いっぱい「気」をおくろう!

「出張がこれから入ってくるんですけどね・・」
「そういうときは、『明日は出張だから、元気にして!』と、声をかけて
おくと、意外と元気でいてくれるもんですよ。そういうことよく聴きます」
看護士さんに、そんなことを教えてもらい、
父の耳元で何度も
「私がいないときは、元気にしててね」
「明日は出張に行ってくるから、元気にしててね。待っててね。たのむよ!」
と声をかける。
ほとんど眠っており、聴いているのかどうかもわからないことが多いが
それでも、声をかける。

心配してくれている友人によると、「声」や元気な「気」が、父にも伝わるそうだ。「気」が伝わると、元気になるそうだ。

人が生きるということは、「気」が通い合うということ。
不思議であるが、本当に「気」は大切。

この気持ちが伝わっていることを信じて、気合い入れて、GO!
ちょっと今日はリモートで「気」を送るとしよう!
元気にいて!
気を送ること、すなわち、いのちのコミュニケーション。

と、不思議な力を前向きに信じたい、今日この頃だ。


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どこでもいつでも、出会いの場になる。

自分が活動の世界を広げれば、そこには必ず新たな出会いがある。

たとえば、この2年間。
それまでは、病院や施設、医療と福祉の世界には、ほとんど縁がなかった。
ある意味、それらの領域と無関係に生きていけるということは、
幸せな時代だったのだろう。

ところが、ある日突然の父の入院から、新しい世界が眼前に現れた。
父はその日から、患者という立場で、周囲のお世話になることになった。
彼の回復のため、実に多くの人々が関わってくださった。

コロナであろうが、何であろうが、
人の命のために、尽力される医療関係の皆さま、
そして、人の人生の結びに向け、協力、支援してくださる介護関係の皆さま。
今思えば、
心に残るドクター、ナースから、ケアマネさん、施設管理者、ヘルパーさん、
スタッフの皆さん、薬局の皆さん、地域の支援センターの皆さん・・・。
などなど、2年前までは、まったく縁がなかった人たちと、急に出会いをいただき、お世話になって、そして、その施設を離れたあとも、つながっている方もいる。
今、報告と、御礼に会いに行きたいドクターもいる。

契約が終わったから、もう亡くなってしまった・・おしまいではなく、そこから関係が新たに始まったり、親しくなって、いつの間にかその方の仕事を紹介していたり・・いろんなことも起きている。

自分さえその気持ちであれば、どんなときも出会いは巡ってくる。
そして、どこか魅かれる、忘れがたい人とは、長いおつきあいになるものだ。

それにしても、ナースと呼ばれる人たちに、こんなに多く出会ったのは
初めてだ。
皆さん、よくお世話をしてくださる。
ありがたくて、毎日頭が下がりっぱなしだ・・。

いつでも、どこでも出会いがある。
今日ももしかしたら?
どんなときも、目と心を開いていたら、素敵な出会いにきっと
出会える。


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ともにアンダンテ、そしてカンタービレ。

日常のくらしには、公私含め、いろんな出来事が巡ってくる。
同じ日は1日として ない。
毎日、出会うさまざまな現象、変化の中、人はそれに呼応しながら生きている。
ときには大雨、ときには暴風。びしょびしょになって、傘が破れそうになることもある。前に進めないこともある。
そんなときは、しばらく雨宿りしながら、落ち着くのを待つ。
必ず、雨も風もやんで、晴れ間が出てくる。そこから、また歩き始める。

人生はその終わりの日が訪れるまで、
とにかく歩き続ける・・・そんな旅だと思う。
歩き方が、変わってきても、生きている限り、とにかく呼吸をしながら、
時を刻む。
そのこと自体が、歩いていることと同じ。

止まらないで、ゆっくりと歩くように呼吸をしよう。
止まらないで、わが人生を歩み続けよう。

毎日、父ががんばって呼吸をしている姿を見ながら、
生きているんだな~と、がんばっているな~と実感する。
そして、普段どおりに、私も歩こうと改めて思う。

そして、できればカンタービレのキモチをもって。
歌うように、表情豊かに歩こうと。

だから、歩きながら、歌う。
いろんな人生の情景を思い出しながら、そんな移動時間を歩く。

父も私も、アンダンテ。
そして、私はカンタービレ。

着信が鳴らなかった一晩を重ねていく朝への感謝を込めながら

今日も楽しくアンダンテ!

