自分の投げた球に責任をもつ。

何事も言いっぱなし、やりっ放しというのは、また返事をしないでそのまま・・・というのは自分の性分に合わないようだ。
もらった球はできる限り早く投げ返す。それがすべての基本だと思っている。
来た球を戻さずにじっと持っているのか、受け取っているかが相手にわかるようにするのが礼儀だとも思っている。
投げっぱなし、受けっぱなしでは、コミュニケーションは成立しないと思っているからだ。「やりっ放し」では、せっかくつながろうとしていた人と人の赤い糸が切れそうな気がするし、球は受けて投げ返さないと、信頼も育たないと思っている。仕事の場面でも、何か依頼され、すぐ対応しても、そのあと何も音沙汰がなかったり、放置されたりしていると、とても寂しい感じがする。だから、自分が受けた球はすぐ返す習慣も身に着いた。忙しいから返事ができないということはない。時間がなくても、「いつまでに返事します。戻します」と一言言うことはできる。仕事とはコミュニケーションであり、キャッチボールがすべてであるということを学んできた。時々、自分が投げたボールはどこへ行ったのかと思うことがある。
思ったところへちゃんと飛んでいなければ改めればいいし、より受けやすいよう、投げ方を工夫すればよい。
そう、ストライクなのかボールなのか・・を確認しなければ、投げ直すこともできない。
無責任な仕事はしたくないし、無責任な依頼も受けたくない。常に自分の球は、今、どこを飛んでいるのかを見える、わかる仕事がしたい。でも、かかわる人全員がそのことを思わねば、そのキャッチボールは成立しないから、なかなか難しいものだ。
言いっぱなし、やりっ放しの仕事はいい成果を生み出さない。
一球一球を大切にしたい。そう、いい仕事人はよきピッチャーであり、よきキャッチャーである。猛暑のなか汗をかき選手たちが奮闘する高校野球を見ながら、コミュニケーションを学ぶ。

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「口コミ」注意報

あるお店の責任者に久しぶりにお会いする。相手が商売をされていると、「お元気ですか?」の次に「お店、どうですか?」と声をかけるのが習慣だ。
そのお店、リピーターも多いので順調かな?と思っていたのであるが、ここ何か月か大変だったとのこと。そのわけをたずねると、あるお客さんとの小さなトラブルで、そのお客さんが評判を落とすような発言を影でいろいろ言われたということもあったそうで客数が減ったとのこと。ご親切にもその噂を聞いたリピーターのお客さんがそんなことを言われていますから、気を付けた方がいいですよ。とお店に教えてくれたとのこと。お店の落ち度がなくても、お客さんの受け留め方次第で、あるいは「自分は客である」という立場から・・ということで「あの店は・・・」と不快に思い、自分だけに留めておけばよいが人によっては攻撃なのか、腹いせなのか?あるいはそこまで考えていないが思わずなのか・・悪い評判につながる発言をされることもある。
今、世間は口コミ中心社会である。しかも話す口だけでなく、SNSなどパーソナルメディアから発せられる文字・言葉が口コミとなって、いいことも悪いことも増幅され、拡販されてしまう時代。その発信者が有名人など影響力ある人とされている場合には、その伝わり方はスピードも、量も半端ではない。それで恩恵を受ける人やお店もあるが、その逆の場合は本当にたまらない。そんなつもりで商売をやっていないのに・・と邪魔をされてしまうこともあり、経営的危機に及ぶ場合もあるときく。
どんな仕事も相手があって成り立つので、とくに客商売・サービス業は一人ひとりのお客さんへの対応に対して、配慮が大切だ。とくに今の時代は、迎合しすぎる必要はないけれど、きめ細やかなコミュニケーションは大切だ。正義だけでは世の中渡れないこともある。
もちろん、客を選びたい場合は、そんな必要はないけれど、そういうつもりじゃないのに
という結果になることもあるので、ひとつひとつを丁寧に対応するマメさが必要だ。
最初の話に戻るが、そのありがたくない口コミをされたお店、そうはいっても実績があるお店であるし、最近は徐々に回復の兆しも出てきたようで・・と聞き、安堵する。それはその口コミに関係ない人たちの信頼が高いからであろう。
おそらく今後の接客は今回のご苦労を踏まえ、工夫・改善されるだろう。そして今回のことをバネにこれを生かしていただきたいと思ってしまった。不本意であっても「うまくやる」ということも時には必要だ。
口コミの時代だからこそ、気を付けることがたくさんある。口コミに頼りすぎず、むしろ誰かの口コミや評判に頼らず、「直接の関係」を個々に地道に創り続けることで、顔の見える信頼を強固にすることに重きを置きたい。
口コミはありがたくもあり、おそろしい。うーん、私自身も気を付けよう。

