ハッピーバースデー WITH コロナ。

今日は父の84歳の誕生日だ。
昨年から、自宅での誕生日が難しくなってしまい、家族それぞれが、
ちょっと複雑な気持ち?ではある。

とはいえ、過去の誕生日も特に大掛かりなことはしていなかったが、、。

しかも、今日は母が施設から退所し、自宅での生活を再開する日でも
あり・・・。
新たな1年、新たな環境での生活がはじまる両親にとって、それぞれの記念日でもある。

年を重ねて、コミュニケーションの取り方が変わっていくのはやむなきこと。
年々、できることが限られてくる。
それでも、まだ、会話が成り立つことをありがたいと思わずにはいられない。

コロナ禍においては、施設の部屋に、家族を入れてもらうことは難しい。
許可された空間でのみ、面会可能となる。

父に1か月会っていない母も、久しぶりの面会。
この夫婦、どんな気持ちで再会?だろう?

コロナ禍での家族の交流。
いろんなことが、どんどん変わっていく。
自由に、身軽になんでもできていたことが、難しくなる・・。
制約のあるなかで、父を元気づけるにはどうすればよいだろう。

そんなことを何日もずっと考えながら、名案が浮かばず、
父が好きそうな食べ物や
ちょっと楽しくなる小物をそろえる朝。
花一輪とひと言 カードも添えよう・・とするが、名案がない。

せめて、2日遅れではあるが、施設でボランティアコンサートを
やろうと思っている。これが、今、私が父にできること。

少しでも気持ちが伝わるといい。
お父さん、誕生日、おめでとう。ありがとう。
心で乾杯!のハッピーバースデー WITH コロナ。



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米寿を支える夫婦愛。

昨年末から会えなかった元上司。
コロナでさらに、ご無沙汰となってしまった。
先日発見した19年前の写真にあったサインがきっかけで、
急に安否が気になり、突然に連絡をとり、なんとか京都で再会となる。

1年以上お会いしていない間に、コロナ疲れもあったようだ。
最近、ひとりでの外出は心配ということで、奥さまも一緒においでになり、
三人での初会食。

先日、元上司は米寿を迎えられたとのこと。
早いものだ。最初に出会ったのは50代半ばだった。
30年以上もおつきあいいただき、見守っていただいた。
マーサ最長の応援団でいてくださっている。

今年はコロナで外出もできず、人と話す機会も減ってしまい、
少し元気が・・・であるが、それを今は奥様がしっかり支えておられる。
3時間近く 一緒に過ごさせていただき、最寄の地下鉄の改札まで、夫婦で送ってくださって、何度も何度も握手をする。
ちょっとうつろな表情の上司の代わりに、奥様が「また来てくださいね」と
とのお言葉。そして夫婦で、見えなくなるまで、手をふって送ってくれた。
なんともいえない気持ちになりながら、それでも、会いに来て良かったと
安堵する。
いい夫婦だなと素直に感動。
いくつになっても、年をとればとるほど、助け合って生きていられるのは
本当に幸せなことだ。
老々介護という一面もあり、心配であり、その大変さをお察ししながら、
わが親のことを思う。

米寿を祝い、今度は100歳。
できる限り長く、ご夫妻で仲睦まじく、お元気に生きてほしい。

一緒に食べ、一緒に歩き・・・。そんなことがともにできることは
最高の幸せだ。
米寿を迎えられた親愛の上司に送るのは、やはり新潟のお米かな。

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追い込まれたときに見えるもの。

アメリカ大統領選。海を隔てた隣国のことであるにもかかわらず、興味深い。
選挙とはキャンペーン。まさに候補者にとって自分売り、票取り合戦のキャンペーンだ。
このキャンペーン一連の動きを見ていて、さまざまなことを学ぶ。
どんな人がリーダーにふさわしいか。
伝わるプレゼンテーションについて。
少なくとも、自己主張をすることが求められるアメリカ国において、
ましてやプレジデントを目指す人たちのプレゼン力は、日本の政治家の力より
大きく勝っている。
言っていることがいいかどうかは別として、伝え方のうまさ、巧みさは
学ぶべきところがある。
70代同士。シニアの対決ではあるが、モノをはっきり言い合っている。
そのパワーには好感をもてる。
しかし、問題はその内容だ。
本当にその仕事に、役職に、立場にふさわしい人であるかそうでないのか?
どんな手を使ってでも、その座を射止めたい。その窮地に追い込まれた人間は
どんな手をとるのだろう?

最近、トランプは本当にコロナだったのか?
これも??