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美しいディクレッシェンドを。

クレッシェンド(crescendo)とは、音楽用語。イタリア語である。
私が知る限りでは、クラシック音楽でよく使われてきた強弱記号。
だんだん強くという意味で、音楽を盛り上げるときに用いられる。
楽譜では、五線紙の上にcresc.と書かれたり<  の記号で表記される。
ああ、ここから盛り上げるんだな~。長く盛り上げるときこのマークは
長く書かれる。
その曲の抑揚を豊かにし、また、それがあることで作曲家の意図もよくわかる。
同じ音符が並んでいても、それがあるかないかで、まったく表情が変わる。

一方、ディクレッシェンド (decrescendo)は逆に、だんだん弱くと言う意味。
こちら>の記号か、decresc と表現されるほか、ディミヌエンド(こちらはだんだん少なく) dim.と記載されることも多いが、クレッシェンドの対比としては、ディクレッシェンドがわかりやすく、一般にも馴染がある。

さて、人間の一生に、このクレッシェンド、ディクレッシェンをあてはめる。

クレッシェンドは、どんどん成長していく過程に当てはまる。
青春時代、あるいは仕事に燃える中年期も、まだまだクレッシェンドなのかも
しれない。もっといえば、年齢は年齢に関係なく、夢が膨らみ続ける過程も
クレッシェンドだろう。
もしくは、情熱的な恋愛をしている上り坂?のときや怒りがこみあげ爆発するときも、クレッシェンドな状態かもしれない。
人生のクレッシェンドには、生きる力を感じる。

そして、一生を終えるときは、ディクレッシェンド・・・。

だんだん弱く、小さくなって・・・・やがて・・・静かに曲が終わる。

ここをいかに長く、そして美しく・・。

今、とても大切にしたいと思う。

人生はクレッシェンドとディクレッシェンドが交互に現れる交響曲。
多くの一生は、ディクレッシェンドで締めくくられる。
美しいディクレッシェンド。とてもいい言葉だと思う。
笑顔で、やさしい顔で・・・。お互い感謝をして・・。


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ギフトのお返しは、お早目に。

主のいない家の整理を少しづつ進めているが、
やはりわが家の最高のお宝は、コンサート用のグランドピアノと木製アップライトのピアノ。そして、古くてもう弾けないが、当時最高クラスであったエレクトーン。
それ以上のものはない。
合わせたら、うん百万もしたこんな高価なものを、よく買い与え、演奏できるために多くのお金をつぎ込んだ両親。
幼き日々に、母が力強い声で、
「おまえには、よくつぎ込んだ」「お父さんの新車は全部楽器になった」
と言ってことを思い出す。
まさに、私に投資をしていたのだ。

若い頃は、そのことが不快なプレッシャーで、本当に嫌で逃げ出し、
その結果、その期待を裏切ることになったが、
今となっては、こんな素晴らしい贈り物が、この世の中のどこに
あるだろうか。と思えてくる。
残されたピアノに込められた、親たちの人生にかけた願いが、
今、改めて蘇る。
結果、親が願った道からは、大きく外れたが、今ふりかえると、
最高のギフトを親は与えてくれていたのだ。
それは、ピアノというハードではなく、カタチではなく、
そのために「一生懸命働いた」「一生懸命尽くした」という
見えない苦労である。
本当のお宝、最高のギフトは、楽器の存在から透けて見えてくる
この「親心」だ。
「音楽に出会わせてもらった、習わせてもらった」ことが、
一番の贈り物である。
今となれば、親の命を越えて、届けられたお宝である。

このことは、同じ音楽をやってきた仲間には通じる話題だ。
「お返しをしなくちゃね!」
高校の同級生と、そんな言葉を掛け合う。
そう、少しは返せたかなと思いつつも、もっともっとお返しを
しないと。
しかも、急がないともう時間がない。

ギフトのお返しは、早い方が良い。

こんな風に、
人生において、いろんな方から、いろんなギフトをいただく。
そのギフトによって、自分の人生が創られることに気づくのは
時間が経ってからだ。
でも、気づいたら お返しはお早目に。
キモチを届ける相手が元気なうちに・・・。



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フェニックス・コミュニケーション!

10月になった。今月は父の誕生月である。
そこまでたどり着けるか?
ここは父の生命力次第。
人の一生の結びは、その人の生命力にかかっているのだという。
人は最後まで、自力で何とかせねばならないのだ。
もちろん、その生命力には、意志・意欲も含まれるだろう。

カウントダウンというのも 切ないが、
そうも呼べる 父の残り時間に、出来る限り
寄り沿うことにする。
もちろん24時間体制は難しく
フルタイムは難しいが、出来る限り・・・。

そして、父の傍らで、いっぱいいっぱい話しかける。
実家の庭に咲いている花を摘んできて、見せる。
母とのツーショットの写真を見せる。
とにかく、見せたり、話しかけたり、言葉は
帰ってこないが、とにかく働きかける。
すると反応してくれる。
耳は元気なようだ。
こっちの言葉をしっかり聴いているのが
こちらにもわかる。
目が、時々動く。
こういったコミュニケーションのあとに
血圧や、血中酸素や、体温チェックをしてもらうと
いい値になっている。
コミュニケーションをとることで、活力がわいて
全身にその力が巡るのだろう。
コミュニケーションをとればとるほど、
人間は元気になる。

