別れが与えてくれる、新たな出会い。

突然の事故死から1か月が経った。経験がないため、想像でしかないが、家族をまさかの事故で失くしてしまうことは、残された家族にとって一体どんなことか・・。他人の自分でさえ、これまでと違う時間が流れた、夜な夜な目を覚ます、何かあればふとその人のことを思い出し続けたこの1か月の長さは、なんともいえなかったが、ご家族にとっては、こんなものではないはずだ。そして時間とともに・・・悲しみは静かに深くなっているのではないかと、そのことも心配になる。

亡くなる1週間ほど前に贈ってくださった息子さんが作られたお米。この1か月そのお米を見ることもつらかったが、そのうち、そのありがたい気持ちをいただくことにした。息子さんが作られたお米だな、息子さんとのご縁を残してくださったんだな・・と、そんな風に思えるようになってきた。

そのお米の袋に添付されていた息子さんの連絡先。これはもともと、お米の注文のために記載されていたミニカードだ。
今となっては、今はなき彼のお母様と私とつなぐアクセスポイント。

勇気をもってそこに記載された息子さん宛にメールを送る。はじめまして・・・からの・・。
お母さまが健在であれば、このように息子さんに直接メールを送ったりしただろうか?
そして、3月になったらご仏前におまいりにいきたいとのメッセージを添える。

息子さんから返信があった。

こちらの申し出を受け入れてくださるようで、次回、お会いする。
そしてそのご兄弟の仕事先も教えていただく。

なぜ、私はこの息子さんと連絡をとっているのだろう。
彼のお母様がお元気だったら、ご健在だったら、連絡することはなかった。

この息子さんのアドレス付きのお米が、彼のお母さんから私へのラスト・ギフト。

不思議なことばかりが続いたこの何か月、そしてこの1か月はいいようもなく、ほんとうに
重く、長い時間であった。
春になれば・・と最近思う。

別れはつらいが、その別れがあって、いただく出会いもあるものだ。
人の死は、ときとして、それを残った人間に与えてくれることもある。

そんなこんなで1か月を迎えた。

さあ、いただいた出会いを大切にし、大切な思い出とともに、笑顔で今日から
またスタートするとしよう。

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東京に出るアーチストの行動を決めるもの、導くもの

三鷹で展覧会が開催されている、当地在在の画家、米谷清和の存在をNHKの美術番組で初めて知り、この画家にゆかりの渋谷、新宿、三鷹をテーマに描いているそれらの作品に出会いたく、即、会場へと足を運ぶ。そして久しぶりに現在日本人画家の力量にノックアウトされた感の満足を味わう。東京の三都市を独自の視点で捉えられている。地方から出てきたいわゆる田舎もんにとって、新宿や渋谷という大都会の玄関口で思うこと・・・がダークな色彩と描かれた人々の無表情さから強烈に伝わってくるのだ。地方から東京へ出てきた人間にわかるショックな描写。希望を持ち、夢に満ちてやってきた東京という町がゆがんだり、悲しくなったり・・大都会のマイナス面をなぜかダイレクトに感じる作品が並ぶ。NHKの番組を見て、すぐ会場に行こうと思ったわけ。それは作品のユニークさだけではなく、その方の語り口にあった。インタビューで印象に残った言葉がある。「東京に初めてきたとき、新宿駅に降りたったんです。あまりの人の多さにショックを受けました」「自分が何を描きたいのかについては、頭が決めるよりも、気持ちがそうなっていくのを待つという感じですね。」などなど・・・共感することが多い。何か、理性だけでなく、肉体で感じ、心で感じ、表現せねばと強く自らのなかに沸いてくる、制作への情念・・・それを強く感じた。
今、自分の道を考えるとき、この内から湧き上る、よし!という感覚をとても大切にしたいと思う。
その湧き上る状態になるには、いろんな経験と刺激を受けることが大切だ。
頭で決めても感動的なものはできない。
絵画だけでなくすべてのアートがそうだと思う。
それにしても、地方から東京に出てきたからわかること、見えることがあるんだ。そのことにも多いに感動。改めて、今感じることを大切にしようと思った。

