何のため?なぜ?を問うこと。

東京オリンピックの開催について、海外では懸念の報道が続いている。
ますます増えている。日本は大丈夫か?と不安視する論調も多い。

パンデミックとオリンピックは全世界が対象ということで共通しており、どの立場から見たらプラスの意味合いを見出せるの?と常識ある人、というか、まず普通に考えたら、ありえない。
と思うが、強行の動きが止まらない。

何をするにも、何のため?なぜ、それをするの?
そこの理解、合意は大変重要だ。

そこをちゃんと考え、また関係するすべての人にわかりやすく示し、理解いただけないと成功はしない。

どんなこともそうだ。
何のため?なぜ、今それをするの?
よく考えよう。
そこが、全ての行動の原点だ。

だから、今回の、無理やり「平和の祭典」をいう冠をつけようとしているコロナイベントの開催は、大変心配だ。
何のため?が見えないまま、不安だけが漂っている。

ひとつひとつの行動に「何のため?」を問うことは難しくない。
発起人が、関わる人がしっかり意識し、表現すればよい。
本来、すべての仕事、すべての活動には、意味がある。
より生きる、よりよくなるための行動であるならば。
「何のため」を、伝えられないのは、利己主義な内容であるから。
やましいと、言えないのだ。

今こそ、どんなことにも「何のため?」「なぜ行うの?」と問い続けよう。

「何のために生きるの?」この応えは難しいが、
それでも、このことも、生きる限り問い続けたい。

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中小企業のやる気をプッシュ!

中小企業さんに関わる仕事、おかげさまでいろいろさせていただいている。
それぞれ、やりがいを感じている。そのなかのひとつ、企業の相談会というのもある。ちょっとドキドキ、わくわくな仕事でもある。
1社あたりわずか1時間以内のコミュニケーションで
企業さんのお困りごとに対し、何等かの役に立たなければならない。
まさに、自分としては60分1本勝負という感じだ。
厳密には50分で終わらないと次の企業さんの面談と重なるため、時間内の
着地もポイントだ。

製造業、出版業、サービス業・・・。さまざまな業界業種の本気の社長さんや社員さんが相談会に来られる。
勉強会も含めたら20年以上、新潟はじめ各地の中小企業さんのお話しを聞き、また、返してきた。
成長され、立派に成果を挙げておられる企業さんも増えてきて、そんな人たちも
忘れず報告してくれたり、私自身のことを気にかけてくれたり・・。
本当にありがたい限り。
中小企業には人もない、お金もない、ナイナイづくしで、このコロナ。
お困りの企業さんも少なくないが、それでもなんとかしようと、さまざまな組織の支援も受けながら、ときには助成金ももらいながら、事業持続化を目指しておられる。
私が出会う企業さんは、広報やマーケティングの相談になるため、前向きで、これをしたい、あれをしたいというポジティブな方ばかりだ。
自分がやる、地域のために役に立つ、この伝統的な商品をなくしてはだめだ!
どの人も情熱をもって仕事をされている。
コロナに負けないで!今やれること、お互いがんばりましょう。
オンラインではあるけれど、企業さんがすっきり元気になって、1時間が終わる。
やっぱり、応援したい。これからもずっと。頼られる、あてにされる、ということが一番の宝だ。

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「まさか」を楽しみ、前に進む

2年前までは、とにかく出張に行きまくる35年間であった。
それが当たり前。
移動も仕事のうち。
今となれば、東海道新幹線を週に何度も往復したり、
東京~新潟間、名古屋~新潟間を陸から、空から
と移動していた日々が懐かしい。
移動時間は、当然仕事の中に含まれていた。
もっと前の日本では、出張とはちょっとした旅行気分で、宿泊することが楽しみ、その土地に接するのが出張の醍醐味なんていう方も多かったと思う。

ところが、昨年から、それがガラリと変わった。
移動しなくていい。なんてこと??
移動が苦手、嫌いな人には、出張なしの生活は天国。
出張好きな人にとっては、楽しみが減ってしまった。

直近の緊急事態宣言延長で、出張はさらに抑制。
今週のことでいえば、今年度初の新潟出張が、急きょリモートになった。
であれば、新潟の業務のあとは、北海道の仲間との打ち合わせを、
ということになる。