とも考えてしまうほどだ。

この1週間で、世界は混乱に向かうか、少しはそれを回避できるのか。
夢を与えてくれたアメリカは大好きな国であったはずであるのに、
それが過去の栄光にならないように・・・

追い込まれた人の戦いを、しっかりみつめ、この国のゆくえを見守りたい。
追い込まれたときにこそ、その人の質が見えるように思う。
本音が見える。本質が見える。

人は権力を求めたがる動物だ。
人のために生きる人こそが、本当はリーダーにふさわしいが・・・。

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自分の歴史と向き合う1枚。

実家で片付けものをしていたら、「昌子の写真」とマジックペンで
書かれていた段ボールの箱があり、なんだろう?と思って、開封したら、
こんな写真が入ったフレームが出てきた。
フレームは、NYのギフトショーで知り合ったフレーム工房のもの。
写真は2001年9月17日と私が書いている。
そして、この写真に当時の仲間たちが、寄せ書きをしてくれている。
筆跡を見ると、元上司から、デザイナーさんやカメラマンや・・・
お世話になっていた企業の社長さんや・・誰だったかが思い出せない
お名前もあり・・・。そして、もう今はお会いできない方も・・・。

片付けの手を休め、この写真フレームをじっと見つめた。
こんな記念すべきものがあったのをすっかり忘れていた。
遺影にするにもいい感じの写真ではあるが、寄せ書き付きというのが
びっくりだ。
さて、この2001年9月17日。
グラン・ルーの3周年記念日だ。
6日前に、NYの同時多発テロ。なんとか帰国して、食事会をしたようだ。
NYの危機をニアミスで逃れて無事帰国できたあとの、ありがたい
記念すべき1枚だ。

あれから19年。来年は20年を迎える。
世界はあの日から分断への道を歩み始めた。
その中で私はなんと、ありがたい運に導かれ、19年も元気に自由に生きさせてもらっているのだろう。
その感謝の気持ちと、当時の自分を見つめ直し、なんともいえない嬉しい気持ちが湧いてきた。
30代後半。あれから年輪を重ねているが、この1枚に負けないように生きなくちゃと背筋が伸びる。

自分の歴史。
親の介護のおかげで、忘れていた1枚に巡り合うことができた。
実家に送りっぱなしになっていたことすら、忘れていた。

いい顔して、生きていきたい。
サインをしてくださった皆様の中には、もうお会いできない方もいるが、
できれば、皆さんと早めに再会しておきたい。
ありがたき、2001年9月17日。グラン・ルー3周年の1枚。
ずっと多くの方に見守っていただいて・・・ただただ感謝のわが人生だ。

この写真、気に入った。
しばらく、身近においておこう。



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複雑な気持ちを生きる。

父が新しい施設での生活に大分、慣れてきたようだ。
環境が変わると誰も不安になり、落ち着かないが、
それでも、二週間以上経過し、徐々に馴染んできた。
介護いただく皆さまにご迷惑をかけてきたが、少しは
安定する日も増えてきたようだ・・・。
それは、薬の服用が影響している。

不安な状態を安定させる・・クスリ。
これは、社会生活において必要な存在である。
しかし、一方で今気がかりなこともある。
それは、薬がよく効く反面、副作用もあるということだ。

たとえば、父を訪ねたときに、元気がない。
ちょっと表情がうつろで・・反応が遅い・・・。

興奮しているときの父は手をつけられなかったが、
元気のない、父の様子を見るのは、心が痛い。
元気で母と喧嘩していたころの父とは、まるで別人だ。
この変化を見るにつれ、
生きる上で、一番大切なことは何かと改めて考える。

できる限り、もっと頻繁に会いに行き、交流したいが
一方、コロナの影響で、そんなに頻繁に顔を出すことも
できない・・。

今、後悔しないこれからの生き方について、改めて考える。
もうすぐ父の誕生日だ。
何をしてあげたら、喜ぶのか・・・。

うつろな表情の父がずっと脳裏に焼き付いている。
なんとか、救出できないかと思う自分と、周囲に迷惑をかけては
いけないという思いと・・・。

介護とは、本当に複雑な気持ちの連続を生きる時間だ。
とにかく、今、一番大切なこと・・についてよく考え、ちゃんと
選択したい。

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墓参りのきっかけづくり

町はそろそろ、クリスマスモードだ。
例年11月になれば、ツリーやさまざまなオーナメントでお店たちが美しく彩られ、人々にも笑顔が生まれ、町も賑わう・・。
今年はどんなクリスマス、年末年始になるのか?
一足先に賑わっているのが、造花店だ。
東京に住んでいた頃ならば、浅草橋界隈にこれらを扱う店がたくさんあり、
仕事でもよく通い、ディスプレイ用品などをよく調達し、企画にも活かした。

