人を愛するというのは、結局自分のエゴではないか?と思うことがある。相手を大切にと口では言うが、本当に相手に寄り添い、相手のために何でもしよう!というのは、根底に利他の心がないとできないし、何よりも大切にしたい相手の気持ちを優先することが一番だと思う。
愛は駆け引きでもなんでもないし、人間関係もそうだと思う。本来の人間関係も、突き詰めていけば相手の尊重、相手を認めることに他ならない。
尊敬する方がいる。上場企業での現役時代を卒業後、元気に活動され、学ぶことも怠らず、社会に役立つ働きかけをいろんな面で実践されている。いつまでも、フラットで自由な目線でいることを大切に、周囲にいい影響を与え続けておられる。
誰かの役に立つ・・。これは、最後、その人自身の生きがいになるはず。その方との共通の見解だ。
その先に富や見た目の名誉・・・ではなく、本当に大切な人が心から喜んでくれること・・そのためだけに、人は生きることができる。
自分が、自分が、自分が・・・。情報化社会の中で無数の自己主張がうごめいているなか、静かに、黙って役に立つことを、それこそ、「粛々と」やっていきたい。
自分のために愛するのではなく、本当に相手のために・・
「〇〇家」?「〇〇屋」?どっちを目指すか?
最近の政治の表舞台に出てくる人たちの多くは、たとえお家柄がその筋であっても政治「家」とはいえず、政治「屋」じゃないの?と思えることが多い。自分のことばかり売り込んで、社会のために、とか誇り高い志を感じることがない。
そんなわけで、作曲家とか作家とか、茶道家といったその道を創造的に極めるプロフェッショナルとは一緒にしたくない感じがする。
自分の職業。自分もどちらかというと「〇〇家」となれるよう、生きていきたいが、コミュニケーションクリエイターという職業を「何家」と表現すればいいか、いまだ模索の途中だ。
世間に目を向ける。「町の豆腐屋さん」とか「パン屋さん」とかは、さっきの「政治屋」とは違い、いいイメージだ。地元のお役に立っている専門店、という感じだ。「屋」とは、屋根、一軒屋、路面店の印象。
一方、〇〇家とは、人前に出るのではなく書斎で考えたり書いたり、工房で作ったりする職業、いわば職人のような印象でもある。
「家」でも「屋」でも良いけれど、人のために、世の中のために、社会のために少しでも役立つ仕事がいい。それをしていることで、自分も幸せという仕事がいい。
最近、いろんなことにお節介している。ボランティアなのか世話焼きなのか、種まきなのかわからないが、損得なしに動いている・・これは「町の世話焼き屋さん」?
でも、基本的には、いつしか類を見ない「〇〇家」という職業を創造したい。という夢は変っていない。
と、ふと政治劇場の人たちのつまらない言葉のゲームを見て、そんなことを考えてしまった。
なぜか、泣けるあのご夫妻のお姿
とくに右でも左でもなんでもない。自分なりの意志をもって日々生きていきたいと思っているだけだ。いいものはいいし、うさん臭いものはうさん臭い。自分の物差しで判断することが大切と思っている。
そんなか、天皇陛下のパラオ行に関する報道を見て、この夫妻は本当に素晴らしいと、心から感動した。今、世界で必要なことは、狭義の平和~自分たちが良ければ良い~ではなく、全世界の平和である。自分だけ幸せというのはない。隣も向かいもみんな幸せであってこそ、自分も幸せになれるのである。天皇陛下の仕事は、今や日本の象徴であるから、という点ももちろんあるけれど、とにかく人々を励まし、見舞う・・というその姿勢には頭が下がる。自らに求められた役割をきちんと実行されている、その姿に頭が下がる。
口先だけで、また使う言葉尻にいつまでも議論しているどこかの国のぺらんぺらんの人たちと比すれば、見た人に会った人に口数は少なくとも感動を与えているのだ。なぜか、天皇陛下が遺族の方や元兵隊さんと話されているとき、その相手の嬉しそうな顔を見て、涙が出た。
