ピンチ×ピンチでワクワク?

コロナでマスクは売れるが、他の防災商品は売れなくなった。
たとえば、そんな声をきく。
このままでは商品が売れない。
SNSを使えば、売れる?どうすればいい?
最近、これまでと変わらず、それ以上にさまざまなご相談をいただくが、
その手法の問題も大切であるが、その前に、何を誰にどうしたいのか?
を焦らずにしっかり考えたい。

目指す相手にどうしたら、伝わるかを考える。その場合手法の検討と同時に
それ以上に大切なのは、ターゲットに響く、伝わるコンテンツだ。
商品にお客様がリーチしてくださるまでのコミュニケーション。
もちろん買いやすさは必須。そういう意味で、とくにこの状況下ではネット販売は理にかなっている。
では、欲しい、検索しようと思ってもらうためのきっかけづくりをどうするか?

今、新しい発想で、新たな仕掛けをと考える。

感動を与えながら(笑いも含め)、興味をもってもらい、買い場へ・・・。
これまで別モノと考えてきたことを、組み合わせることで新しい取り組みができそうだ。

今、演劇とビジネスをうまくつなげられないかと考えている。
演劇業界も、コロナで変革を求められている。劇場での集客型の興行だけでは
この仕事は成り立たず、これまでどおりではダメだと
アクティブな作家や俳優たちは発想を変え、新たな行動に意欲的だ。
そんな仲間たちとの取り組みを思案。

年内までには、発信できるようにと計画中。
なんだか楽しくなってきた。

コロナ禍だからこそ、ピンチ×ピンチはチャンスになるかも?
ちょっとわくわくもする。今だから、「なんでもやってみよう」という気運が
高まる。
常に、柔軟に、仕掛ける側でありたい。

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やがて、悲しき鵜飼・・から1年。

松尾芭蕉が詠んだ作品の中らも、とりわけ心の底から素晴らしいと思うのが、やはり長良川の鵜飼いのクライマックスをことを詠ったもの。わがふるさとを訪ね、感動いただき、作品を後世に残していただき、感無量である。
時代は変われども、同じ対象を見て、人間は感動するのだ。ということ自体にも感動する。
真に素晴らしいものは、時代を越えて、いいものなのだ・・と。

その鵜飼い。今年も今日10月15日で本年のプログラムを終了する。
その前日に・・・と思い、今年も船にも載らず、川辺から見学。
地元の人が集まって、堤防に座ってその様子を見入っている。

鵜飼の開始時に空に咲いた花火と、漁火の静けさと幽玄さが不思議に溶け合い、感動を誘う。なぜか、漁火が揺れ、真っ赤な花火が空に咲くとたまらず涙があふれる。水面にうつる赤のインパクトは闇により映える。
芭蕉の句がわがメロディとなり、頭の中を流れ続ける。
おもしろうて、おもしろうて、やがてかなしき うかいかな・・・。
写真は連写したうちの一部だ。
面白い鵜飼のクライマックスは総絡みといわれる、6つの鵜飼い船の漁火が交わる演技。
本当に素晴らしい共創のドラマアートである。

芭蕉の句のごとく、実に人生はとても楽しいけれど、やがて悲しみの闇に包まれていく・・・。と、ちょうど1年前、まさに体験した。
この鵜飼いに感動した翌日に、父が倒れ、それから人生が一変。
まさに、やがて悲しき・・・になってしまった・・・。
鵜飼を見ると、父の元気な状態と、今の状態が交互に浮かぶ。
これから、ずっと毎年10月鵜飼をみるたびに、父のことを思い出すだろう。
そして、人生のフィナーレについて、考えさせられるだろう。

それにしても、本当に美しいわがふるさと。
信長もきっと漁火に惹かれたことだろう。いや、花火かな?
(写真の山上の白い灯は、岐阜城)

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梅干しとライブ。

新しい施設でお世話になりはじめた父。
環境が変わるというのは、もともと ずっと地域の実家で暮らしてきた
父にとっては、慣れづらいことと察する。
最初は帰りたいと、周囲にご迷惑もおかけしたようだ。
その気持ちがわかるだけに、罪悪感や複雑な気持ちもあり、
どうしたら、新しい生活が楽しくなるかを考え、いろいろ試してみる。

まずは、150色の色鉛筆。
最近、ぬりえが好きになっていたので、また始めてくれたら・・と。
プレゼントしたが、あまり乗ってこなかった。
そういう気分ではないようだ。