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毎日がバレンタイン♪のNYメモリー

もう10年近く前になろうか、当時NY在住のシンガーのご協力により、現地で何度か黒人の先生に歌を教えていただいたことがあった。そう、その先生はお元気だろうか?と、今年もバレンタインになると思い出す。
結果的に自分の言葉で歌えなければ伝わらないと思って、英語の歌唱には夢中になれなかったが、そのときは英語の曲に挑戦もしていた・・。その先生は、技術よりも、歌の心を教えてくれていたような気がする。心あたたかい、そう、ソウルフルな人だった。
「マイファニーバレンタイン」を少し習った。
そのとき、先生が言ったことばが今も忘れることができない。
「毎日がバレンタインなんですよね」。そういいながら、彼は愛する妻のことを思い出していたのだろうか。特別な日、1年に一度の告白・・ではなく、毎日告白すればいい、毎日言葉をかければいい。
その一言が私のなかのNYメモリーとして今も新鮮だ。
あの先生は、もうかなりのおじいちゃんになっているはずだ。お元気だろうか?そして今も奥さんに毎日、バレンタイン・・・しているだろうか。
チョコレート祭りのように成長した日本のバレンタインではなく、聖なるバレンタイン様に感謝して、愛について考えるのがいい。
バレンタインもクリスマスも、やはり本場、本来的な意味をもっている。
いずれも、いつも愛を忘れずに・・・ということで、ハッピーバレンタインの日曜が来た。優しい一日になればいい。

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「ゆうこう」で友好。心あたたまる贈り物

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長崎の外海地区。遠藤周作文化館がある、長崎市のはずれ。喧噪という言葉がまったく思いつかない静かな祈りの地。かつては隠れキリシタンの居住地域であり、ここから五島列島に人々が信仰の自由を求め、海を渡った。そして明治以後、キリスト教布教が認められた後、この地にはフランス人宣教師が住み、布教とともに人々の暮らしを支えた。
その教えを受け継ぎ、そこで歴史を語り継ぎ、祈りをささげるシスターたちがいる。たまたま彼女たちが働く施設を訪問した際に出会った。明治時代、ド・ロ神父が自国から取り寄せたオルガンを弾かせてもらったのがご縁。
あの雪の長崎コンサートの日、この外海からは移動できずに、参加できないという報せがあり、それならばとCDとマカオのお菓子などを贈る。マカオと長崎も、ザビエルつながりで関係ありますよ・・なんて便りを添えて・・。いただいた参加費はこの施設の保全にと寄付もさせていただく。
その荷物がついたあと、写真のような贈り物が届いた。
なんと、この外海で収獲される、「ゆうこう」というかんきつ類。初めて見たし、聞いた。
この地でのみ収獲されているというから、ド・ロ神父か、はたまた隠れキリシタンと関係あるのか?
はわからないが、この皮をピールにしたもの、ジャム、と一緒に送っていただいた。
丁寧に箱詰めされ、そしてシスターからのお手紙。
喧噪の東京で、この外海からの贈り物が届くと、心が静かにキレイになっていくのがわかる。
世界遺産登録がいったん取り下げられたので、どうやら現地では大変なようであるが、その様子もなんだか浮かんでくる。
ふとした出会い。ささやかな交流。遠藤周作も愛したこの外海のことを思いながら・・。
ありがたいひとときを頂いた。シスターたちの純粋な生き方からは教えられることも多い。
またあのオルガンに出会いたくなってきた・・。

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「おばあのつれづれ旅」の黒子も、また良し。

胃がん発見、手術から2年。よくそこまで元気にと思うほど、日々忙しく、楽しそうに人生を謳歌しているもんだと母親の日々の行動を見ては感心する
彼女のマイカーは手袋付きの自転車。それにまたがり、寒かろうがアツかろうが、趣味やボランティアにと飽きない生活のようだ。
長崎への旅は、あいにく、まさかの大雪で大幅な予定変更で観光地へはほとんど行けなかったが、非日常空間でコンサートを見たり、平戸に泊まったり、交通渋滞のおかげでバスを降りて博多の地下鉄などに乗れたことも楽しかった・・・といたくご満悦。ああ、これでわが人生、親孝行は存分にできたか・・これで打ち止めか・・と胸をなでおろした矢先、3月の新潟での花イベントのチラシを見せたら、今度はこれに食いついてきた。「新潟、行こうかな。」「へ?観光バスのツアーはないよ」「いや、友達と二人で」へえ?友達と二人で飛行機に乗って新潟に??すっかり旅行づいたようだ。旅の楽しみを今になって知り始めた?しかも団体旅行ではなく・・と言い始めているぞ・・。
そう言われては、ほっておけない。飛行機からホテル。しかもせっかくの春の新潟を楽しんでもらわないといけないと思い、またまたツーリストのように動き始める。
行きたいと言うならどうぞ。動けるうちに、どんどん楽しんでほしい。車いすで雪の長崎旅行を達成した車いすのご夫婦に刺激を受けたのだろう。
おばあのつれづれ旅。いい思い出をひとつ、ひとつ まだまだたくさん作ってもらいたい。
黒子にとってもいい思い出になるはず。

