「me too」より、「I」。

なんだか、最近、世の中で「me too」なる言葉が蔓延している。
普段の会話などでちょっと冗談っぽく使いたくても、
違う意味で捉えらるとか、流行りの言葉として
使っていると思われるのは、本意ではないので、
言葉というのは難しい。

拡散社会ならではのこのキーワード、個人的にはあまり馴染まない。

「私も」という同意、共感の意味であるが、なんだかそれが塊になると
「私も私も私も・・・」という感じになって、ちょっと怖い。
集団の圧力、抵抗、反対運動のような空気を感じる、もちろんここの
ところの動きは、それが狙いでの拡散ということであろうが。

この言葉を連発し、連なって行動を興す。
昔のウーマンリブ運動のようなものが、SNSのチカラを得て、さらに
拡散され、広まっている。

男女差別やハラスメントというのは、「被」なる立場にしかわからない
問題、被害であろう。その抵抗の仕方、解決の仕方は人それぞれだが、
一人では言えないから、集団で。
という考え方はわかる。

一方、なんでもme too が先行、優先なる社会になっていくのはちょっと
考えてしまう。

私自身は、「私も」よりも、「私は」を優先したい。
人の後ではなく、自分で考え、行動したい。
また性を越えて、いろんな異なる人との交流を大切にし、
訴えるのではなく、対決するのではなく、団体の力づくではなく
自分でカラダを張って、相手と交流しながら自分で解決したい。

だから、「me too」ではなく、どこまでも「I」を追求したい。

オンナでよかったこともたくさんある。
権利だけ主張するのは違う。
男性社会といわれた中で、道を開いてきた女性たちを
心から尊敬する。

今は女性にとって恵まれた社会であるという一面もある。
男性も女性も対立せず、お互いの強み、いいところを活かして
共生できればいい。
この考えには、まさに「me too」だ。

カテゴリー: Essay (Word) | 「me too」より、「I」。 はコメントを受け付けていません

黙る正義・見守る思いやり

社会全体のコミュニケーションマナーもルールも、大変混乱していると
思わざるを得ない今日。
世界全体をあるべき方向へ導く役割を担う人は、不在にも思う。
地球全体がアナーキーのようだ。

それこそ、絶対的な存在がいればいいが、これも一筋縄には
いかない。
となれば、ひとりひとりが良心にもとづき、良識にもとづき
コミュニケーションを考え、行動するしかない。

子どもの頃は、教育により親から先生から、
人との関わり方を学んだが、現代は誰がコミュニケーションについて
確かな道を示してくれるのだろう。

今、誰でも発信できる世のなかになり、その容易さと反応の速さに
味をしめた人たちは、自分が世界の中心のごとき、どんどん
発信している。相手がどうだとか、受け手の気持ちとか、情報の質など
関係なく自分の主張をしまくっている。
さも、正義は自分であるかのように。

事件や事故。酷いもの、目を背けたくなる残忍なこと。
知らなくていいことはそのままにしておけばいいのに、
他人の不幸をネタに、自己主張したり正義を振りかざす
のは、、、。
拡散すべきことではないことも、どんどん広がることが
次の事件や犯罪につながることもある。

なんでも拡散するより、黙っている、じっと守る方が正義であり、
優しさであることを、私は肝に銘じたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 黙る正義・見守る思いやり はコメントを受け付けていません

「怖くて聞けん」世の中

年老いた母ではあるが、まだまだ行動的だ。
自動車免許はもたないが、重いリュックを背負って、自転車にのって、電車やバスにも
乗って、ひとりで行けるところは出かける。
旅行は大好きだ。

ある日、そんな母と待ち合わせする。
雨が降っており、心配していたが、予定よりも早く待ち合わせ場所に着き、
私を待っていた。
「早かったね」
「うん、いつもと違う駅に自転車おいて、そこから電車に乗ってきた。
 次いつ来るかわからんかったから、駅にいる女子高校生に聞こうと思ったら
 イヤホン付けて、人の話なんか聞くという感じじゃなかった。」
「なんか聞いたら、怒られそうで、怖いわ。最近は何されるかわからんし。
恐ろしい世の中になったわ」
と母はつぶやいた。