さて、そんな店が名古屋にも何軒か存在することを最近知った。
たまたま、栄の中心にある造花店に入った。これまでは素通りしていたが、
店頭のクリスマスオーナメントが目に入ったからだ。
それがきっかけで店内に引き込まれ、その造花ワールドに驚いた。
実にさまざまな種類の造花が店内を埋め尽くしている。
造花もこのレベルまでいったら、すごい。

そりゃ生花の方が好きではあるが、でも、この再現技術は素晴らしい。
あまりのリアルチックな花に感心しながら、しばらく店内をうろうろ・・。
そこに仏花をみつける。仏花も造花か・・・。
「これ、いいね。いつも行けない人にはこういう花もありやね」
名古屋に引っ越してきてから、なかなか千葉のお墓まいりに行けず、
また遠いから、とご無沙汰していたが、この花をみつけたら
相方の行動が変わった。
「これ、持って今度行こうよ」
と背中を押しながら、故人の好きだったあじさいや、かわいらしい
小菊など あれこれ合わせながら、気が付けば真剣にコーディネイト。
どれがいいかと真剣に考え始める相方を見て、あ、これはお墓参りに
行くな~。と安堵。

造花のすばらしさに出会ったのおかげで、お墓参りに足が向く。
どんなことがきっかけで、背中を押されるかわからない。

名古屋から造花をもって、千葉のお墓参り。
その造花に線香やマッチや・・・。早速準備をしている姿に
さらに安堵した。

造花。生花の方がいいに決まっているけれど、様々な事情で造花が
活躍する場がまだまだある。
もちろん気持ちは生花を届けるのと、何も変わらない。

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「待っているよ」は元気の源泉

施設に入所する母に渡してほしいと、お世話になっているご近所の方から封書を受け取る。
その方は90歳を越えるおばあさま。親から受け継いだ自営業を担い、今も現役で電話番・金庫番といいながら、しっかり会社を見守っておられる。
その方が、仲良しの母に手紙を書かれた。

母に届けると、うれしそうに開封しようとする。こういう時に限って、糊が強くてなかなか開封できない。こちらで手伝い、中に入っているものを確認。手書きのお手紙とお見舞いが入っている。手紙は大変きれいな文字で書かれている。

母が「読んで」というので、手紙を受け取り、ゆっくりと読む。
母が入所してしまい、話し相手がいなくて寂しい。
早くまたおしゃべりしましょう。
ライブのことや(私のライブ)、そのほかの楽しい思い出のことが綴られ、
そんな日がまた来てほしい・・・と綴ってあり、
別紙に、楽しかった思い出を綴った詩文も入っており・・・。
読ませていただいて、こちらが泣けてきた。その方がどんな思いで、年下の
友人のことを思って筆をとられたかと・・・。

そして、母にすぐお礼の電話をするよう促し、こちらがかける。

「受け取ったわ。ありがとね~」
母がそういうと、スマホから先方の元気な声が漏れ聞こえた。
「あんた、病は気からというから、元気に戻ってこなあかんわ~」
90代の先輩に、母はそう激励されている。
「来週、自宅に戻れるので、その時寄るわ~。」
元気な自由世界と、閉ざされた介護の世界・・。
いよいよ、母は社会復帰!この手紙のおかげで、それがより現実のものと
なった。

母は幸せだ。
待っていてくれる友がいる。
まもなく、自宅へ復帰。その一歩として、ありがたいギフト。

待っていてくれる人がいる。
これは、一番の生きる力の源泉だ。
それにしても、この手紙のおばあさまには、脱帽。こんな人になりたい。



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ハリハリ・セルフコントロール

ここんところ、よく周囲からこんな風に言われる。
「今は、気が張っているからいいけど、あとでガタンと来るよ」
そう、確かに気が張っている。
そんな時間が1年以上続いているかもしれない。

気が張っている状態は、公私において、使命感に満ちているということ。
ここは絶対やらなくちゃ!と緊張感をもって突き進んでいること。
ちゃんと判断して、しっかり行動しなくてはといつも思っていること。
自分がしっかりしないと・・気がまえでいること。
もちろん、根詰め過ぎたら、そんなに一生懸命やっていたら
病気になる。血管も爆発するかもしれない。

というご心配。有難い限り。
しかし、自分ではまだまだ大丈夫という感じで、楽しみながら日々の
仕事と介護を行っている。両立なんてとても言えないし、果たして自分の
今の日常が、果たして介護をしているということなのか?も疑問である。
親のことをいろいろ考え、調整して、お願いして・・ぐるぐる動いているだけで
実際の介護はその道のプロの皆さんにお世話になっている。
介護は6割という説があるそうで、10割のパワーを出したら、もたない。
介護は10年続く・・・と業界のプロから言われたが、
そんなにがんばっていないけれど・・・と思ってしまう。

