電車はすいても、ネットは混雑。

今週は東西に出張があった。いずれも新幹線移動。車内はガラガラだ。
二人掛け、三人掛けの椅子をだいたい一人で利用している約この1年間。
二人分、三人分の座席料がとれるはずが、1人分・・。
しかも空席も多数・・・。
このまま新幹線は、走り続けて大丈夫だろうか?走るたびに赤字では?
と心から心配になる。
また山手線の夕方もすいており、昔の乗る覚悟を要した満員電車は何だったのか?と思える緊急事態下。

一方、その電車に乗らない人たちが、会社へ行かず、自宅で、カフェで
ホテルで仕事。
本来ならばオフィスで使うパソコンもネットも、全部そこで使う。
そのことについて、これまであまり関心がなかったが、ついに影響が出てきた。

わが事務所のネット環境が劣化している。メールが送信できなくなった。
まだネットで調べたりすることはできるので、まだ良いが、
それでも送信がすぐできないと仕事に影響が出る。
そんなこんなで、原因究明や改善に向けて 調べたり、
わからないことを教えてくれるサービスを探したり・・・。
業務をやりづらい環境で続けながら、それでも
元通りの環境にはならず、日が暮れた。

電車はすいても、ネットは混んでいるんだ~。
早く、元通りの生活に近づいてほしい。と思う一方、もう回線を見直した
方が良いかも。

ずっと電車は混まない感じだから、ネットは混むのだろう。
身体の移動はなくなったが、コミュニケーションは見えない世界を飛び交っている。

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オンリーワンのアルバムギフト。

中学一年ではじめて習った英語で、「an album」という単語は早く授業に
出てきた記憶がある。
アルバム・・。一般には、写真を整理して集めたもの。
当時は紙焼きを分厚いアルバムに貼り付けて、成長の様子を楽しんだり
したものだ。
どこの家庭にも存在したアルバム・・・。
今や、そのアルバムたちは、押し入れの中や段ボールの中に入れられて
もう見ることがない・・。と、そんなことはないだろうか?少なくてもわが実家ではそういう状況だ・・・。

アルバム・・。その言葉はなんともノスタルジーにあふれ、心癒される。
写真だけでなく、音楽の世界でも使われる。
だんだん少なくなってきたCDや、
コレクター向けの媒体と化しつつあるレコードでも、作品を集めたものを
「アルバム」と呼び、親しんできた。昭和の懐かしい歌番組でも
「〇〇〇歌のアルバム」なんてタイトルもあった・・玉置宏さんをなぜか
思い出す。

さて、つい最近、写真アルバムが届いた。デジタルフォトブックというものだ。
しかも、20年以上前からの私の写真を集めたもの。
長年ずっと見守ってくださるA.Tさんが、その方ご自身の目線で、私のアルバムを作り、送ってくださった。
コミュニケーションクリエイターとして生きてきた自分の、とくに東京時代の
さまざまな交流、活動の横顔を撮り続け、それを整理してくださったのだ。
30代、40代の自分の顔がたくさん。その当時お世話になっていたみなさんに囲まれ、笑顔がいっぱい・・・。見ながら胸がジーンと熱くなる。

世界でひとつのアルバム。
自分がまとめたアルバムとは違う、なんとも言えない味わいのある
あたたかみのある編集。
写真1枚1枚に、その当時の自分がいて、恥ずかしいことも含め、
さまざまなことが思い出される。
京都、東京、岐阜、大船渡・・・。遠方であろうが、カメラ持参で
各地での活動を見守ってくださった。
そんな応援団、保護者がいてくださることに改めて頭が下がる。

写真一枚一枚は自分だけでなく、一緒に過ごした人との共通の思い出に
なっていることにも、静かな感動を覚える。

思いがけず、最高のギフトをいただくことで、
自分の来た道を振り返り、もう戻れないことを確認しながら、
出会ったきた全ての人に感謝をささげる。

アルバムは、自分と向かい、周囲に思いを巡らせるステキな
コミュニケーションツールだ。
まさしく、抱きしめたくなる1冊をいただいた。



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音なし世界のコミュニケーションからの気づき。

いつ、なんどき、どんな災難に巻き込まれて、自分の心身に異常をきたすことが
あるかもしれない。もちろん、ないかもしれないし、ない方が良いに決まっている。
しかし、このコロナ感染も然り、生きているとリスクはつきもので、
自分がある日、障がい者になることは充分ありえる。と思っておいた方が良い。
忘れがちなことであるので、改めて。
自分がずっと健常者でいられたら、ラッキーであるが、それは本当に奇跡。

