5W1Hというスケールをもつ。

自分はいつ生まれ、いつまで生きるのか?
自分はどこに生まれ、どこへいくのか?
自分は生きる間、自分は何をする?
自分は誰のために生きるのか?
自分は何のために生きるのか?
自分はなぜ、生きるのか?
自分はいかに生きるのか?
自分の価値は何なのか?
そして、自分はいったい何者?何なのか?

と、こんな風にわが人生を5W1Hで問うてみると、
本当にわからないことだらけで、
きっと、この後、何年生きても、答えは明らかにならないだろう。
こんな風に問うてみることで、
「生きる」とは、
いかに見えない道を歩き続けることか・・ということに気づかされる。

しかし、日々のひとつひとつの事象、行動について5W1Hで問うてみると、
まあ、それぐらいはできそうだ。
これを何のため、いつまでに、どこで、誰のため、どのように?
仕事であればそれが、いくらで?ということも考えなければならない。

何かを行う場合、いつもこのスケールをもつことはとても大切だ。
その積み重ね、そしてその積算こそが、人生をふりかえったときに
人生の答えの一部になっていることだろう。
問うということは、真剣に向き合うということ。
その姿勢こそが、大切だと思い、問いかけのスケールを持ち続けよう。

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音の生還、未来に向け・・

20年ぶりのピアノの調律。まずは1台目。今回はグランドピアノからやっていただいた。約4時間。調律師の方が、掃除も兼ねて、丁寧に弦を、鍵盤をひとつひとつチェックしながら音を整えていかれる。
調律師という仕事は、尊敬する仕事のひとつでもある。もちろん自分にはできないことだ。ピアニストがどうがんばっても、いい音は出ない。楽器あっての演奏となる。しかし、ピアノの消費が低迷する今日、調律師という仕事も貴重な存在となってきているようだ。
じっと、ピアノの前に座って、耳を頼りに静かに音を調整。時々部屋から漏れ出るピアノの音色の変化が気になり、まだかな?まだかな?と何度もピアノに近づこうとするが、調律の妨げにならぬよう我慢、我慢。
「作業が終わりました」この声を聞こえ、待ってました!と、部屋に駆け込み、ピアノのそばに歩み寄る。
ピアノが光っていた。生き返ったようだ。笑っているようだ。
きれいになった鍵盤の上を指を走らせてみる。あ、このタッチだ。やわらかく、よく響く、明るい音。とても懐かしい。これがY社のピアノだ。
「とてもいいピアノです。これだったら、コンサートでも十分いけますよ。」
調律師の方に褒めていただけるとは、なんと光栄なこと。
なんどもキレイなピアノのフォルム、弦のデザイン、鍵盤の少し黄ばんできた色つやを楽しみながら、このピアノとのわが生い立ちが、走馬灯のように浮かんできた。

40年前。毎日この音色と一緒に過ごした。ベートーベンも、ショパンも、リストも・・・。ひたすら弾き続けた。親に怒られた日もピアノを弾けば免罪符のように怖いものなしであった。ピアノを弾いているときは、本当に自由で、自分の世界であった。そんな喜びを子ども時代から体験していたとは、なんという贅沢なことだっただろう。その時の喜びがくっきりと蘇る。
しかし、今はあの頃のように指は回らない・。暗譜したはずの曲もところどころ忘れていて、完全演奏ができない。でも、大人になってから覚えたタンゴやワルツなど、演奏ジャンルは広がった。クラシックだけがピアノの愉しみではない。
あれこれ記憶を辿りながら、しばらく、昔弾いていた曲を弾き続け、ああ、下手になったな~と悔しい思いも抱きながら、美しい鍵盤の響きに胸が高まる。

未来に響く、素敵な音色。無形の美が、明日への希望にもつながる。
久しぶりに何とも言えない、幸福な気持ちになり、苦労してこの経験と楽器を与えてくれた親に感謝の気持ちが湧いてくる。

