伝え、結び、育み合う。

日々いろんな方に出会い、課題の解決、企画の実現に向けて
お世話になる。
仕事とは、人生とは、コミュニケーションの連鎖によって成り立つ。
コミュニケーションがうまくいけないと、幸せになれない。
 最近、とくにそんなことを感じる。
だから、コミュニケーションツールをうまく使いこなして、最適な
コミュニケーションを行うことも大切であるが、そこで発する言葉や
文字のひとつひとつが本当に大切だ。
この一言で、一文字で人に誤解を与えたり、不快な気持ちにさせて
しまうことがある。
一方、一文字、一言に気を配ることで、お互いを理解し、物事がうまく
進むことはある。
コミュニケーションは個人から組織、社会全体にいたるまで、すべての
円滑、幸福のカギである。
暴力で国を変えようという人もいるが、これはコミュニケーションではない。
人間は言葉をもつ、コミュニケーション能力をもつ生きものだから
言葉で、文字で、音で・・伝えていきたい。

伝えること、結ぶこと、そしてお互いがそのプロセスから学ぶこと、そして
成長できること。

コミュニケーションには無限の可能性があるのだ。

この年は、ハッピーコミュニケーションをもっとダイナミックに、そして丁寧に伝えていきたい。
自分自身がまだまだであるが・・。

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基本の基本を学び直す新年。

今日が仕事はじめ。という方もおられるようだ。
ゼロから10、あるいは100の力を出すには、かなりの瞬発力が必要で、
この寒さのなか、すぐエンジンがかかるというのも難しい。
このゼロ発が苦手で、新年から少しづつ仕事をしはじめているが、改めて
感じているのが、コミュニケーションには慣れてはいけないということ。
このご時世、正月であっても夜中であっても、メールが使えるため連絡を
送ることができる。もしかしたら、相手が休んでいるかもしれない・・とか
思えば余計にメールは便利だ。
と思う一方、やはりTPOによって、そうでないこともあることを改めて知る。
とくにまだ交流してまもない場合や、相手のことがよく理解できていない場合、またはニュアンスなども伝えたいときなどは、メールよりも電話の方が良い。
もちろん顔を合わせて話ができれば一番。だからミーティングは絶対不可欠。
 ではあるが、メールの利便性が勝ってしまうことが多い。
仕事を何十年やってきても、時々それを間違えることがある。
自分の思うメリットと相手のそれが異なる場合があるのだ。
 
 経験はしてから気づくことが多い。その経験の積み重ねが、転ばぬ先の杖になるが、経験が緊張する、冷静に判断する妨げになることも時にはある。
ひとつひとつ、一歩一歩関わる方とのいい関係づくりを肝に銘じて
コミュニケーションの取り方をよく吟味し、丁寧に行っていきたい。

新年だからこそ、見直すにいい機会。



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パリのお礼をnagoyaで。

三が日を過ぎた日、名古屋駅にあるATMコーナーはやけに混雑。セールのお買い物のためか、帰省の交通費か、年始の振り込みかとにかく行列だ。普段ならやめて改めて出直すが、時間もあったのでそのまま並び、数台のマシンの順番を待った。その数台のうちの一番左端のマシンはなかなか人が入れ変わらない。何だろう?よく見るとバックパッカー風の外国人二人連れが、マシンの備え付け電話でやり取りしている。ああ、渋滞の原因はここかあ。
他のマシンは順調に回転、自分の番がやってきて、たまたまその外国人のとなりのブースに。お隣の様子が気になって、どうも困っている風のお隣さんに、声をかけた。

するとクレジットカードで現金を出したいがうまくいかないので、その電話で担当者に聞こうと思ったが、先方英語がわからないということで、お困りのご様子。

 海外のATMでクレジットカードでの引き出しをしたことがあったので、電話口の銀行スタッフに「 隣にいた客ですが、私がお教えしますね。」と伝え電話を切って、その外国人のお客さんと一緒に画面操作をした。

