意味?想い?存在?の何を伝えるか?スピーチの目的

外国のそれなりのステージでのスピーチ。内外からいろんな意味で注目を集める。だからこそ、やるのだろう。おそらく相手から求めたのではなく、こちらからスピーチさせてほしい!というアクションがあったのではと勝手に深読みする。相手にはその必然性はないはずだから、自作自演のドラマのようだ。
さて、それはそれでよしとして、スピーチというものについて考える。まずは何を目的として行うのかを注視したい。
何らかの意味を伝えようとしているのか?あるいは想いを伝えたいのか?はたまた、自分という存在~プレゼンス~をアピールしたいのか。
そのひとつか、全部なのかもしれない。そして大切なことは、結果、相手が心から感動したかどうか?である。
私はそれを一部、見聞きしても感動しなかった。それで?という感じすらしてしまった。何なんだろう。そもそも、なんでそこで今それをする必要があるのか・・というそもそもの理由についても賛同していないということもあるのだと思うが・・。
いかにもアメリカ風の、アメリカ人好みのスピーチ。身振り手振りを使い、抑揚あり。パフォーマンス型のスピーチ。まさに劇場だ。
でも、原稿を読んでいるだけだ。心からの言葉ではない。もちろんスピーチライターが書いているのであろうが、心に響く言葉には重さがあるが、ふわふわな軽い感じだ。使っている言葉がどれも借り物的な印象を抱いてしまう。結局、何を伝えたいのだろう?この人は??
海外でそれまで名前も憶えていなかったような人たちに、拍手をされても、自国の人がそのことに賛同していなければ、意味がないのでは。
意味を伝える、思いを伝える、存在を伝える。
話すための準備もいいが、うわべの準備ではなく、その行動を自国の民が心から尊敬することにならないと・・・。
最近、このような劇場もどきのパフォーマンスをいろいろ垣間見るにつれ、日本という国がバラバラになっていくような気がしている。
と、スピーチひとつとっても、真の伝わる、コミュニケーションのあり方について学ばせていただくことが多い最近の政治劇場。

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どうせやるなら、とことんやろう!

仕事には依頼され、お金をいただいて・・という以外のものもいろいろある。今後のために、周囲のために、自分がやらねば誰がやる。という内容のことも時にはある。毎年やっているから・・ということで続けなければならないこともあるが、それでも、やる以上は言い訳をする前に徹底的にやるべきことをやるのが気持ちいい。
イベントの場合。人が集まるだろうか、集まらなかったらどうしよう、収支は大丈夫?赤字になってしまう?だったら、もうやらない?
かなり自分の中で葛藤もある。
しかし、一度やると決めたら、悔いないところまでやり抜こう。そう、イベントを主宰するときは毎度同じ壁にぶちあたる。
でも、やっていれば、その背中を誰かが見ている。わかる人にはわかる。どんな苦労があっても、たとえ収支的には十分な利益が出なくても、とんとんであればいいし、やることで見えることが必ずあるはずだ。
何事もやる!と決めるのは、覚悟が伴うのだ。
5月以降、いろんなことが動き始めるが、自分で後悔なきよう、ただそれだけのために、「どうせやるなら、とことん!」でいこう。
きっと伝わる、見えてくる。挑戦とはそういうものだ。

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後出しじゃんけんは「ビジネスタブー」

ある案件で、予算が厳しいのと、営業姿勢が気になっていたので、業者さんを変えようと決意し、いろいろ調べてみる。いろいろ調べれば他にもいい会社がありそうだ。いい仕事をするには、よく調べるということが大切だと今さらながらに、痛感する。
そこに提案を求めると、迅速かつ的確な回答が来て、さらに値段もかなり良い。努力のあとが見える。新規の場合はそうするかもしれないが、それでも努力がわかるというのが大切だ。
一方、すでに取引のある相手に努力を求める。「厳しいご時世なのでもっと安くできる方法を提案してほしい」と言ったら「どれぐらいにしてほしいという希望はありますか?」そこは言わない。状況を察して、提案してみてほしい。そこも営業力だと思っているから。
するとそこそこの値段しか提示されない。努力してないな~。とすぐにわかる。
では、やっぱり取引先を変えるとしようと決定し、「長らくお世話になってきましたが、値段も含め諸藩の事情で契約更新はしないことに・・・」と連絡を入れると、「へ?そうなんですか。そこまで思っておられるとは思わなかったので・・。後出しじゃんけんなんですけどね、実はですね・・・」といってもっと値段を下げる提案を今さらになってしようとしてきた。
ちょっと待ってほしい!と思った。私は後だしじゃんけんを公然とする営業方法には好感をもたない。
競合にされているか、相手がどこまでイライラしているか、営業だったらもっと敏感に日頃から察知しなければならない。
守る側、攻める側それぞれのやり方があろうが、どんなときでも、誠意をもって、相手のためを考えてそのために努力する会社、人が好きだ。「後出しじゃんけん」は認めない。最初から全力を見せるのが、営業だ。相手を見て、対応を決めているとすれば、それは顧客を馬鹿にしているということになる。苦い経験も、仕事に役立つ。