新たな人生のステージづくり。しばし、コロナも忘れた。
素敵な2020年になりそう・・と思えてきた。ベートーベンも微笑んでくれそうだ。



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メディア社会でよりよく生きるために・・・のヒント。

図書館の役割は大変重要だ。単に多数の書籍、データベースを保有しているだけでなく、図書館それぞれの工夫で、独自の情報発信、知の啓蒙活動を行っている。目的の本を借りる、閲覧するだけでなく、新たな問題意識を持つにも、図書館の存在に目を向けることは有意義だ。

と、週末、京都の図書館に足を運び、そのことを改めて実感。
図書館が保有するさまざまな書籍に興味をもち、知的探索を行ってもらうための発信を館内でも、行っている。

中でもとりわけ、今回、私が気になったのは、
「インフォデミックを防ぐ」というテーマだ。
インフォデミック・・・コロナ初期の頃のマスク、トイレットペーパー騒動のように、不正確な情報の拡散によって世のなかに混乱がもたらされる事態を指す。
ソーシャルメディアを含む、このメディア社会の情報をどう受け止め、どう活かし、自らがどう主体的に生きるか。
この知的活動のために参考にすべき図書の紹介をしている。
そのテーマが興味深い。ここではその一部を記す。
・メディアリテラシー ~メディア社会を主体的に生きるために~
・フェイクニュース  ~情報社会え事実(ファクト)を探す~
・SNS・インターネット~特製を知る~
・デマ・うわさ ~古来からの「デマ・うわさ」で情報社会を捉える~
            ( 京都府立図書館 資料より)


いずれも、今、私自身、個人的にも大変興味をもっていることだ。
そして、情報を多く扱うプロである図書館こそが、正しい情報を得ることの大切さを説き、それらを活かす術を伝え続けることは大変意味がある。
ここで紹介されていた図書それぞれにも興味がある。
インフォデミックに関する書籍が、こんなにも世のなかにあることを知って
うれしくなる。共通した問題意識をもつ人がいることは心強い。

この夏に、ぜひインフォデミックについて学び、正しい情報の受発信について
自分なりに再整理してみたい。

図書館に時々立ち寄ってみる。やはり知の宝庫、アカデミックな世界の入り口は
清々しい。

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ちょっと、よく考えよう!

どうも、目先のことばかり考えて、失敗するケースが最近目に付く。
大変申し訳ないが、宣言も、マスクも、支援金も、旅行も・・・全部、目先の判断としか思えず。まあ、それぞれ意図も計画もあっての企画であろうが、それにしても結果を見ると、本当によく考えているのかな?本当に相手(この場合は、国民)のことを考えているのかなとと、果てしないはてなマークがつきそうな
このコロナ対策・・・。
これに対して、文句をいっていてもしようがない。結局、他人は守ってくれない。自力で生きる術をもたねばと強く思う。
そして、どんなときも、どんな場面でも、場当たり、目先のことでは、結果的に人に迷惑をかけたり、裏切ることになるということを学ばねばと思う。

ふわっとした、なんとなく一部の関係者のみに、耳障りのいい、一瞬受けそうな・・そんな企画は注意しなければならないし、自分が考える場合は、いろんな角度からよく考えなければならない。

全方位で見て、OKかどうか?誰から見てもOKかどうか?万が一の場合は
考えているか?
企画とは、まだ現実になっていないものであるから、変更や見直しは常にあって構わない。おかしな結果を遺すよりも、軌道修正の方がより誠実である。