ちょっと選択ボタンを間違えていたので、うまくいかないことが判明。それがわかるとマシンが反応し始めた。
「はい、ピンコード押して。私は見て見ないから」「いくら引き出すか金額入れて」すると彼女たちが一万円と入力するので、「そんな金額で少なくない?1万円はすぐなくなるよ」とちょっとお節介。「大丈夫。空港までの電車代だけだからこれでいい」「ああそうか。ならば十分」というやり取りを通じ彼女たちの操作を見守る。するとマシンが反応して一万札が出てきた。すると彼女たちたいそう喜んでハグ、そこに私も巻き込まれ、なぜか三人でハグ。早くせいと列に並んでいる人たちから見たら、どう見えたことか。その後、二人は無事セントレアに行き、無事帰国しただろうか。

 ATMで声をかけた時、実は20年以上前にパリの地下鉄で強盗に遭って、そこにいた人に助けていただいたことを思い出した。旅先でお世話になったことは一生忘れない。こんな小さな出来事でパリの街が蘇り、とても懐かしくなった。
海外の人が多すぎるといろいろ気になることも多くなっているが、出来る限り
善意のコミュニケーションをしていけたら・・・と思っている。


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新年に思う、消費と経済。

資本主義社会を俯瞰する番組を見た。久しぶりに役に立つと感じた。いろんな学者が世界経済について独自視点で語り、共感する点も多かった。
旅やグルメや、意味のないスタジオでのトーク番組はメディアの使命か?と疑問がわくが、人々に示唆を与える、考えるきっかけをくれる発信は歓迎だ。経済や歴史や政治、哲学などもっとそういった教養コンテンツが増えてほしい。

経済と政治の関係について・・もともとは自立した社会の機能としてあるべき
存在が、今は経済に政治が関与、介入するのが当たり前の世の中になってきている。国はこうあるべし=経済の成長がとりわけ、重大テーマになるのはそのせいでもあると思う。

経済は発展し続けなければならない。と、世界の主要の国のリーダーたちはそれを目指し、われこそは世界の最強国家だと言いたくて、そのために技術革新を続ける。
産業革命があったこそ、経済が活性化したのは言うまでもないが、もう十分に市場が飽和になり、地球もほころびかけている今になっても、経済を無理やり成長させようと努力し続けていること自体に、違和感を抱く。

同じパイしかないのに、俺が俺が・・・。
「お先にどうぞ」と言える余裕はないのだろうか。

この競争力が人間の理性を腐敗させつつあるように思う。
こんな言葉ももう古いけれども、共生する道こそが今最も大切なのに・・。

経済成長の低下といわれるが、人類の歴史をもっと長い目で見てみれば
このペースでも十分すぎるとある学者は言う。
ずっと成長しなければならないなんて、ゴールは一体なんだろう?

私の想像では、風船に空気をどんどんどんどん入れまくって、最後ははじけておしまい・・・という感じだ。

新年早々、セールや福袋やと、お祭り好きな日本人にとって、これは立派な新年のイベントになってきているが、これも資本主義に乗せられたゲーム。
残った商品をどううまく売りさばき、次のシーズンの新商品を売り始めるか。
一体、こんな流れがいつまでも続くのか?

デパートに流れるように出入りする群衆を見ながら、こんな時代はいつまで? と思って立ち尽くしていた。
と、そういいながらも、自分もセールは利用するのだけれど・・・。
もともと安くて売れるなら、セールなどしなくていいのに・・と思いながら安くなった商品を眺めている。

消費しなければ経済は回らない。
消費させるためのしかけ。
その仕掛けにはまって、ぐるぐる働き、お金を使う。
いったい、せっせと働き、せっせと消費、せっせと製造、、、のこのサイクルは何だろう。疑問の中に立ち尽くしてしまう新年。






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長生きは何のため?さっぱり。

人は不老長寿を、いや不老不死を願い、それに向けて努力する生きものだ。
ほかの動物にはない、人間という生き物は、あくなき欲望の塊だ。
その欲を満たすために、努力をする。夢といえば聞こえが良いが、欲である。
 「こうあったらいいな」
この無限の願望、欲望があるから、すべての産業が発展し、こんなに豊かな社会になった。おそらく平成は、その豊かさを当たり前のように享受できた時代であったのだろう。
こんなものが食べたい、こんなものを持ちたい、こんなところへ行きたい・・・
ネット社会はその欲望を満たすには好都合の環境であった。
その一方、ネット社会のせいで、この欲望にセーブがきかず、人は我慢できなくなり、自己中心になった・・。

