苦痛の次は、の期待。

やりたくないこと、避けたいこと、逃げたいこと・・日々いろんなジレンマがある。できれば、簡単な方に、楽な方に・・・と思うこともある。
病気の治療もそうだ。今は苦痛だけれど、痛みを軽減する、癒すためにつらい治療をがんばっている方がおられる。
抗がん剤の治療を続けている方に最近お会いして、一見、元気で笑顔で・・でも「3日前までは辛かったです」と言われ、がんばるな~と頭が下がる。
それに比べれば、私の苦痛はなんだ?何もないに等しく、それ以上にもっとよくなりたい、もっと〇〇したいための課程ではないか。
こんなものは苦痛でも苦労でも何でもない。

一見、嫌なこと。したくないことが下積みであり、それを越えると本物になれるのだ。

つらいときは、少し先のことを想像しよう。今はトンネルの途中とすれば、トンネルの先を想像して、がんばろう。

大人になって、病気ではなく、自分の成長のためにこんなプロセスをもてることに感謝したい。と書きながら、逃げたい自分を抑え込む。

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音楽と美術の大きな役割

音楽で最近、改めてすごいと思うのは、クラシックの世界だ。
たとえば、ショパンのピアノ曲を聴いていると、ある風景や情景などが浮かんでくる。ピアノを弾いている演奏者を見ているのも良いが、目を閉じると、視覚的な世界が広がるのだ。歌がついている曲であれば、歌詞があるためもっと想像しやすい分、その広がりはある種限定的だ。しかし、ピアノ音やバイオリン音、
アコーディオンにいたるまで、楽器は私にとっては三次元の想像を可能にする不思議な道具だ。
一方、美術も面白い。ある作品と向かい合っているとそこから音が聞こえてくるような気がすることがある。絵から音楽が流れてきそうな・・・そんな絵画もたまにはあるが、会話だったり、風の音だったり・・二次元なのに立体的になったり、視覚でしか見えていないのに、聴覚で感じることもあるのだ。
音楽も美術もいずれも、現実の世界ではない。現実の世界を越えた、永遠の普遍の理想の世界。もちろん作品によっては、負のメッセージのものもあるが。

見えない世界を見、聴こえない世界を聴く。

人間にはそんな風にして、自分の世界を広げることができる。芸術の凄いところはここだと思う。

毎朝、ピアノやバイオリンの演奏を聴きながら、朝の世界を開いていくのがなんとも楽しくて、シアワセを感じる。

人生、限られた時間であっても、音楽や美術にふれることにより、何倍にも何十倍にも豊かになれる。


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父の日はあと何回?

おかげさまで、今年の父の日も無事通過した。(笑)

若いときは考えもしなかったが、両親の誕生日や、母の日、父の日など、世間でいうお祝いの日を近年、より意識するようになった。

特に何もしなくてもいいかもしれないが、残り何年か?来年はないかも?と
つい思ってしまい、ささやかであっても贈りものであるとか、一緒に食事に行くなどしなければ、しておこうという感じになっている。

最近は月に何度も顔を合わせているし、改めてしなくても・・・という気持ちもあるが、改めて父に手紙を書くなどは、そういった特別の日の方がしやすい。

今回は、父に新潟のミニ地酒セットに手紙を添えた。「私たちのために一生懸命働いてくれて、本当にありがとうございます」と書いた。
もう父は引退しており、働いていないが、父の現役時代の労働により、間違いなく私と妹は育つことができた。
その頃の親の尽力に感謝しなければ・・・。
過去のことを感謝し続け、現役時代の頃を思い出してもらうことも大切かと思う。

あと何回?わからない。

間違ってもあと20回はないだろう。最後になるかもしれない。

万がいち、最後になっても、悔いがないように。

「いつも、いつもわるいね。ありがとね」
の、会話が成り立つ今日に感謝して・・・。

父はどんどん小さくなっていき、反応は鈍くなる・・・。でも、私のなかでは大きな存在であり続ける。

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前向きな人に会える仕事。

医療や介護の仕事は本当に大変だと思う。痛みや、老いの苦しみを抱えた人を治し、癒す仕事・・。もちろん技術の問題もあるが、向かい合うときのパワー、気持ちの注ぎ方も大変な労力と思う。もちろん好きでその仕事を選んでおられる方にとっては、その苦しみを軽減できたときが歓びに代わる、それがやりがいという方もおられると思うが、何の技術もない私にとっては、ただただ尊敬だ。