とにかく、ちょっとだけ立ち止まって、よく考えよう。

このことを頭に刻み入れ、公私ともにきちんと生きていきたい。
この世は、反面も含め、いろんな先生、教材が豊富だ。
全部、そう思って受け留め、学ばせていただこう。

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世界を開くことができるうちに。

旅行。自由に生きたい場所に移動するなんて、なんの障害もなく、いつでもどこでも可能と思い込んできた。

この度のウイルスの影響で、旅行、移動について制限がかかり、少し不自由さを感じる。特に海外には、もうしばらく行けなさそうだ。

貯めてきたマイレージのゆくえも正直、気になる。

不自由といえば、コロナだけでなく、高齢になると、旅行は難しくなる。

心身の老いは、高齢者の移動を難しくする。加えてコロナ禍であればなおさらのこと。

最近、以前より自由に動けなくなってきた母は、好きな旅行も、半年前に行った長崎五島以降、難しくなった。今はアルバムを見ながら写真を見て、思い出の中で旅をしている。

いつかいろんな事情で行けなくなる日がやってくる。今のうちに行けるところへ、やれることを。躊躇したりあと伸ばしにしていると後悔するかも。

世界を開くことが出来るうちに。

と、旅が気になる今日。とにかく安全に自分で考えて、行動したい。

自分で自分の身を守りながら、、、。

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マイピアノに魂をふたたび。

来週、いよいよ久しぶりに、実家に放置されていた(していた)ピアノの調律を
お願いする。
その前に、ピアノ周りを少しでもきれいにと思い、実家で片付けをする。
ピアノ・・・。カバーはかかっているが、足元、ペダルのところに埃がついている。
なんだか 申し訳ない気持ちになって、せっせと拭いた。
少し拭き始めたら、どんどん気になってきて、ピアノの下の床や周囲を吹き始めた。
ピアノに触れていたら、なんだか長いこと放置していたことが、ピアノに申し訳なく思えてきて、ひとりでごめんね、ごめんね。と言いながら吹き続けた。
そして、このピアノがもうすぐ復活したら、これをどう活かそうかと再び考え始める自分がいる。
ピアノは自分にとって、一番の友達だった。自分を表現する最高のパートナーだった。そのことを忘れていたわけではないが、離れていて、今改めて思い直した。
ごめんね、ピアノ。
楽器は人間よりも長く生きることができる。もちろん手入れ次第だ。
今からでも遅くない。
自分はこれを生かさなければならない。新しい使命感が湧いてくる。

私にとって、もはやピアノは単なるモノではない。

とそんな風に、忘れていた分身の存在を取り戻す機会を大切にしたい。

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見守りのブーケ

久しぶりのライブ。
ミニコンサートということで、30分の短い企画であったが、
コンサートというのを初めて体験する!とお申込みいただいた方より
素敵なお花をいただいた。まるで私の好みをおわかりのような、アレンジに感動した。
コロナ対策で、少し緊張した会場も、このひまわりや紫の花たちの
おかげで、とても華やかに、元気になった。
ありがたいな~。さて、このお花どうするか。
自宅にもって帰るのもいいけれど、どうせなら、もっと多くの人に
見てもらって、元気を得てもらえたらといいと思い、両親がお世話になる
施設にそのまま持ち込む。
すると、まず職員さんたちが、「わあ~!きれいですね~。」とみなさん、みるみるうちに、ひまわりのような明るい笑顔に。
「癒されますね~。いいんですか」とみなさん、花の前に寄ってこられる。
花とは本当にすごい存在、人を元気にするパワーをもっている。

ということで、コンサートでいただいたお花は高齢者施設の食堂へ。
毎日、多くの人に愛でてもらい、感動をシェアしながら、またこの花を通じて、親たちにも、楽しかった日々のことを思い出してもらえたら・・・。

お花って、最高のギフト。改めてその存在に感謝したい。
枯れる日まで、やさしく、あたたかく親たちを見守ってくれていますように。
ご提供いただいたMさんへ、感謝を込めて。

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誰のために生きる?

自分は何のために生きているのだろう?
ミッションを掲げ、それに向かって生きているならば、それは一応
クリアしたことになる。

では、自分は一体、誰のために生きているのだろう?