先日お会いした長崎の97歳のおばあさまも、天皇陛下と会われたことがあったと聞く。いろんな苦労をされてきた方に寄り添われるその姿が素晴らしい。何百回「国民の平和のために~」とか「私はあなたに寄り添います」と口先だけで、言われても人は何も感じないし、信じない。そんな現実社会の中で、とにかくあのご夫婦は素晴らしいのだ。
夫婦として、シンボルとして、その役割を全うされようとがんばっておられるのが伝わる。
そう、先の戦争でお父様が負傷され、戦後も傷痍軍人としてご苦労され、早くに亡くなった知り合いのことが頭をよぎる。
きっと、このパラオでの天皇ご夫妻の慰霊のご様子を見ておられることだろう。
なぜ、泣けるのだろう。被爆しながらがんばって生きてきた人を思い出すからか、パラオの人たちの歓迎ぶりに戦後70年という時間を感じるのか・・。人はうまい言葉よりも、黙っている小さな背中にこそ、心動かされる。
言いにくいことを言うパワーを理解するには・・
ある青年~サラリーマンから相談があるので時間をとってほしいとの連絡が入る。本当はイレギュラーであるが、ま、久しぶりでもあり、熱心なので会うだけ会って話を聞くことにする。その会社にはお世話になってきたからとか、上司と懇意にしているからとか、ま、いろんなおつきあいで、イレギュラーだったり、サービス相談だったり・・・時にはある。
会う以上は、相手も求めてきているのだから、真剣に聞き、考え、応えなければ。そこに費用が発生するとかしないとか以前に、会った時間を自分はもちろん、相手にも無駄に感じさせたくないため、会う以上は真剣に対話する。
ある商品の営業についての相談であった。ぱっと見て気づくことを、いろんな角度から話す。すると、「そうですよね。やっぱそうですよね」相槌を打って聞いている姿勢。でも、ずっと手を膝においたままで、うなづいている。45分ほど話し、かなりアイデアも出したと思ったときに「あのさ、時間とってくださいと連絡くれて、こちらも時間使ってここにきている以上、真剣に考え、話しているよ。」「はい、そうですよね。ありがとうございます。」「じゃ、メモとったら?」ついに、しびれがきれたのだ。親子ほど?年齢も離れているが、私の部下でも社員でもない。でも、言わなくちゃ。「こんだけ話したこと、書かずに大丈夫?」「へ?メモとっていいんですか?」と却って聞かれた。「いやー、自分もメモとりたかったんですけど、メモとったらダメなのかと思いました。」びっくりの弁明。「メモとらないと忘れて、行動できないよね。書きたいと思ったら、そのとき聞けばいいじゃん。」「あ、そっか・・。では、失礼します」とポケットから手帳とペンをだし、メモを取り始めた。「営業だったら、相手に話を聞くとき、また勉強をさせてもらうとき、メモをとるのが普通だと思うし、失礼します。と言えばいいし、その姿勢にも好感もたれるんじゃないかな?」と話すと、その若者はなるほど。という顔をした。
話している相手のことを、メモをとってないな~と疑心暗鬼になって話を続けるよりも、言った方がいいと思い、「メモしたら」と言ってしまったが、正直、この一言を言うにはかなりパワーが要る。言いにくいことを言う・・というのは、かなり勇気が要るのだ。
でも、そのおかげで、なんでも話せるようになって、対話もよりスムーズになり、かえってくる質問もより的確になった。
「どうせお互い1時間時間を使うならば、お互いに良かった!と思う時間にならなければ、会うだけ時間が無駄だよね。せっかく会ったんだから・・」と言う。彼の求めていることに今日、自分は対応できていたかどうか?わからないが、きっと頭の整理のヒントにはなってくれているといいと思う。
歯の浮いたような言葉は好きではないが、言いにくく、でも言わねばならぬことを言うことも本当は好きではないが、それを経験すると、言いにくいことを言ってくれてきた先輩たちの苦労や配慮が理解できる。
苦い良薬。コミュニケーションにも必要だ。そして、それを過ぎると相手とより親密になれるのも良きこと。
