音なし世界のコミュニケーションからの気づき。

いつ、なんどき、どんな災難に巻き込まれて、自分の心身に異常をきたすことが
あるかもしれない。もちろん、ないかもしれないし、ない方が良いに決まっている。
しかし、このコロナ感染も然り、生きているとリスクはつきもので、
自分がある日、障がい者になることは充分ありえる。と思っておいた方が良い。
忘れがちなことであるので、改めて。
自分がずっと健常者でいられたら、ラッキーであるが、それは本当に奇跡。

しかし、もしも何かあって、自分の身に不自由が起きても、ちゃんと生きなければ・・・。そしてそのリスクの中に、光を見出す機会を得た。

今回、お誘いをいただき、聴覚に障害をもつ方がアテンドをされるという貴重な研修プログラムに参加することができた。
まずはそのアテンドをされたスタッフが一切、コトバを使わない、音のない世界でも、いかに表情、表現豊かに仕事をされているか。・・・その姿に感動した。

わが敬愛のベートーベンも、人生の長き時間を、音のない世界で過ごし、その中で、250年という月日を経た今も受け継がれるほど、素晴らしい名曲を
多数残している。
音がなくても、人は想像力を働かせ、その障害を乗り越え、新たな表現をすることができる。
そんなことを日常生活の場において、昨日、改めて学んだ。

コミュニケーション。対話。これは生きていく上で、最も大切なこと。
言葉を越えて、持てる力を使って、お互いに分かり合おうという気持ちをもって
向き合うこと。
その意志と行動が人と人を結びつけることができるのだ。
そんなことを学んだ。
いつ、なんでき、何があっても、自分らしく生きる。
想像力の発揮。がキーワードになるような気がした。
ダイアローグ イン サイレンス。都会に学びのオアシスを発見した。
音なしの世界は、透明で、美しかった。

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