適度に楽しみをみつけ、毎日気が張る中でも、きれいな花に目を向けたり
朝の音楽に夢を膨らましたり、好きな紅茶の香りを楽しんだり・・・。
気が張っている前後には、かなり緩んだ瞬間を楽しんでいる。
自分の生活はしっかりキープし続けている。これを壊してはいけないと
思っている。
だから、介護も仕事のひとつとしてやり抜く覚悟。
そのためには、

とにかくセルフコントロールができること。
まだまだいける!と思えるには、この力が必須だ。

張って、緩んで・・・。
そうそう、お肌もハリがあった方がいい。
ゆるまないよう 楽しい気を全身に送りながら、
はりきって、
充実の一日を駆け抜けよう。
「さあ、今日もいくわよ~!」
てな感じで。

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「こういう時に限って!」こそ

オンラインミーティングは、なぜか緊張する。多くの場合はホストから指示された指定された場所に入ればよいだけなのだけれど、ちゃんとつながるかとか、映り方は大丈夫かとか、声は??とか直前にしっかり確認したつもりが、実際の時間になったら、うまくアクセスできなくなり、あれ?あれ?と言いながら、もがいていると、相手方から連絡が入る。
結局もともと予定していたZOOMのミーティング機能が使えず、急きょ違うツールを使うことになる・・・。すべては自分の操作ミスのせいかも・。冷や汗が出る。前回はうまくいったのに・・。
今日に限って、なんで?とまあ、そういうことはある。

まさに「こういう時に限って」である。
相手を待たせてしまったり、貴重な時間をそのドタバタに費やしてしまい、
本当に申し訳なかったが、
焦ると余計に、急にわからなくなることはある。顔が見えづらい状況であると尚更のこと・・。

落ち着いて、しっかり復習をし直すとしよう。
それにしても、こういう時に限って!は時々やってくる。

そんなときもある。後になれば、と笑って言えることになるが、
忙しい時に限って、まさに「今日に限って」なのである。
いいことが重なることもあるから、ま、焦らず、経験から学び前進しよう。
「こういう時に限って」は、心のゆとりをもつシグナルだ。

たまたま本原稿を書いている間に、ある企業から間違いのメルマガが届き、
その後、お詫びのメールがまた届いた。
オンライン・・・一斉に送信できる、便利である・・・その反面、間違いがおきると面倒であったり、収拾に手間取ったり、なかなかストレスフルな存在でもあるが、つきあう、つきあい慣れるに限る。

こういうときに限って・・今日はないように。



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改めて、まなざしを見直す

マスクの着用が、まさに新常識。そのマスク姿がニューノーマルとなってしまった2020年。100年前のスペイン風邪流行時にも、やはり日本でもマスク着用が当たり前だったようで、その時代の人々も、同じように感染症から身を守るため日々努力をされていたことだろう。
これからの季節は、マスクも夏よりはきつくないけれど、それでもやっぱり
顔半分が見えないということには、コミュニケーション上、不便と不快を感じてしまう。

着用する側としても、話しづらくて不便・不快を感じるが、
マスク顔を見る側にも、不便と不安が入り混じる。
まず、初対面の方にお会いするときでも、顔半分しか見えず。おそらく後日マスクを外したときに再び会う機会をもてるならば、おそらく印象が変わることもあるだろう。口元や、あごのカタチなどで、ずいぶん見た目の印象は別物になる。

今、口紅を付けても見えないし、マスクに色が付いてしまうため、口紅を使わない人も増えていると聞く。もちろん売り上げにも大きな影響があるようだ。
一方、目元をよりぱっちり、くっきり見せるために、アイメークは好調のようだ。いかに目で勝負するか?と思う女ゴコロも理解できる。
(かくいう自分はもともと、目元のメイクはほとんどしないが・・・)

しかし、目元がしっかり、くっきりしすぎると、相手が弱い方、たとえばお年寄りや子供たち~には、ちょっと印象が強すぎるかもしれない。
目力が威圧になることもあるかもしれない。
顔全体を見ていればそうでなくても、目元しか見えないと、そんな風に見えることもあるかもしれない。
実際、介護を受けるお年寄りたちには、マスク姿のスタッフのみなさんの表情がつかめず怒っているのではないか?と不安になることもあるようだ。
目だけコミュニケーションは、本当に難しい。
やさしい、おもいやりあふれるまなざしを表現するのは、難しいが、
意識することは必要だ。

自分の目元は相手に寄り添っているだろうか?
そんな点から、マスク姿の自分を確認するのもいいことだ。

マスクが不要となる世の中が、心から顔全部出して、笑える、語れる日が
早く訪れることを心から願いつつ・・。

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