今こそ、自分から盛り上がる。

コロナ禍の連休。正直、緊急事態宣言は他人事であるかのように、
人の賑わいが気になる。
危険な空気が漂う、駅周辺。繁華街。
みんな、とくに若者が我慢できなくなって、出かけているのか。
昨年とは違う、コロナ禍の連休突入。コロナに慣れてしまっているようだ。
突然、雨も降ってきて、不安定な天気。
なんとも、気持ちが低空飛行しそうな感じだ。
混雑する街中を歩くのは、危険なので、人混みを避けようと
帰路に向かう。

その途中、地下街の雑貨屋の店先で、ふと目に留まるものがあった。
私を呼んでいた。
それは、きらきらした傘。
ビニール傘といえば、無色透明であるが、
それに発色加工が施してあって、傘を開くと広がる世界が気になる。
ちょっと派手そうだ。
店員さんに在庫をたずねると、探してくれて、
「かわった傘ですね~。きらきらして」
「そうですよね。オーロラ色です。」
にこにこ対応してくれた。
こんな派手な傘、誰がするんだろう。そう思いながらも、
オーロラならば、今年で911から20年。偶然オーロラを見てから
20年の節目だし、このキラキラは夜道にも安全だ。
なんとなく、元気が出そうだと思って、年甲斐もなく即ゲット。
おそらくターゲットは20代のいわゆるヤ・ン・グ。
まあ、いいや。

暗くなってきた夜道。雨も降っている。早速、その傘を開いて
自宅に向かう。
周囲が真っ暗なのに、自分は光っている感じ。
これなら車にもわかりやすい。透明の傘では、危ないけれど、
反射するので、安全だ。
そして、ミュージカルの「雨にうたえば」のようなノリで軽やかに歩く。
哀しみや不安を傘が癒してくれる。そんな気分。

こんな風に、自分から盛り上がることができるアイテムを、
身近なところで探してみるのも良い。
今回は、オーロラの傘。
これからの季節、私を元気に包む、必須アイテムになりそうだ。
雨が降るのも待ち遠しくなる。
5月がはじまった。
自分からテンションアップできる工夫を、重ねたい。

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断捨離代行人。

母は、本当に物を大切にする人、というか、捨てられない人であった。
どのモノに対しても、思い出がつまっていたのだろう。たとえば、人さまからいただいたお菓子の包装紙や封筒、紙袋。旅行先のパンフレット、旅先で買ったお土産の袋・・・・。もちろん袋だけでなく、各地方のキーホルダーとかレトロなお土産、誰にあげるつもりだった?と思えるグッズまで・・・。とにかく膨大な量で、生前から、この荷物を巡ってもつねに言い合いとなっていた。
「誰がこの荷物、片づけると思ってんの。早く整理して」
「全部捨てるな~。大事なものばっかりなんや。」
と、そう言い続けた母。
コロナで外出できなくなってきて、そろそろ片付けをしなければと思ったら、
何をどうしたらいいのかわからなくなったのか、パニックに・・・。
その1年後に、荷物をそのままおいて逝ってしまった。

今、私と妹が、手分けして母の断捨離を代行している。
大量な段ボールを開封し続けている間は、感傷にひたらず、心を鬼にして
どんどん捨てる。
一つ一つ見始めたら、進めない。
とにかく5月中に。と第一弾を終えようと思っている。

思い出の品とは、本当に人それぞれで、なんでも思い出になるものだ。
そして、写真が大量に出てくる。
これは、まずは捨てない。落ち着いたら、公開して、欲しい方にもらっていただく。写真以外も、使えそうなものをまとめて、チャリティのマルシェをしようか・・・あとで母が関係していた団体へ寄付でもするか・・・。
と勝手に前向きに考え、とにかく時間をみつけて、今は、段ボールの山と格闘。
本当はこの山がなくなると、さみしくなるのだろうと思いつつ、いつかせねばならないことであるから、今、この勢いでやっていく。

荷物と格闘しながら、母の一生は、本当に楽しかったのだと思える。
こんなにいっぱいの思い出とともに、本当にまっとうした。と思えてくる。
荷物の多さへの怒りもなくはないが、ま、仕方ない。
早く終わらせたい気持ちと、終わらせたくない気持ちと・・・。これも葛藤である。

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やらなくっちゃ!