名古屋にいながらにして 新潟県内各地(新潟・長岡・小千谷・十日町)にいる県企業さんたちと1時間ごとに面談して、
そのあとは、北海道の仲間とミーティング。

新潟から北海道へは30分では行けない。
しかし、現実では、モニター越しに、ネットを通じて
ちゃんと、それぞれに会えている。
「そっちはまだ朝寒いですか~」
という具合に、会話がはじまる。
と、当たり前のように、そんな日々を過ごしている、今日この頃。

とても不思議な世界だ。
こんなことが当たり前になると思わなかった。

まさか、こんな?
ということが、コロナの影響でどんどん目の前に置き始めている。
人の移動、飲食、コミュニケーション。
DX、VUCAの時代と言われる今日、
なかなか未来の絵を描きづらいが、まさか?の変化を恐れず、
現状を前向きに受けとめ、楽しみながら、世界観を大きくもって
前に進む。

リモートは自分、自分の動きを俯瞰するにも役立っている。
と前向きに解釈し、そして動かないから・・とじっとしている
のではなく、自分なりに前向きの「まさか!」を生み出せる
ようになりたい。

変化を楽しむ。恐れない。いつか、終わる人生までの道のりは
長くないかもしれないのだから・・。今を大切に一歩前に!

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ご近所ホテルでワーク。

コロナ禍でホテル宿泊者が低迷。・
とくに観光地での落ち込みが激しいが、出張者の多い都市部でも、大変な状況。
馴染みの京都も、名古屋も同じ状況だ。
この1年余り、デイユースのサービスを行うビジネスホテルも増えてきた。
稼働率が低いなか、せめて日帰り利用であっても、収入にはつながる。
近所のビジネスホテルでも、昨年春から、日帰りコースの案内を路上にボードを立てて、訴求し続けている。

今年度初めての新潟出張。意気込んでいたが、緊急事態宣言再延長ということで、現地ではなく、リモートで行うことに急きょ決定。
飛行機、JR、ホテルのキャンセル。(すべてキャンセル料はかからず、これは助かったが、これも心配)
と同時に、今回は事務所での長時間リモート対応が難しく、近所のビジネスホテルを利用することに。
3000円で、11時間も使わせてくれる、ありがたい!
リモート業務では、個室でありネット環境が整っていること、静かな環境が最低必要。
その点で、ホテルはベストな環境だ。

近所のホテルにパソコンや関連の道具、書類、水筒など持ち込んで、スタンバイ。泊まりの出張より荷物が少なくていい。
そして名古屋にいながら新潟の企業さんたちとやりとり。引き続き京都の企業さんとやりとり・・・。
午前中にチェックインしたが、気が付いたら20時すぎていた。
「長いこと、ありがとうございました」
チェックアウト時、ホテルのフロントにてお礼を言う。
夜時間もひっそりした空間に、何とも言えない空気が漂う。
時が止まったような、活気が消えたような・・・。

たまたま、そんなわけで、今回は私も近所のホテルを使うことにしたが、
さまざまな事情で、リモート業務をこのように行う人も多いことだろう。

ホテルの使われ方が変わってきた。
コロナが終息しても、リモートは続くだろう。
出張は減ってしまうが、リモートはなくならない。

ホテルという業態。
飲食店の存続も心配であるが、維持管理が大変なホテルのこともとても心配だ。
できる限り、利用して応援していかねば。

それにしても、ホテルでは仕事がはかどる。
ちょっと異空間ということでの、集中力という点もあるのかも?
今日は事務所から、新潟の企業、北海道の仲間とのミーティング。
コロナが生んだ、ビジネススタイルに慣れつつ、生で会いたいとの思いも募る。

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無心の時間をもつ。

日々、時間や課題に追われる生活を過ごしている。
さまざまなバランスを考えたり、調整をとりながら
しかも、コロナ禍でのコミュニケーションの難しさも加わって
なんとなく、不安。ということも多いかもしれない。

直接会えないからこそ、余計に心を配る必要もあり、
そうしなければ、本当に伝わらないような気がしたり・・・。
とにかく、安心して毎日を生きていくのは、コロナ前より
よりパワーが必要と思う今日この頃。

そんなとき、無心になるひとときは重要だ。
スポーツでもいい、散策でも良い、料理でもいい、座禅、何でもいい。
自分ができること、したいことで、とにかく無心になれる、そして
自分とだけ向き合える時間を積極的にもつようにしたい。

