人生、一瞬先は???

長年お世話になってきた人が、昨年病に伏され、
闘病生活を乗り越え、めでたく復帰された。
約1年前にお会いしたときはお元気であったが、
いろんなアクシデントが多発し、少しお疲れモードの
ようであった。それでも気丈にその現状を克服すべく
がんばっておられ、穏やかに笑顔でお話ししてくださった。

その後、入院されたとの知らせがあり、それからが長かった。
医療的な問題もあったようで、治療が長引き、復帰も危ぶまれた。
しばらく連絡もとれず、ただひたすら安否を気遣い、無事を祈る日々が
続いた。
しかし、リハビリ含め治療に意欲的で、無事、職場にも復帰を果たされた。
心から良かった!と思った。また会える!と。

そして、1年2か月ぶりの再会。
見た目以前と変わらぬ見た目ではあったが、本当に大変な1年を
お過ごしであったことを教えていただき、再会できたことを奇跡とも
感じた。

また再会でき、またこれまでどおりお話しでき、本当に
うれしかった。
私が話す冗談にも、いつもどおり笑ってうけてくださり、
ときには涙を浮かべて・・・。
「本当にお元気になられ、良かったです」
「見た目は元気です。でも、ほんとうに人生、一瞬先は闇。とつくづく
思いましたよ」
この一言が心にささる。
一瞬先は闇。そうだ。人生、このあと何が起きるかは
予測できない。
だから面白い、だから夢がもてると思う反面、
光ばかりではない。
とくに年を重ねると・・・という重い言葉だ。

闇か、光かわからないが、生きている以上、経験と勘を頼りに
手さぐりで生きていくしかないのだろう。

できれば、いつも一瞬先は光!を信じて、トンネルのような
人生を歩き続けていきたい。

とにかく、復帰されて良かった。
心の姉のような存在であるから、長生きしていただかないと
困る。
姉を喜ばせて、元気を伝えられるような行動をとっていきたいと
改めて思った。
また、笑わせることができるよう、面白い経験を重ねていこうと
思った。
元気になって、笑って・・。人生それが一番、それが闇を消す。
そう信じたい。

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音楽の学び舎に40年ぶりに。

私にとっての学び舎は、小学校・中学校・高校・大学といった学校以外に、
ピアノやエレクトーン(電子オルガン)を習った教室も含まれる。

とくに小学一年生から通った岐阜の楽器店、おそらく3年生か4年生になって
通い続けた名古屋のヤマハの支店は、私の音楽力を育ててくれたありがたい
学び舎であるのに、約40年ご無沙汰していた。
一度音楽を捨て、ふるさとを離れ、その音楽の学び舎を訪ねることは
なかった。
そんななか、このたび急に寄りたくなり、名古屋のお店に足を踏み入れる。

実は、そのビルの前は、何度も通った。でも、なんとなく入れなかった。
今回は、思い切って入ってみる。
すると、入ったその瞬間から、自分の小学生~中学生時代の
エレクトーンに熱中していたあの日の記憶がよみがえった。
コンクール漬けの日々、グレードという試験のこと・・・。
そして、最新のエレクトーンを見て、時代とともに、この電気楽器が
大きく変貌していることに気づく。
幼き頃の自分がそこにいるようだ。

そして、ピアノもさまざまなタイプが用意されて、どれもこれも
弾いてみたくなる。

最近のピアノは、軽めのタッチで、華やかな音が出るものが好まれる傾向にある。
とショールームのスタッフが説明してくれた。
そう、楽器には各社ごとの音がある。

私はそれらの展示ピアノたちを見ながら、このフロアの上にある、音楽教室に
毎日通っていた自分を思いだしていた。

ちびっこが毎日、学校を終えて、岐阜から電車を乗り継ぎ、
名古屋駅から20分以上歩いてここにやってきて、
その頃、町はサラリーマン向けの焼き鳥やなどが開店する時間帯で
いい匂いに包まれ、大人の世界を横目に通り過ぎながらレッスンに
向かった日々・・・。名古屋はその当時から、焼き鳥の町だった・・。

レッスンが終わると、父がこのビルの前に迎えに来ていた。
アッシー父は、毎日会社での勤務を終えてから、1時間かけて
名古屋まで迎えにきてくれていた。
家族中が、私の音楽修行を軸に周っていた。