「PULL」の五感を生かすコミュニケーション
五感は人が人として生きていくうえで、とっても重要な存在だ。人間だけが備えている素晴らしい力である。それがあることで、人間は感動することができ、感じ合うことができ、幸せを実感できる。だからそれを意識しながら、生きることの大切さはこれまでにも何度も発してはいるが、その五感にもそれぞれ、特徴があり、それぞれに生かし方があるものだと改めて思い直すと、さらなる興味も湧いてくる。
たとえば「聴く」ということ。これはコミュニケーションに実は一番大切な「受容」の役割だ。コミュニケーションは双方向だから、受容できなければ成り立たない。人の話も音楽も、いろんな町の生活音も風のざわめきも・・。聴こえることで情景も浮かぶ。聴くこと自体では何かを発するわけではないが、聴く、聞こえるということは社会と自分の関係をとらえ、かつ対象をよく理解するのにも、とても重要だ。次に「見る」ということ。これも世の中を視覚的にとらえるのに、重要な機能だ。一対一で見つめ合うことから、俯瞰することまでいろいろ。自分が動けばその視覚の広がりも多種多様なものになる。さらに嗅覚。いろんな匂い、香り、臭い・・・いろんなものを鼻で感じ取る。嗅覚、臭覚は、快不快に直結する五感のような感じ、鼻が利くというのは判別に重要だ。「触覚」・・触れて感じるというのも、快不快に直結する感覚であるが、たとえば、「握手」はコミュニケーション上、とても大切だ。そして、「味わう」味覚・・・これは人間が生きていくうえで、生きる楽しみを倍増させてくれる機能であろう。
目が合い、手を触れる双方コミュニケーション、耳を澄ましてよく聴くコミュニケーション・・・。五感はどこか静かで、PULLではあるが、強い力をもっている。
「私が私が・・」と饒舌にどれほど語っても伝わらないこともある。相手の心に染み入るコミュニケーション、五感を磨くことは言葉を越える、国境を越える。音楽も美術もそこから生まれた。PULLである強さをもう一度見直してみたい。にこにこ笑いながら、人の話をしっかり聴いている人の方が、結果その存在自体が相手に伝わっていることもあるかもしれない。コミュニケーションはPUSHだけでは成立しない。
一見、目立たないこの五感の「PULL」の力をしっかり整え、鍛えておくことが大切だ。
ラストレターと「天空の観覧車」
週末、探し物があって普段開けない引出しに手をつける。そうだ、ここに住むようになってから約10年の間に届いたもので、要保管の手紙が入っている引出だった。最近では開けることもなかった。久しぶりに整理をと思って手をつけはじめると、この間にいただいたいろんな手紙が出てくる。そして残念なことに、それ以来音信が途絶えている人もいて、「ああ、こんなこともあった」「こういう方からもお手紙もらっていたんだ」と懐かしく思い出し、月日とともに自分の交友関係も変わってきたことを実感する。いろんな方に気にかけていただき、今日があることを思うと、胸がいっぱいになる。そしてそのなかにみつけ、私の心をゆさぶったのは、「最後の手紙」となったものたちである。闘病中の方たちからの、力を振り絞って、あるいは心の整理のために書かれ、出された何通かの手紙たち。印刷されたハガキに手書きにてメッセージが加えられているもの、便箋に何枚にもわたって綴られたもの。いずれにせよ、直筆で書かれている文字から「伝えたい」という気持ちが伝わってくる。詫びておられるもの、感謝の気持ちを述べておられるもの、再会を約束したもの・・。
いずれにせよ、もうかなわない。手紙を改めて読むと、もっとこうしていたら良かっただろうかとも思わなくもないが、それはもうできない。
しかし、その最後の手紙の主人たちは、今も私の頭の上にいてくれているように思っている。そしていつも、私がちゃんと生きていくかどうかを見守ってくださっているように思っている。そう何人か、何人か、悲しいけれど、だんだんその数は増えていく。
