次から次へと。それが生きるということ。

母の納骨まで、もうしばらくの間・・・。というこのタイミングで、
なんと、次は父のことに追われ始めている。
食欲が低下しているとのこと。
このままでは・・という状況だと、主治医からも告げられ、人生は本当に
ドラマみたい、ドラマ以上だとこの重い現実を、不思議な感覚で受けとめている。

食事がとれない。
生きるとは食べること。

それができないとは・・。

どうするか?いろんな選択のなか、父の人生を考えてみる。
何が幸せなんだろう。

そう考えながら、さまざまな選択について、きちんと判断せねばと思う。
まさか、今、父にこんなことがふりかかるとは・・・。

次から次へと本当に事件がおこる。
生きている証拠か。
それにしても。

医療、介護それぞれの視点から、
病院や施設、それぞれの受け入れ体制。
このことを頭に入れつつ、
そして一番大切なのは、
「本人と家族の想い。」と、信頼できるケアマネが教えてくれた。

これこそ、延命か自然に任せるのか。
今、自分の人生ではなく、親の人生を背負っているような
気持になっている。

よく考え、悔いのない判断を。
コロナのせいで、とは言いたくないが、
人生の終わり方が平常時とは違ってしまうケースのひとつだ。

父と話したい。
父の想いを改めて確認したい。
きっとそうだろうという答えはあるけれど、
ここは、父に確認したい。

それにしても、次から次へと。
まさに、生きているという感じがしている。
意味がある時間だと思っている。



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会ってないのに、仕事が進む。

最近、実際にお会いしていないのに、仕事がはじまったり・・というケースが
続いている。
あるプロジェクトは、オンラインで打ち合わせを重ね、教材をつくり、研修を行う企画のプロデュース。一緒に組んでいるその専門のスタッフは、その会社に行ったことなく、最初の面談から、取材から、すべてオンラインミーティング。
予備情報はサイトがあるから、その会社に行ったような気持ちになり、オンラインで話す相手がいると、会ったことがある感じにはなる。
他のプロジェクトは、会っていないのに、企画提案をして、その企業のホームページをつくる仕事。オリエンからプレゼン、キックオフまですべてオンライン。
かなり親しくなってきた感じではあっても、気が付けば「会ってないですよね~」とお互いマスクの下から笑いが生まれる。
そう、会わなくても仕事が始まる、そんな時代になった。
でも、会わないと、実際にその現場に行かないと現実の雰囲気はわからない。

「会いに来てくださいよ。うちの会社にきてくださいよ」
最近は、緊急事態宣言が解除になったら、早く会おう!という声が増えている。
会ったことがない・・・人が増えるほど、会わなばならない人が増える。
コロナ現象。不思議だ。・
いやおうなしに、変化に対応し、生き続けようとがんばっている。
結局、人間はそういう存在。
なんども画面越しで会っていた人と、直接会ったときに感動する。
それが楽しみでもある。
ふとメールでだけ何度もやりとりしていた台湾の企業の仲間と、やっと
現地で会えたときのあの感動が蘇る。

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顔が見えない苦しさに学ぶ。

オンラインでの研修会。
少人数でのミーティングなどは、このコロナ禍のなか、なんども実践してきたおかげで、だいぶ違和感なく実施、活用できるようになってきた。
とはいえ、マスクをしての会議や打ち合わせは、聞いている人の表情がわからず
戸惑うこともあり、違和感がないということはない。

今回は50名ほど相手の研修会。
よくテレビやネットニュースで国際会議の様子を見たり、NHKの「最後の授業」のように、モニター上に学生さんがずらり顔が並ぶ、しかも1ページで収まらず2ページにまたがって。という現実。かなり新鮮かつ緊張する。
パット見て、どこの誰とかわからない。しかも全員マスクしているので、わかりづらい。表情もわからない。笑っているのか、不安げなのか?
どこの誰が手を挙げているか、がぱっとわからなかったり、
普段の対面の講演、研修会とはかなり勝手が違う。

