新潟で出会い、青森で、京都でと、年に1~2回再会し、近況報告を交換
しながら、お互いを鼓舞する仲間。
同じ「昌」という文字が名前についているのも、親しみを感じるゆえん。
会った後、必ず私のキャッチフレーズを考えて、メールしてくれる。
それが彼の感想、印象である。
前回までは「突き抜けた変人」であった。
この言葉は結構うれしかった。そう、変人も突き抜けてしまえば素晴らしい。
そこまで行こうなんて思わせてくれた。
そして今回はそれに加えて「ブレない変人」だそうで。
ブレないとは、変わらないという意味にもなるが、変わらない変人となると
矛盾もありそうであるが、そうではない。
自分らしさをどこまでも追求し続けるのだ。
この京都の「MASA」さんは、今、地元京都で、タクシードライバーとして
奮闘中である。調理の世界で生きてこられたから、またそちらへという夢も
持ち続けて、がんばっておられる。
全く違う世界で生きているが、心からの会話ができ、お互いの人生を応援しあえる。
いつか京の町で、コラボできたらいいね。と話したら
そのMASAさんはいつも以上に目を細めて、「そっりゃーいいですわ~」。
やるといったら必ずやる。
GO WESTに、夢が膨らんでくる。
突き抜けた変人から、ブレない変人へ?
彼らなしでは、生きられない。
独立して、18年半。
スタッフも秘書も雇わず、ひとりで回してくることができた背景には、
宅配業者さんの存在がある。
これだけ頻繁なる出張をこなせたのは、もちろんJRなど交通機関各社の
安全かつ正確な運行のおかげであるが、
身近なところでは、ヤマトさんにどれだけお世話になってきたことか。
不在時の対応でも、個人的にお世話になってきた。
あまり無理を言っているかなというときには、差し入れなんか渡したりして
いつもありがたく、申し訳なく・・でも、本当に頼りになる存在で・・。
身一つでどこにでも行けるのは、まさにこの業界の発達のおかげであり
応対も気持ちいい、スタッフのおかげである。
しかし、ネット通販等の成長により、彼らの多忙さは異様になり、
加えて年末や夏のギフトシーズンはさすがにパンクする会社も
出てきた。
これは、深刻な社会問題である。
ネットで当日配達というが、本当に本当にそれが必要か?
それをしなければ、もっと宅配業者さんは楽であり、
さらに度重なる再配達への対応。
よっぽど気が長くないと、耐えられない仕事ではないかと
他人事ながら、心配もする。
だから、いつも無理をお願いするときには
丁重にする。
彼らなくして、今の自分の仕事ができないからだ。
この場所を離れるときに、一番寂しいと思うのは
近所のスーパーの存在や、この宅配業のスタッフとの別れに
なりそうだ。
そのタイミングで、ぜひこの宅配会社にぜひ手紙を書きたいと
思っている。
重いものを運んでもらって、本当に助かりました。
なんとかみなさんがもう少し楽に働けるように
体力が長持ちするようにと願い、
感謝し続けたい。
と書いたら、値上げのニュース。
仕方ない。当然といえば当然。
そのことよりも、無駄な消費、無駄な利用をやめ
配慮と感謝をもつ消費について考え、実践しなければ・・。
「わが恩師」を思う。
生まれて半世紀余り。いろんな方に、さまざまなことを教えていただき、見守っていただき、
助けていただき、今ここにいる。
どれだけの先生にお世話になってきたことか。
幼稚園にはじまり、各学校・・・。ピアノ、エレクトーン、習字・・・。
生徒学生の頃の先生たち、
今も顔が浮かび、さらに連絡をとっている方は、もう数えるぐらいしかないし、
もうこちらが行方不明ということもある。
そして学生時代よりも長くなった社会人時代。
ここで出会った先生も、本当に多い。
マーケティングの先生、そして会社の上司も、私にとっては大切なありがたい先生だ。
今一番、恩師と思うのは、先のブログも出てきた三人の父のひとりでもある、元上司だ。
若いころ、プレゼンに行くときの服装、営業としてのふるまいについて、
決して厳しい物言いをせず、京都人らしくさらりと言われるが
凄みがあり、その人がいうことは絶対という威厳があった。
大学の先輩という共通点もあり、マーケティング、ジャーナリズム、印刷、アートなど
