3.11を胸に。日常からの防災を考え、備えるきっかけに・・。防災ドラマ公開記念「携帯式ヘルメットプレゼントキャンペーン」が始まりました

すでに本ブログでもご紹介済の、東京のしなやか劇団B.LET’Sによる 防災ミニドラマ「東京(携帯式)ヘルメット物語」。
YouTubeで、公開して約1か月。おかげさまで、じわじわと多くの方に視聴いただき、感想もお寄せいただいております。
私のオリジナル曲「人生は観覧車のように」や「フランチェスコの夢」も
このドラマにマッチしているとのお声をいただき、意外な相乗効果に驚いております。

来たる3月11日は、あの東日本大震災から10年です。
それぞれが思いを寄せ、備えることの大切さを改めて自分事として、見直す機会にもしたいと思います。
この節目に合わせて、本ミニドラマをごらんいただいた方に、ドラマに登場する携帯式ヘルメットがもらえる!という企画がスタートしました。

ぜひこの機会に、改めて「東京(携帯式)ヘルメット物語」をごらんいただき、
エントリーいただければと思います。

わずか1本約7分のドラマが3本。思わず笑ったり、うるっときたり、不思議な癒し系の防災ドラマです。
へんてこな名前も、我ながら~と、実は、気に入っております。

ミニドラマはこちら
東京(携帯式)ヘルメット物語 – ビーレッツ ホームページ (jimdofree.com)

プレゼントキャンペーンの詳細はこちら

プレゼントキャンペーン | A4シェルター・タフ 折りたたみヘルメット (a4t.jp)

防災ドラマの感想などはツイッターでも公開中
株式会社マキトー・コンフォート(公式)さん (@makitou_comfort) / Twitter

プレゼント応募は、3月末日が締切です。

小さなキャンペーンですが、じんわりと、しっかりと防災を考えるきっかけになれば・・・。

そして、皆さまのさりげない日常の備えにお役に立てれば、幸いです。


プレゼントキャンペーン | A4シェルター・タフ 折りたたみヘルメット (a4t.jp)

カテゴリー: Info | 3.11を胸に。日常からの防災を考え、備えるきっかけに・・。防災ドラマ公開記念「携帯式ヘルメットプレゼントキャンペーン」が始まりました はコメントを受け付けていません

命までとられないから。

日々、心配ばかりしている人がいるとする。
心配するぐらいなら、心配する暇があるぐらいなら、まず行動したら?
まずやってみよう。
と言いたいし、そんな人が周囲にいたら、そう伝えるようにしている。
どう行動すればよいかわからず心配する人がいれば、何をすればいいのか
ヒントを伝えるようにする。
自分で考えることをしないと、何か言われないと不安、心配になる。
だから、自分で考えるようにしたい。
自分で考え、行動することが、人生を面白くする。

ぐるぐる迷っている人がいるとしたら、道がわからないのかもしれない。
その人が歩きやすい、歩きたい、歩くべき道をいくつか示してみる。
こっちへ行きたいんじゃないの?こっちだとあっちに行けるよ・・と。
とにかく、元気に歩き始めることができるならばそれでよい。
その道を歩くことが苦手ならば、他の道を探せばよい。

トンネルの中にずっといる人がいたら、暗闇のなか、不安でいるはずだから、
あっちに行けば光が見えるよ。とこっそり教えてあげたい。

不安でいる、元気でいられない人、そんなとき・・。人生はまあ、いろいろある。
でも、それでも生きている。今日も生きている。
仕事があるだけ、家族がいるだけ、食べるものがあるだけ・・・どんなことも
幸せである。

そう思えば、不安になっている、何もせず心配している時間がもったいない。
失敗しても、大丈夫。命までとられないから。
失敗しても、成功しても生きていれば、明日が来る。
畏れず、行動したい。

と、自分自身にも毎日言い聞かせ、そして迷っている人にも、そんなことを
伝えたい。



カテゴリー: Essay (Word) | 命までとられないから。 はコメントを受け付けていません

名前はブランド。

今、改めて夫婦別姓について、公的な場で、あれこれ議論がなされている。
もう半世紀前から、そのことは気になっていたし、
結婚って何だろう?姓って?家族って?夫婦って?と疑問がどんどん沸いてきて、なんだか日本社会が窮屈で、古臭くて、いやでいやで・・・。
そんなことからか、未婚ではなく非婚という意思でもってこれまで来た。
結婚したら、一人前みたいな考え方は、まったく受け付けなかった。
また、結婚という契約で、どちらかの氏名が変わることに抵抗がないのだろう?
名前って、自分の一部ではないのか?名前は自分のアイデンティティではないのか?海外の多くの国では、結婚しても名前を変えないで、そのまま生きていけるのに、なぜ、このような今の時代に陳腐なスタイルがいまだ、残っているのか。
との疑念もずっと消えないまま、世の中が変わっているのに、一番大切なところが変わらない。