父の手をしっかり握って、
いろんな思い出話をする。
父の命が蘇る。

フェニックス・コミュニケーション!
ちょっと誇張しているが、
蘇ってほしいから、不死鳥を目指すコミュニケーション。
今は、これぐらいのキモチがあっていい。

毎日できる限り、話しかけていこうと思う。

コミュニケーションの力で、
わずかな時間でも命が輝く、蘇るなら これ以上のことは
ない。

今こそ、コミュニケーション クリエイターとして!
できることをしよう。
平常心を忘れずに、今日に感謝して、笑いを忘れず。
大切な1日がはじまった。

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全力の目力(めぢから)エール!

夜中に電話で目が覚めた。
最初寝ぼけて、状況が理解できなかったが、父の容態が急変したので、
すぐ来てほしいとの施設からの連絡。夢かなと一瞬思ったぐらい。

電車もバスもない時間。妹に寄ってもらい、車で一緒に父の施設に向かう。
正直、出発する前の準備時間は、自分でもよくわからないぐらいに、
混乱していた。何をもっていけばいいか、あれもこれもと・・・。
部屋のなかを、うろうろしていた。
そんな自分を落ち着け、落ち着けと言い、深呼吸。
そして、移動時間。真夜中の道路は、トラックしか走っていない。
スムーズに移動できるが、この時間も複雑だ。
万一のときのこと思うと、たまらない気持ちになるのと同時に、冷静に冷静に・・といろんな場合の対応を考えた。幸いにして妹がいることで、
いろんな会話もでき、段取りもついた。また自分の考えも伝え、共有もできた。

1時間もかからず、施設に到着。まさに真夜中。昼間見る風景と違う。
夜中の訪問。まさに緊急事態だ。
夜勤のスタッフが待っておられ、すぐ中に入れていただき、
父の部屋に入らせていただき、ベッドに横たわる父の顔を恐る恐る覗き込む。
「お父さん、お父さん、来たよ。お待たせしたね」
父に近づいて、必死に声をかける。
ハーハー、ハーハーと息をしている。
息が止まったら、もう最後だ。
息を止めてはならない。
とにかく
「お父さん、お父さん。」
妹と交互に、いろんな過去の思い出を語りかけ、
母と一緒にうつっている写真を見せ、
とにかく意識が回復するように、働きかける。
すると、うつろな目をしていた父が、私の目をじっと見つめ始めた。
じっと見ている。
そして、言葉をかけると聞いているのがわかる。
時々瞬きをする。
「あ、いい感じ。お父さん、寝たらあかん。
お父さん、がんばって目をあけて」
気が付けば夜明けまで、父の横で、妹と交互に言葉をかけた。
父の目力を感じた。しっかり聴いている、ちゃんと反応している。
「生きてるぞ。俺は生きてるぞ」
と目からうっすら涙を浮かべながら、と、私と妹に訴えてくる。
私も父の目を見て
「お父さん、お父さん。昌子。わかる?一緒に東京行ったね。
覚えとる?スカイツリーもいったね。韓国も行ったね・・・」
目を見ながら、言葉をかけ続けることで、父の目力が強くなって
いくのを感じた。
言葉は、もう発しないけれど、目でモノを申している。

朝方、父は疲れたせいか、普通に眠った。
回復したような、峠は越えたようだ。
「あれ?これ、いつものお父さんやね」
と少し安心。

しかし、老衰のため、予断は許さない。
施設の皆さんの夜勤の状況にも接しながら、こういった緊急時の
夜を過ごした。

父の目力、しっかり私の中に刻まれた。
まだまだ生きてほしい。
心配な日々は続く。が、心配できることは幸せだ。
しばらく、携帯を枕元において休む日々が続く。

今日も父に目力パワーを注入したい。
最後の瞬間まで・・。悔いないように!
「もうちょっと がんばろう!ね!」

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尊敬するリーダーは、アンゲル メルケルさん。

人によって尊敬する人はそれぞれだろう。
政治家という仕事。国のトップを指導者と呼ぶ人がいて、首をかしげたくなると
思うことが多いが(日本ではとくにそんな言葉にふさわしい人を見たことがないから)、世界に目を向けたとき、その人はまさにその名にふさわしいと思ってきたのは、メルケルさんだ。アンゲル・メルケル。ドイツ語で、天使の意味のお名前だ。
派手ではないが、賢明であり、愛もあり・・さすがキリスト教者としての道をまっすぐ進みながら、国をユーロの世界を16年にわたって導いた。
強いドイツになったのは、間違いなくこの方の存在のおかげだ。
ユーロの存在感を確固たるものにしたのも、彼女の功績だ。