まるでそれは、「天空の観覧車」のようだ。いろんな方たちが私の頭上で円を描きながら、くるくると回りながら、見守り続けてくれている。地上の観覧車とは違い、空から、地上を向いてくるくると回るのだ。
あ、いろんな方に見守られている。彼らが生前書いてくださった手紙の数々から、そんなことを想像してみる。
いつも思っているけれど、自分が忘れない限り、その人は死なない。その手紙の主たちは、今も私の心の中で生きている。
五感五体満足に感謝する。
つんくさんが、声帯を摘出されたとの報に接し、歌手が声帯を失うとは・・。ショックを受けつつも、前向きに生きていこうと自らの現在を世間に公表するのはさぞかしパワーが要ることだろう。と勝手に想像した。声が出せない、音を発して伝えることができない苦悩とは経験しないものには語ることはできない。一方、ロングビーチで電気自動車によるF1グランプリを中継しており、静かなレースを見て不思議な感覚がした。レースといえば、あの騒音があっての迫力だ。音なしで環境にやさしいが、一方、どうも迫力に欠ける。音と一体の世界というものが存在して、音ななくなることで、何か違うものになるのだ。音は存在感にとって大切だ。
逆に音が迷惑ということもある。先日も出張中、ホテルの隣室で突然アラームが鳴り、ずっと鳴りやまず、そのことで大変困った。結果、ホテルのフロントに頼んで確認してもらったが、1時間以上、なり続けることで静寂が破壊されることで、集中力を失った。聴きたくない音が入ってくることで、不快にもなる。聴こえなかったら快適なのに・・・と入ってくる音を恨んだ。
耳が聴こえる、音がある、目が見える・・・人間は考える前に、五感で世界と接している。自らのコミュニケーションの最大の道具はこの五感だ。最近は、その根本も忘れて、外的な道具に依存している人が増えているが、今一度、五感という人間に与えられた能力を意識し、感謝し、これを磨いたらどうだろうか?
ある方から言われたことがある。「今尾さんは声やられたらダメですよ。気を付けてくださいね」。そう、五感に響く仕事がしたいならば、
五体を大切にしなければならない。
そして、ある日、障害をもつことも出てくる可能性はないとはいえないが、そのときにも自分に残された体と感性をフルに生かして、生きる覚悟が必要だ。でも、やっぱり五感五体満足の今日に感謝し、今を生きたいと思う。
おとなもどきの社会人
4月になって都内へ戻ってくると、電車内の光景が変わっていることに気づく。3月末まで見かけなかった、新しいスーツに身を包み、新品の黒いビジネスバッグをもつ、若々しい人たちの姿である。ぱっと見て、新入社員だなとすぐわかる。スーツがまだなじんでいない初々しさがあるのはほほえましい。そして週末の夕方になると、1週間緊張しての入社期間を過ごした疲れと、休日に向かう解放感か、同期同士でわいわい話している会話や言葉遣いから「あ、新人だな」とすぐわかる。きっとお疲れの1週間であっただろう。
夕方、都内の電車は満員だ。スマホを見ながら乗るのはやめた方がいい。場所が余計狭くなる。あまりに混雑していて、後ろから押されそのまま人を押してしまうと、白い目で見られる。その人のスマホ世界を邪魔したようだ。「そうじゃなく、あなたも詰めてくださいよ。スマホ、ここでみなくていいでしょ。」心の中でかなり怒りが込み上げる。と、こんな満員電車の中でスマホを見続ける社会人の諸先輩を見て、新人くんたちはどう思うのだろう~と思い、座席に目をやる。そこは優先席。そこに新しいスーツに身を包んでいる若い人、どう見ても新人二人が並んでそこが優先席なのにでーんと座って、イヤホンをして、スマホでなんとゲームをやっている。もう自分の世界にいる、そこが公共の場であるとか、優先席であるとか、会社の帰りであるとか、見られているとか・・・の意識はなさそうだ。ああ、日本はだめかも・・。申し訳ないが、こんな社会人が普通であっては困るのだ。なんだかおかしい。スーツをきていても、常識のない大人もどき。そんな若者は増えていないだろうか?