自分が今興味をもつジャンルの多くについて、知識が豊富で、なんでも知っておられて
よく勉強されているなあといつも感心していた。
今回会ったときも、
「今日、丸善にいってきたわ。」
と買ったばかりの本を見せてくれる。すると、偶然にも自分も興味をもっていた
本だったり、読んでみたいと思う本で、80歳を過ぎても、読書を欠かさず、
世の中をきちんと見ながら・・・。
問題意識を持ちながら、学びを忘れず、そして「いい感じ」で生き続けておられる。
そう、いくつになっても、ダンディな上司だ。
恩師。
人生において、恩師がいてくれることは、本当にありがたい。
恩師には感謝し、できる限りのお返しをしなければ。
それは元気に自分らしく、教えていただいたことを生かし
頑張り続けるということ。
「もうすぐ20周年やな」
「いえ、今年の9月で19年ですよ」
よく人のことまで覚えておられる。これもその上司について感心する
要因だ。
俺が私がではなく、さらりとかっこよく。知的であれ、生涯マーケッターであれ。
恩師を忘れず、がんばらねば。
そして、自分はいつか、誰かにそう思ってもらえる人になれるか・・。
まだまだ足りなくて、一生追いつけない。
「先に逝かしてぇなあ。」長生きは疲れるか・・。
三人の父がいる。
ひとりは実家の父親であるが、
二人は会社員時代お世話になった上司で、いわば京都の父であり、
仕事の父。
ひとりは経理の専門であったため、私の仕事をずっと心配しながら
「ちゃんとやっとるか、確定申告は終わったか」
と80代後半になって、施設に入っておられても、心配してくれる
そんな父。
もう一人の父は、マーケティングや印刷のことを教えてくれた
また京都人の流儀を、酒飲みの哲学を教えてくれた。
NY出張や東京転勤、アジア各国の出張を「女なんかに」と
いわれていた時代にいつも背中を教えてくれた、ありがたい父。
二人とも、会社をやめてから約20年ずっと変わらず、見守って
くださり、応援していただいている。
さて、そのマーケティングの父。年賀状が来ていたが、3か月近く
メール返信がなく、今回久しぶりに再会。
再会するときには、京都らしい喫茶店でと。それもいつもの楽しみ。
・・・ちょっと痩せているような。
「ちょっと痩せてません?」
たずねると、昨年末に脳梗塞で自宅で倒れたとのこと。
家族がいたので、すぐ病院に行けたため、1か月の入院と
リハビリで、奇跡的に半身不随になることもなく、
普通の生活に戻れたとのこと・・・。
そんなことがあったのか。
思えば、ここ数年、何度も違う病気でも入院され、元気になられては
京都のソバ屋でカンパイしてきたが・・。
「お願いですから、死なないでくださいね。
私が生きている間、ずっと見守ってほしいですから」
と言ったら
「それは無理。先に逝かしてぇなあ」と弱弱しく笑う。
わかっているけど、でも私を置いていかんといて、と
思ってしまう。死ぬまでアドバイスをもらいたいのだ。
この京都の父たちは、私の自立を応援してくれた父たち。
あと何回会えるかな。
もっと会いに行こう。
「ああ、久しぶりに会えてよかった。楽しかったよ。」
固い握手をして四条河原町の交差点で別れた。
何度も何度も後ろを振り返って、ちゃんと歩いているかなと
見えなくなるまで見ていた。
なんだか、だんだん、大切な人が・・・。
生きるのは、長生きはしんどい・・。
それもわかりながら、人は大人になっていくのかな。
頼むから、先に逝かんといてぇな。
枯れても、飾ってもらえるお花。
前書いた、父の同級生の、電気屋のおっちゃん。
(偶然にも、先日訪問したメーカーの系列店であったことがわかって、驚いたが)
亡くなられて1週間が経過。遅くなったが、ご自宅にお供えのお花を届けた。
白いお花にほんのり紫色のお花を混ぜてもらって・・・。
この色味のアレンジメントをプレゼントするのは、なんとも寂しいものだ。
「あ、まさこちゃん~、この前はお花、ありがとうございました」
もう1か月以上前に届けた小さなお花のことだ。
「へ?もう枯れてますよね。」
「いいの、まだ飾ってある」
そうか、おじさんの最期を、あの小さなお花は見守っていたのか・・。
「もう変えてくださいね。今日もお花、もってきましたから」
と、玄関に出てくれたおばさんは、世界一悲しいはずなのに、
