新しい世界と深淵なる響き。

いくつになっても、挑戦することは素晴らしい。
いくつになってでも、挑戦する人は若々しく、美しい。
55歳という年齢は、どんなことであっても、ゼロから始めても遅すぎることはない。と、厚かましくもそう思っている。

音楽という世界においても、自分が知らない領域も無限にある。
たとえば、パイプオルガンという神秘的かつ精神性高き楽器への入門。
パイプを通じ、空気の動きで、なんともいえぬ音を出すオルガン。
教会のミサ用の楽器として誕生した。

ザビエルへの憧憬から、西洋楽器への興味がさらに増した。
少しでも、新しい世界を広げることはできないか?

どの方法で、どんな道で学ぶのがいいかは模索中であるが、ひとまず、少し
体験する。この楽器は、岐阜の白川町にあるパイプオルガン。天と地が溶け合うような、なんとも言えない響きが、全身を包む。

コミュニケーションツールとしての楽器の奥深さについて、これから研鑽を積んでいきたいと思う。

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何を食べているんですか?

先日、ある女性経営者の方とお話ししているときに、「なんで、そんなにいつもお元気なんですか?何を一体、食べているんですか?」と、真面目な顔で聞かれ、思わず笑った。
そうか、食べ物で人は元気になるんだ・・。確かそういう一面もあるのかもしれない。
しかし、これを食べているから元気ということはなさそうだ。

もしあるとしたら、いろんな方の「ありがとう」という言葉を食べているのかもしれない。ちょっとヤギのような感じであるが。

毎日、どこかの誰かが、自分に、自分が関わったことに対して、「ありがとう」と言ってくれることがある。直接もあれば、メールもあり、手紙もあり・・。

おかげさまで、本当にありがたいことに、毎日なにかしら、その言葉をいただく。これが私の栄養だと思う。

ありがとうといってもらえることは、本当に幸せだ。
この言葉ひと言でみんなが元気になるなら、私ももっと「ありがとう」を伝えたい。感謝愛。これが私にとっての元気の秘訣。


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明日と今を見る、遠近両眼で。

生きていく以上は、とにかく未来に向かって進まなければならない。立ち止まっても、時計は時を刻む。また、後ろを振り返っても、そちらへ進むことはできない。人生は、ワンウェイの道。だから、前に進むしかない。

前に進む時、足元だけを見ていると、前が見えない。どっちへ進んでいいかも見えない。早く進めない。

前だけ見ていると、足元が不安定だ。ころんだら怪我をする。
だから、常に、目を前と、足元の両方に向けていないといけない。

今と先、先と今。
両方同時に見ることは、実は可能だ。先は心と頭の目で見るのだ。
近視眼的に、自分本位にならないためにも、遠近両眼で見ることを心がけたい。


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どこで、いつ寝る?

正直この2年間、睡眠時間がさらに減少気味。かのナポレオンも寝ない人であった?との記録もあるようであるが、人間限界までがんばっているといつの間にか力が付くような気がする・・。気力がそうさせているのかもしれないが。
2時台、3時台起きの日が週に何度かあり、遅めの日で4時起き。ああ、ゆっくりしたという日も5時起き。しかし、5時起きのときも、それまでに何度か目が覚める。寝過ごしてはいけないと思っているのか、そういうリズムになっている。

もう10年ほど朝型の生活になっているため、5時から仕事などは習慣化されているが、それもどんどん開始時間が早くなっている。
朝の仕事は宝の時間。考える仕事は朝に限る!
でも、人間寝ないといけない。
私にとって、有効な睡眠先は移動時間。15分でも30分でも新幹線や飛行機はいい睡眠場所、睡眠時間。また時々、昼寝もする。15分でも30分でも。疲れ果てて、眠りたいと思ったら、時間調整をする。さすがに立って眠る芸はまだないが、とりあえず横にならなくても眠ることはできる。

おかげで、移動中にパソコンや、読書ができなくなった。
音楽を聴くイヤホンではなく、周囲の音をシャットアウトするためにイヤホンを使う。

たまに、ゆっくり数時間眠れると、こんなに寝ていいのかと思うほど。
人それぞれのリズムがある。無理せず、自分に合うスタイルで1日の時間をうまくやりくりしよう。
もちろん睡眠は健康に重要。そこだけは忘れずに、適度に自分のスタイルで元気に。最後の瞬間まで元気を貫きたい。


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夫婦の距離を縮めるのも、大切な仕事

社長夫妻とのミーティングという機会も、最近、増えている。
夫婦で力を合わせて、会社やお店を経営される。とくに中小企業には多い。
社長と専務、社長と取締役、いろんな組み合わせがあるが、いずれにせよ
力を合わせて、夫婦一緒にが社長の一番の原動力であり、会社を担う重要な推進力。そこがうまくいかないと、歯車がうまくいかないと、会社経営も心もとない。