今回は、北海道から九州まで、お互い面識がない人同士が集い、講座をきっかけに、ここから、オンラインでチームプラニングを行い、3か月後にオンラインでプレゼンをしていただく。という研修だ。
コロナがなかったら、この研修の発想も生まれなかった。

非接触かつ安心して参加できる研修としては、なかなかの企画ではある。
しかし、実際やってみて、とにかくドキドキハラハラの3時間。
ネット回線がホストはもちろん、自分も、参加者全員も、それぞれの環境で
途中で切れたりしないか?
画面がかたまったりしないが、音がうまく聞こえるか・・・。
受発信相互それぞれの環境により、不具合も生じることも予想される。
だから、無線ではなく有線でつなぐ、ミュートの切り替えをちゃんと行う。
画面共有を何度もテストする・・・。
などなど、すべき準備は行い、本番に臨んだ。
なんとか形式上は、時間内に予定どおりの研修は終了できた。

が、私自身としては、大いになんともいえない気持ちが広がった。
顔が見えないまま、話し続けることのむつかしさだ。
リアルの講演会であれば、顔を見ながら、反応を見ながら、いろいろアドリブも
浮かぶが、顔が見えないと、一方的にならざるを得ない。
ということで、なんとなくうまく伝えきった感じがしなかったのが正直なところ。
顔が見えないことは難しい。

顔が見えなくても、それを想定して話すことを考えておけばよかった。
オンラインだけど、前にいる。でも、顔が見えず、表情もわからないから、ここが中途半端になる。
と、今回の研修会を通じ、オンラインで顔が見えない相手にツーウェイコミュニケーションを行うことのむつかしさも感じつつ、多くの学びを得る。
しまった!と思うことは、改善策を考えて、すぐ実行する。
まずは、昨日のフォローからはじめよう。
オンラインの良さは、フォローがしやすいという点だ。

いやはや、コミュニケーションクリエイターとして、まだまだ。
コロナは、もっと勉強しろ、もっと成長しろ。と自分の未熟さを教え、
背中を押してくれているのだ。



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コロナが与えた挑戦の機会。

本日は、新たな取り組みの研修会。
全国各地の企業で活躍する、女性たち30名がオンライン上に集う。
これまでの研修であれば、特定の会場に集まり、一緒に学び、交流するという機会が、このコロナによって大きく様変わり。
画面上での学び、交流。非接触のコミュニケーション。
どこまで目的が達成できるかは正直、やってみないとわからないが、やってみる価値は大いにある。
ネット回線の心配は当然あるが、そんなことも織り込みながら、準備をすすめてきた。
また研修テーマも、これまでにない、実際の企業に企画の提案をするという試み。企業の協力も得ながら、この企業にとっても良いPRの機会にもなるようにと企画してみた、この企画。
初めてのことづくめで、主催者の皆さんも、受講者の皆さんもドキドキであると思うが、今回、コーディネイター&ナビゲーターを担当する自分としても、かなり緊張の朝だ。
でも、できたら面白い。やってみる価値がある。
関係者の同意、ご理解、協力を得て、オンラインでのチームワークプランニングというスタイルの研修を開催。
もちろん生のコミュニケーションがいいに決まっているが、それが叶わない状況でもこんな風にできる!ということを、今だからやってみる。全国各地から集まるといっても、現実諸般の事情で出張できない人も、オンラインならば、会社やもしかしたら在宅ででも参加できる。
これは、コロナ前にはなかった発想だ。
とにかく、うまくつながる、途切れないように。
そこを念じて、楽しく新しい研修のスタイルに挑戦してみたい。
今日はまず、1回目。受講生の皆さんにとってはインプットしていただくフェーズだ。ご協力いただく企業さんのオリエンも、私のレクチャーも滞りなく、
お伝えできるように。
久しぶりに本番前の緊張がみなぎる朝。元気にスタートしよう!

北海道から九州まで。各地の印刷女子たちに会えることが楽しみだ!