と、春なのに~♪ちょっと心配。さて、会社ではどこまで新人教育しきれるであろうか?仕事のノウハウだけ教えても使い物にはならない。その前にすべきことがある。情報過多の時代であり、それぞれ自分勝手な選択をし、勝手な解釈をしてしまう可能性もあるので、ここでびしっとしておかねば・・。いい若者が優先席に座り、ゲームに夢中になっている・・。うーん、化粧をしている女子とどっちがどっちかわからないが、成人年齢を引き下げるなんて??20歳を越えても、大人になりきれていない人たちが増えていることを大人たちは、知るべきだ。気づいたら注意をする、指導をする。厳しくしないと、まずいこともある?もちろんまともな新人さんもおられることと思う。
とにかく、「もどき」では通用しない!と自分にも改めて・・。
6時起床、ベランダで発声。元音楽教師100歳への執念。
長崎市内の中心知から車で30分ほどにある丘の上にある、老人ホーム。キリスト教系の大学が運営する被爆者の方のための施設だ。新潟で活躍されている、長崎出身の伝統芸能家の師匠がそこで暮らしておられる。その芸能家の応援団長である方と一緒にその施設を訪問することになる。今97歳、お元気なうちに、新潟で活躍するその方の師匠を喜ばせたい、その熱き思いに自然にのっかり、ご一緒させていただく。新潟からのお土産をいっぱい抱えたその応援団長について初めての場所に緊張しながらお邪魔する。
施設長であるシスターはとても清らかな表情で私たちを迎え入れてくださった。そしてその「師匠」のお部屋へ向かう。館内には80歳以上に見受けられる方々が、静かに暮らしておられる。東京の日々の喧噪とはまったくの別世界だ。違う時計が動いている感じもする。ああ、今日お会いする方はどんな方だろうか、緊張が高まる。お部屋の入り口から、何度もここを訪問されている応援団長が声をかけるとご本人がベッドの上から、元気に「待ったました!」という表情で迎えてくださる。
私が音楽をやっているということだけで、その元教師は親しみを抱いてくださったのか、お会いしてすぐに会話がはじまった。自然に、ご自身のことをしっかり語ってくださって、今どきの97歳はこんなにお元気?!とびっくり。ふつうに会話がキャッチボールができるのだ。さすが学校の先生をされていた方、そして戦時中を切り抜け、幾多のご苦労を乗り越え、強く生きてこられた方だ。以前に脳梗塞を患い、半身不随になられたが、どうしても歌を歌いたいとの思いで、毎日6時に起き、自分で車椅子にのって、広い館内を抜けベランダに出て発声練習をされて・・という活動が毎朝の習慣になったとのこと。それを続けているうちに声も出て、しっかり会話ができるようになったそうだ。頭の回転が速すぎて、口がついていかないことが時々あるそうだが、そんなことは全く気にならない。とにかく、その元先生は、初対面の私とずっと話をしながら人生をふりかえられている。最初はベッドの上がいいとおっしゃっていたが、私のCDを聴いてみたいと、それが聴ける食堂まで行く!と車いすにのっかり、すいすいと移動。音楽ときけば、自然と元気が湧くようだ。
そして食堂でCDデッキをお借りし、私の曲を聴いていただく。食堂内にピアノの音が流れ始ると、その方が突然、変わった。それまでおしゃべりだったのに、急に無言になり、目を閉じて、そして指でリズムをとっておられるのだ。集中して聴かれている。1曲終わるごとに「変化がある曲ですね~」「これは大変だ」とコメントされるところが素人的ではなく、音楽をやってきた方、教師ならではのコメントだ。そして何曲か聴いてそろそろ・・とおしまいにすると「こんな素敵な音楽を聴けると思っていなかった・・」と涙を流された。そして「今度、ここでコンサートやってください。園長先生にお願いしますから」「長崎ではいつコンサートを?日程を教えてもらったら園長先生にお願いして外出を・・・」などなどおっしゃる。