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女子はわくわく、男子はやや警戒。

ある組織のスタッフ研修を行う。コミュニケーション力、広報力を養うための研修で、毎回相手に合わせて、与えられた条件の中で中身も吟味、検討。お客様も毎回変わるのだから、こちらも毎回新鮮な気持ちで取り組もうと心がける。
そのなかに、自分自身のコミュニケーション力・現状把握についてセルフチェックいただく内容がある。
30ほどの項目が列挙してあり、あてはまるものをチェックいただくというシンプルなセルフチェックだ。
それをすることで、日々の仕事や取り組みの中で、自分がどの点で、またどの部分でコミュニケーションがよくできているのかいないのか・・。が見えてくる。
少し冷静に、楽しみながら自分をみつめる時間は大切だ。
みなさん、真剣に取り組まれる。
30個の最後の項目のなかに必ず入れる項目がある。
「この研修にはわくわく気分でやってきた」
各自がチェックを終え、そのあと講評をしながら、この項目について、チェックした人に挙手を促す。
すると、わくわく気分で来たという人は参加者の女性全員。チェックを入れなかったのは男性スタッフたち・・。
女性はわくわくか。では男性はどんな気持ちでこの研修に来ましたか?と聞くと、少しはにかみながら、「やや警戒しながら」とか「かなり警戒してきて。研修受けているうちに、ちょっと警戒に変わりました」と答え、男性スタッフたちはみな頷く。
うふふ、私は警戒されているんだわ。この言葉も私には実は心地よく、また次へのやる気につながるのであるが、組織で用意される勉強会。自分で時間をみつけて受講するにせよ、女子と男子ではそもそもの心構えが違うのだ。この性差もとても興味深いし、男性の背中をもっと押したくなる。
「わくわく」と「警戒」どっちがいいかは別として、楽しんで学んだほうが絶対身に付く。
大人になっても勉強は楽しい方がよいはずだ。

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「もしも、私があなただったら・・」という思いで

わがラジオ番組「愛の元気人」には、「コミュニケーションなんでも相談室」というコーナーがあり、毎回お客さまから寄せていただく相談やお悩みを録音したものに対し、私がスタジオで答えるというスタイルで構成している。文字で読むだけのお悩みではなく、言葉で聞くお悩みということで、その人の声や話し方、抑揚、テンポなどでその人の状況が透けて見えるようで、とてもわかりやすい。
そして、問題はその相談内容。軽いノリで楽しく答えられるものももちろんあるが、真剣に考えたり、悩まれている内容のときは、なかなか答えもむつかしい。ましてやデリケートの問題で、さらに自分に経験がない場合はとくに・・。
しかし、答えなければ・・・。収録前にいろいろ調べることもある。こんなときネットは便利だ。しかし、そこに書かれていることは情報のひとつでしかなく、自分が答えたい、答えるべき回答とは違う。
そこで、現在までにたどりついた方法。それは、とにかく想像をよく働かせるということだ。
そのときのポイントは「もしも、私があなたの立場だったら・・こうする だろう」という視点。
できる限り、相手と同じ状況にいる自分になって、一緒に悩み、その抜け道を考える。
自分がもしも、こういう立場のこういう人だったらどうするか?かなり真剣に考える。自分のことのように考える。
自分だったら、自分だったら・・・と疑似体験する。思いきりイメージすることで答えが自分なりに見えてくる。
そして会ったことのない、そのお悩みをお持ちの方のこともお会いしたことのあるような、勝手に友達になったような気持ちも生まれてくる。
ラジオで答えるときには、最初に言う。「私にはその経験はないので、答える資格はないかもしれませんが、もしも私があなただったらと思ってこたえますね。」そのあと、自分の考えた答えを伝える。
その人に寄り添って一緒に考えようということが解への道なのだ。
本件に限らない。
もしも、私があなただったら・・。世の中みんなそんな風に思い合えたら、もっともっと世の中良くなると思えてならない。
それにしても、コミュニケーションの悩みは本当にさまざまで、そして深い。まさに生きること自体に直結している。