最近の私の無心の時間は、ショパン。
40年前弾いていたあの曲をもう一度。
昔の楽譜を引っ張り出して、昔のようにと鍵盤の上に指を這わせる。
今日は即興曲、今日は夜想曲・・・と、あれこれ弾き散らかす。
あれ?こんなはずじゃなかった。昔はよく動いたのに。
と格闘しながらも、ショパンの美しい旋律、和音が流れてくると
この上なく幸せな気持ちになり、川の流れに身を任せているような
そんな感じで、さまざまな雑念も流されていくように感じる。

気が付けば、あっという間に時間が経つが、何か心が浄化された
すっきり感もある。

定期的にこまめに、意識的に無心の時間をつくる。

鬱陶しい季節も、生きづらいときも、その時間が自らを救ってくれる。




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経験と寄り添い

母の死について、多くの方から、さまざまなかたちでお悔やみ、お見舞いの言葉をいただいた。本当にありがたいと感謝している。
そして、自分自身にそのつらい経験があったり、より身近な体験として思いを寄せてくださったり、または私(や家族)の立場に立ってくださる方の言葉は、同じひと言でも、しみじみと伝わる何かがある。
経験がない、また身近ではない場合とは違う伝わり方である。

ふと思い出す。
20代会社員のとき、とある勉強会でお世話になっていた、当時60歳前後のある企業の部長さんに久しぶりにお会いしたとき、
「いや、妻が亡くなりましてね」
と言われたとき、
「そうなんですか、それはそれは…」
と言いながら、どうやっていいかわからず、なんだか中途半端な言葉になってしまったことを思い出す。
その当時、自分にとって大切な死というものが、身近でなく、また経験がなく
そういう会話にも慣れておらず、
薄っぺらい言葉になっており、失礼したな~と今でも思い出し、少し悔いがある。もっと寄り添えなかったのかな・・ということだ。
今、お会いしたら、きっと違う気持ちで、違う言葉をかけられたと思う。

長く生きる。いろんな経験を積む。それらを重ねることで、たとえそのことズバリの経験がなかったとしても、相手の立場に立つことができたら、かける言葉も変わってくる。
生きていくということは、楽しいことばかりではない。
まさに喜怒哀楽。それを重ねることで、相手に寄り添い、相手のことを思いやることができる。
今回、その大切さが身に沁みた。

言葉がキレイでなくていい、うまくなくていい。
相手に伝わる言葉は、そこに心があるかどうか。だ。
心ある言葉、心ない言葉。
不思議に、言葉からはそれが透けて見える。見られる。

今回、いろんな言葉をいただくなかで、この言葉ひとつからも、さまざまな学びをいただいている。

やっぱり、寄り添う人になりたい。そういう人でありたい。
自分がそうしていただいているように。

二か月以上たった今も、ありがたいお言葉、応援をいただく。
次はお返しをする番だ。

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「輪ゴム」が、貴重品になった日

笑うに笑えない、でも笑ってしまう話。
生前の母に会った最後の日。緊急搬送され、救急医療センターの部屋で酸素マスクをつけてハーハーと息をしていた。
検査がひととおり終わって、細菌性髄膜炎の疑いあり。と告げられ、入院となる。かなり事態は深刻。重い気持ちで待合室から病棟へ移動。
そのとき、看護師さんが、大事なことを思い出したかのように、
「お母さまが身につけられていた貴重品をお渡ししておきますね」
「あ、はい。」(何?)
看護師さんが、ジブロックの袋に入ったそれを渡してくれて
「え、っとお母さまが身につけられていた 数珠と時計。それから、輪ゴム。
以上、お返ししておきますね」
と中身を見せながら、説明された。
輪ゴム!輪ゴム?輪ゴムか~。
そうだ、確かにいつも、私が幼い頃から、いつも手に巻いていた。
いつも何かに役立つから・・と。カラーゴムならばブレスレットいらず・・・。
でも、貴重品か・・・。
看護士さんもマスクの下で笑っていたかもしれない。
「輪ゴムですか~。はい、ありがとうございます」
横で必死に呼吸している母。
朝、搬送されるまで、この数珠や時計や、輪ゴムを身に着けていたのだ・・・。

それから、母の荷物を整理していると、各バックの中に、必ず輪ゴムが出てくる。
そのたびに、最後に母にあったときの看護士さんとのやりとりを思い出して、ひとり泣き笑い。

輪ゴムは貴重品だ!