もう10年以上前のこと。地元のある町のまちづくり、シティプロモーションに関する意見交換会、パネルディスカッションに参加するという仕事があった。
そこに、地元に関係ある各業界の専門家が何名か参加した。私は広報の立場での意見をいう役割で参加。市長と懇談というカタチで、職員の皆さんがそれを聴き、市の政策の参考にするという主旨だったかと記憶する。
それがきっかけで、出席者のたちと年度かお会いする機会もあり、そのあとも、たまにやりとりが続いた。
そのなかに、パーソナルデザインのコンサルティングをされる女性経営者がおられた。その方は化粧品業界ご出身ということもあり、さすがに見た目もとても美しく、身のこなしもさすが。言葉づかいも、大変知的かつエレガント、でも力がある。へえ、こんなかっこいい人がいるのだ~。岐阜出身の方かな?確かに地元出身で、東京で活躍されていることを知る。
その後、その方から時折、メールマガジンをいただいたり、なんどかやりとりをしてきた。
昨年からも、コロナで増えるリモート会議に際し、見た目で印象をよくするためのセミナーやコンサルティングをされ、その内容も大変興味深く、時代の変化にちゃんと対応される仕事をされていると・・と感心していた。
コロナになろうが、何であろうが挑戦する方だと思っていた。

つい最近、たまたま地元のコロナ感染の状況を知ろうと地元紙サイトを見ていた。すると、最近のバックナンバーにその人の名前の記事をみつけた。
え?まじ?そうなん?あの人のこと?
そう、その方が、なんと、最近行われた、その町の市長選に立候補されていたのだ。
確かに以前、その市の招きで一緒に仕事したのであるが、まさかそこの市長になることを目指しておられたとは。もちろん、その時から志しておられたのかどうかは定かではないが。
ビューティー系の企業の経営に携わってきたあの方が、まさか政治家を目指されるとか思ってもいなかった。ふるさとをかえようという挑戦である。岐阜県初の女性市長を目指したのだ!
潔い!結果は当選にならなかったが、1万人近くの人がご自身に投票されたことを、SNSなどで感謝されていたのが印象的であった。
公務員は究極のサービス業である、という看板を掲げておられたことに共感した。

とにかく挑戦する人は素晴らしい!

同じ岐阜出身、しかも同世代の人が、こんな風にチャレンジされているのを知り、よし、私もやらねば!と思った。
東京から、ふるさとにかえる、ふるさとを変える。
共感する部分もある。もっとも、私はその器ではないが・・・。
私は私の器で、チャレンジ!しよう。

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母といただく、おにぎり。

名古屋と岐阜を行き来する日々。
この1年半は、とにかくよく往来した。
そしてこの半年は、母によく食べ物をもっていった。
にんじんサラダ、漬物、リンゴのスライス、そしてかやくご飯に、
ちらし寿司。
日々配達いただくお弁当と内容がだぶらないように、
朝食用と小腹満たし用に持参、冷蔵庫に常備した。
ひとりで朝ごはんを食べることができるように、ご飯類は
おにぎりにして冷凍。他に何もないときにチンして
食べてもらった。
デイサービスから戻った母が、冷蔵庫の中を見て、
「あれ、わしが食べていいのかな」
と電話できいてきた声が、今も聞こえてくるようだ。

主人がいなくなった、キッチン。冷蔵庫。
中身がほとんどなくなった冷蔵庫の扉を開けると、
私がつくった冷凍のおにぎりが入っている。
かやくごはんのものだ。
おそらく最後の方に届けた食事だ。

私は思わず、その冷凍おにぎりをつかんだ。
ああ、まだあったんだ。
母がいつも「おいしかった、ありがとう」と言っていた。
レンジですぐ、解凍した。

冷凍おにぎりの温め方を母に教え、
あつあつを食べられるように、すすめていた。
ごはんは炊き立てじゃなくても、美味しく食べられることを
改めて知った母は、たいそう喜んだ。

