ひとつのことだけをやる・・よりも、同時にいろんなことを考え、ピンチを切り抜け、やりきるのが快感だ。
しかも右と左の脳みそを同時にフル回転するのは、きっと将来的にボケ防止にもなるだろう。
8月からはじまるビジネスセミナーの仕込み、9月リリースするサードアルバム、10月からはじまるライブツアー。これらが同時に進行する。
気が付けば、毎年この時期になると同時に違うテーマの活動が動き出す。
夏の暑さに負けないには、それ以上のハードな課題を自分に課すのがいいのかもしれない。人間、確かにいっぱい集中するとかなりパワー消耗するのだが、この消耗はまさに熱中症ではなく、夢中症だ。
自分の作品が出来上がることを楽しみに、自分のステージを楽しみにしてくださる方たちの笑顔を楽しみに、そして皆様の仕事に役立つことを楽しみに・・。
ハッピーコミュニケーションクリエイターは「同時進行」を楽しみながら、この厳しい夏に克つ。
同時進行がたまらない。
長崎からの暑中見舞い
暑中見舞いを印刷して・・・という習慣がないけれど、気になる方へ、手書きで1枚のはがきをお送りすることはある。もちろん先にいただいた方への返事はする。そのとき、この方にはどの絵柄の、写真の、デザインの、色のハガキが良いかと考えて書くのも楽しみだ。でも、時々書き間違えて、失敗作。せっかくのポストカードを無駄にすることも少なくない。老眼とパソコン使いの生活で手書きは少し緊張するようになった。そしてバタバタしている毎日、あわてて書こうとして、そういうときに限って書き損じる、今日はゆったり、ハガキでも・・・という日があればよいか、なかなか・・。
最近、連日、暑中見舞いが届く。ビジネス関係の方から、遠く離れている方から・・。ありがたい限り。
そしてこの春、初めて訪ねた長崎の原爆ホームのおばあさま。100歳まで生きるわよ~。とお元気な方だった。その方から、アップのお顔の写真入りの暑中お見舞いハガキが届き、驚く。おお~。1回しかお会いしていないのに、ありがたいこと。お元気なんだ。
この1枚のハガキを作り、出すのに家族のサポート・協力もあっただろう。
遠いあの町のあのホームのあのおばあさまが、自分を思い出し、暑中見舞いをくださるとは感動的だ。暑さも忘れ、長崎のことを思い出す。
そうだ、今週末は忘れてはいけない日なのだ。原爆から70年生き延びてきたこのおばあさまからのハガキをみながら、自分の中に熱き思いが込み上げる。夏がきたら思い出す・・うーん。と、とにかくまずは返事を急ごう。
いろんな夏。忘れてはいけないこと・・。1枚のハガキが私に語りかけてくるような気がした。
無限なる可能性への確信
先日、急ぎ足で映像のBGM用にピアノ曲を20曲ほど録音してきた。とにかく早く渡さねばという時間的制約と、BGMということもあり、録りっぱなしでその音源データを製作者に渡した。
私が創り、弾いた曲がどんな形で使われるのか?自分で自分の媒体、イベントで仕組む場合は、自分の作品であり、自分のステージであるから自分のイメージ、企画どおりに制作を進めるが、BGMとして使われる場合は、他のプロに制作を委ねるため、普段とは違う緊張と期待が入り乱れる。いったい、どんな風に使われるのだろう?どんな絵と一緒に?という感じでドキドキしながら、わくわくもする。
数日前、封書が届いた。「ひとつめの環境ビデオ、完成しました」とのことですでに商品としてパッケージになっているDVDを確認する。八海山の四季を写した映像に私の音楽がプラスされた作品だ。四季の変化を美しく撮影された山と空、田んぼ・・・。その美しい風景に私が弾くピアノ曲が乗っかっている。おお、おお不思議な世界。自分は八海山用に今回、曲を書いていないが、美しい風景を楽しむのにいい感じにメロディが流れている。
へえ、この曲がこういうところに使われるか、意外にいけるな。へえ、この組み合わせか~。もちろん編集中に事前確認はしており、驚くのはその段階であるが、とにかく映像には音楽が不可欠で、意外にも音楽の担う役割が多いということにも改めて気づかされ、改めて緊張してしまう。
魚沼の四季につづき、十日町の自然(棚田や森林・・・)ビデオ・・・。まだまだ続きそうだ。
もともと、人生をテーマにした作品づくりに興味があり、このBGMの話に乗っかったが、「自然」をテーマにした映像とのコラボも大いに可能性があることを知る。
ひとつの曲がいろんな顔に変化する。音楽はいろんな手法、応用でひとつの素材からも大いなる可能性と発展があるものだ。
映像のなかの自分の演奏。何回、何百回きいても、自分の演奏の細かい部分には気がいってしまう・・が、客観的にはわからないかもしれないし、細かなところはあまり関係ない。もっとトータルにとらえるそうだ。とにかく、音楽は素材として、大きな可能性を秘める。
少しでも人々の心に響くメッセージとなれば、本望だ。頑張って挑戦を続ける制作仲間に敬意を表し、刺激を交換しながらさらなる挑戦を仕掛けたいと思う。
夏は「熱中症」ではなく「夢中症」でいこう!