そう、周囲に困っていそうな人がいたら、「どうかしました?」
とか声かけたらいいのに・・・。
今はそういう世の中ではない。聞かれる方も警戒気味である。

怖くて聞けない世の中になって、いいことはない。
まちの人同士が、助け合って困らないようにできるのが、いい社会なのに。

こんなことを思っている間に、
まさかの痛ましい事件が新潟で起きてしまい、
とても悲しい。

怖くない世の中になるように、どうすればいいか?

社会の時計を逆戻ししたいぐらいだ・・。

カテゴリー: Essay (Word) | 「怖くて聞けん」世の中 はコメントを受け付けていません

フェイクニュースに惑わされない自分づくり

最近通っている
国際報道を学ぶ授業は、大変刺激的であり、
世界のなかの日本、そのなかの自分が
いかに小さな存在であるかを知るのに
良い。

そして、
日本で報じられている情報が世界発のものと
ずれているか、足りないかを知ることができ、
この年になって向学心が芽生えるという点でも
ありがたく思っている。

手っ取り早い検索サイトで情報を収集するのではなく、
一流の、プロが発信しているきちんとした情報を
多く目にすることが自分の情報力を鍛えるのに
大切であることも知る。

ちまたにあるミドルニュースの検索など易い
方法で情報を見るのであなく、
知的で見識ある、世界のメディアを多くチェックする
習慣づくりが必要だとますます思うようになった。

昨今、フェイクニュースが増えているようだ。
あるキーワードで情報検索しても、どれが本当?
どれが嘘?かがわかりづらい表面的な内容である。
そこで頭に入れておきたい点は、
ホンモノのニュースとフェイクニュースは
おのずと目的が違うということ。

真実をきちんと伝えようとしているのか、
ある方向に読者を誘導したくて発信しているのか・・
そこが違う。
まさにPRとプロパガンダの違いであると思う。
嘘をそうなんだ~と信じないためには、
感情や先入見で物事もみないで、より多くの
情報に冷静に接し、そこから見えてくるものを
自分なりに導きだしていくことが
大切だ。

単に目立ち、露出しているから、フォロー数が多いから
といって、一喜一憂したり、そっちに流れるのではなく、
つねにいい意味で疑いの目を持ちながら。
良い情報に出会う工夫をしていきたい。

フェイクには野望はあるが、理性はない?
そこを見破る力を身に付けたい。

今回フェイクニュースについての講義を聴き、
私なりに想いを巡らせてみた。

それにしても、このフェイクニュースなるものが存在してしまった
というこの時代。
嘘をついてまで、自分ファーストの人がいるということに
危機感を抱いている。

カテゴリー: Essay (Word) | フェイクニュースに惑わされない自分づくり はコメントを受け付けていません

「地域」コミュニティとの融和

地域性。その地域の特性のこと。
岐阜に生まれた私には、子供ながらに、女ながらに、いろいろあって
脱出してしまった。

あれから、約35年。
今、改めて ふるさと含め、地域というコミュニティとの関わり方について
気づかされる日々をおくっている。

京都、東京に住み、新潟に通い、台湾に通い・・・。
そこで過ごす時間、関わる人が多くなれば、その土地のことも
わかってくる。
確かにどこも、ふるさととは違っていた。楽さがあった。
自分の背景がなく、自分が単独でいられた。

仕事のやり方や、プライベートでの付き合い方、お酒の交わし方・・・
それぞれの国、地方…実に、そのスタイルはさまざまだ。
わずかな経験からでも、そう思う。

いつも、漂流している自分は、地域性なるものをあまり意識して
人と関わってこなかった。
その人、その人と個別に向き合い、交流してきた。
とくに東京や京都の場合は、それでいい、あくまでも個と個の関係だ。

