「二人」という単位を生きる限り、心ゆくまで

心の姉さんのような存在の人がいる。久しぶりにお会いすることができた。仕事での相談あるたびに、銀座の三越で、ときには実家にまで・・といろいろご足労いただいてきたが、最近は時間がとりづらく、外出もままならない状況であったので、今回は近所の駅まで出向き、久しぶりにお会いすることができた。
その方と旦那さん、二回りも年が違うそうだ。年が離れているから・・とは聞いていたが、親子に近いほどの年齢差。そしてその旦那さんは、今90歳で、がんとの闘病中。心の姉さんは、献身的に彼(ねえさんは、旦那さまのことを「彼」と呼ぶ)」に付き添い、寄り添い、日々、静かに暮らしておられる。そういえば、癒しのために犬も飼うようになったらしい。「彼が最期は自宅で。と希望するので」ということで、病院ではなく自宅でゆっくり過ごす。訪問看護のサービスも受けながら、24時間体制。深い睡眠がとれなくて・・とおっしゃるので、本当にご夫妻とも大変だと思う。
「一緒に出掛けたがるのですよ。車いす用の車も手に入れました。本が好きだったので今はもう読めないけれど、とにかく本屋へきて本を買って、食事をして・・ということもしています。子供がいないのでね・・・」・・・近況を聴きながら、自分の老後を重ねてみる。
「亡くなったあとは、お骨を沖縄の海へ・・・と言っています。多くの戦友がそこに眠っているからということで・・。」目に涙を浮かべながら、愛するパートナーのことを話してくださる姿に心うたれる。
相方って、大切だ。私にとっても相方はかけがえのない存在だ。
いつかその単位が終わる、いずれかが欠けてしまう日が来るのだろうけれど、それでもこの単位は大切にしたい。

自分で選んだ道、自分で選んだ相手だから、生きている限り一緒に生きる。

いっぱい優しく、できることをして、そして、自然に、普通に。
心から、このご夫妻の静かな幸せを、お祈りしたい。

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がラスの天井?ジェンダー?

アメリカの大統領選が熱い。少なくとも選挙戦自体のプロセスがわかりやすい、スピーチが面白いという点では、日本の選挙より何百倍も興味深い。
個人的には最後まで戦い続けているサンダー氏に好感をもっているが、実際にはヒラリー対トランプの対決になるようだ。
さて、今回、ヒラリー・クリントンが民主党の指名候補になったことが、主要政党で女性初の指名候補ということで沸き立っているとか。これまで女性が突き抜けることができなかった「ガラスの天井」を突き抜けたなど、アメリカのマスコミは報じ、年配の女性たちからは、ヒラリーが女性初の〇〇になることは夢の実現だそうだ。そして、今回の選挙は「ジェンダー」が争点になるだろうともいわれている。
私は、この見方にはちょっと懐疑的だ。
結局、男か女か、黒人か、あるいはその他のマイノリティーか・・などが一番大切なことなのか?男でも、女でも、何人であっても、その才能・器がある人が選ばれれば良いことだ。またヒラリーは女性だからといっても、いわゆる普通の庶民感覚をもつ女性とは違う。大統領夫人というキャリアがあってこそのという背景もあるから、単純にここで、女性初と盛り上がるのはいかがなものかなと思う。国会議員の数も女性が多いとか少ないとか、そんなことも関係ない。
男でも女でも、その仕事にその役割にふさわしい人が就けばいいだけだ。
だから、社会全体が、「女性が、女性が」と言い続けている以上は、大変遅れているという感じもする。
そういう意味で、実は、アメリカも遅れているのかも・・。それに追随する日本はもっと・・である。

と今、思えるのも今は女性にとって生きやすい有り難い時代だからなのかもしれないが。これはその時代、その性に生まれたものにしかわからないことだ。
ジェンダーと社会の関係は本当に難しい。ま、いずれにせよ、世の中の変化を感じながらの選挙戦。若者の感じ方も大切にしなければ。

さて、トランプがこれから、どこまで変化するのか、も見どころだ。
誰の心をつかみたいのか。そのために何をするのか。
この何か月間、広報という視点でアメリカの選挙戦を楽しみながら勉強させて
いただくとしよう。