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東京からあえて地方へ・・

地方でセミナーをやる。もちろん地元の企業、人のための企画であるが、その事業所が新潟にあり、でもスタッフは東京・・というケースでも受講いただける内容の企画もあり、最近では東京で活躍される方が、わざわざ新潟まで通ってこられることもある。
「東京ではいっぱいセミナーあるでしょうに。」「こんな立派な会社にいらっしゃったんでしたら、わざわざ私のセミナーなんぞ・・・」と
声をかけてみると、意外な答え。
東京には人も会社もセミナーもいっぱいある。でも、地方に来て学ぶことが新鮮で多くのことを気づくきっかけにもなるという。
確かに東京には情報もモノもいっぱいあるが、量の問題ではなく、質にこだわって仕事をしたいから、地方に行くことを楽しみながらやっているとのこと。この感覚、とてもよくわかる。
ノウハウだけ、知識だけ、先述重視の学びの場は、確かに東京では選択肢が多く、最新のことを学びたければ東京がいいだろう。しかし、地方の豊かな資源、あったかい人、本来の仕事の意味などを理解しながら、学ぶと新たないい知恵が浮かぶのだという。
そうそう、私も結局、その地方に魅力を感じ、気が付けば10年以上通っている。
東京で出会えない東京人と、地方で出会う。不思議な現象であるが、これからこんなことももっと増えそうな気がしている。

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誰に、どこに光をあてるのか?

いつまで経っても、おれがおれが、わたしがわたしが・・という生き方は大人げない。いい年になったら、どんどん後任に任せる、あるいは若い人にチャンスを与える、若い人が生きられるように道を開ける・・。歳を取るほど、周囲に感謝を毎日できる、謙虚に人の話が受け入れられる人になりたいと、最近思うようになった。
長寿社会になって、みんなが元気老人になると、生涯現役の意味の解釈を間違えてか、ずっと自分が主役じゃないといけない・・・なんて思う人もいるようで・・。もちろん元気は大変結構だし、人に害を与えるわけでもないのであれば、ま、いいか。とも思う反面、自分は世間の黒子となって周囲を盛り上げる役に回るのが良しとされている人や、またはいつまでも謙虚で素直で勉強熱心な方にも出会い、ああいいな、と自然に頭が下がる。
ある程度の年になり、隠居するというのがあたりまえだったあの時代・・それはある意味、正しく、美しかったのかもしれない。いつまでも人は元気に生きる必要は本当はないのかもしれない。
今、人口減少を嘆く人や自治体も多いけれど、自然がいい。数字って上がればいいというものではなく、自然に上昇、下降するのが理に適っていると思う。
生涯の仕事に命を奉げる・・とても美しい。でも、自分が目立つためではなく、世のなかのために仕事をがんばるのがいい。
スポットライトの前に立つ時代から、それを照らす側に。これがいい年の重ね方のような。そう、やっぱり仕事も人生もリレー、リレーションシップの連続だ。そんなことができる人が真のリーダーではないかしらん。