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わが子が誇り。と思ってもらえるように・・。

ここのところの報道で心痛む事件のひとつ。元超有名野球選手の逮捕。このことに関するニュースが流れるたびに1枚の写真が頭をよぎる。
20年以上前のこと。当時会社員だった私は、小学生向けの情報誌を企画編集しており、いろんな著名スポーツマンの実家や彼らが育ったスポーツ教室などを取材していた。
体操選手、水泳選手のお母様や先生にお会いし、その選手の子供の頃のお話しなどをお聞きしていた。中には現在は現役の選手を卒業し、業界の発展のために尽力されている方もおられる。
その選手本人ではなく、親御さんや先生に会ってきたという点が面白い仕事でもあった。
そして、その超有名野球選手のこと。今回のことで思い出した。大阪は岸和田にあるご実家をたずね、お母様にお話しを伺ったことがあったのだ。その当時、京都の会社から岸和田まで、電車を乗り継いで出かけていった。緊張して出向いた先は、確か電気屋さんだったと思う。
お仕事の合間を縫って、お母様に子育てのこと、息子さんの野球に対する情熱、奮闘ぶり・・・そんな話を聞いたのだと思う。そして最後に、お母様とのツーショット。ひとりで取材に行ったはずなので、誰がそれを撮影してくれたかは定かではない。その選手のお母様と自分との記念写真。偉い人の実家に伺い、お母さんに会って取材してきたよ・・ということが、そんな仕事がうれしく、その1枚の写真をフレームに入れて、実家の応接間の飾り棚に置いた。あれから20年ほど経つが、実家に帰り、その棚を見ては、ああこんなこともあったなと懐かしく思っていた。
あの当時、お母様は息子のことを誇りに思い、取材にも応じてくださったはずだ。
有名になることは成功かもしれないが、もし、間違いを犯すとその影響は計り知れない。
なぜか、あの報道を見聞きするたびに、あのお母様のことを思い出してしまうのだ。
そんなに有名にならなくていいから、お金儲けが上手でなくていいから、地道に生きて、小さくても子供が、家族が誇りと思ってくれる存在で一生いる方が幸せだ。
自分とはまったく別世界の話かもしれないが、実家に置いてある1枚の写真を思い出し、母親の気持ちについて、あれこれ考えてしまう。何事も他人事ではない、と。

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独創的なコラージュアーチストに学ぶ

そのアーチストの方とは20年以上の知り合いだ。ただし、会う回数は多くない。今回も10年ぶりぐらい。その方の作品を展示する機会があると聞き、そのグループ展まで足を運んでみる。そのタイトルは「ミロと黒いマリア像」。ダリやミロといったスペインの画家が好きだとのこと。またご自身が見た風景や素材を自分なりの独創的な想像で具現化する。写実する力とは違う、イマジネーションが不可欠な作品づくりに意欲的だ。
スペインにはまだ行ったことがないが、かのザビエル(スぺインではハピエル)の生誕地がここであるし、いずれは行かねばとは常々思っている。
この1枚を見て、フランスやポルトガルとも違う、独特な世界観を感じた。

この作品を生み出した渡辺さんは、絵の解説をしながら、実は人生観を語ってくれている。100歳をめざし創作活動を続けた先人たちに倣いたいとの意思の強い現れ。
とくにスペイン的な美しいブルーの背景色に、いい色だとそのセンスを尊敬する。
この作品を描いたあと、実際この素材があるスペインに行き、作品を検証したいとのこと。この渡辺さんは御年82歳だ。衰えることがない制作意欲自身が刺激になる。
それから久しぶりに2時間以上、画廊の近くのカフェで芸術や人生について語る。そして会社員時代に書かれた小説についても話を聞く。
書きたいストーリーに沿って素材をかなり集めまくられたことが印象的だった。
20年前にはその面白さがわからなかったが、今となれば、二足のわらじをはきながら生きておられた渡辺さんに親近感がわいてくる。
会社員をしながら、創作活動を続けておられたことが、今の充実時間につながっている。
また、売ろうとして描くのではなく、好きなものを描くのが幸せだとのこと。
芸術を仕事にすることの難しさも今は理解できる。
マカオで見聞したさまざまな現象についても意見交換をする。
中国人がいろんなものを勝手に模倣することと、いろんな素材をコラージュしながら独自の世界を創ることの違いについても語る。
ただ疑似的な世界を作ってあっと言わせたいのか、オリジナルの世界を創ろうとするのか・・。技術と芸術の差、ホンモノ、オリジナルへのこだわり・・などなど話題は尽きない。
今回話をしていて、アーチストの仕事とは、自らの手法、表現方法を通じて、結局「何を伝えたいか」が、きわめて大切なのだと改めて思った。
メッセージを発信する仕事。作品を観て人は精神世界での自由を得、幸せを得る。
やっぱりアーチストという仕事、生き方は面白い。

