落語界のようなわけにいかない場合もある。簡単に弟子入りができるものではない。
たとえば私自身の場合も、この人みたいになりたい・・と思うお手本的存在は、複数のジャンルにまたがるため、またもう亡くなられた方だったりすると、実際に弟子入りができるわけもない。
そこで、冒頭に書いた落語家の方の提案が気に入った。「心の師匠」をもつという試み。
勝手にこの人が師匠だと思い込み、その人の行動、考えを一方的に学び、また自分の中で、師匠と対話すればよいのだ。師匠はこのときどう言われるだろうか?・・・という具合に。そう思い込むだけでも、かなり背筋も伸び、成長できるのでは?
実際に誰かに教えていただかなくても、本もあれば、いろんな教材がある。それで十分、心の弟子入りができる。マザーテレサのような存在になりたい。この現世まみれの私が言うとおかしいが、実際にそんな風に思う。歌ならばピアフか、作曲ならば・・・。とにかくいろんな心の師匠の存在は大きい。
心にいろんなお手本を思い描きながら、自分を高めていけるのは幸せなこと。
落ち込みそうなときに、心の師匠が励ましてくれることもはずだ。

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顔注意報。

顔という存在は人と人を識別する際、もっとも重要なファクターだ。生まれながらのものであり、時々整形などをする人もいるようであるが、それだけ重要だからそういった需要があるのだろう。
顔は常に見られる。鏡を見る以外、写真で写った自分を見る以外、自分の顔を見ることはないが、自分以外の人々に、常に顔をさらして生きている・・。
最近、アメリカの大統領選挙で熱く演説している候補者たちの顔をネットでも、テレビでもよく見る。それと同時に日本の国会や記者会見などの様子も少しだけ見る。(長く見るには耐えられないため)
そこで思うのは、自信があると顔付きが変わってくるということ。苦難、苦渋の状況、自分でもどうしたいかが明快でないようなときの顔は正直、見ていてすぐわかるほどに貧しい顔付きになる。
今、勝利に向けてガンガンいっているトランプ氏やクリントン女史。どちらもいい顔付きをしている。こと、クリントンは長くみられる仕事をしてきたせいか、かなりこの点からもセルフトレーニングもしていると推察する。またエステ代もかかるだろう、洋服代も、美容院にかける費用も・・。
それも含め、見た目が評価される。豪華さとか、そういうことではなく、いい顔に見えることが大切。話しぶりももちろん重要であるが、顔付きで、その人の勝利を予想するのも面白い。
日本の政治にはそのような関心はなかなか・・・。突然 びっくりするような言葉、似合わない言葉を連発されると、顔も見たくなくなるからかもしれないが・・。とにかく、「顔」は見られるもの。注意して見られよう!

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習うか、独学か。どちらも自分次第。

ある方と約1年ぶりの蕎麦屋での再会。会う時間の名称は「あなたのそばDEサミット」略称 蕎麦サミットである。蕎麦屋で乾杯し、肴をつまみながら、ゆっくり語り、最後は蕎麦で〆。という時間が実は居酒屋や洋風の飲食店で過ごすよりも知的な感じもして、気に入っている。
今回のサミットのお相手は、コンサル会社の社長さん。組織で働く人材を育成されている、熱血漢だ。前は郷ひろみを自主的なライバルに想定されていたと聞いていたが、きっと今は違うだろう。
でも、郷ひろみのようにストイックに努力し続けているところは、今も尚、ビジネス界のHIROMI GOかもしれない。
その方は、ビジネス以外に落語も、ライブも・・。最近は和文化に傾注されているようでもある。
以前は英会話も習っていた、ジムにも通って・・・などなどとにかく、いろんな習い事をされ、研鑽を積まれている。SNSというSNSはすべてトライ。常に人からどう見られているかが重要なんだそう・・・。自分の生き方と共通点もあり、まったく正反対なところもあり、だから貴重な存在だ。
その方は何か新しいことを始めたいとき、「やり方」がわからないから「習う」のだそうだ。偉いなと思う。私は子供の頃に音楽の習い事で疲れたのかどうかわからないが、大人になってからは習いに行くことが少なくなったし、習い続けることが苦痛であったりする一面もある。
とはいえ、アナウンサーの学校へしばし行ったり・・そして最近も、新たな習い!に挑戦しようかなと思い始めている。そう、目的が明確であり、その道筋がわからない場合、本などにも書いてないこと、聞いた方がもっとわかること、教えてもらう方が身に付くことは習うのが良い。
習いは倣い、そこから自分流をみつけるための習い事は早道だ。
そのビジネス界のHIROMI GOさんは58歳になり、落語もビジネスもさらに加速、充実の道を目指されるだろう。
「学び」はいくつになっても、大切だ。「学び」とはその気になれば、年齢に関係なく自分を成長させてくれる、人間に与えられたありがたい力。そして「学び」とはもっと知に貪欲になるということだ。