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書けることに改めて感謝する。

4年前の元旦からはじめて本エッセイブログ。より良く生きるために、生きたいために・・。そして、もしかしたらよりよく往きたいために。。かもしれないが、とにかく無休で書き始めた。意地なのか性格なのか、ともかく決めたことを怠慢にてやめることはしたくない。
やめるときは、きっちりやめる。ということが、より良く生きるためのわがルールのひとつだ。
ネタがよくありますね。とかいろいろ言われたりするが、人間その気になれば何でも浮かぶものだと思う。
しかし、改めて考えてみると、誰かに強制されたり、指示されるのではなく自発的に継続するには、意志がしっかりしていないと続かない。意志をもてるということは、気力が満ちるということ、すなわち心身ともに元気・健康でなければできないのだ。
ふと思った。もしパソコンが壊れたら、ネットワークがつぶれたら、このような形態で更新し、どこからでも簡単に見て、読んでいただくことはできない。そして自分の目が見えなかったり、手が不自由であっても、入力ができない・・。
ということは、すでに1500本ほど書きつづけているけれど、そんなに多い回数の健康という奇跡のなかで、この小さな仕事が成立しているのだ。ありがたい限りだ。
もし、突然かけない日が来るのかな・・と時々思う。
いつか来るだろう。だから、書ける今こそ、少しはまともなことを残しておかねばと思ったりもする。
考えることができる、思うことができる、形にできる、届けることができる。コミュニケーションの基本の基本ではあるが、本当にありがたいことである。

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「愛の元気人」4月オンエアは本日25日18時~

おかげさまで6年目を迎えたハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」の4月放送は本日4月25日(土)18時~です。
新潟市外 世界中の皆様に、ネットでもお楽しみいただけます。FM KENTOのスマホ専用アプリでもどうぞお試しください。
www.fmkento.com
写真は今回の「にいがた元気人」のゲスト みこしの西山夫妻 と 刷り物製作所の中野さんです。
元気いっぱいのハッピートークやプチプチ体験談・コミュニケーションなんでも相談室などなど。どうぞお楽しみください。mikoshi1suriya1

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理想に生きる、変わり者たち。

アーチスト仲間との会食、会話はなんとも心地よい。大空も飛べるかな・・・ぐらいな気持ちにもなれる。
時々、演奏協力いただいている青年和楽器プレイヤーとの会食。四月も後半なのに、新年会。
「今年もどうぞよろしくお願いします」と季節はずれの挨拶に笑う。
それから互いの活動の近況について、生き方について、社会との関係について、ビジネスについて
まあ、話題は尽きない。おそらく10年近いおつきあいになっているだろう。
お互いに仕事としての音楽との向き合い方、音楽を仕事とする生き方がどんどん進化してきたような
気もする。
いつも互いに次のステップに向けての理想、自分たちがなすべきことについて確認しあう。
お客様が喜んでくれること、人が育つこと、自分の理解者が増えていくこと・・を求めて
日々あがいてもいる。
一口にアーチストといっても、世の中にはいろいろなパターンが存在する。
著名な人、無名な人。素人とプロの区別もわからない人も増えており。
真のプロとしてやっていこうと努力している地道なアーチストにとってはなかなか試練の
道でもある。
今売れたい~。だからメディアやそれ専門の会社と組んで活動をする人もいる。それは実力と別物の
こともある。
いい演奏をしても、有名になっていない人もいる。でも、地道に志をもってやっている人は続ける
ことによって、誰にも真似できない確固たる道を作ることができる。
そう、目先の儲けよりも、道を作るために生みの苦しみを実行するのがアーチストがすべきこと。
彼と話していて再確認できたことだ。
目先の数字を目指すのであればアーチストではなくビジネスマン。でも真のビジネスマンは目先
だけを追ってはいない。
アーチストは時々変わり者と言われることがある。変わり者だから夢を抱ける、それを信じて生
きていける。変わり者は面白い。面白くていいじゃない。
これからも大いなる理想をもって、変わり者として生きていこう。
そんな思いで握手を交わし、別れた。次一緒にごはんをするのは、忘年会だろうか。
自分の鏡のような存在がいることが、とても幸せだ。