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変った、変わらない?いえ、毎日変わる。

久しぶりにお会いした方との再会、会食。「なんだか変りましたよね」と言われると不思議な感じがする。人によっては「いやー、まったく変わりませんね。相変わらずですね」
とも言われる。その人が、そのご無沙汰の間、相手(この場合は私)に対してどんなイメージを持ち続けていたかによって、久しぶりの再会時に「変わった」もしくは「変わらない」という反応になるのだろう。
人は毎日、毎時毎瞬、変化していくものだと思う。同じということは絶対にありえない。生き物である以上、毎日死に向かって進んでいる。その過程、いろんな環境でさまざまな経験を積み、それが反映されていくから変わらないわけはない。
何を食べたか、どこへ行ったか、誰と会ったか、話したか、学んだか、何を見たか・・。
すべての経験がその人を変化させる。
久しぶりに会うと、「変わった」とか「変わらない」とかいう話に毎回なるのも、面白いと思う。
現実的には人は日々変化する。一方、こうありたい、こう生きたいという理想・理念はころころかわるのではなく、じっくり育まれ、普遍なるものになっていくのがいいと思っている。
久しぶりに会ったその人は、別れ際「これからも、がんばって生きてください。そうしてもらうことで元気をもらいますから」と言ってくれた。そう、そこは変わらずにいなければ。かなり時間を経て再会することで、昔と違う会話ができることもある。
それは、お互いが変わってきている証拠。たまには、そんな時間も良い。

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「愛の元気人」7月分は本日オンエアです!

mostakanoi
ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」7月分放送は、本日7月25日18時~です。
今回のゲストコーナー「にいがた元気人」には、モスバーガーの新潟市立万代シティ店の石崎店長(左写真の一番左)、亀貝店の平松店長(左写真の右から二人目)と高の井酒造の関さん(右写真)においでいただき、それぞれ夏の新潟を元気に盛り上げようといきいきがんばる楽しいトークをお話しいただきました。そのほか「プチプチ感動体験談」・「コミュニケーションなんでも相談室」など大好評です。
スマホ専用アプリをダウンロードすると、世界・国内どこででもスマホで手軽にお聴きいただけます。
愛の元気人 FM KENTO

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「リポビタンD」も時には給水

ある企業の社長さんは、いつも私の顔を見ると「元気出るわー。リポビタンDだわ。本当に」と言われる。結構お手軽、でもよく効く?健康ドリンクのような存在として思ってくださるようで、これまた、うれしいお言葉だ。そういえば、他の人には、ユンケルみたいだと言われたこともあった。それでも、元気放出業は出しっぱなしだとそれなりに疲れることもある。
新潟の頼れる弟と、仕事のプレッシャーについてあれこれ飲みながら話した。その中で、いつも元気と言われるけれど・・という話も少しした。
翌日、改めてメールをいただいた。こんな内容・・。
・・・・・・・・・・・・・・
「常に人に頼られ、相談に対して100%以上で返してくれる今尾さんは、
人に対する思いやりと責任感の強さから、毎日大変なプレッシャーを感じられていると思います。でも今尾さんを「先生」と慕う皆さんにとって一番嬉しい事は、
今尾さんに大声で笑ってもらい、「大丈夫!何とかなる!」と勇気をもらう事だと思います。僕もそう思っています。

僕はトライアスロンで疲れたら歩いています。
そしてまたゴールに向けて1歩ずつ走り出す、の繰り返しです。
走っている時は前の選手や時計を見てばかりですが、歩いているとその町の山や海、きれいな景色に気付く事が出来ます。

今尾さんもまたには給水所で水飲んで、ゆっくり歩いてくださいね!
・・・・・・・
出張先での仕事を終え、湿気と暑さも相まって疲れ果ててなだれ込んだ新幹線で、その文面を何度も何度も読み返した。
なんと、うれしいこと。疲れがとれる。
そう、リポビタンDもときには給水が必要だ。このメッセージこそ私にとっての元気水となった。
ところで、人生はまさにトライアスロン。リポビタンも給水もなしでは完走できない・・。