私の仕事は大変贅沢で、たとえば企業さんの相談会や勉強会のお仕事の場合、
なんとか成果を挙げたい、もっといい仕事がしたいという前向きな方がほとんどで、目の輝きが違う。また、人の話をちゃんと聞いて、いいと思えば生かしてくださる。そして別れるときは笑顔で、感謝してくださる。
ライブやコンサートの場合も、聴きたい、会いたい、元気をもらいたいという方しか来られないので、お客様の反応も前向き。笑おう、聴こう、参加しようという前向きな空気につつまれて、話したり演奏できるのはとても幸せなことだ。

ということで、私の仕事は、前向きな人に会えるという点がまずうれしい。
もっとよくなりたい、もっと成長したい、もっと人に喜ばれたいという人が自分を頼りにしてくださったり、参考にしたいと思っていただけるということが本当にうれしい。

初めてお会いした方たちの表情を思い出していたら、本当に幸せだとしみじ
み思えてきた・・。

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My Hongkong Love

もう四半世紀前になるだろうか。
今も懐かしい、初めて出張で足を踏み入れた香港の町。

ああ、こんなに国際的な都市がアジアにあるのだ、
アジアにヨーロッパがあるのだと、心躍ったものだ。
当時、知り合った香港の印刷会社の社長さんは、顔は中国系である
のに、見事に英語を操り、そして商談の後の会食では、社交ダンスも披露され、なんと洗練されているのだろう、さすがHONGKONGと感心したものだ。
現地で知り合った日本人の社長は、何十年も香港で暮らした。よく働き、週末はマカオへカジノに出向き、よく遊んだと反省を込めて話しておられたことも今は、とても懐かしい。もう香港にはいない、返還後、渡英した。
会社員最後の仕事は、アジアのマーケティングリサーチで、香港の売り場調査に出向いた。当時の返還直後の香港は、まだイギリス統治時代の匂いがあり、わくわく感もあった。

香港は、テレサテンも愛した町であった。もっとも国際的な、自由都市。
戦争では、不幸な経験も生んだが、その時代を越え、香港は世界から観光客を集め、日本人にとっても最も近いヨーロッパとして、親しみ通う都市となった。
アフタヌーンティーも、香港で知った文化。免税のショッピングを楽しんだ日々もあった。思い出は尽きない。

しかし、もう10年以上Hongkongに足を向けていない。
とくにこの数年は、足が向かない。マカオへ行くとき必ず利用していた高速船も今は利用しない。
香港は、変貌してしまった。
今も、目を閉じれば、九龍島から香港島に渡るスターフェリーが懐かしい。
本当は今も乗り、あの風に吹かれ、歴史に思いを馳せてみたい。
しかし、香港は私の愛するHongkongではなくなった。
行くことで危険を感じたり、失望を抱くのは避けたいと思ってしまう大変残念な状況、さらに悪化している。

あの22年前までのHongkongが、私のなかの香港だ。
今、自由を、いや人として当たり前の権利を求め、訴える若者たちのデモを見ると、町に咲く雨傘を報道で見ると、胸が締め付けられる思いだ。
世の中は、どんどん不自由になっている。

私の香港は、心のなかに。
あの生ぬるい風、きっと海をなぜる風は今も昔も変わっていないだろう。

一人ひとりが自由に生きる、表現できる。
この権利が侵される国は・・・、
この地の若者たちに心からエールを送りたい。
香港らしい明日が、来るように。またいつか自由な風に吹かれに行きたい。
という願いを込めて・・・。



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新たな発想を得る空間、時間

美術館は発想するのに最適な空間だ。たとえば一枚の絵画を見ることで、その国や時代、社会の様子がイメージできる。現実を離れて、自由に自分だけの世界を想像することができる。
絵画の技術的なことは素人にはわからないが、その作品からさまざまなインスピレーションを持つことはできる。
また、絵画でも写真でもなく、行動自体をアート作品とする事例もあり、
アートとは何かを考えるにいい機会を得る。
町のなかで人目を惹く奇妙な行進をしたり、空白の本を出版したり、その行動自体にメッセージがあるものもアートだそう。その行動にメッセージがあるかどうか?あれば、それは作品となる。
決して新しい手法でもないが、私にとってはこの感覚も大変新鮮で参考になる。