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メッセージある人生は美しく、カッコいい。

ある福祉施設の主催でコンサートをさせてもらったときのこと。障がい者の方が、感想で「今尾さんの歌は、よかったです。とくに『とんぼ』はよかったです。」といったようなことが、そこのブログか冊子に掲載されており、おかしいな、長渕氏の曲は歌っていないけど??と思わず笑ってしまったことがある、きっと私の演奏を聴いて、何か昔の感動を思い出されたのだろう。と、それ以来、勝手にその長渕さんのことを勝手に親しみをもっていたが、その後、一度、飛行機で隣の席になったことがあり・・・ちょっとドキドキしたこと、思わず本人確認をしてしまったことなど・・・思い出すと恥ずかしい懐かしきミニメモリー。そんな彼の最近のインタビューを見聞きし、実は彼の話らしい話は初めて聞いたのだが、いたく感動。そしてなんと、いい生きざまをしているオニイチャンなのだろうかと思った。作曲についての思いも共感できるし、また半端ではないナニクソ根性も理解できる。もちろんこの方のご苦労、紆余曲折と比すれば、私なんか何もやっていないに等しいのであるが、それでも何か同じベクトル向いて生きている人が、こういう業界にもいるのだな~ということを感じた。
生きている以上、メッセージを残したい・・。作品にせよ、ライブにせよ、そのテレビのインタビューにせよ・・・。そして今は10代に自らの生きざまをその人らしく伝え続けている。
最近、薄っぺらいだ、ちゃらいだとかそんな言葉にうんざりしていたため、余計に、お、久々に骨太やね、ホンモノだと思った次第。
やっぱり、メッセージだ。何を遺すかなのだ。今、自分が模索していることについて、ひとつヒントを得た感じがした。
自分の生きてきたすべてが、1曲だったり、1枚だったり・・・いろんな形に表現できる・・そして伝えられるというのは本当に幸せなことだ。
彼の表現、メッセージに触れ、やっぱり自分もやるしかない。と背筋が伸びた。
ザビエルから、長渕、また・・・いろいろ、世の中にはいい男がいるもんだ。
なりふり構わず、全力疾走する人はカッコいい。それから・・表情豊かな人は、幸せだ。
心豊かに、希望をもって自らが生き、それを周囲にも伝播できる。やっぱりそんな生き方がいい。

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笑いの「ただいま戦争中」中継。

いつ別れが来るかわからない人生。だから、できるときにやれることを即実行。
親孝行も然り。何をやっても、親が生み、育ててくれたということに完全に報いることはできない。
まだまだお返ししきれていない・・と思うばかりだ。
最近は、苦労なくぼけることなく、楽しく元気に長生きしてくれたらと思うのみ。
その苦労を取り去るのも、子供の仕事かと思うようになった。
おかげさまで、わが両親は世の中の同世代の夫婦の皆さんと比しても、おそらく元気いっぱいな方だろう。その元気さゆえ、夫婦喧嘩も半端ない、容赦ない、言葉の体当たり。
その現場にたまたま出くわしてしまうときは悲惨だ。内容はたわいもないこと。であるが、言葉尻をいちいち喧嘩のネタにしているのだ。とても他人様には見せられない、デスマッチ!まさに対決だ。
最初はこちらも仲裁役に入るのであるが、今度は私の言葉尻に「おまえもやなー、だいたい・・・」
と過去のちょっとしたことを思い出してか父が私に向かってくる。
とにかく、すごい様だ。窓が空いていれば通行人の方がびっくりして、警察に通報するのではないかと思う勢いだ。私はふと、意味もない、こんな喧嘩にパワーを割いている両親の対決の様子を見て、ふと涙がこぼれた。あほらしい、ばかばかしい、情けない。なんなんだ、この動物的な夫婦は。こんなのが自分の親かと・・。
すると、今度母が、「ほれみろ、娘が泣いとるやいか、おまえのせいで。」と父に食らいつく。
いや、私が泣いているのは父のことではなく、この両親の無駄なパワー全開の喧嘩が情けないからなのに・・、いつしか違うネタに飛び火している。
そして、かなり言い合ったあと、言うこともなくなってきたようなので、「もう、出かけるよ」と言葉をかけ、喧嘩は終わった。
無駄な時間、でもこれが夫婦のコミュニケーションか。リクレーションタイムか?
その後、何もなかったように三人で喫茶店でコーヒーを飲む。
岐阜では喫茶店という存在は、大変重要だ。家族コミュニケーションの潤滑油になってくれる。
口を聞けば戦争になるならば、じゃ、二人で筆談すれば?など冗談も言いつつ、ここのコーヒーはおいしいだと、どうのこうの・・・そして岐阜駅で別れる。心なしかそのシニアバトルはスポーツの後のように、二人ともすっきりしていた感じだ。・

こんな戦争ならいい。我慢のない素手のコミュニケーション。これもいい。一呼吸おかない方式だ。
親たちの戦争を帰り道思い出しながら、ひとり爆笑する。
こんな夫婦喧嘩を見届けるのも親孝行のひとつか。
子供のころの夫婦喧嘩も、きっと「昌子が泣いとるやないかあ。おまえのせいで」とかやっていたんだろう。
コトバをうまく操れなくても、口下手であってもなんでもいい。喧嘩できるだけ元気、喧嘩できるだけ平和ということだ。
ああ、親孝行はいろんな意味で、疲弊するが、これもおつとめ。

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