母がそう言い残していったのだ。
今、確かに以前より、輪ゴムの価値を意識するときが増えている・・・。

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帽子職人への敬意から、夢コラボ

前にも書いているが、帽子に対して、そして、帽子職人については個人的な思いがある。
そして、ここ何年か注目している帽子があった。
京都のある売り場で、そのアトリエの帽子が販売されているのを見つけ、そのセンス、仕事の丁寧さに一目ぼれした。
そして、その帽子を施設で演奏するときなどに使用していたら、使いすぎて破れてしまった、。
どうしても捨てられずに、そのアトリエに直接連絡し、直してもらった。
丁寧なアフターケア、仕事ぶりに感心、感動。
そこから工房とのやりとりがはじまる。

ここなら、ちょっとわがままいっても、マーサオリジナルの帽子を作ってくれるかも?
グレーの生地に、紫の刺繍。上品でエレガントな帽子になりそうだ。
と妄想する。
そして、思い切って、そのイメージを伝えると、興味をもって今夏のシリーズの特別バージョンとして制作してくれることに。
途中何度かやりとりをしながら、楽しく待って、このたび完成した。

コロナが収まったら、コンサートでもぜひと思っている。
帽子職人を応援したい。これは私の生い立ちと関係がある。
帽子は、人をよりしっかり印象付けるコミュニケーションツールである。
1点1点大切に、創られる帽子は、もはや商品ではなく、作品だ。

この色の組み合わせ、なかなか良い。
工房のみなさんも、ノリノリ?になって楽しく考え、カタチにしてくださった。
工房の職人さんと、使い手のわくわくコラボが実現。
母にも見せてやりたかったし、帽子好きな彼女にも被せてあげたかったけれど・・・。
自分でできないものは、力を借りて具現化する、実現させる。
私はモノづくりができない。だから、コンセプトやイメージを伝える。
モノづくりのスタートにはそこも欠かせない。
工房からは、ぜひかぶったところが見たいとのリクエストがあるが、
モデルがちょっと・・・役不足かもしれないが?

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天職人との出会いを。

最近、新たな出会いが広がっている。
それが母の死がきっかけになっていることが、何とも言えないのであるが、
本当にこれがなければ出会うことがない人に、多く出会えている。
不思議なご縁としか言いようがない。

そんななかでも、葬儀を担当してくださった葬儀ディレクターの方。
やりとりの中で、すっかり打ちとけて(と勝手に思っている)、
母の葬儀が終わっても、いろんな慣習についてわからないことをメールで
教えてもらったり、その仕事ぶりをWEBマガジンの原稿に書いたり、コミュニケーションが途切れず、続いている。
もう少し突っ込んでちゃんと話がしたいと思い、また黒いコーヒーをその方にも差し上げたいと思い、喫茶店でお会いすることになった。
なぜ、葬儀の仕事をしようと思ったのか。ここが私にとっては一番聞きたかった点であった。

この世界、1日で逃げ出す人も多いとのこと。
この方の場合は、いとこにお寺様がおられて、そういう職業があるということを若いときに聞いて、その道に入ったとのこと。
最初はもちろん知識もなく、まず先輩について教わる。現場で知る。
そこから始まるそうだが、気が付けば、もう20年近くこの仕事をされているとのこと。
独立もしようと思えばできるぐらいの実力者であるが、やはりこういう世界は
知られていなければ依頼されないため、組織の中で仕事をしているそうだ。
多くの件数をこなすのではなく、ひとりひとりに寄り添って、最後まで丁寧に
見送る・・・。
葬儀といえば、仏式が多いが、宗派が異なれば葬儀も変わるそうで、とにかくさまざまな知識が必要。日頃よりお寺さんとの会話で、さまざまな知識を得ているそうだ。
と、これまでの私にとってはすべてが未知の世界。
とにかく、このお仕事は素晴らしいと頭が下がる。
「この仕事、天職だと思っています」
こんな言葉を聞いて、本当に心からほれぼれした。(表現が適切ではないが)
何よりも、形式を重んじるのではなく、祈りの気持ちが一番大切だ言われたことに感動した。
そのおかげで、何も知らない私でも喪主をつとめることができた。

葬儀で音楽を演奏するのを、「献奏」というそうだ。
もし、ご縁あればとも思う。お経だけが送る手段ではない。
いろんな送り方がある。
そのことを、この方も心得ておられたことが、とてもうれしかった。