三人で会議をしていると、意外に、第三者がいるところで、「はじめて聞いた」という会話が飛び出る。「そんなこと聞いたことなかった」「そういう考えなんだ」と、どちらかがびっくりしたり、顔の表情が変わっていくのがわかる。
意外と、夫婦では、そんな話題をしない、できないこともあるのかもしれない。

一番近い存在だからこそ、わかっているつもりとか、あとでいいや・・とか
性格を知るが故に、言っても無駄、とあきらめてしまい、肝心な話もスルー
していたり・・・。
夫婦で仕事をする場合、公私の切り分けがとても難しい。だから、どうしても
衝突を避けようと、言葉が少なくなってしまうこともあるのかもしれない。
そこで、第三者が入る意味があるのかも。
最近、経営者ご夫妻との面談をするなかで、夫婦で仕事をする大変さと、
一緒に人生に取り組めるすばらしさを感じ、この二人をもっと応援しなくちゃ。という気持ちになっている。
おかげさまで、何組もそんなケースが増えており・・・

新婚さんいらっしゃいではなく、社長夫妻いらっしゃい!というノリで
これからも中小企業の経営者の敷居の低い応援団でいられたら・・。


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あなたがうまくいくように。

最近、仕事で思うのは、いつも相手がうまくいくように。ということ。
自分はそのためのサポートをする。あるときは黒子で、あるときは表に出て、
あるときは耳元で、あるときは向かい合って・・・。
対話する相手の仕事や人生がうまくいくように、そうなるようにさまざまな
アイデアや情報や意見・・相手の第三の目となって、寄り添う。
そう、関わるひとりひとりにとって、その人がうまくいくようにという願いで関わる。

その気持ちで相手に向かい合っていると、自分もその人と一体になっているような気になってくる。その一体感を感じるとき、やりがいを感じる。

できれば、その人のもうひとつの目となり、頭となって、その人自身と違う視点で気づくところを伝え、アドバイスや応援を続ける。誰も言わないことも、ときには突っ込むことも、必要だ。

あなたがうまくいくように。願いを込めて・・。
今日も1日、その気持ちではじめたい。


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上から、先から、全方位目線で

人様と接するとき、上から目線はよくない。
いったい、何様か?という印象をもたれることは、その後のコミュニケーションを円滑にすすめづらくする。もっとも相手に敬意と関心を持っていればそんな目線にはならない。
気軽に、疑心なく、安心して心を開いて会話ができる関係は、あくまでも対等である。もし、自分が何かを相手に伝えたり、お教えする立場であっても、決して上から目線はよくない。本当に偉い人は、自分から偉いと言わない、周囲が自然とそう感じ、尊敬するようになる。

目的を達成するためには、人をうまく目的に向かって導いていきたいときには、俯瞰して世の中を見る、現象を見る習慣が大切だ。
この一現象が、全体のなかではどうなのか?という見方をすること。
空間や組織全体のなかでどうなのか?という見方。
一方、時系列で俯瞰に見ることも大切だ。
目先のことしか考えていない人には、ちょっと先から物事を見て、今の成功は明日の反省になることもあることを伝えることも必要だ。
コンサルタントという職業名は上から目線の塊のような気がして、本当に好きではないが、人や企業の役に立つコミュニケーションプロフェッショナルの仕事をするときは、こんな目利きを心がけたい。
外から見る、俯瞰してみる、未来から見る。
近視眼的になりそうな人たちに新たな見方を示すことで、新たな行動のヒントも沸いてくるはずだ。

コミュニケーションクリエイターは、目配り、気配り、そしてあふれる知恵・・

を備えていないといけない。まだまだ過ぎるが、少しづつ見えてくることが増えてきて、やりがいも増す。

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心の観覧車増設計画!稼働の夏

おかげさまで、新しい企業や団体、グループとの出会いが続く。初めての出会いはどきどきするけれど、ひとたび出会えば、そこに刺激、感動、共感があり、そして学び、それを生かして、行動し、さらに気づき改善することで、人は変わり始める。ひとりひとりが変わり始める、生き生きしはじめる。そんな人が増えると企業や組織、グループ自体が楽しく、くるくる回り始める。
それを目指して、皆さんと関わる。この20年間、そのように生きてきた。

最初、「グラン・ルー?」と半信半疑な様子でおられる人も、ひとたび、心の観覧車に乗り始めると、みんないきいき、わくわくされていることがよくわかる。そして、前向きでアクティブになっていかれる。

令和になっても、やっぱりグラン・ルーの発想、視点は必要だ。

心の観覧車の存在を、出会う人、組織にどんどん伝え、仕掛けていこう。
なんだか知らないうちに、乗ってしまう人、いつの間にか、すごく近くに歩み寄ってくれる人・・・いろんな、新たな変化を今、感じている。