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暑い夏は、昼夜を問わず「夢」と戯れる。

睡眠時間が少ないとき、熟睡しているときは夢も見ることなくぐっすり・・であるが、寝苦しかったり、眠りが浅くなる朝がたなどは面白い夢経験をする。仕事のことを考えながら、仕事のことがそのまま夢になったり、夢のなかでアイデアがわいたり、曲ができたり・・ということもあり、現実にあってはならない危機的なことも夢にみる。「ああ、夢でよかった」ということもある。人間の不思議のひとつは、この「夢をみる」ということだ。心理状態、しかも潜在的に眠っている記憶や意思が再現されたりする。
そして最近は、暑い日が続くため、夢をよく見るようだ。しかも気になっている人、少しご無沙汰している人。どちらかというと、気がかりな人のことが登場するため、心配になってすぐに目が覚め、ああ、あの人はどうしているだろうか?大丈夫だろうか?何かあったのではないか?とそのことを考え始め、手紙を書いたり、メールをしたりする。すると夢を見られた相手は驚いて「夢に登場!ありがとうございます・・・・」と返事をくれて、それがきっかけで再会になったりもする。元気でいてくれてよかったと勝手に安堵もする。
夢は忘れていた人、時間を思い出させてくれるきっかけになることもある。
人間の記憶とは、本当に不思議だ。科学で解明しきれない事象である。
暑い夏はおそらく、いっぱい夢を見るだろう。素直に、それを自分の心の鏡だと思い、気になるならば即行動する。それがいい。
そして、昼の夢も描くとしよう。「これから、なりたい自分は?」暑さに負けないには、昼夜を問わず、夢と戯れるのがよさそうだ。

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どっちへ向いての「チャレンジ」?

モノづくり日本のリーディングカンパニーとして世界にも名を馳せてきた会社の失墜は皮肉にもその会社独自の意味に解釈された「チャレンジ」精神だった。
海外の空港で仕事をしているインド人のビジネスマンたちが、よくTのロゴの入ったノートパソコンを使っているのを目の当たりにして、「へえ、日本のパソコンが海外でも使われているんだ」と誇らしく思ったことも多かっただけに、今回の経営失態は世界的にも恥ずかしいことだ。
昔、禅宗の大学の学長さんをインタビューさせていただいたとき、こんな話が出て、ずっと忘れられないでいる。「学生たちは、よく『頑張ってます、頑張ってます』と言うんですけどね、東京向いて走らないといけないのに、神戸の方向かっているのも関わらず、頑張ってますっていうのですわ。これは間違っている。向かうべき方向にちゃんと向かっているかが大切なんですわ。」そう、どっち向いて努力するのか?ということだ。この話を久しぶりに思い出した。
多くの企業や個人やおそらく「チャレンジ」という言葉を使いながら、自らを奮い立たせている。その使い方、その方向がとても大切で、今回の件は、大きな過ち。
組織の力とは絶大で、上下関係のプレッシャーは絶対で・・。そのこともよく理解できるが、そのチャレンジ、違っていますよ。と行動できる人がいたら、本当の意味でチャレンジだったかもしれない。
そこで働く人たちの心中を思う。
トップの責任大である。次に来るリーダーの手腕に期待したいし、私としては30年前の栄光を再び、取り戻してほしい。光る、走る会社として刻み込まれている。
それよりも、サザエさんがなくなりませんように・・。と余計な心配もしてしまう・・。

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「誰にも負けたくない!」から、大いに学ぶ

相撲がある2週間は、とてもうれしい。力士たちが全力でぶつかる戦いに、時々自分の生き方を重ね合わせ、勇気づけられるのだ。相撲は個人の競技だから、孤軍奮闘を続ける人生にはとても響くのだ。
新大関のがんばりは、とくに勇気づけられる。何かとてつもない前向きなパワーを感じ、
挑戦者としての意気込みも心地よい。1敗したあと、「まだ優勝できる」と言い、「誰にも負けたくない」という強い意志で、先輩大関をも倒したあの気迫。そう、スポーツ、競技だから「誰にも負けたくない」という思い。私の場合は、相手が人間ではなくいろいろ降りかかってくるいろんな事象につぶされたくないという思いがある。だから、「何事にも負けたくない」である。力士の馬鹿力を見て、自分にもあれに似た馬鹿力が沸かないかと真剣に思うのだ。絶対、負けない。その気持ちがないと、挑戦はできない。
まっすぐに、目標にがむしゃらに向かうこと。まだまだできていないよ。と、自分に言い聞かせながら、若い力士をよき刺激とさせていただく。
どんなときも、決して妥協せず、全力を出し切る人がやっぱりいい。