人生の最期に関わる仕事。
目立つ、派手な仕事ではないが、本当に素晴らしい。
素敵な人に出会えてよかった。
またお願いします。とは言えない仕事ではあるけれど・・。

天職についている人の顔つき、表情は素晴らしい。
清々しい。
いい出会いを、母がくれたのだ。

私のこのコミュニケーションクリエイターという仕事も
天職だと思っている。
言葉で、文字で、音楽で、笑顔でコミュニケーションの和を広げ
関わる人が元気になっていく、愛と元気をお届けする仕事。

違う世界でがんばる天職人とのご縁を大切にしていきたい。



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企業訪問代行人。

もう退職してそろそろ四半世紀になる・・。
急に思い立ち、父が長年お世話になってきた会社を訪問した。
母のことのお礼のためであるが、外出できない父の代わりに。
郵送ではなく、お会いしてお礼を言わねばと思ったから・・。
最寄りの駅で電車を歩いて、記憶をたどりながら会社に向かう。
子どものころ、父が働いているときに会社に遊びに来ていた記憶が鮮明によみがえる。昔は、そんなもんだ。町工場に社員の子供が付いてきて、親の仕事の終わるのを待ったり、近所の神社などで遊んで待ったり、その神社のお祭りの様子も蘇ってきた・・・。良き時代だ。
と、私が覚えているその会社はもう半世紀以上前の姿。当時は木造。
今は鉄筋になっていた。建物は変わっているが、看板には懐かしい社名。
とにかく、大人になって初めての会社訪問。
母の件でのお礼だけのつもりで、アポも取らず、会社であれば誰か在社されているはず・・と、突然訪問した。
会社の前に到着。ちょっと緊張する。
ああ、ここだった、こんな感じだった・・・と。
「ごめんください」
ゆっくりと、会社の玄関のドアを開ける。
事務所で社長さんが、電話をされていたため、外で待たせていただく。
電話が終わり、玄関に出てこられた。
社長さんは二代目。父はその方のお父様(創業者)のお世話になった。だから現社長より父が年上であった・・から、父のことは少々扱いづらかっただろう・・・。そんな思いがずっとあったことも、思い出した。
社長は、私の顔はもちろん覚えておられない。親の名前を言って初めて、「ああ、これの・・・」と、手でピアノを弾くゼスチャーをして、笑って思い出してくださった。
父が働く会社でも娘がピアノをやっていたことは、知っていただいたようだ。
立ち話ではあったが、父の様子、今回の母のことの報告とお礼。

そして、
改めて、父を50年近く雇っていただき、良い定年を迎えさせていただいたことへ感謝の言葉を告げる。そして、最近出てきた昔の給与明細のことも・・。
今尾家は、会社のおかげで無事に暮らすことができたお礼を改めて告げる。
社長さんは、突然の客に対し、得意先対応をしながら、少し手を止め、
笑いながら、話を聞いてくださった。

急に伺って、ゆっくり話すのはお仕事の邪魔になるので、なんどもなんどもお礼を言いながら、失礼することに。

別れ際に、
「あのー、私、ピアノも今もやってますけど、それで食べているんじゃなくて、実は中小企業の・・・」
と現在の職業のことをひと言告げた。そして、
「もし、社長さんのお役に立てることあったら、父がお世話になった恩返しとしてさせてもらいますので、何かあったら連絡ください。これ、名刺です。携帯も書いてあります」
気が付いたら、こんなことまでしゃべって、名刺も渡していた。

「へえ、そうですか、そうですか。それはそれは、どうもどうも・・・。」
社長さん、びっくりされただろう・・。へんな奴状態だったかもしれない。
とにかく頭を何度も下げて、失礼した。

ああ、父の代わりに、御礼が言えた・・・。

子どもの頃、親に連れてこられた時の父の職場は、とても大きく感じたのに、
今になってみると、ああ・・・と、
これまで自分が訪問してきた多くの中小企業、町工場と同じだ。
きっといろんなご苦労があるはずだ。
コロナでどうなっているんだろう・・。

とても、そんな会話を今日はできなかったけれど、直感的に、
うん十年ぶりに拝見した、社長さんを見て、何かできればと思った。

また機会があれば、ぜひお話が聞けたらと思う。
父がお世話になった会社だから、長くがんばっていただきたいと。

会社の外観の写真を撮った。
次回、父に見せようと思う。
企業訪問代行人。無事、業務完了。はじまり??

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