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モチベーションを上げる、その「一言」

物書きは話すことも得意だということが最近わかってきた。言葉の職業だから、手で書くことも、口で話すこともアウトプットの形は違えど、伝えたいことはひとつだから、書ける人は話せるのだろう。おそらく、その逆も真のはず。
メモをとらなくても、すいすいアタマに入ってくる、90分という時間がアッという間に感じられる。そんな講義を受けた。作家の方の講義は、パワーポイントや映像をつかう人はほとんどおられず、コトバ一本で勝負しているところが潔く、これぞコミュニケーションの基本と思う。
そして時代が変わっても、コトバの力は人が人として生きる以上、最大かつ最高の武器にもなることも再認識する。
さて、ある作家さんの講義。「創作脳」についてのレクチャー。なんだかこれまで自分がやってきたこと、やろうとしてきたこと、今まさにやりかかっていること・・すべてを肯定してもらえているような内容で、わが人生、間違っていないなと思えてきたほどに、うれしくなり、勇気もわく。
その講師とは実は、2~3度、ちらりとだけ会い、名刺交換をしたことがある。
そして今回は授業を受けさせていただく。
「こんにちは。マーサです」というと、その先生は「もちろん覚えているわ」という目で合図し、「楽しみにしています」と背中を押される。そして、私の顔を見て「作家の顔になっているしね」と一言。
先の投稿も顔について書いたが、今回は自分の顔か~。
顔というのは第一印象に残るコミュニケーションツールなのだ。

実は90分の講義の内容もさることながら、この一言が私のモチベーションをかなり引き上げた。顔で決まることはないと思うが、その世界で生きている人に、同じ匂い?輪郭?形状?をかぎ取ってもらえたならば、うれしい限り。
作家の顔、作曲家の顔、マーケッターの顔、シンガーの顔・・。全部同じ顔に見えるのかそれぞれ違うのか?
とにかく、何気ない一言で、「私はできる!」と妄想を抱きはじめることができるのだ。私も、今後、誰かを一言でモチベーションアップさせたいな。

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「顔」と「不適切」

ちょっと前まで自信に満ちた顔をしていた人、大きく見えた人が最近、小さく縮んでいる、顔つきが変わってきている。
民衆、住民の幸せのために働くことを誓い、選挙のときに輝いていた人。蓋を開ければ、自分のことばかり。公職であり、税金を使い仕事をさせていただく立場でありながら、あきれ果てる生活感覚、公私混同。側近の秘書たちは、この何年間、どう思いながら仕えていたのだろうと想像してしまう。きっと違和感を感じ、軽蔑しながら、仕えていたのだろう。地方公務員の人たちはそこらへんはクールで賢明だ。「それでいいんですか?」といった部下はいただろうか?

人の顔はその状況で見え方が変わってしまう。
おそらく見る側のフィルターが変わるからだと思うが。
今、彼は最高にみっともない。醜いおじさんで、この上なく恥ずかしい。
そのことを自分がわかっているだろうか?
鏡を見て、そんな自分に気付くだろうか?
家族は?「もう、かっこ悪いから、やめたら?」ともう言っている?
こんなおっさんのために、また税金を使って選挙をされること自体にも怒りが生まれる。あんたのせいでそうなるんだから、あんたが選挙代、一生かかって払いなさいよ。と顔を見ると言いたくなる、そんな気持ちだ。

政治家という仕事は何なんだろう。
リーダーって何なんだろう?今回もまた思ってしまう。
マスコミも周囲もいつまでも重箱の隅つつきをしていないで、違う方向に世の中に
気づきを与えないと・・。今こそ、真のリーダーに現れてほしいところ。
不快感、不信感が拭えないそんな梅雨シーズン・・。

とにかく「顔」は大切だ。人に良くも悪くも感情をもたらす。それはインプットされる情報により、見え方が変わる。

最近、街角に立ち始めた選挙ポスターの掲示板を見ながら、「顔」をよく見なければと思う。そして、作り物の顔は、見たくないとも思う。ビフォア、アフターで変わらない顔の人が大切だ。