しかし、
実際、地方に入り込んで、そこの人たちとかかわろうとすると、
そのときは、そこの地域性を考慮する必要が出てくる。
「ここは、こういうところだから」
と言う見えないルールというか、枠というか、縛りがある。
その現実を理解しなければならない。
一人とつきあうのではなく、そのコミュニティへ入っていかねば
道が開けないからだ。

たとえば、いいと思うアイデアをもっていても、いきなり提案すればよいという
ものではない。
これまでの関係を大切にすることも大切な処世術となる。

まずは、その地域に入り込み、そこに生きている人たちを
よく理解すること。
そして、じんわり溶け込んでいくようにすること。
都会のように、おれが、私が俺が・・・と出すぎるのは、そぐわないことが
ある。

そして、
地域性と言っても、一言では括れない。まさに地域によって
違うのだから、地域ごとによく研究をしながら、向き合って
いかねばならない。

まずは受け入れる。まずは認める。理解する。
そこに入り込んで、じわじわと自分らしさを出していく。
また、
地方の人が東京や東京で生きてきた人・集団をどう見ているかも
考えてから言動する必要もある。

何を食べ、どんな風土のもと、歴史のもと、どんな風に
育ってきた人たちなのか。
これらをよく知り、つきあう。

東京もある意味、ひとつの地方である。
ぐらいの考え方でないと、地方でうまくやっていけない
のかもしれない。
それぞれに良さがある。
そこを認め、共存する方法を見出すことが
生きる道となる。

地方に向かうからこそ、見えてきた新たな課題。
可能性を大いに感じたい。

カテゴリー: Essay (Word) | 「地域」コミュニティとの融和 はコメントを受け付けていません

両刀使いが良い。

平日朝の5時からは、NHKのクラッシック音楽番組を流しながら、仕事をすすめる。
朝は、オペラのような濃厚な歌よりも、少年合唱団のような声だったり、オーケストラよりも四重奏管弦楽の方ぐらいの方が軽めで良い。
そんななか、とあるフランスの四重奏楽団の演奏を知る。
最初、ベートーベンの「厳粛に」というタイトルのついた四重奏。
これもかなり濃厚であるが、フルオーケストラでない分、楽に聴ける。
へえ、こんな曲をベートーベンが書いていたんだ~。と感心していたら、
続いて、この楽団、今度はジャズを演奏しはじめた。

同じコンサートで、ベートーベンとジャズを演る四重奏楽団とは珍しい。
もちろんバイオリンもチェロも、ジャズはもちろん、アルゼンチンタンゴなどにも
最高にマッチするため、
そのこと自体は驚かないが、ベートーベンの後だから、新鮮だ。

そのリーダーのインタビューが印象に残った。
「クラシックは賢く美しい。ジャズは自由なすばらしさがある。その両方を、自由に演奏したいと思った・・・」

クラシック畑の人でなかなかそう思う人は少ないと思っていたので、大変に感銘を受ける。
基礎ができている人たちがやるジャズは、しっかりしていて、構造的に安定した響きで、
濃厚なジャズという点で新鮮だ。
ニューオーリンズで聴くジャズとは違う。

私は最近、クラシックピアノを再び練習しようと思っている。
その賢さとうつくしさは素晴らしい。
その上で、もっと自由に楽しく表現したい。

両刀使い、フレキシブル。そんなアーチストに育っていきたい。
世の中には、なかなか素敵なアーチストたちがいっぱいいる!

これしかできない!より、あれもこれも。のスタイルが良い。

カテゴリー: Essay (Word) | 両刀使いが良い。 はコメントを受け付けていません

メディアに出る男に学ぶ

いろんな人がメディアを賑わしている。
出たい人が出ている、出るように仕掛けている。
マスメディア、ソーシャルメディア含め、
そういった媒体がない時代、まさに人伝え、口伝え
だけで自らの使命を成し遂げた人たちは、本当に
凄い、その時代を生き、今日に名を遺す人たちこそ、
尊敬に値すると思う。
間違えてはいけないのは、現代社会において
有名だから偉いのではないということだ。
そんななか、
こんな人は現代社会で本当にえらいな!と思う。
たとえば、イチロー。
40歳を過ぎても、まだまだ現役だ。
あのブレナイ現役イズムは、多くの人々に勇気を
与えてくれる。
苦境に立っても、何があっても、
イチローはナニクソ精神で立っているのだ。
彼の背中を見ていると、涙が出そうになる。
イチローががんばっているのだから、自分も
がんばろう。
と、思えてくるのだ。
ということで、最近、メディアに出る男で
もっとも尊敬している男は、イチローだ。