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終の棲家への妄想

家を建てる、購入する。という人にとっては、その地がそれで終の棲家になる。
それが前提になるだろう。
それは、人生の大きな決断であり、また安心でもあるかと思う。

一方、それにこだわらない生き方もある。
住む場所を節目ごとに、あるい自由に変える。
引っ越しの経験があれば、移住は、さほど苦にならない。

最近、終の棲家にするのかどうかは未確認であるが、60代を越えてから
東京から北海道に移住した知人がいるが、そんな選択も大いにありと
思っている。新たな地での新たな生活。とても興味がある。

私自身、今後の住まいについては、今心新たにあれこれ妄想している。
東京に再び・・という選択はあまりないが、
京都?長崎?はたまた???これからの時代、日本以外という選択はありか?
などなど??。
長くNYに住んでいて、高齢になる前に日本に帰国したという知人もいるが
日本はまだまだ安全で、住みやすい国なのだろう。

生まれた場所に帰ってくる人もあり、自分の好きな場所に向かう人もあり。
それぞれ良いと思う。

さて、人生の最期、自分はどこにいるのが良いのだろう。

終の棲家。
できれば元気なうちに、計画し、稼働するのが良い。

そろそろ、考えようか。

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夢を小分けにして。

以前、仕事で初めて会った方に、
「今尾さんの夢は何ですか?」
と、尋ねられ、言葉に詰まったことがあった。
その時のことを、ふと思い出す。

この答えにより、私という人間をより知りたいという意図の問いかけで
あったと思うが、そんなに相手にいえるほど、かっこいい回答がすぐに出てこなかったのだ。
また、それには「わあ、素敵な夢ですね~。」
と、期待される答えがあるような気がして、それに見合う言葉が浮かばなかったのと、
夢といっても、人それぞれに解釈が違い、もしかしたら求める次元も異なる
ので、知らない相手への即答は難しかった。
「いやー、うーん、どうかな。難しいですね。」と笑ってごまかしていたように思う。

夢・・・。こうなりたい。こんなことをしたい。こんな人になりたい。
現実と違う、現実を越えた、目指すこと。を夢というのだろう。
子どもの頃の夢。
これも正直、あまり考えていたわけではない。
ピアノは気づいたらやっていたし、それでピアニストになろうと思ったことも
なかった。やらされていたわけでもないが、常に目の前のことを一生懸命やってきただけだ。
プロの野球選手を目指して、ただそれだけを極めてきた・・・といった
たとえば、イチローさんのような生き方とも違う。
もちろん、自分は何に向いているか・・ということには、とても興味があり、中学生の頃だったか、学校でやった職業の適正テストの結果が、芸術家、宗教家、政治家、哲学者、教師であったことはうれしかった記憶がある。「そう、そう」と思っていた。芸術家という項目がはまっていたことが嬉しかったのだろう。(結局、手先は不器用、まったく理系でないという証しでもあるが)
でも、それになりたい!と一心不乱にその道に向かったわけでもなかった。

むしろ、これは違う。と思うことを避けてきたというのが生き方だったのかもしれない。
その都度その都度の人生の分かれ道で、小さな決断をしてきただけ。
これは違うな、こっちがいいかな。との選択を繰り返してきただけ。
振り返れば、これまでの自分の軌跡が、夢に向かってきたかといえば、そんなこともない。

大げさに、夢を掲げたことはなかったのだ。
現実を生きる、目の前を生きるのが精いっぱいであった。
もっと大きく夢を子どもの頃から掲げていたら、きっと違う人生になっていた。

と、夢には、無頓着、無反応に生きてきた自分であるが、
人生がすでに折り返し地点を過ぎた今、改めて考える。

どんな風に一生を終えるのか。
そのときに悔いを残さずにいること。

これが今の自分の夢。
そのために、したいこと、思うことがあれば、どんどんやり続ける。

具体的には、もしも、80歳まで生きてしまうならば
そのときに、ショパンを笑顔で弾ける。
そんな自分でいたい。
おしゃれを欠かさない人でいたい。

こんなことは、小さな夢といえば、小さな夢。
それでいい。
社会の役に立つ人になる。
と、大きく掲げるだけが夢ではない。
自分が素敵、自分がかっこいい。という方向に
そして、オンリーワンであること。

要は、最後どう人生を結びたいか。
ここに尽きる。

とここまで書いて、改めて。

自分の人生の夢は、
「心の観覧車を回し続けること」

これなら、すっと言えるが、
これは夢というよりも、ミッションだから、
ずっと根底に持ち続け、
具体的な夢を小出しに、生きていくとしよう。

いくつになっても、夢を忘れない。
そんな生き方がしたい。




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どんなキャンディがあったら?