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血縁でない兄弟の絆

ある男性二人。見た目そっくりである。「兄弟ですから」と言われ、そうなんだと納得。確かに苗字も同じだ。では、どこが似ているかと言われたら、「なんとなく・・・」全体的に似ているが、よく見ると、顔の各パーツは似ていない。よく実は本当の兄弟ではないとのこと。なんでも小学校三年からのおつきあい。現在66歳の同い年。そう、幼ななじみ、同級生の大親友という関係。60年の間、近くでお互いを見ているということは、夫婦よりも、親とよりも長いおつきあいということだ。
お互い違う仕事に従事されているが、その仕事に傾ける情熱こそが、まるで瓜二つと思うほどに、ともに情熱的であり、現場主義であり、行動派であり、パワフルである。
お互いの仕事をときには影となり、月となって、支えておられることがよくわかる。
お互いのためならば・・という気持ちが、言葉・行動の端々に透けて見える。
ある意味、いい夫婦のような関係でもあるのかもしれないし、それだけでなくビジネス面でも支えている・・という点では、世の中でもっとも信頼できるパートナーなのだろう。
と、そんなお二人にそれぞれお会いしていたのだが、今回、一緒にお会いする機会があり、本当に兄弟のようで、損得関係に縛られることなく、お互いの人生がよりよくなるようにお互いナビゲートしあっているようで、また刺激を互いに与え合っているようで、ああ素晴らしき関係だと心から思った次第。
なんでもお互い。99歳まで生きると固く決めておられるとのこと。100歳の一歩手前まで、現役で楽しく、生きがい求めて走り続けられるそうだ。
「姉さま」となぜか呼ばれ、「あと33年しかないので、よろしくお願いします。」
と言われてしまい、不思議な関係だなとありがたく思っている。
この兄弟を「ぶらぶらざーず」と呼んでいる。どうぞ、それぞれの生きがいを楽しくまっとういただきたい。
その応援団としてい続けるために、私は少なくとも??歳までがんばらねば?なのか?
人の縁は。血縁のみならず。いい出会いはどこにあるかわからない。まさにドラマチックな出会いはさりげなくやってくるのかも・・。

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癒しは悲しみを新たな力に変える「プル・パワー」

お父上が最近亡くなったという方に会うことになり、贈る花を選び迷う。いかにも「仏花」というのも、今の自分の気持ちが伝わりづらく、仏壇やお墓に供えるお花というよりも、大切な人を亡くし悲しみにくれる家族を勇気づけることができるお花の方がいい。そして、自分の好きな紫の花であれば自分らしく、失礼もないのでは、自分がその立場だったらもらってうれしいもの・・・そこで、みつけたのがラベンダーの鉢植え。色も形もやさしく、これなら今の自分の気持ちにもぴったりだ。「あ、私を選んで!」と、花が手を挙げているようにも見えた。
花屋さんにも花を贈る相手と主旨を伝えると、鉢植えであるラベンダーを贈るのは決して悪くないということ。そう、ラベンダーは癒しの花であるし、これはぴったりだ。
ということで、ラベンダーの鉢植えをかわいらしくラッピングしていただき、それを抱えて待ち合わせ場所へダッシュ、お会いした。
会うのを楽しみしてもらっていたこともうれしく、最初なんと声をかけたらいいかと思っていたが、その顔を見て自然にいつもどおりに言葉を交わした。
ラベンダーを選んだ意図を伝え、お母さんと彼女に元気に過ごしてと思いを伝えると、とっても喜んでくれる。「父は花が好きだったんですね~。最後は毎週花屋さんへいって違う花を買い、父に花を見せていました。花の香りを楽しんでいました。」と、喜んでいただく。花にまつわる話が出てくることで、彼女との距離が一気に縮まる。花のおかげで人は元気にもなり、癒しにもなる。
花は亡くなった人へのお供えの気持ちだけでなく、生き続ける家族へのエールとして、選び、贈るのもいいことを改めて実感する。
「早速、ラベンダーを飾りました。」という喜びのメッセージと写真が届く。一緒にお渡ししたザビエルのお菓子はおいしいもの好きだったお父さんにへと、仏壇にお供えされたとのこと。
元気になろうよ!というのはむつかしいときがある。さりげなく花のパワーから癒しを感じ、その後、気持ちが切り替わるのが良い。焦らず、自然に。そのうちに癒しの花のおかげで、悲しみを乗り越え、進み始めることになるだろう。
自然体に前向きに生きられる日はきっとくる。花を受け取った彼女は、別れ際荷物も手一杯にあるにもかかわらず、手をふり、見送ってくれた。
彼女が私にくれた、ミニブーケとミニレター。ああ、花花交換だったんだ。その愛らしい気遣いにこちらも思わずうれしくなる。
「人生って出会いと別れの繰り返し」お父上のことがなかったら、彼女にこんな風に向き合う時間はなかったかもしれない。
時間がかかるかもしれないけれど、癒しが次なる前進への新たな力になる日がきっとくる。静かに見守り、応援し続けたい。

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