カテゴリー: Essay (Word) | メディアに出る男に学ぶ はコメントを受け付けていません

ぐるぐる回り道して、わが道を創る

環境とは、自分が存在する前からあるものか、
もしくは、自分が環境をつくるのか。
この半年ほど、そのことをあれこれ、わが身で行動しながら
感じること、わかってきたことがある。

たとえば、自分は東京から名古屋へすまいを変えた。
当初、このこと自体の影響はあまり考えていなかった。
ネット社会でもあり、交通機関も昔と比べれば
格段と便利になって、どこにいこうか、どこに住もうが
関係ないと思っていた。

そして、今もそう思っている。

ただ、よく考えたら、私には名古屋での知り合いはいなかった。
ゼロ。それなのに、えいや!と即決したのだ。
実際、どこにいてもできる仕事であるという点がそうさせた
のだろうが、実際には、地元での活動をしようとすると
何もつながりがないところで生きるというのはなかなか
難しいものだ。

地元でも仕事がしたい、活動がしたい、できたら関西へも・・。
せっかくGO WESTしてきたのだから、新たな道を
創ろうとする。
いろいろもがいた。東京で暮らし続けていたら見ることが
なかった情報にも目を通した。
そして、これは違う、これも違うと、現実の環境と自分との
間のギャップを感じ、へこむこともあった。

一方、いろんな積み重ねで培ってきた人間関係から新たな
ご縁が生まれ、新たな取り組みがはじまった。
ひとつ動き出すと、他も動き出す。
そう、しばらく休んでいた観覧車が、新たな地で回り始めたような
感じだ。

余計なことをしたり、ぐるぐる歩いたり、紋々としたり・・
でも、これらの時間もすべて生かされ、動き出すときの
エネルギーになっている。

今、思うのは環境はあるものではなく、自分が飛び込んで、創って
いくもの。だから、環境というのは、実はそれぞれに違うはず。
私にとっての今の環境は、東京のそれとは違うのだから。

環境は与えられるだけでなく、自分でつくりだせるもの。
だから、まだまだいける。
無駄を惜しまず、へこみを恐れず、とにかく彷徨うことにしよう。

カテゴリー: Essay (Word) | ぐるぐる回り道して、わが道を創る はコメントを受け付けていません

「人生は観覧車」を書く、一筆箋。

「人生は観覧車のように」をテーマにしたオリジナルの一筆箋を
つくった。グラン・ルー20周年の記念のしるしの品。
お世話になってきた方、お手紙書かれそうな、文具がお好きな
方などにお渡しし始めている。

長崎の知り合いの奥さまに、先日お渡しした。
旦那さんは、私が長崎好き人間になったきっかけのお一人でも
ある。
1週間ほどしてから、そこの旦那さんご本人から封書が届いた。
なんだか分厚い。何が入っているのか・・。
2か月ほど前に、喪中はがきが届いていた。お母様が亡くなったと
あり、気になっていたところでもあった。

ちょっとドキドキしながら封書を開けると、
先日プレゼントした観覧車柄の一筆箋に書いた手紙。
ほとんど1冊を使って書いていただいたようだ。
一筆箋とは、長くかかなくても、ちょっと書ける良さがあるが
ちょっとしか書けないので、その気になると、ついつい何枚も
書いてしまうのであろう。
それにしても、1冊書いてしまわれたのだ・・。