キャンディは移動に、仕事の合間に、ちょっとしたひとときに必需品だ。
昔、映画などを見て、飛行機に乗ったらキャンディがもらえるんだ~。と子供ごころにうらやましく思った。
ここ何年か、飛行機に乗っても国内移動の場合は、ドリンクをもらわないでキャンディをいただく。先日久しぶりに利用したが、そのとき、イチゴ、レモン、ぶどう味に黒飴をまとめたセットにした小袋をいただいた。子どものときの憧れが蘇り、なんとも微笑ましく、うれしかった。

飴というと健康に良さそうな感じ。確かに喉にもよい。リラックスもでき、気分転換にもなるし、万能フーズだと思う。
大阪のおばちゃんは、会う人会う人に「飴ちゃん」を配る?。という話は有名であるが、それだけに飴はふれあいの印。コミュニケーションツールでもある。
私自身も、「今日は、はい、大阪のおばちゃんじゃないけど・・・」といって、会議の合間にちょっと変わった味の飴などを配ることも少なくない。

長崎のシスターは、北見のハッカのキャンディーがお好みで、時々送ると喜んでくださる。
家族はニッキのキャンディを車に常備している。
それぞれ、好みが違うが、また大変地味ではあるが、飴は生きるために、実は
大切な存在である。
目にしたとき、口に入れるとき、だんだん溶けていく間、あるいは噛んだとき・・・どんなに忙しい時間のなかでも、ほんの束の間ではあるが、キャンディタイムはくつろぎと癒しを与えてくれる。

普段、ミント系のキャンディを小さな容器に入れて持ち歩いている。それを開け、電車のなかで、一つ取り出し、マスクを少しずらして、ぽいっと口に放り込む。「ふ~っ」。しばし気持ちがOFFになる。
ふと、悲しみや寂しさが和らぐ、フェイドアウトされていく、そんなキャンディがあるといいなと思った。
泣きたいときに、その気持ちが鎮まる・・そんなものもあるといいときがあるかも。

さて、それはどんな味?涙の味?ほんのり塩味?いや、違う。
シトラス系か、バラ系か・・・。そんなイメージ?勝手に妄想する。

キャンディ。永遠の夢の言葉。
辛いとき、しんどいときも、それを静かに乗り越えられる一粒があったら。
そんなのもあったらいいな。

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何のため?なぜ?を問うこと。

東京オリンピックの開催について、海外では懸念の報道が続いている。
ますます増えている。日本は大丈夫か?と不安視する論調も多い。

パンデミックとオリンピックは全世界が対象ということで共通しており、どの立場から見たらプラスの意味合いを見出せるの?と常識ある人、というか、まず普通に考えたら、ありえない。
と思うが、強行の動きが止まらない。

何をするにも、何のため?なぜ、それをするの?
そこの理解、合意は大変重要だ。

そこをちゃんと考え、また関係するすべての人にわかりやすく示し、理解いただけないと成功はしない。

どんなこともそうだ。
何のため?なぜ、今それをするの?
よく考えよう。
そこが、全ての行動の原点だ。

だから、今回の、無理やり「平和の祭典」をいう冠をつけようとしているコロナイベントの開催は、大変心配だ。
何のため?が見えないまま、不安だけが漂っている。

ひとつひとつの行動に「何のため?」を問うことは難しくない。
発起人が、関わる人がしっかり意識し、表現すればよい。
本来、すべての仕事、すべての活動には、意味がある。
より生きる、よりよくなるための行動であるならば。
「何のため」を、伝えられないのは、利己主義な内容であるから。
やましいと、言えないのだ。

今こそ、どんなことにも「何のため?」「なぜ行うの?」と問い続けよう。

「何のために生きるの?」この応えは難しいが、
それでも、このことも、生きる限り問い続けたい。

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中小企業のやる気をプッシュ!