とにかく、みっともない人、恥ずかしい人は世界都市TOKYOのリーダーに「不適切」だ。
理性と知性と愛がにじみ出るリーダー、この業界には期待できないのかな。

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生涯現役が当たり前の生き方の手本

ブエノスアイレスの空港から市内へは、安全安心第一でいきたいため、送迎の車をあらかじめ手配する。今回空港に現れたドライバー。以前にもたぶんお世話になっている顔だ。年配の人なので、覚えている。オールバックの白髪が記憶に新しい。
彼は重いスーツケースを車に積んでくれたあと、運転席に座るとき、とても足か腰が痛そうで、座る動作がしんどそうであった。じいさん、大丈夫かな?運転、大丈夫かな?正直、心配になった。ま、しっかりした会社にお願いしているから大丈夫だろうとは思いつつ、発車。ゆっくりの運転だ。車中、お互い母国語でない英語でのコミュニケーションになるため、またそのドライバーはそんなにおしゃべりな方ではないため、静かな車内。ともすると、彼が居眠り運転していないかと心配になり、いろいろ質問などしながら、とにかく起きていることを確認しながら乗っている・・落ち着かない。
早くホテルに着かないかな~。帰りはもっと若い人にとお願いした方が良いかな~。という思いも頭をよぎる。しかし、そのドライバー、運転は確かなのだ。とても安定しているのだ。
心配することはない、この人大丈夫だ。目的地に近づき、徐々に安心、そして無事到着する。そして帰国の日。復路のドライバー、まさかと思ったが、往路と同じ運転手であった。
彼の運転を知っているため、もう不安はない。そして3日前に乗ったばかりなのでお互いに打ち解けている。車中でいろいろ聞いた。年齢は74歳とのこと。日本であれば個人タクシーならば、そういった年代の方もおられるだろう。そのドライバー、名前はロベルタ。タンゴも習っていたそうだ、奥様は今もタンゴを踊るとか。若いころはサッカーもやっていた。アルゼンチーナは皆そうだ。サッカーが大好きだ。ボールひとつでみんなで遊び、走った。楽しそうな、熱狂の様子が浮かぶ。
若いなあ~。そして彼らは肉をよく食べる。
定年とか、年金といった制度が怪しいアルゼンチンの社会。老人も普通に現役で働いている社会。運転を若者に代わってほしいなんて、大変失礼な発想であったとロベルタと話していてつくづく思った。そう、若者より経験があっていい仕事ぶりだ。

一生仕事をし、現役で仕事をする。そんな人生が健康的でいい。
私自身も、生涯現役でいく予定であるから、このブエノス社会はとても参考になる。
いい年を重ねている人が多いこの国。

空港に着いた。ロベルタと笑顔で握手をし、また今度。どうぞ気を付けてね。とお互いに言い合い、彼の車を見送った。

豊かさとは、贅沢をすることではなく、自分の足で、アタマで自立することができることだ。

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「まだ」と「もう」の攻防

一緒に仕事をしている20代の女性と移動中に話をする。なんでも近々出張で初の海外体験をするとのこと。「これまで行ったことないんです。これまでも特に行くことはないな~と思っていたのですが。。」と、戸惑いながらも楽しみにしているようでもある。
「私も初めて海外にいったのは25歳のときの出張でしたよ。その1回から人生変わりましたよ~」と答えながら、自分の25歳の頃を懐かしむ。
そう、まさに25歳の5月であった。初めての出張は印刷業界でのNY市場視察。この頃はこういった視察をグループでという時代だ。
NYに慣れることがなく、酒と米がある日本にすぐ帰りたい~、と最後までのたまっていたおじさんたちもいたが、私にとってはこれが文明開化のはじまりとなった。
あれから27年。海外に何度足を運び、さまざまなことを経験、吸収させていただいてきたことか。
そんなことを思いながら、久しぶりにブエノスアイレス行きの往復路、ヒューストンで飛行機を乗り継ぐ。ふと、「27年前が初渡航だったのか~」と空港のトイレの鏡を見ながらしみじみ思い、25歳の自分に戻る。
もう27年か、まだ27年か。気が付けばいつでも、「まだ」と「もう」が攻防する日々の暮らし。「もう」・・といってしまうと、もう幕引きが近いような感じがし、「まだ」といえば、これから未来がある感じがする。
できれば、これからも「まだ」が「もう」に負けぬように、日々若い気持ちで向かっていきたい。25歳のときと、今の自分の違いはこの間に多少の経験を積んだということだけ。まだ生きている、まだ生きる、まだやれる。これらの気持ちは25歳の時以上に強くなっていると思う。