ご葬儀の後処理などで忙しく、割烹着を来て、思いのほか元気に見えたが、
気が張っておられるのだろう。
おっちゃんが理解ある人だったから、このおばちゃんは、ひとりで京都まで
電車に乗って私のライブに駆けつけてくれたこともあった。
未亡人となったおばちゃんが、いつもどおりにされていることが
かえって心にしみた。
この電気屋さんは主人なきあと、営業を続けることはできないだろう。
やっぱり、先日訪問したばかりの、電球工場の終息とタイミングがあまりに
合って・・・なんともたまらない気持ち。
おっちゃんの最期に寄り添い枯れた花。
おばちゃんが捨てられないと思う気持ちがなんだかわかって・・・。
改めて、長年ふるさとライブを支えてくださった
電気屋のおっちゃん、田中さんに心から感謝し、
ご冥福をお祈りしたい。
残された父が、寂しそう・・。しょうがないね、それが人生。
花も人も・・枯れ果ててしまうね。
その日まで、生きてるものががんばろう。
灯りの工場見学。一生忘れない技術者VS役者のご対面。
その会社には最近は一週間のうち、2~3回、工場見学のための
来客があるという。
商談から、公的関係者から、地元住民から、企業関係から・・。
さすがその工場見学の案内ぶりも、手慣れた感じで、
最初に通される会議室に入るまでに会社の歴史や商品、広告を展示した
ミニショールーム付ミーティングも併設。
工場敷地内ということで、大がかりな展示では
ないが、企業におけるこの工場の位置づけをしっかり伝える無駄の
ないプレゼンの場ともなっている。
ご丁寧な会社案内プレゼンを受け、特別にと見せていただいた
手作り的な会社案内VTR。
白熱電球の製造中止というのが今回の出会いのきっかけではあったが、
当社がいかに「日本の明かり」を突き詰め、人々の暮らしに貢献し続けてきたか。
また個人向けのみながらず、国内のみならず、インフラにおける照明
についても先駆者であることを知り、白熱電球の時代はまもなく終息するが、
LEDの進化に向け、新たな技術革新、そのための研究に日夜邁進されていることなど、
プレゼンや工場見学を通じ、各場面ごとに学ぶことが多く、
一瞬にしてその企業がさらに好きになった。
技術もすごいが、ここで働く人たちが真面目で、誇り高く、でも丁寧で・・
風通しが良い、一体感がある・・・そんな印象をもった。
IoTやAIという言葉には最近よく接するけれど、現場でまさにそれが
実践されているのを見ると、ロボットたちが優しい手さばき、細やかな作業を職人のごとく
がんばっているのを見ると、日本のモノづくりの現場は間違いなく世界有数
であるということも再認識。
さて今回は、企業訪問でもない留学生でもない、劇団の工場見学。
工場というモノづくりの現場を見たことがないといううら若き女優達の反応が
大変印象的であった。
まず、会議室で会社説明を受けているときも、何か言うと
「すっごーい!」
と反応。ビデオが流れても、著名な寺院や海外の美術館のライティングに
当社の技術が使われているということがわかると、
「すっごーい!」。
顔を見合わせて、表情豊かに、それこそ女優らしい表現で感動しまくり、
企業陣にもかなりのインパクト。
きっとこういった反応をする団体は他にないだろうという感じ。
さらに、工場へ。
今回とくに見たかった、まもなく閉鎖される白熱工場の製造現場。
火を使い、ガラスを使い、大掛かりな機械でもって、蛍光灯や
おなじみの電球たちがどんどん出来上がっていく。
見事な、ドラマチックな「ザ・工場」という感じ。
ここでももちろん、役者たちは「すっごーい!」を連発、
何秒に一個完成してくる電球に感動。
いい大人で、歓声を上げて見学してくれる客は少ないはずだ。
そして次は、電子部門の工場へ。
そこはきれいであるが、静か。精密工場だ。
彼女たちはそこでは歓声を上げず、静かに見学。
あとで、
「あそこは、あまりおもしろなかったな」
とつぶやく。
確かに、見せ場はない。
そして、次はロボットによる作業現場。ここでは再び
「すっごーい!!」
ということで、半日間で、何十回も「すごい、すごい」と
感動しまくった劇団の工場見学。
きっと、見学対応慣れしている企業の方にとっても