・・・と、そんなことも思い出された。
レンジアップしたそのおにぎりを、今度はこっちが
フーフー、「あつっ、あつっ」と、いいながらいただく。
母もこのおにぎりを、こんな風にして食べていたのだ。

「美味しいね。美味しいね。」
確かに、美味しい。
まさか、冷凍したおにぎりで、母との思い出がよみがえるとは
思わなかった。

また、このかやくごはんのおにぎりを作ろう。
そうすれば、いつも思い出せる。

母と食べる。いろんな場面を思い出す。
食の思い出は、悲喜こもごもに・・・、永遠である。

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きっついわー、母の日。

母が旅立って、1か月が経った。
こんなに長いひとつきがあったのかと思うほどに、
わが人生でもっとも濃厚な、また非日常も非日常、経験のない
時間が進んだ・・・。
四十九日まで、なんどかお寺に足を運び、お参りをする。
ほぼ毎週、紫色の花と好きだったものなど、お供えを携えて
伺う。
あと何回、あと何回と思っていたが、もう1か月が過ぎた。
その四十九日の法要について、お寺さんと相談して日程を決める。
たまたま5月9日となった。連休後か~と思っていた。

その後、町なかを歩くと、母の日の催事が賑やかになっている。
母の日・・・。
気が付けば、その四十九日に決めた日が、母の日だった。
いやー、たまらんなー。
赤いカーネーションのディスプレイや、デパートの大きな
サインなどを見ると、目をそらしたくなる。
毎年、何かしら必ず、プレゼントしてきた。
今年は、今年からは、贈りたくても贈れない。
・・・こんな風に、母親を亡くした人にとっての、母の日は
とくに亡くなって1年経っていないなかでの、母の日は
なかなか・・・である。
白いカーネーションを・・と言うけれど、赤に対して、白
と言われた段階で、悲しみが増すだけだ。

もっと違うカタチで、母がもういない人のことも考えた母の日の
在り方を考えてほしい。と思ってしまった。

いやー、連休明けまで、華やかなお店に行きたくないな~。
過去の母の日を思い出すのが、つらくなる。
と、思う人は私だけではないはず・・。

楽しい気持ちのときは、プロモーションもいいけれど、
催事も時に、考えものかも・・・。
もちろん月日が経てば、感じ方も変わってくるだろう。
今はそれを待つのみか・・・。

母の日は良いとして、毎日その存在のありがたみを感じながら
自然にこの状況に慣れていこうと思っている。


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応援、応援、応援!

コロナの影響は、収まる様子もなく、さらに大変な状況に進んでいる。
観光地長崎で長年、伝統工芸品(べっこう)を自ら製造、店頭販売してきた
知り合いの夫妻が、観光客も減って、しかも高齢になり、先行き不透明。
やめどきが大事だと思い、今、店じまいの方向で具体的に考えているとのこと。
周囲の店舗も、シャッターが閉まったままの店も増えているようだ。
じわじわ、全国に広がり続けるコロナの影響・・・。

同時に、大阪でお好み焼きの店舗を全国展開する会社の会長から、
三度目の緊急事態宣言直後に、メールが入る。タイトルは「コロナお見舞い・・・ありがとう」。私が1週間ほど前に送ったメッセージへの返信だ。
「このたびの緊急事態宣言。怒りの持っていき場がありません!それでも
スタッフともども生きていかねばなりません。こんな折ですが、来週は
三重県鈴鹿市内に新規出店します。祈る思いです。前向いて進むしかありません。ありがとう」

すでに売り上げ9割ダウンという苦難のコロナの1年。さらに追い打ちを
かけられることになる、今回の緊急事態宣言。
このコロナ禍のなか、こんな苦しい状況でも、挑戦しようと社内一丸となっての
前進。
やるしかない。止まることはできない。
従業員やその家族を抱え、走り続けるその姿勢に頭が下がり、その覚悟を思うと
こちらもたまらない気持ちになる。
三重県にすぐ行けなくても、地元の店になら行けそうだ。