この思いがけぬ分厚い一筆箋のお手紙をページをめくりながら、
この送り主の今の状況がわかり、胸が熱くなった。
お母さまを昨年大晦日に失くされ、それまでの介護や
その後の対応などのお疲れや悲しみから、
ご自身の体調を崩され、辛い日々を送っておられたのだ。

手紙に記された、体のたまらない痛みとの戦い。
そしてお母さまとの別れと哀しみ。
元気なお母さんに会いたいと書いてあり・・・
手紙が泣いているように感じた。
でも、手紙の最後に、このたびお孫さんが生まれた、お母様の
生まれ変わりかも・・とあり、喜びが伝わって安堵した。

そして手紙の最後に
「人生はまさに観覧車ですね。私の場合は、母が軸となって
廻っているようです・・・。久しぶりに手紙のようなものを
書いてみました。」
と結んであり、思わずこの手紙をあつく握りしめた。

観覧車柄の一筆箋は、人生を観覧車のように思い出して
そのことを書き表して、人に伝えるためのツールかも
しれない。思いもしなかったが、そんな風に
使っていただいたようだ。

自分が贈った一筆箋に、人様がメッセージを入れて
私に戻してくださるとは・・。
この行動自体も、観覧車のようだ・・。

いろんな人生が私のなかを、周りをぐるぐる回っている。

この手紙の主人に、近々会いに行かねばと思っている。

そして、
元気なお母さまに会いたい・・・・と思っても会えない
この哀しみ、寂しさ・・。
いつか自分もそんな日が来る。覚悟をもち、後悔しないようにと
同時に思っている。

カテゴリー: Essay (Word) | 「人生は観覧車」を書く、一筆箋。 はコメントを受け付けていません

瞬間のうるおい、幸せを感じる。

引っ越して良かったと思うことはいろいろあるが
3つ挙げるとするならば・・・
その1 花を一輪買うのが楽しみになった。
できれば、あまり見たことのない種類、好きな系統の色の花を一輪。
写真の花はつい先日直場所でみつけた。名前は結局わからないまま。

その花の水を変えながら、日々の変化を楽しむ。
毎日花が開いていくのを見ながら、ドキドキする。
そんなに早く開かなくていい。ゆっくりゆっくりでいいと
話しかけるが、花は生きており、どんどん開く。
こんな花コミュニケーションは東京時代にはほとんど
なかったかもしれない。

その2 珈琲だけでなく、紅茶を楽しむようになった。
一杯のコーヒーは実に美味しく、朝に午後にとパソコンしている時間が
長いと必需品となるが、
最近は、紅茶にも楽しみをもつようになった。
味わいだけでなく、香りだ。
お湯を注ぐ前、茶葉の香りをいただき、リラックスする。
さらにお湯を注いで、湯気から立ち上る香りをほんのり楽しむ。
想像どおりの香りに出会うととてもうれしくなる。
もしかしたら、マッサージ以上の効用もあるかもしれない。
がぶがぶではなく、じっくりといただく。
まさにブレイクタイムを楽しむ。
これも引っ越したおかげで見えてきた時間かもしれない。
今、出会って嬉しいのは、アールグレイ インペリアル。
ネーミングも紅茶らしく高貴な感じがいい。
そう、名前ってとても大切だと紅茶からも学ぶ。

その3
雨音を楽しむ。
今の住まいは、ちょっと大きめの通りに面している。
平日の通行量は多い。
雨が降ると、下の方で車が濡れた道路を滑る音がする。
ああ、雨だ。
あ。小雨になった。
おや、大雨だ。
止んだかな。

雨の音を聴くと、ちょっとショパンにでも
なった気がする。

と、毎日小さなことを、日々の暮らしのなかで楽しむように
しようとしている。
どんなことがあっても、小さな楽しみがあれば、
やり抜ける気がする。

人間、健全で前向きな発想と行動には、
うるおいが大切なのだ。
そう、心が乾燥肌にならぬように・・・。
気を付けていきたいお年頃。

カテゴリー: Essay (Word) | 瞬間のうるおい、幸せを感じる。 はコメントを受け付けていません