ちょっと海風が吹くから安心と思い30度以上の新潟の町をかなり歩いた先日。帽子もサングラスもと、日焼け対策はもちろん万全であるが、やはり異常気象だ。街を眺めながら、時々木陰をみつけ、工夫しながら歩いたといっても、冷房のある駅ビルに入ったとたんじわじわ出ていた汗が一気に流れてくる。たまっていたものが噴き出すかのように。
水分補給もするが、ぐったりもする。あ、これはいけない。と反省。
歩くのは得意であるが、この猛暑での徒歩は注意が必要だ。毎日のように気温が上昇し、どこまで続く?と心配な本夏であるが、一方 暑さ対策に追われるだけでなく、秋に向けていろいろ始めるにはいいタイミングでもある。自分の夢に向かって準備をする、何か好きなことをみつける・・。暑さで外出を控える今だからこそ、室内で読書をしながらというのもいいだろう。
熱中症ではなく、好きなことをみつける、好きなことに向かう夢中症の夏にしたい。
目下、私は秋以降の企画の準備を楽しみながら進めていきつつ、さらに次への妄想を・・。暑い暑いと消耗するだけの夏では、生きているのが「もったいない!」から。
わからないなら、無理しない。
ある絵本作家さん。妹のような存在でもあり、本当に絵本から抜け出てきたような感じの永遠の乙女というところに、ロマンも感じる。彼女とは同じ星ということもあるせいか、共感しあえる部分が多く、ずいぶんと年は離れているが、遠慮なくなんでも語り合える。たとえば、「姉と妹」の関係について。私は「姉」、彼女は「妹」。そう、私には妹がいて、彼女にはお姉さまがいらっしゃる。妹という立場?役割に生まれた人が何を考え、姉という存在をどう見ているか・・・ということはなかなか家族本人とは話さないが、彼女とはそんな話もしあえる。結論的には妹は、姉に憧れをもつ部分もあるが弱みも見せたくない。姉も妹には弱みを見せられない。姉らしく振舞い続ける。要するに両者とも姉と妹で生まれてきた以上、その役割をまっとうしなければならないので、家族だから言えないことがあるのだ。ということもわかって納得する。そして姉には妹の本当の気持ち、妹には姉の本当の気持ちは わからないのかもしれないということ。大好きだけどもわからない。そういうものだということ。家族だからなんでも知っていたいということにはならないのが、家族なのかもしれない。
そう、家族だけではない。自分以外のすべての人たち。それぞれ違う役割、背景、思想・・をお持ちであるから、そもそも完全に理解しようとすることは難しい。なぜそんな行動をするのだろう、なぜそんな風にいうのだろう。と日々いろんなことが起きても、それはそれぞれ違う人間なのだから、わからないことがあって当然だ。だから、無理しない。だからできる範囲で関わればいいし、無理に押し付けることもよくない。無理にわかってもらおうとしなくても良い。わかる人だけわかればいい。自然に心から関われる人だけでいい。彼女と話していると、二人で絵本の世界で現実社会を見ているようで、それも楽しい。とにかく「わからないなら無理しない」と、生きるのもずいぶん楽になる。
「たんこぶ」「いしころ」を愛しむ!?