名前はその存在のブランドをあらわす。もちろん自分では命名できないから、
いろんな思いで改名する人もなかにはいるが、ほとんどの場合は親から授けられた名前をもってひとりの人生を生きていく。
名前があってこういう人になってほしいという思いがあって、そのように育てられたという人もあるだろう。
名は体を表す。その人自身を表す。パーソナリティを表す。

しかし、日本の姓は、家をあらわす。個の前に家がある。
家の存在が、姓の問題を浮き彫りにした。
家制度が、いつまでこの国に根深く残り続けるのだろう。
時代にあった家族というカタチがあるというのに、本当に時代遅れ
な国である。

今さらのことを、今まだ時間を割いて、無駄なお金をかけて話し合っている。
名前は、存在である。
と私は思っている。今尾昌子という商品が生きている。これが違う名前だったら、きっと違う内容になっていると思う。

カテゴリー: Essay (Word) | 名前はブランド。 はコメントを受け付けていません

眼に浮かぶ、姉妹兄弟たち

みんな、元気かな。
とくに、東京周辺に住んでいる、しばらく会えていない人たち。
年賀状で元気な様子が分かった人もいれば、
お互い連絡がとれていなくて、ご無沙汰しっぱなしの人もいる。
季節が春に向かう今、ふと いろんな人たちの顔が浮かんでくる。
元気かな?仕事、やっぱりリモートかな。仕事あるかな?大丈夫かな?
お子さん、元気に育っているかな?夫婦仲良くやっているかな・・・。

一度に連絡とれないけれど、合間を見ながら、メールを送ってみる。
元気でーす。と、すぐ返事をくれる人たち。
近況を教えてくれて、コロナ落ち着いたら、会いたいです。家を建てるから来てほしいです。子どもの受験の報告します。いつも覚えてもらってありがとうございます・・・・。

などなど、いろんなメッセージをいただく。本当の兄弟姉妹のように、
その元気な様子、成長ぶりがうれしく、あたたかい気持ちになる。

こんなとき、眼に浮かぶ人がいたら、すぐ連絡をしておきたい。
コロナは、人と会うことを貴重な経験に格上げしてくれた。
人を大切にすることを教えてくれた。
会えることの楽しみを、以前より大きくしてくれた。

と、そんな見方もできるのかもしれない。

今日から3月。
年度末で出会いの前の、別れもありの1か月となる。
リモートでの別れもあるかもしれない。なんともいえない感じもするが。

仕事上での別れがきっかけで、兄弟姉妹のような関係に発展することもある。
3月。別れを前に、普段以上に人を大切にするひと月としたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 眼に浮かぶ、姉妹兄弟たち はコメントを受け付けていません

半世紀変わらぬ、信子さん。

信子さん。私の実家のごく近所のおばちゃんの名前だ。
私が幼稚園、小学校の頃から、ずっと 近所のおばちゃんのひとりとして
馴染んでいた。母同士が仲良しだ。同世代、母よりは少し若い。
私がピアノやエレクトーンをやり始めた頃から、ずっとだお馴染みだ。
18歳で岐阜を出て、40年。
しばらく近所のおばちゃんたちともご無沙汰であったが、
ふるさとライブや地元での演奏会には、皆さん揃って来てくださった。
おばちゃんたちにとっては、私はいくつになっても
「まさこちゃん」
である。

そのおばちゃんたちのなかで、最近、かなり接近気味の方が何名かいる。
母のことを気にかけ、いろいろしてくださる皆さん。ありがたい。
お菓子や野菜をもってきてくれたり、コトバをかけてくれたり・・。
岐阜新聞のライブまで、車に乗り合って駆けつけてくださったり・・。

とくに農家をされている方たちは、自分でつくったものを、農協の直売所に出すついで・・といっては、今日はとれすぎた・と言っては、実家に届けてくださる。
このたび、その信子さんから、新鮮な野菜のおすそ分けをいただいた。