これまで、あまりそんなに考えたことはない。
もちろん人の親になれば、子供のため。というのは当たり前かもしれないが、
私の場合、それはないため、誰のため?というのはこれまで不問であった。

が、最近、
妹のために、今、死んではいけない。という気持ちになることが多い。
もし、自分に今何かあると、親のことを妹にすべて任せることになり、
それはあまりに申し訳なく、また、彼女も冗談交じりにではあるが、
お願いだから・・と言う。

今、妹のためには、死ねないなと思う。
親のことをちゃんとやった後であれば、それも大丈夫だけれど・・。

誰のために生きる。難しいが、今は迷惑をかけないために、生きる。
何のために。誰のために。
いつまで・・という期限を自分で決められないのが、人生。

FOR、BY、WITH・・・さまざまな言葉とともに。見えない期限まで、今日もしっかりやることをやろう。


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心を密にする、ほんわかコンサート。

岐阜新聞でのロビーコンサートはもう3年以上続けている。ふるさとへのささやかな元気にお返しのつもりで、隔月開催。おかげさまでリピーターのお客様、新しい方など増えてきた。今年も!と意気込んでいたところ、コロナの影響で中断となり、4か月ほど・・・。
久しぶりの開催。主催者側である新聞社も熟慮に熟慮を重ねての決定であっただろう。7月からの再開。そして、昨日が私の出演日。
予約制になったこともあり、おかげさまで早い時期に満席になった。といっても、席数が、通常の半分以下の20名限定ということもあるが・・・。

さて、飲食店同様、客席の間隔を大きく開けての着席をお願いし、全員がマスク。演奏する側も、いろんな注意が必要だ。

まず、通常のライブのように、お客様に接近したりしないように気を付けなければ。一定距離のところで、マスクでMC。はきついと思い、自家デコレーションのアクリル持参でMCすることに。

そして、この数か月に感じたことを踏まえたプログラム。当たり前が当たり前でなくなった今だからこそ思うことを表現する曲目を選定。
ふるさと、人生、愛…それらをテーマに。そして生誕250周年のベートーベンの
メロディも少しおりまぜて、コロナや豪雨で被害に遭われた方々への思いを寄せたレクイエムも・・・。でも、湿っぽくならないよう最後は元気に締める。
初めてのウィズ・コロナコンサート。お客様がマスクをしながらも満面の笑みで
おられるのが伝わってきた。

普段と違う緊張もあったが、なんとか無事終了。あたたかい拍手をいただいた。

あんなときもあったね・・と言える日が来ると思い、今、出来ることを続けよう。また開催できますように。

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よりよく生きるとは。

このブログのコンセプトは、コミュニケーションクリエイターとして、よりよく生きたい。そのために考えたり、感じたり、行動したりしたことを綴っていく。というものであるが、この「よりよく生きる」というのが、なかなかむつかしい。
日々生きていくと、大小さまざまな困りごと、悩み、トラブルいろいろ出てくる。まさに何も凸凹のない人生とはないはずで、まあ、いろんなことが次から次へと起きるものだ。
そのことにどう向かうのか。
この向かい方が、実は、この「よりよく生きる」ということなのだ。
と、最近思うようになった。

いろんなことが起きる。このことに対して、ひとつづつ逃げずにしっかり向き合い、考えて、行動する。
もちろん自分の意のままにいかないことも多いけれど、そのたびに視点や視座を変えてうまくように考え、行動する。

そう、よりよく生きるとは、自分本位に生きる、わがままに生きるということではなく、全方位で、あるいはときに宇宙的に俯瞰して物事を見ながら、最適な行動を選び取って進んでいく。ということ。
悩むことは悪いことではない。
ただ、それをどんな風に昇華できるかだ。
人生こうありたい。という思いがあれば、解決策は必ず出てくる。

困ったときほど、よりよく生きるの意味に立ち返ってみようと思う。

さあ、今日は「よりよく生きる」ことのひとつ。久しぶりのコンサートだ。
コロナ禍のなか、どんな形でお客様にそれを伝えることができるか。
楽しみだ。

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