薄味の食事に慣れない・・・。この不満に対して、
梅干しや、つくだ煮海苔、ふりかけなどを持参する。
これが意外や意外、ヒットした。
喜んでこれを毎食使うことになり、食事への不満もなくなり、
食事を楽しむようになり、施設の人や、他の入所者さんにも
「梅干し、食べるか」
と振舞おうとしているようだ。
良かった良かった。思ったより早く消費されるので、補充が
必要であるが・・・。

さらに、日々お世話いただくヘルパーさんたちにしきりに
娘のピアノの話をしているようで、
演奏をする娘の存在は父にとっては大きい?
施設での不満がつのらないうちにと、
この施設のデイサービスで、演奏ボランティアをと思いつく。
「お父さん、ここでライブやったげるね」
この一言に食いついた。
「いつや、早くやってくれ」
とせっつく。今月中にはまず1回目のライブをするはめに。

梅干しとライブ。
今は父の関心事であり、これがあれば、おとなしく暮らしてもらえそうだ。
まず梅干しと海苔を欠かさず、そしてライブはちょっと人質ライブ?のような感じもするが、まあ、いいか。
外出してのライブ参加が難しくなったのだから、せめて父や父がお世話になって
いる皆さんへ・・・

何をすれば相手が喜ぶのか。ちょっとした知恵、ひらめきはすぐ行動に!
相手の笑顔を見られることが一番のやりがい、いきがいだ。

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愛しき、反面家庭教師?

人は学ぼうとすれば、誰からもいつでも学べる。
本当に「学び」とは、主体的であるときに初めて効果を生む。
そして、学ぶことの大切さは、大人になるにつれ、
年齢を重ねるにつれ、その必要性を感じ、
人によっては後悔をしたり、人によってはそこから始めようと
思ったり・・・。
「学び」とは、本当に一生途切れることがない。
どんな相手、素材も教材になる。そう意識すればそうなる。

日々、本当にこうなってはいけない。こうしたくない。
と思わせてくれる相手が身近にいる。
遠く離れているときは、コミュニケーションの機会も今よりは
少なかったため、その教師ぶりはたまに感じていたけれど、
コミュニケーションをすればするほど、
反面教師ぶりが強烈に発揮されてしまい、悲喜こもごも、はらはらドキドキ
の日々である。

いろんな口論があり、遠慮なく言い合い、心の底からもう本当に!と
思うのであるが、その反面教師もあとになると、
「ごめんね。懲りずにこれからも頼みます」と反省の弁メール。
その一言で、ああ、この人にとって人生はこういうものなんだ。と
また学び。
もちろん、反面教師でない方がいいけれど、避けられない。
この学び、いつかいい思い出になるのだろう。

そう、何を隠そうこの家庭教師とは、わが親のことである。
反面ぶりを見せてくれるうちが、きっと花なんだろう~。






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待ちわびる開放の日。

今年は海外渡航がままならない。
コロナの影響が、こんなにも長く、世界中に及ぶとは・・・。

長らくお世話になってきたエアラインやホテルの経営が心配だ。
多くの従業員の解雇も進んでいるようで、機内や地上で出会った人たちは
大丈夫だろうか、どうしているだろうかと思えてくる・・。
この企業のおかげもあって、自分の世界観が大きく変わったこの二十余年・・・。
私を世界に目を向けさせてくれたのは、このようなグローバル企業の存在であった。人種を越えて、性別を越えていろんな人が働いている社会をいち早く見せてくれたのはこの業界であった。

こんなままならない日々、NYの情報をこまめにチェックする。
ニュースもメルマガも、サイトも・・・。
デパートやミュージアムからチョコレート専門店から、スタジオから・・
いろんな情報がこまめに届く。心の距離感は近づいている感じ。
少しでも協力したい気持ちも募る。
みんな必死なのだ。
今ごろは、例年であればファッションウィーク。おしゃれなNYの町が色づく。
ブロードウェイの再開は、来年の春まで難しいようだ・・。
このコロナ禍のなか、セントラルパークで床屋さんを営んだり、
屋台で洋服のお直しをやったり、NYらしい新たなチャレンジャーたちの
話題に触れると、ああ、ニューヨーカーたちはがんばってるな~と
勇気が湧くとともに、ああ、マンハッタンの救急車やバス、イエローキャブが
行きかう様子が浮かび、懐かしくてたまらなくなる。
ああ、今でも飛んでいきたい。