心の観覧車を世の中にもっともっと創る。今の時代だからこそ、とても必要だ。

志ある人たちと、この観覧車をいろんなところに、増設し続ける。
元気な会社、元気な家族、シアワセな人たち・・どんどん増やしていきたい。
それが私にとっても、最高の幸せ。

なんだか忙しい夏になりそうだ。

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「自分の意志で生きる」を貫く

長年、病と闘っておられる知人から、久しぶりに長文のメールが届く。
「報告です」というタイトルで、ちょっとドキッとする。
内容は、数年行ってきた抗がん剤の治療をもう終わりにしたい、これからは毎月検査だけして、最低限の薬だけでいいので、そうさせてほしい。治療の苦痛が本当にしんどく、治療のためにしているのか、自分の体をいじめているのかわからなくなるほどの状況を終わりにしたいとのことを、主治医に伝え、了解を得たという報告だった。「これで、命は短くなるかもしれないけれど、自分の意志で生きたいと思うので、そうすることにします。」との結び。
自分はこの経験がないため、この治療がどんなにつらいのかは、聞いて想像するしかなく代わってさしあげることもできず、本当にもどかしく・・。
治療の時期が終わったら会いましょうと年に1回か、2回。お元気なときに会うようにしてきた。会わないときは、会えないときは大変な治療を受け、耐えてお
られた、いわば苦闘の時間を過ごしておられた。
このメールを受け取り、すぐさま 好物のカステラを送る。
好きなものを食べ、好きなものを見て、好きな音楽を聴いて、少しでもくつろき、癒しの時間を過ごしていただきたい。
辛いことが続くより、痛い思いをするより、そうでない方法を取った方が幸せ
だと思う。でも、もちろん大切な人だから、ずっとお元気に生きていてほしい。
ずっと自分の意志で生きてきた人だからこそ、がんばれた治療生活だったと思うが、もうそれも卒業。どうぞ自由に自分の意志で、ゆったりお過ごしいただきたい。
自分だったら・・あれこれ考える。
癌になって、手術も抗がん剤治療もすることなく、自分の意志で旅立った台湾の親友のことが頭をよぎる。
とにかく、最後まで自分の意志で生きられるのが、人間の誇り、一番の幸せだと
思えてならない。
少しでもつらい日々がなく、楽しい快適な時間が長く続くよう、祈りたい。

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非常を招く、非情な自然

キリスト教がもたらした社会的影響を調べる一環として、長崎から天草の方へも足を運ばねばと、やっとその計画が整い、天草へ渡るフェリー乗り場である口之津へ向かう。
16世紀後半にポルトガル船が初めて入港したのがこの港である。
南島原という長崎の先端にある港。そこから天草へもっとも早く移動できる。
と、念願の天草初訪問は、今回の大雨でギリギリ途中で断念することに。
長崎市からその口之津へ向かう途中、どんどん雨が強くなり、時々霧で視界が閉ざされたりこのままいくと帰ってこれないかも・・・の不安が募った。
現地の人にきくと、天草はもう避難勧告も出ているようだから、行かない方が良いとも言われ、港近くまで行ったが海を渡るのは次回の楽しみとして、南島原にとどまる。少し現地の見学をしながら、途中、長崎市郊外の知り合いの施設にも寄り、様子を伺い、顔を見て安心しながら、長崎中心街へ戻ってきた。
その頃には、雨は小降りになり、場所が変われば何事もなかったようだ。
その間も、鹿児島や宮崎では雨が降り続け、土砂崩れなど被害も出ていた。
住宅や道路の危険、農家の不安・・・。せっかく植えた苗も流され、嘆いておられる農家さんの声や避難されている方の不安な様子がニュースから流れて、心が痛む。

あの東日本大震災のときに、東北の知人が「自然は非情なんですよ。心がない」
としみじみと話してくれたあのときの様子が今回もよみがえる。
本当に自然は人間には操作することができない脅威の存在だ。非情であり、また人々の暮らしに非常をもたらす。
しかし、こんなに毎年大雨になること自体、人間がまいた種の結果なのかもしれないとも強く思う。
自然のサイクルが崩れ、自然との共生が成り立ちづらくなってきている。
人工的に何かをしようとすればするほど、利便性を追求したり、人間本意のことを企てようとすればするほど、自然に負荷がかかり、思わぬところに反動が出てくるのだ。
地震が多いのも、大雨が続くのも・・危険なサインであると感じる。

人間には自然は制御できない。
そのことを理解しながら、いかに無事に生きていけるかを日々考え、行動するしかない。

人間の無力さを、また驕りを感じながら、運に身を任せて・・。
いつどこで何があっても悔いがないように、非常事態に備えておく心構えはますます重要になってきている。

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