しかし、もしも何かあって、自分の身に不自由が起きても、ちゃんと生きなければ・・・。そしてそのリスクの中に、光を見出す機会を得た。

今回、お誘いをいただき、聴覚に障害をもつ方がアテンドをされるという貴重な研修プログラムに参加することができた。
まずはそのアテンドをされたスタッフが一切、コトバを使わない、音のない世界でも、いかに表情、表現豊かに仕事をされているか。・・・その姿に感動した。

わが敬愛のベートーベンも、人生の長き時間を、音のない世界で過ごし、その中で、250年という月日を経た今も受け継がれるほど、素晴らしい名曲を
多数残している。
音がなくても、人は想像力を働かせ、その障害を乗り越え、新たな表現をすることができる。
そんなことを日常生活の場において、昨日、改めて学んだ。

コミュニケーション。対話。これは生きていく上で、最も大切なこと。
言葉を越えて、持てる力を使って、お互いに分かり合おうという気持ちをもって
向き合うこと。
その意志と行動が人と人を結びつけることができるのだ。
そんなことを学んだ。
いつ、なんでき、何があっても、自分らしく生きる。
想像力の発揮。がキーワードになるような気がした。
ダイアローグ イン サイレンス。都会に学びのオアシスを発見した。
音なしの世界は、透明で、美しかった。

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何役も楽しむ。

役者という仕事の醍醐味は、1回の人生でいくつもの役を演じ、いくつもの人生を楽しめるという点。
役ごとに、それぞれ違う人生が待っている。と思うと、ほんとうに面白い仕事と思うが、おいそれと、誰もがすぐに、カンタンに役者にはなれるわけではない。

しかし、妄想を楽しむことで、想像を働かせることで、束の間ではあっても、
違う人生が楽しめたりする。

近々、ある会社で営業のロールプレイング大会に、お客様側として参加させて
もらうことになった。
自分以外の人になるわけで、それなりのストーリーを考えておかねばならない。
今回はたまたまお菓子屋さんの役になるのであるが、
そのお菓子屋はどんな会社で、何を作って・・・・自分はそこで何をして
何に困っているのか・・・・など、具体的にイメージしていくと、自分が本当に
お菓子屋さんになってきた気分になってくる。
どんな風に演じ切ろうかと考えると面白くなる。

人生何役も楽しめると、ほんとうに有意義だ。
と、小さな楽しみを見つけると、日々の仕事も生活も楽しくなる。

ひとり何役も・・・人生を楽しむコツのひとつかも?

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まさしく、毎日、「人間だもの」。

人間にはいくつの顔があるのだろう。
最近、そんなこともよく考える。
真面目に普通に仕事をし、生活をしている自分。
親とむき出しのやりとりをしている自分。
最近は、想定外の言動行動に、勘弁して~と泣きたくなることもあり、
つい、カーッとなって・・・ということもある。
そして、そのあとは、ひとり反省。
もしかしたら、自分は弱い者いじめをしているのではないかと思ったり
すぐに気になって、喧嘩したばかりなのに、すぐ電話をかけて安否を
確認したり・・。

もう言うまい。と思いつつ、人間は感情の動物だ。

毎日、反省が続く。
心穏やかに生きることが一番幸せだ。
その平穏のリズムが不意に崩れることに、心も揺れる。

まだまだだな~。仏様、マリア様にならなくちゃいけないのに。
まだまだ、口だけ達者な母とは、むき出しの直接対決をしてしまう。

コロナの影響で、いろんなことが一変して、人間がおかしくなってきた。
それはないと言い切れない・・・。
今日こそは、穏やかに。

人間だもの。のひとことは救われる。

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持続可能なおもてなし、ここにあり。

今日は写真中心でまとめてみる。
約半年の間に、5回お邪魔した新潟のミューズコーポレーションという、
名前のごとく、女性だけの会社。女神さんたちの会社だ。

玄関に素敵なウェルカムメッセージ。
あまりにうれしかったので、毎回撮影をさせていただきストックしていた。

毎回、季節感や相手の好み、イメージに合わせて、訪れる客人の
緊張をほぐしてくれる。
どこかしら、やさしさがにじみ出ている、この会社のみなさんのことが
心から好きだ。
なぜか、応援しなくては!と思ってしまう会社だ。