25歳で初めてNYに行ってから、誕生日に近くなると、毎年訪ねたものだ。
そして、年に何度も出向き、公私ともに多くの経験を積んだ、私にとって開眼の街。
生まれ変わったら、NYに住みたいとも思ったこともある・・・。
まさに、アメリカンドリーム。それは今も変わらないはず・・。
しかし、あの頃からアメリカは変わってしまった。世界も・・・。

コロナが早く終息してほしい。
国のトップが自らの権力保持のために非常識を繰り返していることは
実に残念、迷惑だ。
早くNYへ行きたい、早く活動がしたい、早く・・・と思っている人が世界中に
多くいると思う。もちろんNYに限らず・・それぞれの目的地に向け、スタンバイしている人がどれだけいることか・・。
人間、オンラインでできることには限界がある。
やはり、人間は旅したい、動きたい。その喜びを知った今、その足止めは
苦痛である。オンラインはまったくの代替えにはならないし、代替えでしかない。

と、NYからの便りを見ながら、たまらない気持ちになる日々。

世界の門戸が安心して開かれる日を、待ちわびている。

皆が力を合わせなければ、安心して渡航できる日がますます遠ざかる・・。


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「愛おしい」が、似合う。

日々、小さなことにでも、その存在がありがたいと思えたら、
次第に愛情が湧いてくるはず。
人間に対しても、毎日使う道具にも、またはお米一粒でも・・。
口ずさむ歌にも、生まれてくる言葉にも・・・。
愛おしいなあ。
そんな気持ちが生まれてくると、幸せな気持ちがあふれてきて、
毎日がもっと楽しくなるはず。

「今」という時間を、大切に過ごすために、自分の周りのものすべてに
そんな思いをめぐらせてみたい・・・と思える今日この頃。

愛おしい。
この想いは、優しさに、思いやりにつながる。

苦しいときも、つらいときも、
愛おしい人のためならば、乗り越えようと思えてくるだろう。

愛おしい・・・。
今、書いていて、知人が携わるサービスのことを思い出した。
「抱きしめたくなる本づくり、人生づくり」
これをコンセプトに、出版事業を営んでいる。
とても素敵な思いだと、長年、陰ながら応援させてもらっている
この「抱きしめたい」こそ、イコール「愛おしい」相手に向けられる
気持ちだ。

想いあふれたあたたかい人生を、歩んでいきたい。

今日というかけがえのない一日が、愛おしい思い出に
包まれますように・・・。

「愛おしい」・・・この言葉は、秋にとても似合う。
心深まるこの季節、みんながそれぞれ、周りの人に
よりやさしくなれるといい。


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ステキなセブンティーズ

いろんな世代の方々とお付き合いいただいている。さすがに10代は最近はいないが、20代から80代までと幅広い。特に仕事含めて、ありがたく、また本当に貴重な存在と思うのが、70代の方たちだ。
個人差もあるが、お元気でいきいき日々を過ごしていられる方たちが多い。

戦後生まれ、団塊の世代と言われた方々。サラリーマンをされていた方は、定年後も引退せず、新たな仕事や活動をされている。私の周囲には本当に活発な方が多く、昔のシニアのイメージとは違う。学びの意欲も旺盛で、こちらも刺激をいただくことが多い。
一方、現役の経営者の方もおられる。自らが興した会社を、体力気力ある限り、頑張る、後継はあまり考えておられない方も周りには多い。

このような方たちと接していると、事業は、必ず継承されなければならない。とも限らないと思うこのごろ。
受け継ぎたい相手がいれば、自然にそれができれば、また世の中が求めてくれるならばそれは大変素晴らしいが、承継ありきではない。と周りのセブンティーズを見てつくづくそう思える。
もちろん、その終わり方は考えなければならないが。