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「宿命」と「運命」を改めて考え、問う時間

「宿命」と「運命」。時々意識しながら、それでも普段はあまり考えないで生きている。平和であり、平凡な日常であれば、それを考えることはあまりないかもしれない。それはそれで幸せなことだ。
今回、初めてハンセン病の資料館を訪ねた。以前、九州にある施設を天皇皇后陛下が訪ねられたときのニュースを見たときに、気になった。しかし、身近にそのことを知る場所があるとは調べることもなかった。20年前までは、この病のことは社会にきちんと知らされておらず、間違った解釈で世の中から隔離されてきたとのこと。実際、私たちが子供の頃だって、その病のことは知る機会もなかった。闇に葬られ、そんな病気は世の中に存在しないかのように処理されてきた。
今回、この病の歴史、社会的な対応、患者さんやご家族の暮らしを展示物や解説から垣間見ることができ、ショックを受けた。罪を犯したわけでもなく、人を傷つけたわけでもなく、ただその病気であるということだけで・・・こんな風に社会から隔離され、生きなけれなならないとは・・。
衛生面や医療の進歩により、現在では完治もするし、新たに発症する人はほとんどない状況になったが、原因も解明できなかった時代は、奇病として扱われ、人間扱いされずに生きなければならなかったようだ。
この病になってしまった・・ということはある種の「宿命」なのだろう。ずっとそれを背負って生きるしかない・・。努力して変えられること、時が経てば改善されること・・その当時はそんなことも求められなかったであろう。
どんな苦痛をもって、悲しみをもって生きておられたのかと思うと・・。
もし自分が同じ立場だったらと思うと、恐ろしいとさえ思った。
そして、五体満足に生きていられる現実に感謝しなければとも強く思った。
患者さんのなかには、自分の思いを表現すべくいろんな活動をされる方も多かったようだ。言葉や文字や、芸術作品や音楽で自分の思いを表現することで、自らを慰めたり、アイデンティティを保ったりされたのだろう。
それらの作品にも触れることができ、偉いな。苦しいのにつらいのに立派に生きなさって・・と深く感動した。
人はその時代、そこにある社会の中で生きることしかできない。それゆえの苦しみもある。でも時代が移い、その苦しみが希望に変わることもある。
でも、それは先人たちの犠牲あっての今日なのだと思う。
だから歴史を忘れてはいけないし、そこから学ばなければならないのだと思う。
ナチスのアウシュビッツのような隔離。もちろん相手は病気であるから、まったく違うのだけれど、地獄のような世界。。そんな世界がどんな理由であってもあってはならないが、いろんな意味で「そういう時代だった」。ということなのか・・。
展示の最後に、患者さんがかかれた1冊の絵本「すみれ」という作品の展示が気になった。
一人ひとりの人間、どんな人であっても一生懸命生きている限り、道端に咲く、美しい一輪のすみれなのだという教訓。誰が見ていようが見ないでいようが・・。美しい一輪の花として咲きつづけているのだ。その意識こそが、大切なのだ。
社会って何だろう。今、「ノーマライゼーション」と言う言葉で、いろんな立場、人々の葬儀理解と共生が叫ばれている。そうなってきた時代に感謝しながら、その犠牲になってこられた方たちを忘れずに生きたい。一人の人間にとって宿命は変えられないけれど、歴史の中では、その宿命が教訓となって生かされることがある。とても皮肉で悲しいけれど、人間の歴史はその繰り返しかもしれない。
本ブログをごらんになった方には、ぜひこちらの資料館、一度は訪ねてみていただきたい。

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親にバイトを依頼する悦び。

いつまでも元気でいてほしい。喧嘩をしようが何をしようがいいので、対等でいたい。
今のうちにできること。たとえば自分の仕事のノベルティづくり。イベントの人集め。
手先が動くから袋詰めなどは内職感覚でやってもらえる、人集めは地元でなら、任せられる。などなど、親に仕事をしてもらうというのが楽しい。わずかでもバイト代も払えるし、少しでも社会参加?を実感してもらえるし、親に何かを有償で手伝ってもらうことはいいことだと思う。話は飛ぶが、ある町にある10円プール。市営のプール。入場料は10円だが、中で食べられるラーメンは90円、かき氷は150円。子供にしてみたら、安くない。でも、暑い日は毎日でもプールに行きたい。だから、お手伝いをがんばって毎日10円玉をいくつかもらうのが楽しみ。かなり一生懸命お手伝いする。お金のありがたみも学べていい経験だ~とそのニュースを見て、ほっこりした。
自分の場合は、親に手伝ってもらって、手先を鍛えてもらって、頭を使ってもらって、わずかのお小遣いを渡す。お互いに助け合う、しかも仕事として頼めるのは、とても幸せだ。
さあ、秋に向けて今年も手伝ってもらうとしよう。子供の頃、毎夜、内職をいつもやっていた親。そのおかげで今があることも思い出しながら・・。

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