先日書いた本ブログの中に、心の「たんこぶ」について触れたものがあるが、読んでいただいた方から、いろいろ反応があり、面白く感じている。
「私の人生も『たんこぶ』だらけ・・・ですが、痛いからやめておこう・・とは思わないね。人生たんこぶの数だけ価値があると思うから。」「ぼくも『心のたんこぶ』とともに人生の成長を実感しています」などなど。みなさん、なんと前向きで、また共感できる人たちかとうれしく思う。
この「たんこぶ」という言葉自体が懐かしく、また愛着を抱く。今は、アニメの世界でいたずら小僧にしか見られないのだろうか?今のこどもで、「たんこぶ」を作った元気なわんぱくっ子ているのかな?とふと思ってしまう。
たんこぶは、正義の証し。正々堂々というイメージがある。大人になっても、この勲章をなくさずに生きるのがよさそうだ。
この「たんこぶ」という四文字のノスタルジーワードをなんども唱えていて、なぜか浮かんでくるのが「いしころ」という言葉だ。
私はこの存在も好きだ。ある知人が「いしころ」をモチーフに歌を書いていたし、また別の方が「いしころのうた」という作品を書いており、それを子供のころ、合唱団で歌っていた。なんとも力強い歌だった。石ころのような存在。これがいい。間違っても私はヒスイであるとか、ダイヤモンドであるとは思わない。そこらへんにある石ころ。家人とも冗談でよく話す。「生まれ変わったら石ころかもしれないね~」そう、石ころの存在感って、深い意味がある。
いずれにせよ、「たんこぶも、「いしころ」もいい。とにかく、まっすぐ自分らしく生きたいだけだ。
「そのときそこで、できることを精一杯!」
レイコさん。生まれ変わるなら、そんな名前に生まれたいと思う名前のひとつ。その名をもつそのレイコさんとは、かれこれ10年のおつきあいになる。彼女が30代後半で、私が40代・・・。一緒に仕事をした何年かは私にとってとてもジューシーでキラキラな思い出がいっぱいだ。。彼女はバリバリの公務員。いつも、「私は公務員には絶対なれないから、ほんとうに尊敬するわ~」と彼女に何十回も言ってきたが、本当にそうなのだ。公務員の仕事はよっぽどの専門・技術職でない限り、一定期間でいろんな部署へ異動する。早ければ1年で違う部署へ行く。癒着があってはいけない仕事でもあるため当然といえば当然の公務の世界ではあるが、それにしてもその対応力は見事だ。(もちろん個人差はあるが)まったくやったことがない仕事を、年度越えとともに、膨大かつ整理された資料とともに迅速に引き継ぐのだ。公務員の「引継ぎ力」は本当にすごい!レイコさんも、そのなかのひとりで、これまでもいろんな部署で仕事をされてきた、転勤もあり、なんでもあり。そこらの対応力は気持ちよく、潔い。
久しぶりに東京で再会する。とにかくいろんな話ができる相手だ。キャリアとともに、いい意味での自信も感じる。頼もしく見守る。
彼女の将来の夢を聞きたくなって「将来、どうなりたいとかあります?」ときいたら、私にとって意外な答えが返ってくる。「いやー、どうなりたいって。今目の前にある仕事を精一杯するということですわ!」そうか、一定の時間でどんどん違う仕事を任されるので、ひとつの仕事をずっとやり続けるという仕事観とは確かに違うのだと納得。でも、さすがのレイコさん。「住民の皆さんのお役に立てるという実感がある仕事がいいですね。」とのこと。これまで出会ってきた公務員の方で、幾人の方が同じようなことを言っていたことを思い出す。目の前のことに真面目に、全力で取り組む。(そこは、私も同じでありたい。)
そして目の前の住民の方に役に立つ(お客様のためにという点で同じでありたい)
・・・。これがいい仕事、目指すべき仕事なのだろう。
全く違う世界で仕事をしている者同士が、ひとりの人として共感できることがうれしい。レイコさんも貫禄がついた。ますます楽しみだ!