そんな思い出がまさに、観覧車のようにぐるぐる回って
胸がいっぱいになった。

音楽、捨てなくて良かった・・・。ギリギリセーフという感じだ。

お店の人に40年ぶりの来店と言ったら
「まあ、そんなに長い間、おいでになっておられなかったんですね」
と言われた一言が、響いた。
40年という時間を経ても、学び舎はまだ存在していた。
そのときの先生たちに、ふと会いたくなった・・・。

学び舎をたずねると、そこから新たなことが始まることもある。

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効果的デジアナDAYS

ネットは大変便利だ。とくに第一段階のリサーチに効力を発揮してくれる。
今やどんなマーケティングリサーチも、まずはネットからというのが常套手段だろう。

とにかく気になるワードを検索していれば、いろんな文字が出てくる。
いい情報かそうでないかは、検索する側がしっかり見極めなければならない。
間違ったり、独りよがりだったり、素人の情報も溢れている。そのなかで
発信者がちゃんとしていて、納得できる情報を配信している。それに出会えば
仕事も効率的に進める。
ゼロから探す情報は、ネットが有効。
昔ならば、探す相手が手を挙げているかどうかもわからなく、出会いのきっかけを
つくること自体が、日ごろのネットワーク任せになる。
今はネットのおかげで、探す相手が情報発信しているおかげで、出会いやすい。
そして、そのあとは、すぐに行動だ。

今回もある企画のために、その専門家を探していた。
すると、意外にこんな世界にもそんな専門家が・・とまことにニッチな存在を発掘。
そして
そこに書いてある連絡先にすぐコンタクトし、すぐさま本人に会いに行き、
話がすすむ。
この出会いはネットのおかげだ、

婚活などにもネットが使われる理由も理解できる。
ただ、いい情報をどう探すか。自分なりの引き出し、切り口がないと
埋もれているネット情報からたどり着けるものはない。

毎日アナログとデジタルをうまく両立しながら
目的に叶った行動を重ね、充実の一日を生み出していこう。

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コッペパンに何、挟む?


東京暮らしの終わりごろ、たまたまみつけた谷中のパン屋さん。
朝倉彫塑館に出かけた週末に、本当に偶然出会ってしまったという感じ。
急いでいたり、意識していなければ、見過ごしてしまっていたかもしれない。
いわゆる住宅の一部を開放して、週末だけ営業しているといういろんな意味で
限定だらけのパン屋さん。看板もとくになく、シンプルなウェルカムボードだけ。
通ったときが週末だったから、本当によかった。
もし、平日にここを歩いていたら、一生出会うことがなかった。

コッペパンとアンパンが中心。それに加えて、いわゆる食パンも少量、
さらに焼き菓子も何種類か店頭にある。
海外での修行を経て、パン教室を主宰、その後自宅ではじめた小さなパン屋さん。
3年前の起業らしい。

入り口からはオーブンと焼きあがったパン、そしてパンを焼く主人だけが見える。
そこに、彼女のお母様も客を手伝っておられる。

このパンのサイズ、商品の種類、母娘の協業そして、なんといってもパンのおいしさ。
チェーン店やブランドネームがついたパン店のそれとは違う、THE NIPPONの
美味しいパン屋さんという感じが良い。それから何度か足を運んだ。
引っ越ししてからも、事前に予約し、上京時に寄り、名古屋へパンを持ち帰る。
パンなんかどこでも、美味しいパンがどこででも手に入るこの世の中に、
わざわざ谷中墓地の近くまで行って、名古屋まで持って帰っている客というのも
それほどいないかもしれない。

でも、なぜかそのパン店さんが、店主が、
そのお母さまのことが、私はとても気に入ったのだ。
今回も土曜の夕方前に寄らせてもらい、オーダーしていたものを受け取る。
閉店後であったので、店主と少し話すことができた。
「なぜ、コッペパンなんですか?」
そう、当店のメインの商品は、コッペパン。そのまま1個からでも販売するし、
自家製のジャムやピーナツバターなどを挟んで提供もしてくれる。
なんで、コッペ??
「じつは、近所に、むかしながらの商店街があるじゃないですか。
そこでいろいろ惣菜を売っているので、それをこのパンにはさんで食べ歩き
してもらったらいいんじゃないかと思いつき、コッペパンを作り始めたんです」
無口な人かと思ったら、そうではなさそうだ。
「このコッペパンで、商店街が活気付いたらいいなと思いまして・・うふふ」
「へえ。いい話ですね~」
と二人で笑った。