気が付けば2時間以上、初めての場所、初めての方との時間を過ごさせていただいた。
「がんばって100歳まで生きます!」と最後に言われた言葉がとても力強く、忘れることができない。
桜咲く長崎で、いろんなご苦労を乗り越えられ、強く生きてきたひとりの女性に出会い、心がずしんと重く、そして軽くもなる・・。
これから毎朝6時になると、田舎の母へメールをしながら、車いすに乗って発声練習をされている「師匠」君子さんを思い出すことだろう。
雪国からわざわざ長崎まで来られた応援団長は、この元教師を母親のように思っておられる。その方が「いやー、やっぱり音楽の力はすごいですね。今日はよかったです。」と大変喜んでおられたことも、強く印象に残る。
人は血縁以上に人を強く結ぶこともある。ここでも心族の愛を学ばせていただいた。
97歳の人生の半分ちょっとしかまだ生きていない自分にとって・・・生きるとは執念、生きるとは感動、生きるとは・・・未知数であると
改めて未熟な自分を再認識する。
ザビエルが背中を押す?春

ここんところ、ザビエルを追い求める旅が続いている。大分、マカオ、平戸、そして長崎。どこへいっても、さらに次へつながるテーマを発見したり、教えていただいたりでこのタイミングは一体何なのかと思う、
長崎の歴史博物館を訪ねると、ザビエルによるキリスト教伝来と布教、迫害から信徒発見にいたる、長崎におけるキリスト教をめぐる企画展を開催。
そこには未公開の資料も公開され、大変興味深いものが数多くある。そこで新たな発見は、神戸市美術館が所蔵しているあの有名な日本人が書いたザビエルの肖像画(実は以前、神戸で観た記憶があった)。これは、大阪の茨木のお寺からみつかったものだという。禁教時代に大切に保存され、その箱を開けることも許されなかったものが、解禁となって中身を発見されたのだという。大阪に隠れキリシタンとは。大阪の堺には、ザビエルが訪ねてきたことは最近知ったが、隠れキリシタンは全国に存在していたのだ。その1枚の肖像画を観て、あれこれ考えていたその当日の夜、なんと偶然にもNHKの歴史番組で、ザビエルを特集。まさにその日、私が目にしたあのザビエルの肖像画もそこに登場しており、このタイミングは一体何なのか?と思った。さらに、長崎市で気に入っている食堂へ行き、そこの料理長と初めて会い、あれこれ話して、自分の長崎・ザビエルに対する思いを話すと、大変興味をもって聞いてくれた上に、「あそこにさ、例の教会群の情報センターがあるからさ、ためしによってみたら?」との情報も与えてくれる。そうか、今、自分がここらを彷徨っているにはわけがあるんだ。と改めて、背中を押されているのを感じる。と、またもや妄想モード全開であるが、長崎のすべての協会の存続はすべてザビエルがいたからこそ。そして今年は信徒発見150年ということで、日本でのキリスト教の歴史にとって大きな節目の年であるようだ。これもザビエルが種をまいている。その一番の影響の地である長崎に、このタイミングに立ち、26聖人たちの像に向かって咲く桜をみながら、「ザビエルさん、あんたも桜をみたとかね~」と話しかけてみる。