信子さんが作ったほうれん草、ブロッコリー、カリフラワー。はじめて見た。
そうなんだ。おばちゃん、畑仕事のプロだったんだ。そういえば、子供の頃から
いつも畑にいた・・。かっぽう着や、麦藁帽や長靴をいつも履いているイメージ。いつも働いている、働き者なのだ。
学校帰りに、畑の横を通り、作業から立ち上がったおばちゃんと目が合うと、「あ、まーちゃん、今帰り?」と声をかけられたものだ。

信子さんのほうれん草。
信子さんのブロッコリー。
信子さんのカリフラワー。

実際に、いただいてみた。
どれも格別だ。やはり作る人の顔が見えると、余計においしい。

どれも味がしっかり、甘くて、野菜の味がする。感動した。

子どもの頃は、単なる近所のおばちゃんであった信子さんの半世紀が
これらの野菜を食べながら、走馬灯のように蘇った。

畑仕事をする人は、若々しい。信子さん、かっこいい。母とともに、
元気に長生きしてほしい。
近所のおばちゃん、子供の頃は、ちょっと苦手だったけれど、
今はありがたくて、愛おしい。

カテゴリー: Essay (Word) | 半世紀変わらぬ、信子さん。 はコメントを受け付けていません

ただただ、おかげさまの1年。

年度末である。企業やお役所などの組織では、年度末の締めと、新年度に向け、ラストスパートと準備。
1年を振りかえり、新たな年への準備に大忙しだ。
例年であれば、転勤の内示などもそろそろ・・・であろうが、コロナ禍のなか、
転勤者も少ない傾向かもしれない。
そんなに動かなくても仕事ができる。それに慣れてしまったから。
もしかしたら、引っ越しが少ない春になるのだろうか?
いずれにせよ、多くの人が働く企業には多忙な季節がやってきた。

それに比して、おひとり様業の私。
22回目の確定申告も無事終わり、1年を振り返る。
まずは、健康で、元気に1年を乗り切れた。
またおかげさまで仕事も、例年と変わりなく 身体的移動距離は減ったけれども
できる範囲での活動は継続でき、充実の1年を過ごさせていただいた。

自主コンサートができなかったこと、演奏活動の自粛はやむを得なかったが、
違う方法でのチャレンジをする機会になった。

日本や世界的には、いろんな意味で、膿を出す1年になったのかもしれないが、
それも、私にとってはありがたかった。
このまま、世界が日本が進んだら・・・の危機感がピークであったが、
この1年で、かなり違う環境になったと感じている。

変わらないこと、
普遍を追い求めること。
慢心しないこと。
調子に乗らないこと。

周囲の皆さまのおかげで、今、自分がこうして無事に生きて
いられるということを、片時も忘れることなく、
感謝しながら、毎日を大切にいきていきたい。

おかげさまで・・。
2021年もまもなく、2か月を終える。
この気持ちを大切に、楽しく充実した毎日を創っていきたい。

カテゴリー: Essay (Word) | ただただ、おかげさまの1年。 はコメントを受け付けていません

大人になっても叱られたい

叱咤激励という言葉があるが、デジタル社会で人間関係が希薄になるなか、
この古臭いコミュニケーションはお宝かもしれない。
いろんなビジネスマンの皆さんと、日々やりとりさせていただいているが、
ときには、「そんなんでいいの?」「甘えてない?」「やるならやる、やらない理由は言い訳にすぎないよ」・・・といった言葉をかけるときもある。
一見優しい言葉は、何のためにもならず、真剣に相手のことを思うときには、
本気で叱ることも必要だと思う。
大人になると、距離感が大事で、相手の心に踏み込むこともしないで、表面的なつきあいが増えてくる。
それはそれでもいいけれど、本気で相手に向かいたいときには、表面だけのお言葉は意味がない。

厳しい言葉をメールでも、対面でも連呼せざるを得なかった相手の方より
叱ってくれる人がいないので、ありがたい存在です。ありがとうございます。

と、そんなメッセージが届いた。

大人も叱ってほしい。自信がないまま、手探りでみんな大人になってきた。
だから、迷うときには道を示し、おかしいときにはおかしい。と真剣にいってくれる人がいると安心するのかもしれない。

