空気に触れる。は学びの第一歩

放送作家の先生の講義を受ける。モノ書きをしているプロが発する様々な言葉や、表情や考え方・・。わずか90分でもいろいろ学ぶことがある。
発する言葉の背景にありそうな意図などを思い描きながら、聞いているのも勉強になる。
初めての世界のことを学びたかったら、まずはそういった世界で生きている人に会うだけでも違うという。会う、見る(眺める)、聞くだけでも十分勉強になる。
人間は環境で変化していく動物だから、その世界の空気に触れることは意味があるそうだ。
確かにそうだ。スキル、ノウハウといった具体的な能力を身につける前に、まずはモノ書きをしている人にはどんな人が多いのか、どんな感じでしゃべるのか、どんな風に世の中を見るのか・・などを知るだけでもずいぶんと刺激になる。
「空気に触れる」。この経験は、実際に出向かないとできないことだ。ネット社会では、空気までは直接つかめない。
空気に触れた、その次は?その先生いわくは、次は「真似る」ことからはじめるのそうだ。
作家という世界は、感覚的な職人の世界のようだ。
ところで、この講座の良さは、パワーポイントなどを使った授業ではないことだ。書いているごとく、話している人の話をじっと聞くと想像力が高まる。とかくビジネス社会では便利なツールを使うことが当たり前になっているが、今回、まさにそうではない世界に巡り合い、その空気に触れ、そのことにまず感動している。

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心を動かす言葉の仕事。スピーチライター。

スピーチライターという仕事は、とても興味深い。
アメリカの大統領のスピーチには、その影武者なるライターの力が発揮されている。
オバマ大統領のスピーチが心に響くのは、英語の文法による、響きのいいリズム感、
抑揚ある話しかた、原稿がたとえあっても、自分のことばとして話せる力があるせいだと思う。「道義的な目覚め」・・なんて、翻訳してもなかなかのことばであり、翻訳者もすばらしいと思うが、原語で聞けばもっと感動するのだろう。原語も聞き、サウンド的にも素晴らしいと感じた。
オバマ大統領は、スピーチ力で、で大統領選を戦い抜いた人だったと記憶する。
やっぱりコトバの力は人を動かすのだ。
あるコトバの勉強会で、放送作家の講師が今回の広島でのオバマ大統領のスピーチとそれに続いたわが国の首相のそれを比較し、正直な感想を述べられていたが、その発言に共感。感動的なスピーチか否か?により、国のコミュニケーション力、ひいては国力もわかってしまう・・という話。
そう、やっぱり人間は感動することで、理解し、認め、応援する。
前に書いた、アタマことばを話す場面でも、感動的に話せるのが、プロの政治家の要件だと思う。
話を最初に戻す。感動の演説を生み出すのは、スピーチライター。きっと世界のこの反響を事前に想像しながら、コトバを紡いだことだろう。面白い仕事だな。共感できる、尊敬できる人物がいたら、やらせてみていただきたい・・と思う仕事のひとつだ。

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あたまコトバ・こころコトバ

世の中の言葉には、日本語とか英語といった国語での分類ではなく、どの国の言葉であろうが、日本語であろうが時々、理解しづらい、難しいと感じる言葉がある。

それは、たとえば「遺憾」や「敬意」という言葉。
謝罪してほしいのに、本当はそうすべき場面なのに、「遺憾」
という言葉が使われる。これは第三者的であり、ちょっと遠く目線の言葉。
とても残念に思うという意味合いになるのだろうが、これは無難な言葉であるが
相手にはストレートには響かない。むしろ響かないように中立を保っているのかも
しれないが。
そして「敬意を表する」という言葉も、相手を尊重した言葉として、自分も
時々使うけれど、これもちょっと遠い感じ。無難に丁寧に相手を称えているという印象がある。
これらは政治の場面や、超公的な場で使われる「用語」。これらは私には「あたまコトバ」に聞こえる。
一方、「謝罪」や「感謝」とは、相手に直接訴えかける「ココロことば」だと思う。ごめんなさい、ありがとう。これこそシンプルかつ、相手に響く素直な言葉である。言葉で感情を覆い、理性的に伝える場面ももちろん必要であるが、人は最後は心で動く。だから、そこに響く言葉こそが、平和にも外交にも有効だと思うのだが・・。
公人のコミュニケーションは本当に難しい。自分でコトバで話せない現実もあるのだから。アタマことばと、ココロことば。できる限り、後者を意識していきたい。

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愛の元気人5月分は本日28日オンエアです

ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」5月放送は、本日5月28日18時~です。
今回のゲストは、ひまわり食品の箕輪俊泰さんと、大橋洋食器の星野大志さんです。
どうぞお楽しみください。himawari
ohashiFM KENTO