マスクがなければ、皆さんの素敵な素顔、笑顔が全部公開できるが
またそんな日が絶対来る。

ちょっとしたきっかけで、コミュニケーションがはじまる、深まる。
ウェルカムの気持ちを表すことは、本当に大切だ。

自然にこんなことをしてしまう、小粋な会社。
「持続可能」という言葉を最近よく聞くが、こうしたおもてなしを
ずっと続けていることに感動を覚え、敬意を表する。

気が付けば、どんな業種も、お客様相手の仕事である以上、
みんなサービス業だ。
今日お会いする人に、感謝を込めて・・のしるしだ。

という、ミューズさんたちの、素敵なおもてなしに拍手と感謝。

今週もしなやかに、やさしく、持続可能な行動をはじめよう。

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生きるコスト

家計簿は付けていない。仕事面では、もちろん経費管理はしているが。(税理士さんたちの手を借りてであるが・・)

働いている間は、収入がある間は、支出バランスを考えて、やりくりをする。
出費を考えて、調整しながら、暮らす。
経済とは、国や企業レベルだけではなく、実は個人レベルでも規模こそ違えど
同じ考え方であるべき。

ということを最近、必要に迫られて、真剣に考えるようになった。
年金生活を続ける親たちの暮らしを見て、将来への不安と覚悟が高まる毎日。
生活のサイクルを自分で回せることが、自活の基本。
そこには当然お金の管理も含まれる。

生きていくということは、結局膨大なコストがかかるのだ。

最近、痛感していることだ。

経済か命か。と今、コロナ禍でよく耳にするこの言葉は、コロナがなくても
同じことだ。

生きるコストと生産性。
生産性とは、いくら稼ぐかだけではなく、なるべくお金をかけないで周囲に迷惑をかけないで、
社会にとって、意味のある存在として人生をまっとうできるように努力する力も含めて考えたい。一生を終えるときに、何を遺したのか。ということだ。
コスト感覚なしに、しかも借金だけ残す・・では人生はハッピーエンドではない。
自分や家族という最小単位の経済をうまく回し、何かを残して終わるということだ。

言い換えれば、自分という存在の価値。

親たちの生き方を見て、つくづく、生きるコストについて考える。
かなりシビアな問題ではあるが、出来るものが代行しながら、サポートしながら
・・・。それも恩返しになるのだと信じて・・・。

そして、自分こそは、人生のコストをもっとよく考えて、日々改善していかねばと襟を正すことも同時進行だ。

生きることには、コストがかかっている。忘れてはいけない。

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ワクワクチャレンジャーで。

私の周りには、このコロナ禍のなかでも、元気に前向きに活躍を続ける人が多い。この状況だからこそ、思いつくことが、実は多い。
コロナだ、大変だ、前の生活にいつ戻れるんだろう。
と思っている以上は、なかなか前に進めないが、今だからこそ、こんなときこそ
と思うと、いろんな知恵もわいてくる。

コロナ禍のなかの人々の動き、変化を見ていると、こんなもの、コトが求められるのではないか?が見えてくる。
目の前の個別的な現象しか見ていないとチャンスはなかなか見えてこないが、
この事象を点から線へ、面へと束ねて見る力、世の中を俯瞰する力、先を見通せる力があると新たな、明るい光が見えてくる。
そこから挑戦する意欲が湧いてくる。

おかげさまで今、私の周りには、また相談に来られる企業さんも
チャレンジャーが多い。待っているのではなく自分から攻めていく人たちだ。
この春に向けて、新事業をスタートする人、海外制覇を目指す人、すでに走り始めている人、会社を改革しようと奮起されている人もいる。