いちいち反応してくれる、感性豊かな客の応対は
さぞかし新鮮であっただろう。
女優たちとの交流は、ほんとうに少女といるようで
私自身も新鮮だ。
お互い、一緒に見た、聴いた感動をこれからの
アウトプットに生かしていきたい。
それにしても、
これまでいろんな工場見学に出かけたが
生涯忘れることができない、貴重な鹿沼での経験。
あれから、あちこちで照明器具を見ると、
あの工場を思い出す。
さぞかし、これからずっとそれが続くだろう。
新たな挑戦は一石百鳥。
先日の初の演劇コラボは、久しぶりにわが人生において
新たな世界との遭遇と、人生はまさに観覧車であることを
新世界でも発見することとなった。
単に役者の演技に交じって、客席側に置かれたピアノで
演奏をするだけではおさまらず、
ターゲットとなる人たち、その組織への情報提供を提案し、
ちょっとお節介をしたことがきっかけで、意外な化学変化が起きることになった。
うれしいことに、この日本で最初で最後の白熱電球工場の
物語は、その劇団にとって記録的な動員になったということで、
主催者から大変喜ばれたことは、本当によかった。
劇でもライブでも一人でも多くの人に来てほしい、見てもらいたい
と思う気持ちはよくわかる。
さらに、作家との出会いと度重なるやりとりは、これまでにない
新鮮なもので、自分の中で新たな創造欲が湧き上がってきた。
そして、役者たちとの交流。
とくに世代の違う若き役者とやりとりすることで、
自身の未来に希望を感じることもできたし、
彼らと組んで何か新しいことをしたいという気持ちにも
なってきた。
最後に、今回の作品は白熱電球工場の衰退を題材にしているが、
その業界の方たちとの出会いがあり、思ってもみない交流が生まれた。
なんというタイミングか、この3月で閉鎖されるという
最後の白熱電球工場(鹿沼)へ招待されたのだ。
私も厚かましく劇でのミュージシャンとして、マーケッター、コミュニケーション
クリエイターとして同行させていただいた。
まさか、大手企業の電球工場に迎えていただくことにまでなろうとは。
約半日、もうすぐ製造終了となるその工場と、これからのメイン商品である
LED工場を見せていただき、この企業の素晴らしき歴史と技術、時代への
変化対応力に感動した。
1枚の広告がきっかけで生まれた演劇をみんなで演じ、
なぜかその広告が生まれた製造現場でみんなで撮影。
何とも言えないご縁と、貴重な経験にみんなで感動。
写真はその1枚。そして日本のエジソンなる藤岡市助博士の
銅像も拝ませていただく。
この人がいたから、電球が生まれ、演劇作品も生まれた。
行動により、。
一石二鳥どころか、ときには百鳥になることもある。
思っているだけでは生まれない、行動してこそ生まれる新たな
出会い・・。



新聞屋さんには罪はないのだけれど・・。
メディアとは、ニュースとは、本来事実をきちんと伝えるというために誕生したはず。
もともと、マスコミは中立の立場で、社会の公器として、正しい情報を提供するためのもの。
もちろん、メディアによって主義主張があることは良いことで、
最後までジャーナリズムとしての役割を全うすることが求められる。
人々はこれらの情報を得て、判断をしてきた。
どれを支持する、しない。。。が明確であった。
しかし、今はメディアのプロではない人たちの「メディア参加」により、
情報発信の秩序が崩れ、まさにカオスの状態だ。
最近では、フェイクニュースがさも意味があるように報じられているが、
この嘘を「もうひとつの真実」といってしまうと、もう何が何だか・・。
もう何が本当で、何がそうでないのか・・を見極める基準がわからなく
なってきたのだ。
最近、この春からの新聞購読をひとつストップした。
マスコミであるならば、書かねばならないと思われることについて、
一切書いていないことに、失望したからだ。
マスコミは権力に対して、いうときは言わねばならない。
いい子ちゃんのメディアは時の権力のいいなり・・。
毎朝、このいい子ちゃんニュースを読みたくないと思った。
人は自分に合った感性、問題意識に即したメディアを選ぶ。
もう見るべきメディア、番組がどんどんなくなっていく。
それならそれでいい。
いちいち、どうでもいいことに労力を費やすマスコミたちに
