毎日見て、見られる。すべてが「わが師」。

新しい人に出会う、久しぶりの人とやりとりする。よく会う人とまた会う。その人の言動、そこから出る言葉、また動作・・・すべてから生き方、人としての在りようを学ぶことができる。
とても共感する場合はもちろんそれでいいが、違和感がとてもある場合でも、それを反面でもなんでもいいから「師」と思えば、好感をもつに至らなくても、ああいう生き方もあるのだと、わが身を見直す機会にはなる。そう、毎日毎日、共感する出会いばかりではない。なんだろ?そんな生き方でいいの?そういきますか~?と思ってしまうこともあるが、それはそれで別の人生だから責めることでもないし、ある意味お互いさまかもしれない。大切なことは、どんな人からも学ぶことはあり、そこから自分は何を得、生かすのかということだ。会いたくない人との時間があっても、会えば何か学べるはずだ。一生懸命生きている人はたくさんいる。それが自分のため、周囲のため。どこに「利」を求めるかは、人それぞれであるが、それも含め、いろんな人生をたくさん見るといい。そして静かに世の中を見ながら、わが人生はこれでいいか?と自己点検を毎日すればいい。
それにしても、毎日毎日新しい人に会えて、なんとありがたい仕事だろう。しかも、ほとんどが共感できる人との時間だ。なんといううれしい人生だろう。何かを与えてくれる人は皆「わが師」である。お互いに見せあい、教えあっている。そのことに気付くと楽しく、より前向きに生きられそうだ。

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