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次は、NAGASAKIへも

長崎の人たちは、古くから他の町に先駆け、いち早く海外に触れ、海外文化を取り入れ、異人さんと交流し、独自の文化を創ってきた町。そしていち早く異教を受け入れ、また禁教時代を苦しみ、乗り越え・・かと思ったら、まさかの原爆投下。それが日本を終戦に導くことにもなった。
伊勢志摩サミットを開催している同日夜、NHKはBSでアメリカのマンハッタン計画についてのドキュメンタリーを報じた。原爆を作った科学者たちの証言だ。本当は日本に向けて開発したのではなく、標的は対ドイツ。しかし、ドイツでは原爆を開発していなかったことが途中で判明、それでもアメリカの科学者はそこで自分たちが開発した原爆を実験せずにはいられず、そして広島、長崎へ・・。あれから70年経過して、今回オバマ大統領がHIROSHIMA訪問。
この数日前、実はNEW YORK TIMESの電子版の一面に、NAGASAKIのことが大きく出ていた。広島と長崎は近いのに・・・という長崎の被爆者の方の複雑な思いを取材したものだった。私もずっと同じ思いでいた。今回広島へ出向かれた長崎県知事、長崎市長や長崎の被爆者の方はどんな思いで広島入りし、メッセージを発したアメリカ大統領を見ていただろうか。長崎の人は、「異」なるものを広い心で受け入れ、ときには耐えに耐え、祈り、生き抜いてきた人たちであるから、今回もこの現実をそのように受け留められるだろうか。
被爆者ホームを初めて訪れた昨年の春のことを思いだした。あそこに棲む被ばくされた高齢者の方たちは、テレビの前で何を感じ、新聞を読み何を思われただろうか。今回のHIROSHIMA訪問は政治的イベント。ではあるが、人が人として感じ、思ったことを素直に表現することで、心の傷が癒えることもあるのだと思いたい。
痛みを受けた人ほど、寛容であり、優しく・・。NAGASAKIの人は歴史とともにそんな精神性も身につけてこられたのか。
複雑な歴史的な日。オバマ大統領は広島を訪れ、その現実をリアルに想像する機会を得、そして記念すべきメッセージを表明した。言葉を吟味した考えられたメッセージであったと思う。長崎の人々にも伝わるメッセージだったと思う。次にはぜひ、NAGASAKIにも出向いてほしい。

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毎日見て、見られる。すべてが「わが師」。

新しい人に出会う、久しぶりの人とやりとりする。よく会う人とまた会う。その人の言動、そこから出る言葉、また動作・・・すべてから生き方、人としての在りようを学ぶことができる。
とても共感する場合はもちろんそれでいいが、違和感がとてもある場合でも、それを反面でもなんでもいいから「師」と思えば、好感をもつに至らなくても、ああいう生き方もあるのだと、わが身を見直す機会にはなる。そう、毎日毎日、共感する出会いばかりではない。なんだろ?そんな生き方でいいの?そういきますか~?と思ってしまうこともあるが、それはそれで別の人生だから責めることでもないし、ある意味お互いさまかもしれない。大切なことは、どんな人からも学ぶことはあり、そこから自分は何を得、生かすのかということだ。会いたくない人との時間があっても、会えば何か学べるはずだ。一生懸命生きている人はたくさんいる。それが自分のため、周囲のため。どこに「利」を求めるかは、人それぞれであるが、それも含め、いろんな人生をたくさん見るといい。そして静かに世の中を見ながら、わが人生はこれでいいか?と自己点検を毎日すればいい。
それにしても、毎日毎日新しい人に会えて、なんとありがたい仕事だろう。しかも、ほとんどが共感できる人との時間だ。なんといううれしい人生だろう。何かを与えてくれる人は皆「わが師」である。お互いに見せあい、教えあっている。そのことに気付くと楽しく、より前向きに生きられそうだ。