生きるということは、何を伝えるかということ。
その伝えるために存在する手段が、「作品」である。

どんな手段で?これは音楽でも、演劇でも、街角パフォーマンスでも良い。
では、何を伝える?伝えたいことがあるから、作品になる。

美術館にいくと、私は作品を観ているようで、その後ろを見ているようなところがある。
何がいいたい?何のために?
その瞬間の想像が、自分の創造につながることがある。

著名なアーチストの作品でなくていい。とにかく、多数の表現、発信をどんどん吸収しよう。
美術館は、想像と創造の源泉だ。


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シアワセを運ぶローカル線にエール

新幹線や特急列車では、足湯付き、高級ホテル並みのサービスを提供し、移動時間自体を旅の目的にするビジネス機会も増えているようである。個人的には昔の食堂車付きの新幹線はとても懐かしかったし、車内販売、駅ホームでの駅弁売りも日本の列車文化のひとつとして親しんできた。人員削減などでこれらも無人化、自販機代用化になっていくことは寂しいが、このことと対局に、おもてなし列車は新たな市場になっているようだ。輸送機関の付加価値づくりというところか。
ローカル線は経営的に難しいと分社化され、地方の鉄道会社たちはいかに利用者を増やすかに工夫と苦労を重ねている。一方、電車オタクというありがたいファン層や高齢化社会が電車市場を支えていると思う。
私も個人的には、バスよりも列車移動が好きだ。車移動とは違う、なんともいえない旅情感が味わえる。列車、駅、車窓・・・魅力は尽きない。
このたび、ふるさとの鉄道会社のひとつ、長良川鉄道に乗る機会を得た。そして偶然、特別車両に乗ることもできた。これは週末の予約限定の特別車両とのことであったが、本当にラッキーであった。
なんとも素晴らしいデザイン。快適性も乗り心地もばっちりで、90分ほどの移動中、25の駅に停車しながら、昇降する人々の様子も見ながら、車窓も眺めつつ大変有意義な時間を過ごさせてもらった。
公的交通機関の運営。これからの高齢化社会の進行を考えると、ますますこういった機能は重要になる。が、おいそれと新しい線路を敷くわけにはいかない。
せめて、今ある路線がなくならないように、みんなで利用し、盛り上げることが必要だ。
それにしてもこんな素晴らしい電車。高級グルメは要らないから、ちょっといつもの移動が楽しくなる・・・そんな電車の旅は、私にとって宝物だ。
30年以上新幹線に乗り続けてきたけれど、最近、改めてローカル線の良さを身に染みて感じている。

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町の便利屋アライアンスに感謝

やれ、網戸が破れて虫が入ってくるから、張替してほしい。
風呂の追い炊きもしづらい・・という親からの連絡を受け、実家の近所の
昔からお世話になってきている商店に連絡をして、一度見てもらえないかと
お願いをする。
その商店は、50年前は、プロパンガスの販売会社。今はガスに関連して
水回りの工事一切から、リフォームにいたるまで、おうちの便利屋さんのごとく、業務内容を広げておられる。といっても、近隣のもともとの顧客(両親のように)から、何かのついでに「あそこがおかしい」「ここをみてほしい」と声がかかって、対応するようになったということのようだ。
もともとプロパンガス販売業が、今やおうちの何でも屋さん。ガス屋さんが網戸の修理?玄関の手すり付け?社内で対応できないことは、地域の専門業者さんと組んで、そこに依頼する。まさに、便利屋アライアンスだ。
網戸を扱う会社も、営業がいなければ仕事にならぬ。普段から各家庭に入り込んでいるガス屋さんが営業をしてくれていることになる。
専門店のアライアンスによって、高齢者が住む町は支えられている。
子が同居していれば、なんてことないことも、そこにいない、すぐに帰れないときに町の便利屋さん的存在に連絡する。
とはいえ、そのガスやさんも本当は便利屋さんではないため、お金のとれないサービスもしているような心配もあるが・・。
またガス屋の担当者は、大変親切で明るい。地域のお年寄りにはとても助かる人材なのだ。こういったつながりを見ていて、安さで勝負する量販店とは違う、もともと地域に根差す専門会社の存在感について実感する。
町の便利屋さん。暮らしの不便を解決してくれる人がいてくれることはとてもありがたい。こと、高いところに手が届かず、電気もわからない私としては、そういう便利屋さんに助けてもらって、親との別居を可能にしている一面もある。
高齢者の生活の不便。◎◎弱者といわれるお年寄りが安心して暮らせるように
地域の力を借りて、感謝していきたいと思う。

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腕・器量よし、丁寧な名医

医者もサービス業であるということを理解される方も増えてきたが、まだまだ高齢で自ら病院を拡大されてきた大先生たちのなかには、横柄な態度を取られる方や上から目線の方もおられ、正直こういったタイプの医者には一生世話にならないぞ、そこに行くぐらいなら、自力で直してやる!ぐらいの気持ちも芽生えるほど医者も千差万別だ・・。

身近に利用するお医者さんは自分のことをわかってくれる人が良い。そんなわけから、歯医者や整形外科は今も東京で利用していたクリニックに、針灸治療は新潟の治療院で、お世話になっている。腕がいいのと、ちゃんと説明をわかるようにしてくれる、態度がいい、親切というのが利用している理由だ。そのなかのひとつは、待ち時間が長く、そこはちょっと困るが、それでもいつでも多くの方が待合室にいる。それだけ人気があるということだ。