自身で目標を持って、今を生きておられるその様が、私にはとても刺激になる。

今や時代は、セブンティーンではなくセブンティーズ。

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毎日が、コミュニケーション実践講座

出張先に、施設の方より、父が「家に帰りたい」と叫んでいるとの連絡が入る。
はあ。今度はこれか~。
と、そんな日々。
しかし、ほっておくことはできない。
まず、医師に相談し、興奮をおさえる方法を教えていただく。こちらは治療。
もちろん、クスリだけに頼るのは、よくない。自分たちができることをしなければならない。
今日もまた興奮されたらどうしようかと思いつつ、施設の父を訪ねる。
眠りつつある父であったが、人の気配で目が覚めたようだ。
頭は確かなようで、やはり今回も「家に帰りたい」という主旨のことを、
ろれつの回らない口で話す。
「そうやね。その気持ちわかるよ~」
今回は、あなたと同じ気持ち!作戦。
共感する。心を寄せるということだ。
「そりゃ、誰だってうちに帰りたいし、帰れるようにしてあげたいよ。でも、
今は無理だから、まず、元気になって、そうしたら、帰れるよ」
という感じで話を続けると、父は黙って聞いていた。
やはり、いきなり否定、拒絶から入るのではなく、相手の気持ちに寄り添い、
その気持ちがわかるという姿勢が大切だと思う。
前回は、向かい合ってではなく、並んで会話することを学び、
今回は、「わかるよ~。」とことん同意、共感の姿勢を学ぶ。

親とのコミュニケーションについて考える機会が多くなっているが、
これはまさに、実践講座だ。
次に活かしていける、活かしていかねば・・・・。

不思議なものだ。
穏やかな父の顔を見ていると、こちらも安堵する。

まだまだ続く、コミュニケーション実践講座・・。



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本業は何ですか?

ある企業に訪問し、いつものミーティングに入る前に、そこの社長さんが、私のCDを流された。自分の演奏が、会議の前に耳に入ってくるというのも、なんだか不思議な感覚ではある・・。
そこに社員の皆さんが、部屋に入ってこられて、「?」という表情。
私の演奏と知り、「へえ」とみなさん、静かに聴いておられる。
これまた、不思議な時間。
社長は演奏をBGMにして、そのまま会議に入ろうとされたので、
「すみません、ちょっと気になるので、いったん止めていただいてよろしいですか?」「あ、そうですか?」といいながら、音をOFFにされ、静かな普段の会議室に戻り、ミーティング開始かと思ったら、
「本業は、何ですか?」と、社員さんからの質問。
「いやー、今やっていること、すべてが本業です」
というと、不思議な顔をされる。
自分の仕事の考え方、生き方についてカンタンにご説明したら、ご理解いただいたようだ。そのあと、ミーティングで販促や広報の相談に加え、テーマソングの話まで進んだ。

コミュニケーションクリエイターは、できることは全部やる、活かす。
決してマルチではないけれど、できることは全部やる。
どれが本業とか、どれが仕事で どれが趣味 と分けていない。全てが、仕事だ。
あれこれ分けると、観覧車の回転が、ぎこちなくなりそうだ。

毎日が本業。今日は事務作業として、今日は営業に出て、今日は集金に・・と仕事をする方がおられるように、今日はコンサル、明日は音楽、明後日は原稿書き・・とそんな構成になっているだけだ。

本業は何ですか?と問われたら、コミュニケーションをつくること。
そこから、未来につながる対話が始まればよい。

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不自由と苦悩から生まれる美。

生誕250年の、この記念すべき年に、コロナで・・。
世界中のベートーベン愛好家も複雑な思いでいることだろう。
私自身も、そのひとり。
今年は、ベートーベンのルーツをもっと研究し、感謝の作品を何かつくりたいと思っていた。当然、再び現地に行く予定をしていた。
もともと予約をしていたのは4月。さすがにこれは無理だと、変更。
今は12月初めの便を確保している。
しかし、これも本当にどうなるかは、ギリギリまでわからないし、可能性は・・・。
そんな厳しい情勢のなか、ますますベートーベンへの思いが募る秋。
最近、毎朝、クラシックの番組で作品が流れる。
「月光」の深い静かなメロディが聴こえてきた。動きをとめて耳を澄ます。
こんなに悲しく美しい音色が・・・。手を止め、目を閉じて、聴き入ってしまう。
ベートーベンは晩年につれ、耳が不自由になった。聴こえないのに、こんな美しい楽曲を多数残した。
障がい者アートなどと、最近よく言うけれど、そんな言葉がない時代から、身体の不自由があろうとも、自らの人生をかけて表現している人がいた。
その代表例がこのベートーベンではないかと思えてならない。
改めて、その視点から彼の作品を鑑賞すると、より一層 感動が深まる。
人としての可能性。すべてを音楽に注いだ人生・・。
楽聖と呼ばれているが、確かにそうだ。
音に魂が宿っている。これが私の人生だ、叫びだ、愛だ・・・すべてが作曲家の生へのメッセージだ。
音楽性だけでなく、その人間性、生き様が250年もの間、人々の心をとらえているのだと思う。

改めて、会いに行きたい。その魂のいまだ住む町へ・・・。無理かな・・・。

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