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公共空間と、自分の時間。

前は車内での元気なおしゃべりばあさまと、その喧噪と無言で戦うMr.Beanのことを書いたが、車内とは話題に事欠かない移動空間だ。

先日ある勉強会で、世間のいろんな現象について議論するなか、電車の中で化粧する女性について賛否の意見が出た。私はもちろん化粧は基本的にNG、飲食も通勤電車のような並びの席ではすべきではないと思っているが、ある初老の女性は「キレイになるんだったら電車の中の化粧は悪いことじゃないと思うの~」と発言され、やっぱり世の中は十人十色だと思った次第。だから化粧する人も存在するのだ。
電車の中といえは、新幹線での過ごし方も気になる。これだけ頻繁に上越新幹線に乗ると、アルコール飲料を飲むことはまずしないようになる。駅弁なども、さらには本当は好きな練り物や柿の種など、匂いがするものは食べないし、食べているところも見られたくない。まあ、おにぎりやサンドイッチをちょこちょこというのは、時々するけれど、基本新幹線は地下鉄と同じで通勤電車であり、くつろぐことはできない。誰に会うかもしれないし、いつもちょっと緊張してしまう。パソコンも揺れが激しく体と目に悪いので最近はこのタイミングで仮眠を無理やりとるか、スケジュール調整など頭の整理に使うぐらいだ。
昔、東海道新幹線で東京~京都を出張していたころ、上司か同僚か?はたまた単独でか忘れたが、ビールを買いこみ車内でカンを開けたところ、勢い余って隣の人に泡が飛んで怒られたことがあった。あの経験もいい教訓である。車内では調子に乗ってはいけないということ。

とはいえ、人それぞれの移動時間の過ごし方がある。
良識の範囲で、周囲に迷惑がかからなければそれはよし!であるが、最近とても気になり、不快な現象。
靴をぬいで前の背もたれのラックの上や前の壁に平気で足を乗せる・・・といったことをする人が時々いる。そんな非常識なことだけは断じてやめてほしいが、その人にとっては、化粧と同様「靴ぬいで足乗せて何が悪いの?」ということだろう。エコノミー症候群対策とでも言うかもしれない。でも、そこは他の人が飲み物を入れたりする公共の場所なんだけど・・。衛生面で気になることも考えない。自分の足の都合優先。

公共の場と自分の時間。難しい。とにかく自己中人間に出会わないようにと、ドキドキして電車に乗る毎日だ。
車内教育が多すぎる日本。これは車内での問題ではなく、乗る以前の問題であることは間違いがないはず・・。

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寄り添う人を「カステラ」で応援する

仕事で長年お世話になっている方のご家族が癌と闘っておられる。家族が病気になると本当に大変だ。その方も仕事と看病の両立で大変お忙しく、またお疲れの日々を過ごしておられる。そのことがずっと気になっている。
お子さんがおられないので、少しでもこの苦しい状況を緩和できればとのことでペットを飼ったり、前より生活そのものも変わってきているようだ。
年の離れた姉のように思っているので、その姉ちゃんが、看護疲れされていないかとても心配している。でも、あまり頻繁に声をかけすぎるのも、かえってご迷惑ではないかと、静かに応援しながら、時々、差し入れなんぞ送ってみる。時々、「お元気ですか?」とメールをする。すると最近の状況など詳しく教えてくださる。会いに行くのも相手に負担がかかることもあるため、会わないでできることを模索する。
会えるときを待ちながら、何かできないか・・。あ、長崎のカステラだったら夫婦で召し上がれるかなと急に取り寄せ、送ろうと思い立つ。体調が悪くてもカステラは胃にやさしそうだ。
さっそく届いたとの連絡が入る。「最近、体調は良くないのですが、主人は外へ行きたがります。車いすであちこち出かけますが、大変ですね。そんななか、カステラ。当初伝来してきた感じがありますね。主人は食欲が落ちていますがこれはいただきました。主人も満足していました。本当においしかったです。がんばる力がわいてきました・・」との言葉をいただく。ザビエルさんのおかげで伝来したカステラは病と闘う人に、元気を与えてくれることを改めてうれしく思う。お菓子は、もともとはハレの日の特別な食べ物であった。こんな場面で役立つことはうれしく、またこれぐらいしかできないが、家族に寄り添いがんばっている人、そしてそのご本人を静かに応援しながら、1日でも長く、ご夫妻仲良く暮らしていただきたい。ただ、それだけだ。