腕は確かで、器量よし、そして丁寧。これが私から見たいいドクターの条件。
そして、その医院(病院)は清潔が一番。新しい方がもちろんいいが、新しさ以上に清潔感が優先だ。

そんなクリニックや先生は、東京だけでなく、地方にももちろん存在する。
今回たまたまみつけたクリニック。町中にある、いかにも町医者。
上記の条件を全て満たしている。そして、ここの先生は、まだ40代であり、若さに満ち溢れ、元気いっぱいだ。
難聴の方には大きい声で診察されたり、痛みがある方には冗談を言いながら痛みを癒すコミュニケーションをとられる。 あるとき、そのドクターと話しをする機会があった。
「先生の対応は本当に素晴らしいですね。丁寧で、親切で。尊敬しますわ」というと、先生は謙虚にこうおっしゃる。
「いやいや医者は、サービス業ですから、当たり前ですよ。ぼくら、手術なんかもしますけど、患者さんがその時痛がっておられると本当に申し訳なく思うんです。でもそのあと良くなられることを楽しみに、がんばってがんばってと励ます、そして先生良くなったよ。と言われるのが一番の喜びなんです」
この寄り添い方がとても素敵だと思うし、こういう医者ならば人にも紹介したくなる。
最近、同じ名古屋で女性の脳外科専門医の存在も知った。お会いしてはいないが。海外から学生が学びに来ている、脳外科の大先生であるが、この方も腕だけでなく、人としても素晴らしいようだ。毎朝、病院のロビーで患者さんと一緒にラジオ体操をして、今日退院される患者さんを拍手でお見送りされる。
腕もいいが、コミュニケーション力もある。
これが、選ばれる医療関係の条件。

医者だけが特別ではないが、これから、ますます重要になる、お世話になる医療機関。しっかり見極めて、ホームドクターとしてお世話になれるように、おつきあいしていきたい。

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このままずっと作る?売る?

経済のローテーションがなければ、世の中はどうなってしまうのだろう。
インカムがあるから、消費もすれば、豊かな余暇もある。
しかし、いよいよ老後は年金頼みは無理となり、2000万円ないと
これからの長寿社会生きられませんよ~なんて、言われてしまうと
ほとんどの生活者は困ってしまうのでは?
そんな貯金無理という人も多いと思う。
今さら投資をするとかいう前に、まずは節約をしなければならないと思うのが常識人の考えではないだろうか。
消費税のことも考えると、モノを買わなくなる人が増える。
売れなくなる。財布のひもはきつくなって当然のこれから・・・。

一方、それでもメーカーはどんどん作って、どんどん売ろう売ろうと、さまざまな手を尽くして、生活者に向けて情報を送ってくる。それに左右されている人もいるが、そんな時代がいつまで続くことやら・・・。

生きていくことの厳しさ、どう生きなければならないか・・の絵が描けないままなんとなく平和にぬくぬく育ってきた現代人、これから、しっかり考えて自分の人生に必要なことだけを選んで、堅実に生きていくことができるだろうか?

私自身、将来は見えていない。おそらく私だけではないだろう。

ただ、思うのは、ある日突然将来があるのではなく、毎日毎日、一歩づつ将来に向かっているのだから日々できることからやっていく、計画を立てながら動き始めることが現実的なのだろう。
となると、自動的にまだまだひもが緩い財布を閉めていくことになるし、
もうそんなに欲しいものはなくなるはず・・。

もう、モノはこれで充分である。

この境地に立って、地道に生きることが一番のようだ。

しかし、こんな生活者が増えるとメーカーも流通も困るはず。
自動車メーカーはいつまで車を作り続け、売り続けるのか?
自動化運転であればいいという話でもなく、車がなくても生きていける分野まで
創造してくれたら、本当に素晴らしいと思うのだが・・。

もうすぐすると、夏のセールがはじまる。セールしなくてもいいように
売れる分だけ作ればよいのに・・。

セールも含め、なんとなく買ってしまった消費者が、やっぱり要らないとオークションに出す・・。
過去の失敗を反省し、余計なゴミのサイクルをつくらない、それに関わらないようにしないと・・と身の処し方も考える今日この頃。

本当にいつまで作り続け、売り続けるのか?成長とか発展とか要らないから、コンパクトな人生で幸せを実感できるように
なれたら・・。
すべて、反省と自戒も含め、もっとモノを大切にしていた、ありがたかった時代を振り返り、消費という欲望の闇から、脱出して生きていかねば・・・。

気が付けば、日本は心身ともに貧困の国・・・とならないように。

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