コッペパン。これは日本のパンだ。
海外のどこにもこのパンは存在しない。
戦後、アメリカから入ってきた、まさにホットドック用に使われたパン。
コッペとは、切り口があるとか、フランス語で「切る」(クッペ)
とも言われているが、戦後日本で食べ始められたパンだ。
子どもの頃は、給食ではお世話になった。
コッペは、日本人のソウルフードかもしれず、食生活の西洋化のシンボルかも
しれないし、とにかく懐かしく、身近な存在。
でも、最近はフランスパンやいろんな菓子パン、総菜パンがあふれて
コッペパンというシンプルなパンは影を潜めたように見える。
しかし、東京の下町では、このパン屋さんのように、しっかり根付き、
愛され続けている。

コッペパン。パンで町おこしとは、素晴らしい。
彼女がつくったジャム入りを名古屋での朝にいただく。
朝倉彫塑館の前の通りから谷中墓地、上野までの道のりが広がり、
そして店主の顔が浮かぶ。

限定だらけの小さなパン屋さん、こむぎゅ亭の吉澤さん。
これからも、お代わりなく、お母様と一緒にお元気にがんばっていただきたい。

コッペパンは、いつの時代も夢を運ぶ。
さあ、何を挟もうか?

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20年、観覧車もひと回り。

20年前に退職した会社の人たちと会う機会をもつ。
同僚や後輩が今もがんばっている。先輩方も、もちろん。
会ったことのない社員さんにも会う。
そして、現在の社長さん・・・。

初めて会う人でも、同じ会社という組織に、一定の時代を
過ごしたものとして、お世話になったものとして、
何か無言の共通項を感じたり、
自分の後輩が育てている社員さんに会うと、不思議なことに
DNAのようなものを瞬間的に感じ取る。

退職したときは、やめた会社の仕事をしてはいけない。
と自分でそう決めた。
それでは独立した意味がないと。
違うルートで、違う世界で、その基盤がないところで
生きていけるようにしないといけない。
そのこだわりから、ありがたいお声もふりきったり、断った
生意気な時代もあった。
元の職場の看板をしょっていては、本当の独立とはいえない。
・・・・・・・・
そして20年。
いろんな意味で、時代が変わった。
あるきっかけでお会いすることになる。

20年前の自分のツッパリは、何だったのだろうか?
今は、20年がんばってこられたのは、以前お世話になった
会社での経験や学びがあったからだと素直に思えてくる。
すると、今だからこそ、何かお返しができないか、
20年の間に自分がやってきたことが生かせないかと自然に
思えてくる。
その会社が次代にも、価値ある存在として生き残ってほしい。
と思っているのだ。

卒業生として、20年経って、私ができることはないか。

人生は観覧車のように。グラン・ルーの観覧車は20年間
廻り続けていて、ある意味、起点に戻った。
ルーツを大切に。と思いはじめているからだろう、
第二の故郷が京都だからだろう。
なぜか、自分が巣立った町が、組織が、ありがたいと
思えてくる。
20年の間に自分が外の世界で得たもの、ことを
お返しするにはいいひと回りだったのかもしれない。

若き日は自力でがんばり、独立を目指し・・・。
そして、年を重ねて、いい塩梅で周囲にお返し。

改めて、20年で我が観覧車がひと回り。
次のステップが見えてきた・・・。

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本日「愛の元気人」5月分オンエアです

本日のゲストは、オーストラリア料理の「ザ アルケミスト」のニコルス亜衣さんと、餃子が自慢の金子屋商事の金子覚さんです。こだわりの食の提供を追求する若き経営者の熱いトークをお楽しみください。
18時よりFM Kento.にて。ネットからもお楽しみいただけます。

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毎日のゴールデンタイムをもつ。

テレビ低迷のこの時代、ゴールデンタイムという言葉は、
この業界において、死語になったかもしれない。
そもそも、誰にとってのゴールドだったのか?というのも
今さらながら思うことはあるが、
ただ、この言葉、自分の日々の暮らしに取り入れてみると
なかなか良い。

1日のなかで、自分のゴールデンタイムはいつ?
私の場合は、最近は、朝の5時から6時だ。
すでに3時台から起きて、雑用をし始めるが
5時になると、頭も覚醒し、やる気も沸き始める。
そんなところ、クラシックをながら聴きしながら
仕事にとりかかる。
ピアノかバイオリンか優しい音色を片耳に、メール処理や
文書作成や・・・をはじめる。
不思議なことに、気持ちよく頭もすっきり、疲れもとれていて
1日で一番、いい時間だ。その時間にいただく、一杯の
カフェオーレでも、アールグレーでも、最高に美味しい。