そして、ITの進化は、AIにまで発展し、人間の代わりにいろんなことができるようになり、一見、人間社会を支え、一方、人間の存在を脅かす可能性も出てきた。

このテクノロジーのおかげで、今、長寿が可能になった。先端医療のおかげで、
病気は治る、人は死なない・・。
のだそうだ。

正直、それはとても困る。

150歳まで生きるという話題が出始めているが、お願いですから、もう結構です。なんのためにそんなにロングライフを望むのか私にはさっぱり理解できない。
以前、自死を選びその後反響もすごかった西部さんのことが、今も時折頭をかすめる。
その気持ちはわかるなあ。もちろん自死は周囲に迷惑をかけるので、やっては
いけないが、敏感な人には、生きることは本当につらく、先が見えてしまうのだからたまらないのだと推察する。

お願いだから、死なない社会を作らず、自然に生きて、そして自然寿命で人生を閉じることができる世の中であってほしい。

人の死が軽くなり、人の生も軽くなり・・・。

私には、いろんなことがさっぱり理解できなりつつある・・。


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平成終わりで、昭和を想う。

NHKの調査でこんな結果を知った。
平成と昭和、どっちがいい時代?
10代から70代以上まで3000人ほどの生活者が回答しているものだそうだ。
全体として、昭和が良かったという人が6割以上。平成という人は3割ほど。
年代別では10~20代の人は平成。年齢が上になればなるほど、昭和が良かったと答えているようだ。
そりゃ、昭和を生きていないのに、昭和が良かったとは言えないから、若い人が
平成が良かったというのは理解できる。
 また、平成という時代の良かった点は、戦争がなく平和であったこと。という選択肢を選ぶ人がもっとも多いそうだ。そう、日本では戦争がなかった、平和すぎるほど平和であった。でも、一歩外に目を向ければ戦争は起き続けているが。
 平成という時代のなかで、日本が国際社会での地位が低下し、政治に期待できないという人が増えているのも結果に出ていた。

なんとなく、これからに不安を抱いている人が少なくないことをにおわせる結果だと思いながら、この調査結果を見ていた。

 さて、私の場合は、 今、改めて昭和の時代に郷愁を覚える。

できれば、時代が戻ったらよいと思う。もちろんこれは戦後、自分が生まれ育った時代にという意味だ。戦争中には絶対戻ってほしくない。
その時代にご苦労された方にとっては、余計にそう思われることだろう。
戦争に負けたからこその、日本の戦後史があり、今日への道ができた。
ネット社会で世界がつながる一歩手前、のちょっと不便な時代がよかった。
不便だからこそ、考える。努力する、楽しめる。
人と人のつきあいも、もっと泥臭くて、人間らしいつきあいができた。
問題も多かったかもしれないが、今、思い出す歌は昭和に流行った歌ばかり。
平成の歌で、新しく覚えて曲は・・・記憶がないかもしれない。
映画も然り。昭和時代の映画はドラマチックであった。行けない海外、時代のことを想像しながら、楽しんだ。今は技巧に走る傾向もあり、ロマンという言葉は
少し遠くなったような・・・。

昭和の時代を大切にしたい。

今、平成が幕を閉じると言われて、天皇陛下のことはもちろん思い浮かぶが
その時代について、何とも言えない。もしかしたら、もっとあとになって、
次の時代が見えてきたときに、平成のことを思い出すのかもしれない。

今は、遠くなる昭和を少し呼び寄せて、改めて自分の中に刻んでおきたいと思う。
 そう、今思えば、昭和の方が、「夢がもてた」のかもしれない。


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電話で涙初め?