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ON TIMEは奇跡

日本の交通機関の定時運行は世界にも稀といえるほど。最近でこそ悲しいかな、人身事故が増え、時折それが中断され、急ぐ人々、定時運行が当たり前と思っている人にとってはイライラする事態。人身事故の増加の件は別途考えねばならない深刻な社会問題であるが、それを別にすれば、日本のON TIMEへの取り組みは素晴らしいと、外国に行くといつも思う。イタリアやフランスでの列車遅延は当たり前のようで、本当に来るのかといつも不安に思う。まだ事前情報が入りやすいネット社会になり、対処できることもあるができないことも多い。
今回も南米行の飛行機が往復とも遅れた。今、思えばそれでも幸運の遅れだったといわねばならない。
最初に乗る飛行機が遅れると、次の乗り継ぎ便に影響が出て大変困るが、
今回は往復とも乗り継ぎ便自体が遅れるという事態。
南米に行くときはある程度覚悟をしている。なんせ最初に行ったときに帰りの便が飛ばずに1泊強制的に延泊となったことがあるため。
今回はいずれも、目的地への到着が遅れるということだけであったので、まだいい。
と、気も長くなる。
ではあるが帰りの乗り継ぎ便。予定であれば4時間ほどの待ち時間。それが乗り継ぎ地に着いたとたんさらに3時間待たされることが判明。7時間空港で待つのはなかなかの試練ではある。
ふと考えた。この3時間遅れた分の人生の時間はどうなるのかな?と。
3時間、人生も延長できる?いや、それはない。だからこの3時間を有意義に過ごす、あるいは残りで帳尻を合わせるしかないのだ。

と、待ち時間が急にできることで、いろんなことを考えるものだ。
おかげさまで、空港のラウンジで多くの旅客を見、いろんな国籍、民族の人たちの様子を観察しながら、ON TIMEというのは気象条件、そして関係者すべての善意・善行・健康がなければ実現しないことなのだと、改めて定時運行のありがたみを痛感。

今はネット社会で、今、乗り継ぐはずの飛行機がどうなっているのか。遅れた飛行機はどこを飛んでいるのかも瞬時にわかる時代。その便利さはありがたいが、
飛ぶこと自体に こんなに簡単に移動できる現実に感謝をしたい。