そんな頼もしい人たちに囲まれ、私自身、そのチャレンジャーを応援することをもちろん続けるが、自分自身もまたチャレンジャーであり続けたい。

2021年は新たなチャレンジを仕掛けるには最適の1年だ。
「大変だ、大変ですね~。」と言っているだけでは、変わらない。

楽しく、ワクワクチャレンジ。小さなことから始めるのが良し。

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コラボの責任。

この会社とこの会社、あの人とあの人が、こんな風に組んだら
こんな面白いことができるのではないか?と突然浮かぶことがある。
このヒラメキは、浮かんだ以上、止めることはできず、タイミングを見て
提案をする。行けるかな?と思ったら、進む。それが基本。
とことん前向きでなければ、コラボの提案は実現しない。
おかげさまで、かかる時間はさまざまであるが、実現することもある。
知らない会社同士をつなぐ、結ぶ仕事。
これは、なかなか責任がある。
「じゃ、よろしく。」
と紹介して終わらない。
うまく回るように、結果が出るように 表に出るか黒子であるかは別として
ずっと見守り続け、サポート&フォローしていかねばならないのだ。
誰かが、繋ごうと思わなければ、違う組織が組む、一体になることは難しい。

コラボ、コラボと世のなかではよく言葉にするけれど、
実現することは難しい。
両社か第三者で熱意ある人がいないと動かないのだ。
待ちの状態では何も進まない。

今日は宅配業と食品メーカーとのコラボの仕掛け。
そして・・・。
両者から出会ってよかった、組んでよかったと思ってもらえるよう
つなぎ役をがんばらねばならない。
今日は、また違うコラボのメンテナンス。
いずれにせよ、自分でやりきったと思うところまでやる!のが
いい仕事の鉄則だ。

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大統領の涙

ようやく、やっと、ついに。長い4年が終わった。
お金を払って観ることはしない、冗談か悪夢が繰り返される、でも映画だからと思いたくなるような、まさにそんな長編映画のような4年間だった。
これが映画のままであったら良かったのかもしれない。
でも、現実だ。
そして、いつかこの4年間のことは、映画になるだろう。

アメリカという国は、この間に大きく変わってしまった。
とくにクライマックスとして、1月6日の議事堂への襲撃事件は、
911を思わせる歴史に残る悲劇であった・・・。

人生の多くを政治家として生きてきた新大統領。
その職の頂点である、大統領の座に、今このタイミングで
就任するというのはどんな気持ちだろう。
同じ座に就くにも、いろんな環境、タイミングがある。
そういう意味では、今のタイミングだからこそ、この職に就かれることになった。何かが違っていれば、そうなっていなかったかもしれない。

家族を次々と亡くし、哀しみ多き人生であったようだ。
大統領就任式の前に、亡き息子のゆかりの地で、涙をぬぐっておられた姿が
あまりに印象的であった。ひとりの人間としてのプレジデントを感じた。
その涙はその家族らへの思いとともに、この分断された大国を、これから自らが率いていくことに対しての、強い使命から流されたものだろう。と、私はそんな風に見ている。

ある学者が、バイデン氏は政治を当たり前のものにしてくれる。政治とは日々のことであり、つまらないものであると気づかせてくれる。そこからさまざまな
暴力や暴動は減っていくのではとの見方を示していた。

そうであってほしい。
政治とは、ショーでも映画でもなんでもない。
誰もが安心して平和に生きることができる国づくりだ。
アメリカをそれぞれにとって、アメリカンドリームを追い求めることができる
自由の国に。
そしてアメリカンファーストではなく、相手を大切に。
世界が支持するアメリカに。仲間としてのアメリカに。なってほしい。

大統領の涙。
キリスト教的な言葉を借りれば、まさに派遣された「大統領」という仕事。
バイデンさんにとっていい人生が開かれるように。

そして、個人的にはパープルカラーで就任式に臨んだ、同い年のハリスさんの
ことも心から、応援している。彼女の活躍を心から応援している。

それにしても、バイデンさんも
英語で話していても、しみじみ伝わる素敵なスピーチだ。
人生がかかっている。命がかかっている。
それを感じる。

アメリカの明日に、世界の明日に新たな光を期待して・・・。




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