壁をつくる、こわす、乗り越える。
社会がある以上、「境」がある。そうでないと、社会が混乱するため、ある一定の条件、ルールにもとづく境界線は必要だ。でも、この境界線はひとつの価値でしかなく、それを越えないと進歩や発展もない。たとえば国でいえば、国境があるが、それを越えて人々は自由に交流を求め、それがしやすい世の中になってきている。しかし生きているとそれ以外にも境界線がいたるところにあることを痛感する。男女の境界線。これもあるといえばあるし、年齢も、組織であれば、組織の壁もあるかもしれない。とにかく、ある程度秩序を保とうとすると、「境界線」は必要だ。境界線をわかりやすく、囲ってしまうのが、「壁」である。万里の長城は高いところにあるが、あれも立派な壁。敵から身を防ぐための防衛上の大切な、そしてその権力を示すアイコンなのかもしれない。
ベルリンの壁が崩壊してから、久しいが、壁を越えて、新たな時代に向かおうとするとき、その壁をなくすパワーが必要だ。
壁をぶっこわす、あるいは壁を越える・・。壁との向かい合い方についてあれこれと考えるが、ときには手ごわい壁もある。自分の存在があまりに小さいがために壁前にひとり立ち尽くすこともあるかもしれない。
日々、生きているといろんな壁にぶちあたる。心にたんこぶがいっぱいできる。でも、それは生きていくときに必要な行動であるから、臆病にならずに進めばよい。ただ、たんこぶを作らないでうまく乗り越えることができることも多いはずだ。
門番の人と仲良くなる?あるいは、壁があっても糸電話ではなく、いろいろ連絡がとれる今日、簡単に壁を乗り越えることを諦めてはいけない。今、ヨソモノの壁ということを時々考える。しかし、ヨソモノだからこそ生まれるパワーがある。そのことを、ザビエルの偉業からも学んでいる。壁を作る、壊す人よりも、乗り越え、あるいは壁をなくす生き方をまっとうしたい。そう思うと、たんこぶは決して痛くない。
「知事や市長」を目指す青年たち
おかげさまで、内外で活躍する若い人たちとの交流がいい感じで続いている。シンガポール在住のあるビジネスマンは、40歳になったら地元に戻って、その町の首長になる。そのため10年間、経験を積むのでいろいろ教えてください!と自分の夢を打ち明けてくれる。サラリーマンからの独立、行政の勉強、地元とのネットワークづくりなど課題は多いが、ひとつづつそのステップを踏み出しつつある。また、ある青年は35歳。20代前半から起業をし、地方で地元を元気にする仕事をしながら、東日本大震災がきっかけで東日本の支援、新しい活動をみつけ、従事。その間、地元と東京、東北を行ったり来たりしながら、日本の元気づくりについて、あれこれ考えたという。
そして、40歳になったら、知事もいいかな。なろうかなと思い始めているという。そんな新たな挑戦を初めて聴き、ああ、あなたならできるよ!と賛同。「もっとも、これからいろいろやっていったら、結果違う道に進んでいるかもしれませんけどね」と笑う。
自分の周りには、環境に流されることなく、明確な意思をもって、社会と関わっている若者がたくさんいてくれる。そして、その若者と対等に?コミュニケーションしながら、刺激を与え合うことができるのが、最高の幸せだ。
「マーサさんは政治は興味ないんですか?」と先日もある若者から真面目に尋ねられた。「うーん、今のような政治家なら・・。それよりも違うやり方で世の中に役立つ方が自分らしいかなと思ってる」なんて、50歳をすぎたいいおばさんが、将来を真剣に考え、語っている。
これも彼らのおかげかもしれない。こういったチャレンジャーの若者たちに、わがザビエルプロジェクトの話題が受けたりする。お互い、妄想しながら、刺激を与え合い、また会うときに新たな発見や感動を・・。お、ここまでがんばっているのか~と知るにつれ、負けちゃいられないと思ってしまうのである。そう思うと、日本の将来は悲観しすぎなくてもいい。でも、早く若者たちにバトンを渡した方がいい。
自分の投げた球に責任をもつ。
何事も言いっぱなし、やりっ放しというのは、また返事をしないでそのまま・・・というのは自分の性分に合わないようだ。
もらった球はできる限り早く投げ返す。それがすべての基本だと思っている。
来た球を戻さずにじっと持っているのか、受け取っているかが相手にわかるようにするのが礼儀だとも思っている。
投げっぱなし、受けっぱなしでは、コミュニケーションは成立しないと思っているからだ。「やりっ放し」では、せっかくつながろうとしていた人と人の赤い糸が切れそうな気がするし、球は受けて投げ返さないと、信頼も育たないと思っている。仕事の場面でも、何か依頼され、すぐ対応しても、そのあと何も音沙汰がなかったり、放置されたりしていると、とても寂しい感じがする。だから、自分が受けた球はすぐ返す習慣も身に着いた。忙しいから返事ができないということはない。時間がなくても、「いつまでに返事します。戻します」と一言言うことはできる。仕事とはコミュニケーションであり、キャッチボールがすべてであるということを学んできた。時々、自分が投げたボールはどこへ行ったのかと思うことがある。
思ったところへちゃんと飛んでいなければ改めればいいし、より受けやすいよう、投げ方を工夫すればよい。
そう、ストライクなのかボールなのか・・を確認しなければ、投げ直すこともできない。
無責任な仕事はしたくないし、無責任な依頼も受けたくない。常に自分の球は、今、どこを飛んでいるのかを見える、わかる仕事がしたい。でも、かかわる人全員がそのことを思わねば、そのキャッチボールは成立しないから、なかなか難しいものだ。
言いっぱなし、やりっ放しの仕事はいい成果を生み出さない。
一球一球を大切にしたい。そう、いい仕事人はよきピッチャーであり、よきキャッチャーである。猛暑のなか汗をかき選手たちが奮闘する高校野球を見ながら、コミュニケーションを学ぶ。