と、そんなふうに、毎日、自分のゴールデンタイムを意識
してみると、1日によりメリハリ感も生まれ、
今日もがんばろう!とやる気が満ちてくる。

1日を丁寧にしっかり仕上げるために・・。
この意識付けは、毎日を、そして人生を楽しくしてくれるかも・・。

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泣ける男は、全力集中。

栃ノ心という力士。旧グルジア出身の青い目の関取だ。
この方の、この場所の奮闘ぶりは、本当に素晴らしく、
思わず見ているものも、手に汗かき、内側から高ぶる
興奮をおさえきれない。
横綱白鵬も素晴らしいが、その強敵に向かっていく
栃ノ心がまた素晴らしく、どちらも応援しながらも、
でも、今回は栃ノ心に運が向くことを願ってしまった。

ふるさとを離れ、日本にきて、相撲の世界で修行して
ここまでくるにはどんなご苦労があっただろうか。
ぜったいに、横綱に勝ってみせるという意気込みが
じわじわ伝わってきた。

あのひたむきな、一心不乱の取り組みには、
涙が出た。

一生懸命、体を、命をはってがんばっている人は
本当に素晴らしい。
口先だけでいい加減に生きているまつりごと業界の
人たちとはまったく違う。

相撲は人々に感動を与える。
他のスポーツと一味違う裸の素手の取り組み。
全身を絞り上げる、瞬間のドラマ。
歓声が湧く場内にも感動する。

海外から日本にやってきた力士の取り組みが
相撲をグローバルにしたという功績もあるはず。

泣かせた栃ノ心。沸かせた栃ノ心。いざ、今日も。

今場所が終わって、母国の親御さんにいい報告が
できることを、、と勝手に想像して、心より応援している。

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いろんな「差」を意識し直す。

改めてコミュニケーションのむつかしさを痛感する今日この頃。
そして、日々の自分の行動について、日々反省をする。

自分で一生懸命やっているつもり、伝えているつもりでも、
伝わっていないこともある。
伝えたつもり、わかってくれるつもり、仲間だから当然そうである・・・
なんて、思いがちであるが、まだまだ甘い。修行が足りない。

どんなときも、どんな近い相手であっても、

相手とは温度差、時間差、環境差、年齢差・・・いろんな差が
あるのだ。
しかも、新たに出会った人や、深くかかわったことがない人と
頻繁に交流することになる場合には、その「差」を
よく理解して、その差を埋める、差を感じさせないような
コミュニケーションを工夫する必要がある。

伝わらないという現実の半分の責任は、自分にある。

最初に「差」を理解し、それを乗り越える方法を見出し
行動できる人が、本当の意味でコミュニケーション上手だ。

みんな、同じではない。みんな違う。

改めてここから。そして、常に相手のことをイメージしながら
伝わるように工夫しよう。
コミュニケーションは諦めないことが大切だ。
相手より先に「差」を認め、先手でいこう!

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継続は「生きるチカラ」なり。

昨年から2か月に一度開催している、
岐阜新聞本社ロビーでのコンサート。
おかげさまで多くのお客様においでいただき、一緒に楽しませて
いただいている。

リピーターも増えてきたため、毎回違う企画にチャレンジ。
今回は「いろんなリズムで心の旅」をテーマに、
日本の、世界のいろんなリズムを紹介しながら、
名曲をお楽しみいただいた。
チャチャチャ、ポルカ、タンゴ、ワルツ、ビギン、ルンバ・・・など。
もっともピアノと歌だけでの演奏になるので、
お客様の拍手が打楽器代わり。
この協働も良い。
そう、人間には自前の楽器があるのだ。
手拍子は頼りになる。
もっとも、息が合わないと逆効果になるので、一体感を醸成することは
大切だ。

あっという間に30分のコンサートはおしまい。
なんやかんや、毎回延長しているが、一重にわざわざ
お出かけいただけるお客様の熱い目線があってのステージ。

高齢者が多いため、毎回、その移動も気になるが、
次回も元気においでくださいね。
と、言い続ける。
毎回、このコンサートを楽しみに
わざわざ車に乗り合わせておいでいただける。

お客様にとっての継続は健康によく、
そして私にとって、継続は演奏の力になる。

そう、両者にとって、継続は「生きる力」になっているのだ。
ありがたくて、皆さまに足を向けて寝られない。

すべてお客様あっての活動、お仕事。
継続できることに感謝して、さらにさらに・・を目指していこう。

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