腹を立てるぐらいなら、見なければ、読まなければいいのだ。
今こそ、物事を知る根本に迫っていくべきだ。
と、新聞屋さんにはまったく罪はないのだけれど、
個人的には新聞屋さんには感謝し、敬意を表しているが
メディアの社会との向き合い方への違和感については、
妥協できないときがある。
昨今のメディアが発する情報の混乱から、
いかに気持ち良い朝を迎えるか・・の選択が難しく
なってきている。
そんなこんなで、3月が始まる。
振り回されることなく、しっかり前を向いて、
進むべき道を判断しながら、前進しよう。
夢見る挑戦者へのエール。
世の中には、本当にいろんな人がいる。
普段接することのない、自分にとって新しい世界に身を投じると
その多様性に目が覚める。
ほんとうに、「いろんな人」が世の中にいる。
同質な人ばかりを見て、その組織だけにいると、
ちょっとした差でも、すごい違うと感じるのかもしれないが
いろんな世界を見ると、「いろんな人」の定義も自ずと
変わってくるのが不思議だ。
ビジネスマン・・民間人から公務員。こちらもいろいろ。
商売人・・・こちらもいろいろ。
アーチスト・・・こちらもいろいろ。
作家・・・こちらもいろいろ。
男や女で分けてもあまり面白くない。
そういう分け方じゃなく、いろんな人に出会うには
異質な世界との接点を増やすことだ。
何年か前に、マジシャンの知人に世界制覇の夢の
話を聞き、それをぜひ一緒に!と言われたときも
驚いたが、その人がいうのはとても自然で、
それが叶うといいと心から思っていたし、
今ももちろん応援している。
そして、このたびは、○年後にアカデミー賞を狙う。
と真剣に言い、音楽担当を・・・と言ってくれる
人が出現。初対面なのに、演劇での演奏を聴いて
何かを感じてくださったようで・・。
はあ?と思ったが、面白いなあとも思った。
世の中にはほんとうにいろんな人がいるんだと
感心。
そして、その本気の挑戦は、素晴らしいと
思う。
笑ったり、そんなこと~と思う人もいるのかも
しれないが、私自身もザビエルを曲にして、
小さな挑戦を続けているのだから、
決しておかしなことではなく、
こういった夢を持ち続け、努力していく
プロセス自体が素晴らしいと
心から思った。
それにしても、周りにはいろんなチャレンジャーが
いる。楽しい。
私も、妄想しながら、走りまっせ。
発想の素は、ごろごろある。
作家の内館牧子さんの講義を受講する機会を得た。
相撲への貢献はじめ、小気味よい、冷静かつユーモアと示唆に
飛んだ文章や語り口は以前から好きであった。
テレビドラマはそんなに見ないが、作家としての考え方について
触れることができ、これはシナリオに限らず、創作する、創造する
仕事に共通の、大切にすべきことを学ばせていただいた。
そのなかでも、「発想」について。
内館さんが話されたことを踏まえながら、自分なりにこのことについて
考えなおしてみる。
「発想」とは。
作家ならば、何を書くか・・ということになる。
モノづくりをする人であれば、何を創るか・・ということ。
伝える仕事をしている人であれば、何を伝えるか・・ということ。
そう、創造の「WHAT」探しだ。
そのネタがなければ、何も生まれない。
ネタを得るには、まさに24時間365日のマーケティング発想が必要で、常に
楽しみながら、生活者としての読者としての、視点を持ち続けながら、
そこに「引っかかる何か」を見出すことが大切なのだ。
「あ、面白い」「あ、なんだろう」「これ、いける」
と思えるものに出会うことが必要なのだ。
この出会いは、実は特別な行動をするという必要はない。
いろんな世界や周囲の人に目を向けるだけでいい。
しかも現在だけでなく、過去の経験もネタになることがある。
昔気が付かなかったことでも、何十年も経ったあとに、
ふと気づくことがある。
内館さんの「終わった人」には、ご本人のこれまでの過去の経験の
中や周囲の人から得た発想がぎっしり詰まっているとのこと。
そして、その発想のキャッチ力があれば、誰にでもいい作品を
創ることができる。(もちろんそれ以外の力も必要であるが)
発想。みずみずしい感性で常に世の中を見続けよう。
ヒントはそこにも、ここにも、昨日にも今日にもごろごろして
いるのだ。