ON TIMEは有り難いこと。当たり前ではない。

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俳優だけが眠る墓地での祈り

ブエノスアイレスの墓地といえば、レコレータと答える人がいるかもしれない。ここはかのエビータら国を代表する人たちが眠る高級墓地。それ以外にはチャカリータという地区に大きな墓地があり、そこには名家といわれる家族のお墓、天国の高級住宅街のごとく、立派な墓が立ち並んでいるかと思えば、墓地内の道路を一本入ると、生前活躍したアーチストから一般の人までがここに眠っている。
1年半前に訪ねて探したけれど、亡くなって半年ほどであったためかまだ公開もされていないということで、手を合わせることもできず、悔いを残して帰った、アルゼンチンを代表するタンゴ歌手ヴィルへニア・ルーへのお墓。もう2年経過しているので、今度こそは公開されていることを願い、思い切って再び訪ねることに。前回車に乗せてくれて親身になって墓探しを手伝ってくれたドライバーの連絡先のメモがあったので、今回もお世話になることに。
ミゲルという元銀行マンの、このドライバーは本当に親切で同じ国に住んでいていたら、きっと友達のような存在になるだろうと思うほどの、いい人だ。
彼は今度こそ、私が尊敬するルーへの墓参りができるようにと、前日ネットでその墓地内の住所を調べておいてくれた。そして向かう。墓地敷地内に入るまでは楽しくしゃべっていたが、墓地に入るとさすがに無言になった。「ここですよ」その建物は、アクターたちだけの専用の集合墓地。写真がそれだ。俳優たちの墓と記されている。確か、前回もここまで来て、門前払いになったのを思い出した。
共同墓地といっても、一般の人は入れない家族専用のお墓である。ミゲルはその建物に私を促し、そこに一緒に入った。そして、管理人のおじさんになんとか墓参りをさせてやってほしいと頼んでくれる。前回は軽く断られた。今回はあらかじめ花も持ち、2回目なのでミゲルもそこをなんとか、日本から来ているピアニストですし・・・とかなんとかいって、管理人を口説いてくれた。すると、かたく厳しい表情だった管理人が「ついてきてください」といって、ルーへが眠る地下の墓地へ案内してくれた。なんとそのフロアには、アルゼンチンで活躍した俳優たちが大勢眠っていた。本当のマンションのようにそれぞれ白いドアがずらり並び、そのドアの中に生前人々を楽しませた俳優たちが眠っているのだ。それぞれに名前が書いてある。私にわかるのは、ヴィルへニア・ルーへの名前と、若い女優時代の写真のみ。そう、彼女は女優であり歌手であった。
そこに花器があり、管理人が私からバラの花束を受け取り、きれいにそこに活けてくれた。
87歳まで生きたルーへ。最後にステージで見たのは3年半前ぐらいだったか。とても美しく、安定感のある歌唱力で、こんな人になりたいと心から思うシンガーだった。
特別に入れていただいたお墓の中で、同行してくれたミゲルと、私は一緒にそれぞれお祈りした。ルーへ、ありがとう。渋谷の文化村で初めてみた映画で彼女を知った。彼女やバンドネオン、ピアニスト・・アルゼンチンタンゴの黄金期を創った人たち。こんな世界が本当にあるのかと、そののち、ブエノスアイレスに足を運ぶきっかけとなった人。家族しか入れない墓地に入れてもらって、ルーへはびっくりしたかもしれないが、私は何度も何度もお礼を言った。
ある日。ブエノスアイレスに滞在中、雷の夜。その日は店に出る日だと聞き彼女の歌を聴こうと店に出かけたが、彼女はその日、その悪天候のため店に来られなかった・・それが最期であった。墓まいりをしながら、そんなことも思い出した。

どんな人生でしたか?私のような遠い存在にまで影響を与えてくれて、本当にありがとうございました。私のお手本の一人だ。これでひとつ、自分への約束が果たせた。

墓地を出てから、ミゲルに「次はピアソラのお墓に連れていってもらいますかね」と話し、送り届けてもらい別れた。

ルーへ

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ブラボーなシニアミュージシャンへの尊敬、敬愛。

san telmoそのタンゴ歌手とピアニストは、70代~80歳前後だ。
以前、一度演奏を聴き、その生命力、衰えることのない、若者に負けない表現力に心底惚れた。

この町で出会う、素敵な男性にはそんな世代の人が多い。その人たちが放つオーラがすごいのだ。

彼らの素晴らしい歌唱力をもう一度注入したく、夜はちょっと危険でもあるサンテルモ地区にあるカフェのタンゴショーに向かう。とてもじゃないが、夜の一人歩きは怖いため、送迎サービスのお世話になる。

そのカフェバーでは毎晩ショーをやっている。
正直、大掛かりなショー施設もあるが、私にはステージが小さくても、そこで繰り広げられるショーに愛着を覚える。ダンサーやミュージシャンたちに息遣いや、汗までが見える、まさにライブ感あふれるステージが好きだ。
そのステージで今回もバイタリティあふれる歌、ピアノを聴きながら、タンゴに懸ける人生を思い、表現者としての素晴らしい仕事に感動した。

彼らはいくつになっても、観客を魅了し続けている。
年老いているからの感動を与えている。
若者と一緒に、演奏している。若いダンサーに華を添える素晴らしい演奏だ。
老いも若きも一緒に演奏しているその世界は、なかなか見られない光景。
文化の世代交代もされつつ、年長者が尊敬され、尊重されている素晴らしい世界。