頑張る人のこと。応援しよう。
前向いている人のこと応援しよう。
お互いに励まし合いながら、とにかく前向いていこう。

私が今できること。目の前の課題は全部、全力でやりきる。
そして、応援できる人に対しては、とことん応援する。
しんどいとき。みんなで励まし合う。元気づける。

今回、母のことで、皆さんからあたたかい応援をいただき、
元気でいられる。
このことに感謝しながら、お返しの応援、応援。応援!
長崎のお店のこと、大阪、東京の企業のこと、そこで働く皆さんのこと。
そして京都のタクシードライバーのこと。。。思い浮かぶ全ての人に、
エールを送り続ける。

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奉仕の心を学ぶ。

先日お会いした長崎のある修道会のシスターは、私たちは「祈りと活動」をします。と話された。祈っているだけでは、世の中は変わらないという。
だから、様々な奉仕活動に取り組む。その修道会はさまざまな社会的に弱者と言われる方の支えになる活動を明治の時代から、行い続けてきたという。
奉仕。英語で言えば、サービス。相手に仕える。シスターたちは自身を神様のはしため・・という言い方をされるようであるが、召使いという役割ということだ。
おりてくる課題を、すべて神様からいただく仕事として、世の中の困っている人を助ける仕事を、喜んで行う。それが奉仕だという。
ボランティア活動、チャリティも同じだ。
最近、日常の仕事も、そういった心で行うといいのではと思う。
お金をもらうからやる。お金のためにやる。もちろんそういった考えも現実的に理解できるが、それ以上に、相手に喜んでもらうようにやる、相手が元気になるように働きかける。また、とことん寄り添って、困っている人の役に立つように努力する。
この精神があれば、お互いにもっともっと引き合い、信頼しあえて、結果もより納得できるものになるはず。

奉仕の心。相手のことを本当に大切に思って、お役に立つように努力したい。
今こそ、真のサービスについて、考え、実践したい。
モノを提供するのではなく、心も届ける。
どうせやるなら、そんな気持ちを持ちながら、日々の仕事に向き合いたい。


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コロナとの真なる戦い

ウイルスはさまざまな変異、変容を続け、私たち人間に恐怖をもたらし続けている。
形、型が決まっている存在ではないため、その対処が難しい。
ワクチンもすべてのウイルスに万能というわけではなく、まさに長期戦のウイルスと人類の格闘が続いている。
そんななか、三度目の緊急事態宣言。さまざまな反響があるのは当然だ。
まさか、GWが二年連続で、そのような事態のなか迎えることになろうとは。
本当に観光業、飲食業の皆さんにおかれては、今年こそは!との期待もあったはずでお気の毒で、心が痛む。

変異種が・・といってしまえば、そうかもしれないが、このウイルスに対する
取り組み姿勢と曖昧な行動がこういった結果を招いているのではとも思う。
この国難を乗り切っていかねばならない時期のリーダーシップの欠如、関係者の気のゆるみ、無策、計画のなさ・・このことが、国民の、とくに若い人の意識低下につながっているのではと思う。
どうせ、自分ぐらいは・・・。この事態に及んでも、大声で話し、盛り上がっている若者グループを町でよく見かける。
マスクをしているからいい。ということではない。
自分ごとではない人たち。それとこれは別と思っている人たち。
今、一番怖いのは、このコロナに慣れてしまっている人が増えていること。

このウイルスとの戦いはもちろんであるが、今、もっとも戦わねばならないのは、人間の驕り。
もっと謙虚に。人間が万能ではないということを知り、あらゆる事象の優先順位を見直して、力を合わせてこの苦難を乗り越えること。

コロナとの真なる戦いは、対人間の問題。一枚岩になれなければ、いつまでもダラダラこの状況は続くだろう。
ウイルスと戦う以上に、人間の欲に潜む膿を出すことが優先では・・。

この事態に決して慣れてはいけない。1日も早く終息できるように、自分ができることを。全員がそれを実施するしかない。
ゴールデンとはまったくほど遠い、ブラック?グレー?な連休。
去年のあの頃の緊張感をもう一度思い出し、ひとりひとりができることを。
そして早くお店が普段の営業に戻れるように・・。