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ザビエルさんのおかげで、400年以上昔の日本と欧州との交流に興味をもつようになった。ザビエルが日本にもたらしたキリスト教。ザビエルが亡くなった後も、宣教師が来日し、国内でのキリスト教は広まった。大分の大村宗麟などキリシタン大名の存在もその布教活動に拍車をかけた。そしてそのキリシタン大名の名代として4人の少年たちが長崎の大村から出航し、中国・インド・ポルトガル・スペインを経てイタリアにたどり着き、そして時のローマ法王グレコリウス13世と謁見した。それは天正遣欧少年使節として知られている。ザビエルとは逆回りの大航海をした少年たち。16世紀の後半の出来事だ。400年以上前に、日本を出て欧州文化を見聞した彼らはどんな経験をしたのだろうか。と大変興味深いが、そのなかの一人、大友宗麟の名代として派遣された伊東マンショの肖像画がこのたび上野の国立博物館で初公開された。イタリアと日本の国交樹立150周年記念とのことでの快挙であるが、この少年使節は最初の日伊交流の懸け橋でもあったわけだ。
さて、その伊東マンショの肖像画を見に行く。長崎でも大分でも見ることがなかった貴重な作品だ。当時20歳に満たないマンショ。イタリア訪問中のため、洋装である。凛々しく、大変賢そうなハンサムボーイ。真正面ではなく少し斜めからの視線はいかにも西洋画のスタイルだ。彼はキリスト教を理解するだけでなく、言語も達者であったろうから、宗麟の保護のもと、かなり勉強をされたに違いない。とにかく、レンブラントが描く肖像画を想起するほどのすばらしい肖像画だ。実は以前、この少年使節のなかの一人の絵を見たことがあった。それは千々石ミゲル。彼は帰国後、禁教時代に入り、長崎の西坂で火あぶりにされ殉死した。見たのは彫刻家の船越保武氏が二十六聖人の作品を彫る際に描かれたスケッチ。なんとも悲痛な、でも神を信じる強い意志が感じられる純粋な表情であった。それとは対照的なこのたびのマンショーの肖像画。お国変われば、時代変わればこんなにも・・・という事例のひとつだ。同じ少年使節団で活躍した二人が、違った歴史を後世の私たちに見せてくれている。
マンショの肖像画。ずっと目に焼き付いて離れない。勇気をもち、行動をし、いち早く海外に出て、世界を見た少年。1枚の絵が歴史的ドラマの玄関になる。またもやありがたいタイムトリップをさせてもらった。

投稿日: 作成者: mahsa | 伊東マンショに遭う はコメントを受け付けていません

謝罪とメッセージについて考える。

まもなく、サミットが開催される。都内の各商店街レベルまで警戒態勢が敷かれ、日本に警察官は何人いるのかと不思議に思うほどだ。もちろん緊急体制ということで周辺からの応援部隊という方も多いことだろう。ここまで厳重に対応しているのだから、無事故に無事に終わることを願うし、早く平常の暮らしに戻ることを待つ。個人的には、サミットは何のため?と今だに思っているので、正直、まさに「まつりごと」業界のお祭りだと理解し、今はそのお祭りの準備に余念がないのだとも思っている。その下打ち合わせにまで外交されるので、このお祭りは本当にお金がかかる、税金をたっぷり使って行われるお祭りなのだ。であれば、「○○宣言」をそこで発表しても、正直そこじゃなくても発することができるんじゃないの?と思える内容では意味がない。まあ、世界のまつりごと業界の限られたトップが集まることに意義があるそうでその参加当事者にすればそれなりの理由はあるのかもしれないが。せめて国民に、その開催地に直接的なメリットがあってほしいが、そのひとつは開催地のプロモーションのきっかけになるということか。そのことは理解できる。世界から注目されるチャンスとみれば、開催地にはうれしいこと。そして、何よりも今回はそれ以外に、アメリカの現役大統領が広島を初訪問するとのこと。サミットに来るついでということにはなるが。大統領期限迫ってのぎりぎりのというタイミングでもあるらしい。メディアは何度も報じる。アメリカは謝罪をしないのだ。と。来てもいないのに、何で決めつける?来たら、現実を見たら、謝罪したくなるのが人間じゃないのか?と思えてならないが・・。謝罪はしないが、未来に向けての平和のメッセージを公表されるとか。メッセージ・・。一番のメッセージは、本当は謝罪だと思う。「理由はいろいろあったにせよ、でもこれは誤った判断でした。申し訳なかった」というメッセージが出れば、世界は驚き、納得する。そして「いえいえ、こちらも世界に対して申し訳ないことをいっぱいしましたから。ごめんなさい」とお互い謝罪しながら、「じゃ、これからもっと助け合いましょう」・・。これが自然な人としての対話だと思う。が、サミットだから、頂点にいるらしい人は謝罪すると、それで済まない付随物が出てくるから、謝罪してはいけないのだ。時の指導者たるや、その時々のシビアな判断をしてきての「戦争」「原爆投下」であるからそのときは間違っていなかったから・・。これが公人の生き方なのだろう。政治とはそういうものだ。心にあることをそのまま言わない、言ってはいけない。駆け引きの世界だ。・・・となっていることに、疑問をもっているのは、私だけだろうか。謝罪から生まれる心のメッセージに期待したい。と思っている人も多いだろう。人間、国を越えて、「ありがとう」「ごめんなさい」と心から言える関係が一番の友情になる。と思うので、まずは、国や公人を期待せず、それを個人レベルで実践すればいい。いずれにしても、未来がよくなるように、全世界が協力できる真の平和を希求できるきっかけになることが最重要だ。

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