100歳まで作品づくりを続けるとのこと。彼の手相学?によると、私も長生き派だそう・・だから、先輩の生き方を見習いて、生涯アーチストの道を冒険するとしよう。
絵でもいい、文字でもいい、音でもいい。精神世界に訴える仕事は、人間に与えられた尊い仕事だ。次の渡辺さんの作品がまた楽しみになる。
渡邊さん1

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夢の街にある、ドリーム妄想

私が大好きなマカオのお菓子を地道に営んでいる店がある。卵と小麦粉だけを使うのであろう、この焼き菓子の素朴な味わいは、ポルトガルから伝来するものだと推察する。カステラやサブレに近い、素朴なお菓子。中華風ではなく西洋の煎餅だ。
この店を20年ほど前に、初めて発見したときは感動した。観光客がたむろするセナド広場の少し坂を上がったところで、老人夫婦が小さな店を構え、ただひたすらに煎餅を焼いていた。旦那が焼く、妻が袋詰め・・と接客。黙って仕事をしているが呼吸が合っている。この老夫婦の単調であるが、息の合った仕事ぶりをずっと眺めるのが好きだった。マカオの良き時代を感じる仕事であり、異国文化を感じる商品だ。
言葉が通じないので、会話はできない。挨拶とお礼だけだ。その夫婦が作る焼き菓子。それを食べるとポルトガル領のマカオに来たという気がした。南蛮人が持ち込んだ味だと勝手に感動していた。マカオという街が返還後、他が変わってもずっとこの店が続くことを願っていた。そしてパッケージの一部を切り取って冷蔵庫に貼って、忘れないようにしていた。
(大昔、わがサイトでもこの老夫婦のことは紹介したことがあった)

中国の発展とともにギンギラギンに変貌するマカオに距離をおきたくなって数年行かなかった。昨年久しぶりに行く機会があり、雑踏のなかを抜け、その店があった場所を探し歩いた。あるはずの場所にもうその店はない・・。その店がもうなくなったことに気づき、ショックを受けて歩いていたら、街の中心セナド広場の脇にパラソルを発見。そこで屋台としてその息子らしき人がその煎餅を焼き営業しているのを発見、飛び上がるぐらいにうれしくなった。迷わず「爆買い」した。もう二度と出会えないと思っていたから、店舗がなくなっても屋台で引き継がれていることに感動した。

今回、旧暦の正月を迎えるシーズン。再び現地に足を運ぶ。その息子らしき人は同じ場所で営業しているのだろうか?神様に祈るような気持ちで、正月気分で賑わう装飾華やかなセナド広場、その片隅に屋台がないかを探した。すると長蛇の列ができている店をみつける。なんと、その煎餅屋だ。
やっぱり現地の人や中国の観光客にとっても、おいしいのだ!納得しながらその列に並ぶ。休むことなく、鉄板に小麦と玉子を混ぜた生地を置いて焼き、袋詰めし、接客する。すべてをひとりでやっている。食べ物を作っているため、お金を触ると手が汚れるので、お客が店主に指定された場所にお金をおいて、おつりをもっていく・・というセルフ方式だ。横から強盗がこないか、ちょっと気になるが、行列ができる店にそんな悪事をはたらく輩は寄りつけないのだろう。

日本では滅多に並ばない。でも、今回は並ぶ。20分以上待って、やっと買うことができた。
「日本からまた来たよ。」というと、ひたすら煎餅を焼き続ける息子は少し笑った。そして「加油!」(がんばって!)と言って商品を受け取り、そこを去る。本当はもっとその仕事風景を見ていたいが、見ているだけでも邪魔になりそうだ。
とにかく人気の店だ。ずっと焼いて、ずっと売っている。1日この作業と接客を続けたら、何センチものお札が積まれるはずだ。
屋台なので、その場所代は多少払うにせよ、かなり利益率のいい商売と見た。
原材料は卵と小麦。鉄板2つ。包材。焼くための燃料。ひとりで商売をしている。
たくさん稼いだ日の翌日、急に休むこともできるのだろう。とにかくずっと働いているその息子を見ていて、彼の夢はもしかしたら?と想像した。
一生懸命働いたあとは、何か別のことをする?カジノに行く?いや、行かないだろうな。
いつか大きな店を持つのかな・・・。

一攫千金もよいが、地道に地道に働いて叶える夢。
マカオでは、その両方が見える。

まさに夢の町。ザビエルが目指した夢、煎餅屋の夢、カジノに通う人たちの夢。
人それぞれその形は違うけれど、夢は夢。
さて、私の夢は?地道にいく、わが道をいく、プロセスを楽しみ生きていきたい。マカオせんべいや

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