また、コロナ感染広がり始めた頃の、国民へのあの説得力ある演説。
ドイツ語で話されていても、どれほど人の心に染み入っているかは理解できるものであった。

ブレナイ、まっすぐなそして責任を果たす仕事。
台湾の蔡さんも大変共通しているが、こういった方々が、私の尊敬するリーダーだ。

引退を表明されてしまい、寂しい限りだ。
彼女の活躍は、ドイツの政治史にも長く刻み込まれることだろう。
精神性の高いドイツはこういった人をリーダーに選ぶ。
日本も、もともとはドイツと同じく、そういう民族のはずであるが・・。
何がどう??。

メルケルさんのような素敵な女性になれるよう、もっともっと!
すべきことはある。
心から敬意を表して・・。

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今日は誰と出会い、どんな?

朝は、1日のはじまりでもあり、過ぎた1日を改めて俯瞰するときでもある。
たとえば、昨日と言う1日。
自分は何人の人とかかわりをもっただろうか?
メール、オンライン、電話、直接の交流・・・。さまざまな手法を通じ、いろんな人とやりとりをしているが。気が付けば、毎日違う、多くの人とコミュニケーションをしている。性別、世代、職業、立場、価値観・・・まったく自分と同じ人はいない。
そして、
頻繁にやりとりをしている人もあれば、時々、たまに、の人、そして初めての人・・・。
いろんな人との出会い、交わり、関わりがあって、自分の人生の「1日」が成り立つ。
そのひとり一人とのやりとりを振り返ってみる。
自分はその関わり、やりとりを大切にクロージングできたかな?
こうだった、ああだった、ありがたいな。ああ、よかったな。でも、こうしてもこの言葉の方がよかったかな・・・。
・・・と、いろんな思いが巡ってくる。

言えることは、毎日毎日、1日に何人もの人との関わりがあってこそ、自分の1日があるということ。
たまには、誰とも口をきかない日、電話もメールもしない日がある?
あるだろうか?
思い返せば、誰ともかかわらない人は、記憶にある限り、そんなにない。
人との関わりは、本当に大切だ。ていねいに向かい合わねば。

かかわるすべての人の言葉、表情を今一度胸に置き、感謝をもって、
新しい1日を迎える。

今日も、また新たな何人もの人との時間が待っている。
いろんな人の想い、寄り添い、気遣い・・・。
それぞれの想い、キモチを大切に、
関わる皆が気持ちいい1日になるように・・・。
さあ、今日は誰に出会い、どんなコミュニケーションが?
楽しみだ。

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表情豊かに、想い伝えよう。

コロナ禍でのコミュニケーションは難しい。
商談、会議、接客・・・。なかなか表情が見えないと言われる。
確かに、口元の表情はその人の内面を見るのに、大変わかりやすいため、
そこが塞がれていると、内心怒っているのか、笑っていいのかは
判断しづらい。
一方、伝える立場になると、マスクをしていても「見える部分」をいかに
意識するか。具体的には眉、眉間、目の力、働きが、コミュニケーションに
影響する。
普段から、愛アイコミュニケーションと銘打って、目元での豊かな表情について
お伝えする機会が多い。かなり意識しないと変化が出ない。
顔が半分しか見せ合うことができない中の、発信力は大きな課題だ。

もう少し広い視野で考えてみる。
表情の表現と言った場合、演奏家の例は勉強になる。
ピアニストの多くは、横顔しか見えない。撮影録画されていれば、カメラ位置によっては、もちろん正面の様子も見えるが、だいたいは横から。
一方、歌手やバイオリンなどの場合は、正面から見える。表情もより伝わる。
音が素晴らしく、また技術が良い。でも、表情が・・・となると、感動が変わる。
演奏家のキモチが歌わるかどうかは、感動につながる。
表情で伝わることは多い。

私の場合、全身を使った、豊かな表現をするバイオリニストの演奏が好きだ。
歌の場合は、口から声を出さねばならないので、表情にも限界があるし、
あまりくしゃくしゃになっていて口を開いても、あまり美しくない。
その点、バイオリニストの表情はとても興味深い。
ピアノの場合は、表現に制限があるかもしれない。
私の場合は、
弾き歌いの場合はとくに、ピアノの前に座らず、立って演奏する。
だから、自由に動き、表情も表現できる。それは個性であり、自分らしく演奏するには大切なポイントと思っている。

技術も大切であるが、表情が決め手になる。
表情豊かであるということは、自由のしるし。

と、庄司沙矢香さんやチョ キョンファさんの演奏録画を見て、
魂入ってるな!と感動、学びを得る。

表情豊かであるということは、心がそこにある、魂が入っているということ。
これは演奏だけでなく、日常のコミュニケーションでも重要だ。



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