結局、大人も子ども。人は甘えたり、甘えられたり。

とにかく叱ってくれる人は、確かに貴重かもしれない。

カテゴリー: Essay (Word) | 大人になっても叱られたい はコメントを受け付けていません

選択、決断の春に。

このコロナがきっかけでこの春を契機に、新たな道を進む人が増えている。自分の周囲でも何名かいる。

会社都合、自己都合、どちらだけでなく、このような状況であるならば、ここでチャレンジしようという選択をされている人も多い。

何かきっかけがないと、人間はなかなか変わらない。
何か節目がないと、次へ進むことが難しい。

そういう意味で、コロナという得たいの知れない存在は、人生の選択や決断の
きっかけになっている。
もちろん、そのなかには撤退、閉店という決断もあり、決して、全部がハッピーということではないが、
この時期だからこそ、同じ道にしがみつくのではなく、新たなことを始めようと
いう決断もある。

大変な時期にこそ、勇気をもって、一度整理して、新しく進むという選択を選ぶということは意義がある。

何もなく、無事に生きていくことも悪くない。
でも、何もないという人生よりも、何かある、何か新たな出会いがある、という道の方がわくわくする。

いろんな選択、決断を迫られる人たちが、3月からさらに増えるだろう。

関わる全ての人のその意志を応援し、大切な人たちの新たな道の出発を見守り、
そして環境が変わっても、素敵な関係づくりを大切にしたい。

私自身も、少し先を見据えながら、選択肢をつねに持ちながら、小さな決断を繰り返し、いろんな道を歩きながら、生きていきたい。

安定した先にたどり着ける一本道は、ないのだから・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 選択、決断の春に。 はコメントを受け付けていません

コロナを自分事に。

毎朝、毎晩各報道番組、紙面で示されるコロナ患者数にはどうも説得力もない。それでも毎朝、毎晩そのデータと日本地図(世界地図)が示されるのが習慣となり、今日は減っている、増えていると一喜一憂。この数字はいつかゼロになるのだろうか?
ワクチン接種で、早くマスクなしの普段が戻ってきたら、うれしいけれど、
まだまだ先は長い・・。

と言いつつ、コロナは気を付けるけれど、自分事ではないような感じもしていた。これまで、周囲に周囲に感染した人がいないためだ。

しかし、今回、東京で長らくお世話になってきた、あるお店のご主人がコロナで先月お亡くなりになったと聞き、その重症化にいたる月日の速さを、奥様からお聞きし、コロナの怖さが現実のものとなった。
あっと言う間に会えない人になってしまわれた・・・。奥様はつとめて明るく話されているけれど、どんな気持ちで病院に連れていかれたのだろうか・・・などなどいろんな思いが駆け巡る。
そのご夫妻は、小さなお店を営んでおられた。コロナで売り上げ減少、そして旦那さまのご不幸・・。そんなことでこの春にはお店も閉店しようと思うと告げられ、コロナがこういった業種にも大きな影響を与えていることにも衝撃を受ける。
お顔を存じ上げている人がコロナでお亡くなりになるとは・・・。
初めての経験だ。
改めてこの感染症を、正しく畏れ、気を付けて生きなければと気を引き締める。

亡くなられたご主人のご冥福を心よりお祈りするとともに、このパンデミックの1日も早い終息を心より願う。

カテゴリー: Essay (Word) | コロナを自分事に。 はコメントを受け付けていません

自分への誓いを毎日

このところ、といっても何年も・・ずっと早起きの生活だ。
東京にいたころからも早かったけれど、さらに加速して、今は2時、3時台起きも日常だ。
世間が静まり返った時間に、目覚めて活動開始するのは、気持ちよい。
静かにコーヒー、あるいは紅茶を入れながら、香りを楽しみながら、覚醒していく。今日しなければならないことを考えながら、さまざまな人の顔が浮かび・・。
そんなとき、ふと今日こんな一日であるようにがんばります!と、宣誓したくなる気持ちが湧いてくることがある。
甲子園の選手宣誓のように、自分の一日を、まさに野球の試合のように、1ゲーム1ゲーム、一球一球を魂込めて、勝ち抜いていこうとする気迫の誓いにちょっと近い。
「今日は〇〇をがんばります!」誰に聴いてもらわなくていいから、自分の胸のうちで、宣誓をすることで、なんだかテンションも上がってくる。
何に、誰に誓うのか?自分に対してでよい。
宣誓とは、本来は、宣伝の「宣」でもあり、多くの人の前で言うことに意義があるようであるが、自分に向かう宣誓でも、十分意味がある。

自己対話を充実させ、気持ちよい朝をスタートする。私流ではあるけれど、
そんな生き方、気に入っている。
たとえば、今日の宣言。「今日接するすべての相手に喜んでもらえるよう、心を尽くします。」

カテゴリー: Essay (Word) | 自分への誓いを毎日 はコメントを受け付けていません