中小企業さんに関わる仕事、おかげさまでいろいろさせていただいている。
それぞれ、やりがいを感じている。そのなかのひとつ、企業の相談会というのもある。ちょっとドキドキ、わくわくな仕事でもある。
1社あたりわずか1時間以内のコミュニケーションで
企業さんのお困りごとに対し、何等かの役に立たなければならない。
まさに、自分としては60分1本勝負という感じだ。
厳密には50分で終わらないと次の企業さんの面談と重なるため、時間内の
着地もポイントだ。

製造業、出版業、サービス業・・・。さまざまな業界業種の本気の社長さんや社員さんが相談会に来られる。
勉強会も含めたら20年以上、新潟はじめ各地の中小企業さんのお話しを聞き、また、返してきた。
成長され、立派に成果を挙げておられる企業さんも増えてきて、そんな人たちも
忘れず報告してくれたり、私自身のことを気にかけてくれたり・・。
本当にありがたい限り。
中小企業には人もない、お金もない、ナイナイづくしで、このコロナ。
お困りの企業さんも少なくないが、それでもなんとかしようと、さまざまな組織の支援も受けながら、ときには助成金ももらいながら、事業持続化を目指しておられる。
私が出会う企業さんは、広報やマーケティングの相談になるため、前向きで、これをしたい、あれをしたいというポジティブな方ばかりだ。
自分がやる、地域のために役に立つ、この伝統的な商品をなくしてはだめだ!
どの人も情熱をもって仕事をされている。
コロナに負けないで!今やれること、お互いがんばりましょう。
オンラインではあるけれど、企業さんがすっきり元気になって、1時間が終わる。
やっぱり、応援したい。これからもずっと。頼られる、あてにされる、ということが一番の宝だ。

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「まさか」を楽しみ、前に進む

2年前までは、とにかく出張に行きまくる35年間であった。
それが当たり前。
移動も仕事のうち。
今となれば、東海道新幹線を週に何度も往復したり、
東京~新潟間、名古屋~新潟間を陸から、空から
と移動していた日々が懐かしい。
移動時間は、当然仕事の中に含まれていた。
もっと前の日本では、出張とはちょっとした旅行気分で、宿泊することが楽しみ、その土地に接するのが出張の醍醐味なんていう方も多かったと思う。

ところが、昨年から、それがガラリと変わった。
移動しなくていい。なんてこと??
移動が苦手、嫌いな人には、出張なしの生活は天国。
出張好きな人にとっては、楽しみが減ってしまった。

直近の緊急事態宣言延長で、出張はさらに抑制。
今週のことでいえば、今年度初の新潟出張が、急きょリモートになった。
であれば、新潟の業務のあとは、北海道の仲間との打ち合わせを、
ということになる。

名古屋にいながらにして 新潟県内各地(新潟・長岡・小千谷・十日町)にいる県企業さんたちと1時間ごとに面談して、
そのあとは、北海道の仲間とミーティング。

新潟から北海道へは30分では行けない。
しかし、現実では、モニター越しに、ネットを通じて
ちゃんと、それぞれに会えている。
「そっちはまだ朝寒いですか~」
という具合に、会話がはじまる。
と、当たり前のように、そんな日々を過ごしている、今日この頃。

とても不思議な世界だ。
こんなことが当たり前になると思わなかった。

まさか、こんな?
ということが、コロナの影響でどんどん目の前に置き始めている。
人の移動、飲食、コミュニケーション。
DX、VUCAの時代と言われる今日、
なかなか未来の絵を描きづらいが、まさか?の変化を恐れず、
現状を前向きに受けとめ、楽しみながら、世界観を大きくもって
前に進む。

リモートは自分、自分の動きを俯瞰するにも役立っている。
と前向きに解釈し、そして動かないから・・とじっとしている
のではなく、自分なりに前向きの「まさか!」を生み出せる
ようになりたい。

変化を楽しむ。恐れない。いつか、終わる人生までの道のりは
長くないかもしれないのだから・・。今を大切に一歩前に!

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