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一緒にいてくれる。前より近くなる存在へ・・・。

あるご縁から、何年もやりとりが続いている、ある修道院のシスター。
宗教を越えて、人として、ひとりの女性として、その強い生きざま、仕事に向かう姿勢を心から尊敬し、台風の中、雨の中、会いに出かけた。遠藤周作が愛した外海での出会い。まさに、フランス宣教師として長崎で奉仕の生涯を送られたド・ロ神父が残された一台のオルガンが導いてくれたご縁だと思っている。
会う回数こそ少ないけれど、素朴なやりとりを重ね、今日にいたっている。
このたびの母の旅立ちについて、キリスト教では帰天と言われるが、心を込めた祈りを捧げてくださり、母は幸せだと、そう語ってくださった。
そして、ご自身の経験を踏まえて、大切な人の死は、時間とともに、その存在は近くなるはず・・と教えてくださった。実際、シスターのお父様が10年前に亡くなられ、それからご自身がそう感じておられるとのこと。
「なんか、父がずっと一緒にいてくれているような、前より近くなっているようなそんな気がするのね」
そんなことを聞いていると、時間と存在の関係は面白いものだとも思えてくる。
時間の経過は、忘却に向かうこともあるが、大切な人との思い出は、むしろより強い記憶として、心のなかで生き続けるのだろう。
生きているとつらいことがいっぱいあるけれど、今は幸せですよ。
宗教を越えて、みなさん、同じことを言われる。
そして、旅立つ人は幸せ。残された人はしんどい。
とも言われる。それはそのとおりだ。でも、それも順番なのだろう。

でも、生きているからこその幸せがもっとある。もっともっとある。
今はそれを楽しみに、今日を生きる。
いろんな方の思いに、愛に支えられて、生きているな。ありがたい。
ささやかでも、その想いを大切に。今日も、新たに生きる。



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どうせなら、人がやらないこと、やろう。

クライアント企業への企画提案に際し、そのクライアント担当者も、ライバル会社も、絶対考え着かないことを考え、提案したい、形にしようと思う。
これが、企画を生業をするプロの姿勢だと思う。

今回も、新たな挑戦に向かう若きプランナーより、夜になってご相談の電話をいただいた。日が迫るプレゼンに向けて、あれこれアイデアを広げていくうちに、私が以前示した話を思い出し、改めて、詳しく聴きたくなったようだ。
質問に応えながら、それ以外にもあれこれ、ありえない面白いアイデアを連発する。あんなのもある、こんな考え方もある。この表現はどうかな?電話で束の間の企画会議さながら。但し、プランナーは電話の向こうで終始げらげらと笑っている。いいことだ。難しい顔をしていては、楽しい企画は生まれない。
笑いながら、考える。いいヒラメキはそんな瞬間に生まれる。

デジタル社会だからといって、いかにもデジタル技術に寄った提案はどこでもやりそうだ。
デジタル社会だけれども、だからこそ、アナログで人肌を感じる、プチ感動を伝える工夫。お客様は、みなそれを求めているはず。
今だからこそ、その読みは大切だ。
「あ、全然関係ないかもしれないけど、へんな事例もあるよ。あとでネットで見てみて~」
相談される以上、一見、唐突で変な、誰も思いつかない事例も伝えておく。

企画とは、企てること。何もないところから、何かを生み出す仕事。
人まねや、ありきたりのことをやっていては、価値は認められない。
どこまで人がやらないことを、発想できるか。その価値を伝えられるか。

結局は日ごろの引き出しの多さにかかっている。
彼女は、例の防災ドラマ「東京ヘルメット物語」を思い出して、企画に活かせないかと思ったようだ。まさにすでにこのネタが彼女の引き出しに入っていたわけだ。嬉しい限り。

世のなかに不安が多い分、わくわくドキドキ、楽しくて優しい企画を世に送りたい。
愛しき後輩プランナーたちに、そんな思いで仕事に向かってほしいと、心からエールを送る。



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