年末に、妹がこっそり教えてくれた実家でのできごと。
寒さのせいで痛む足のせいか、老化する自分へのくやしさのせいか、寂しさなのかわからないが、妹と話していて父が涙ぐんだという。
その報告メールがずっと気になり、なんとか元気づけなければと思いながらも、屈折した家族であり、なかなか素直になれない一面もあり・・。
元旦は帰れないので、でも早く解決したい・・。そして、父の携帯に電話。何十回鳴らしても出ない。ああ、こうやってだんだん電話にも出なくなるのかな~。
あきらめて、しばらくおいておく。
 すると、父からかかってきた。父は面倒くさがりだから、折り返しはないかもと思っていたため、ほっとする。
「明けましておめでとうございます」
ちょっとだけ余所行きの挨拶で、昨日と違った緊張感がはしる。
この調子だったら、少し冷静に話せるかな・・。
「去年はデイサービスもはじまって、元気に行ってくれて良かったと思ってるよ。友だちできて、楽しい毎日が過ごせたらいいしね。夫婦なかよく楽しくやってほしいと思っているよ・・・。お父さんの車の免許を返納してもらったり、電気ストーブ危ないからと処分したり申し訳ないと思っているけど、全部その方が安全だから・・でも、本当にいつも悪いなと思っているよ・・・・お父さんのおかげで私たちは大きくなったし、お父さんとお母さんのおかげでピアノも習わせてもらって・・。この前は子供の頃に通った名古屋のヤマハに行って、そんなときのをことを思い出していたよ・・。」
と、そんなことを話していたら、いろんな思いがこみ上げてきて泣けてきた。
「お父さん、聞いてる?ほんとうにありがたいと思っているし、心配している
から、寂しいとか思わず、元気にデイサービスもいってがんばってね。またいろいろ話そうね。お父さん、大好きだからね」
と、涙声で話し続けた。父も電話の向こうで泣いていた。
「わかった、ありがとうね。ありがとうね。」

父はこうした会話を待っていたのかもしれない。
父も泣き、娘も泣き・・。

いつか別れていくのだから、素直に感謝して一年を過ごしましょう!


こんな言葉は、正月だから改まって言えるのかもしれない。
 YKUといいながら、すぐ泣くのは、賢くないかもしれないが、
涙初めも悪くない。

いつまで親とこんな会話ができるのかわからないが、喜怒哀楽で、泣き笑いで過ごす1年も良いだろう。




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グラン・ルー公式サイト更新

グラン・ルー公式サイトを2019年新年に更新いたしました。
プロローグや、ラジオ番組保存版などをお楽しみください。
こちらも併せて、本年宜しくお願い申し上げます。

http://www.mahsa.jp


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平成最後の新年は「YKU」で

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

世界中が、そして皆さまにおかれまして、穏やかで温かな一年となりますように。

今年はまもなくすると、平成という時代が幕を下ろし、新たな時代の幕開け。といっても、自分にとっての一年は止まらず続く。

そんな今年、どんな一年にすべきか。

優しく、賢く、そしていろんな事象を受けとめられる。そんな器の人間を目指したい。これを心がけることで自分の存在意義を少しでも高めたい。
略して、Y K U。

笑ってありがとうと言える、イツカサイゴに向かって。
やさしく、かしこく、起きうるすべてのことを受け止めながら、タンタンと
生きていきたい。

今年、一年も本ブログは毎日更新いたします。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。



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自宅で正月を迎えるありがたさ

ひと昔前までは、年末年始は海外で、京都で・・という経験も何度かあった。
今から思えば、大晦日のパーティーの喧騒のせいでの睡眠不足や、元旦にパリの通りやエッフェル塔の下でみつけたシャンパンの瓶の破片。
そういえば、元旦にエディットピアフの生家をたずねたことも、今となっては懐しい。
国内では京都での時間がやはり印象的。THE NIPPONの正月という空気、休まない京都の町を実感。観光地こそ、正月は賑やかになる。

一方、最近は静かに自宅にいて普通に新年を迎えるようになった。
普段どおりに、がいい。

前置きが長くなった。
闘病生活を続け、入院されている知り合いが、正月は自宅で過ごしたいと病院に希望を出され、希望叶っての帰宅となった。
その帰宅時間にあわせて、好物のカステラを送る。
あたたかい部屋で長崎のことを思い出しながら、おいしいひとときを味わって
いただきたい・・。

新年を病院で過ごすのは、どんな思いか・・。旅行に行かなくてもいいから、
せめて正月は自分の家で、ゆっくり過ごしたい・・。もし、自分が病に伏しても
そう願うことだろう。

それぞれの新年がやってくる。やはり元気に好きなように過ごせる、自分なりの新年を迎えることができるのが一番だ。被災され、ご不便な状態で新年を迎える方もいらっしゃる。そう思うと、自宅で暖かいお正月を迎えることができるのは最高のお年玉だと思う。

もうすぐ2018年の365日が過ぎ、次の365分の一が始まる。

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