タンゴの歴史の流れに沿ったプログラムで観客を楽しませる。
最期はラ・クンパルシータで締めくくり、最高潮のうちにショーは終わる。

シニアの歌手は歌いながら、茶目っ気のある表情で観客を魅了した。
ピアニストは彼以外の若きミュージシャンを最後までリードし、演奏をまとめた。
ここでも、「アディオス・ノニーノ」が演奏されたが、ピアノパートのむつかしいところもさすがだ。技巧よりも精神が勝っている感じ。年季が入っているのだ。

ステージが終わると、さっきまで力強く演奏していたその歌手、ピアニストは
普通のおじいさんに戻っていた。
歌手のおじさんは、さっそく着替えて 毛糸の帽子をかぶってチャオといいながら
すぐ帰っていった。

そう、彼らにとってはこのステージは毎夜のおつとめ。それを何十年も続けてきたのだろう。

本当のプロフェッショナルがいる街。
先日来日した、ウルグアイの元大統領にもちょっと似たおじさまたちが、
この町でアルゼンチンタンゴという文化を、生涯現役で、守り続けている。
その背中を見ている若者たち。彼らも誇りをもって。受け継いでいくことだろう。

ブラボーなじいさま。かっこよすぎる。

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老舗カフェを育てた翁との対面~ブエノスアイレスカフェ体験談②

TORTONI maneger

話は、先の原稿に続く。気の優しい、でも少し注意を要するギタリスト兼店のスタッフのミゲルと何やかんやと話し続けていたところ、店のドアが開き、ひとりの紳士が入ってきた。すると、店全体の空気が変わった。紳士は80歳前後に見える。それ以上かもしれない。往年のタンゴ最盛時を生きてきた著名なミュージシャンたちと同時代を生きてきたような風格。冬が近づいているため、その紳士はすでに厚手のコートを着ている。それまで私と話していたミゲルの表情も変わった。そう、このカフェのボスが来たという感じだ。
ひとりの老人が入ってきただけで、従業員の態度が変わったのを感じた。ミゲルや給仕スタッフたちが、その紳士に私のことを話に行く。
その紳士との初対面。
実はその人は、このカフェに何度かきているときに、見かけたことがあった。常客か店の人かとは思って見ていた。どうやら、その紳士は店の運営面の責任者とのこと。

ミゲルはその責任者に丁寧に、敬意をもって近寄り、そして、この店の曲を作り、そのCDを持ってきたそうですよ~と、私のことを話をしてくれた。
マネージャーは笑顔で私に握手を求めた。アップで見たその紳士は凄みと温かさが同居しているように見えた。そして、ミゲルいわく世界で2番目に古いといわれる、この店に人生を捧げてきた、その老舗カフェの文化がそのまま染み入った人生を過ごしてきたような、そんな安定感のあるで表情でもあった。

そして、そのマネージャーは、スタッフに店が発行している広報誌に、このことを掲載するように指示していた。私はミゲルの通訳を聴きながら 驚いた。へ?記事にする?どうやって?。そんな恐れ多い話は、話半分に聞いておく。(実際にその広報誌も渡されたが)
それはそれとして、とにかくそのマネージャーに会え、彼とハグできたことが、最上の喜びとなった。「その曲はタンゴか?」アルゼンチンの人は、必ずそう言う。
彼らにとっての音楽は、イコール tango。
ミゲルに渡した1枚のCDと別に、持っていたもう一枚をこの紳士に心を込めて進呈した。

そのマネージャーが店内奥にいなくなるまで、空気は彼への尊敬の気持ちがあふれ、若いスタッフたちも心から敬意を表しながら、接していたのが印象的であった。

わが愛するカフェの歴史を創ってきたその本人に思いがけず会え、思いを伝えることができたのは本当にうれしい限り。

次回は、VALSASではなく、本格的なTANGOも創るとするか。

ミゲルから「会えてよかったね。週末にはショーのオーナーにも渡しておくから」と、硬い約束をし、「また来るね」と言い。店を出た。
店に入る前と、出る瞬間。わずか1時間ほどの滞在であったが、さっきと違う自分がいた。明日が勝手にいつもの楽譜屋に向かう。

またあの紳士に会えますように。どうか元気でいてください。
気持ちを受け取ってくれて・・・ほんとうにうれしかった。グラシアス。
カフェトルトーニ・・・わがメロディを口ずさみ、そのままいつも寄る楽譜屋に向かった。

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