「心の旅」のツーリスト。スタンバイへ。

毎年恒例になってきた、ふるさとライブが今年も4日後に迫ってきた。
今回のテーマは「秋です。心の旅に出かけませんか?」。
岐阜ライブ限定のワンテーマ。季節性も加味して・・。

おかげさまで、昼の部、夜の部とも、定員を大幅に超えるようで、多くの方が
毎年楽しみに待ってくださることが、うれしい限り。
あの方は、この方はお元気だろうか?と常連さんの顔も浮かぶ。

その一人一人に「秋の心の旅」を楽しんでいただかねばならない。
正直、プログラムはまだ全部固まっていない。
あれこれ、毎日修正を加え、当日直前まで考え続けるのも恒例。

若き日のキュン!となったあの恋を思い出したり、
人との出会いをふりかえったり、
どこかに出かけたことを懐かしんだり、
人生という長い旅そのものを少し休憩してみたり・・

それぞれに楽しんでいただければと思う。
この1週間、都内や出張先でスタジオを借りて練習。
それぞれの空間でのピアノの音も楽しみながら、tensionをあげていく。

私自身が心の旅のツーリストになって、お客様ひとりひとりの
旅を楽しんでいただけるように・・。

秋だからこんな企画もよく似合う気がする。

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一曲にひとつのドラマを

わがラジオ番組のテーマ曲でも毎回使い、またライブでもすっかり定番として
演奏している、エディット・ピアフの名曲「愛の賛歌」。
この訳詞は岩谷時子氏によるもの。
彼女の親友であった越路吹雪が歌うために手がけられた、その二人のおかげで今日も
この名曲は、日本人にとって最も親しみやすいシャンソン・ナンバーだ。

岩谷さんの生前のインタビュー映像を少し見た。
彼女はものがたりが好きで、物語を曲のなかに入れたいと思いながら
歌詞を書かれたとのこと。
なるほど、そうだ、そうだ。
歌曲にも、映像が浮かばない、メロディ先行の作品もあるが、
歌詞はその曲を何倍にも、何十倍も価値あるものに仕上げる。

曲のなかに物語。

私も曲を書くときは、主人公がいて・・・と一応イメージしながら作る。
時には、具体的なモデルがいることも多い。

あるお客様から
「歌詞がいいですね。聴いていると、景色は浮かんでくるようです」
と言っていただいたことがあるが、

そう、音楽には物語を入れることができるのだ。

そのために、いっぱいそのネタを毎日仕込んで、それを膨らませたい。

音楽はもう一人の自分、もうひとつの世界を創ることができるから
人々は歌い、聴くことを求め続けるのだ。

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そして、レガシー。

前の投稿につづき、最近やたら目にするカタカナでもうひとつ。
レガシー。

遺産という意味だそうだ。

遺産といえばいいのに。(前に書いたファーストもそうであるが)

たとえばオリンピックでは、開催時だけでなく、後世にその遺産を
残さねばならないのだそうだ。
だから立派な会場づくり、大がかりな箱ものづくりに余念がない日々も
続いた。
そして、最近は、ハードだけでなく、ソフト面での遺産も残さねばならないのだ。
ということで、さまざまな議論され、文化も含めて、その方向に進められようと
している。

そこで、昨年秋、まさに世界文化遺産として登録しようと
地元の人たちが奮闘されていた長崎のことを思い出す。

たとえば、隠れクリスチャンがまさか、遺産のことを考えて生きていた
わけではない。
時代を経て、結果的にそういった動きになってきただけのこと。
その苦労を、思いを、人類の消えてはならない教訓をきちんと
後世に残そうという試み、姿勢は大切であるが、
「認定されるために」であれば、本末転倒という感じもしなくはない。

いずれにせよ、遺産を残すためのイベントというのは何か違和感がある。
遺産は、いいものであれば、続いていくのである。
そして、それは後になってわかるのだ。

なのに、今日はみんな、営利主義や利権のための大義名分として
使っているような・・。

いいものは、いいことは、自然と受け継がれていくのだ。

と、この言葉を聴くたびに、平戸の静かな村を思い出す。

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住民ファーストでマーケティング視点の行政を

最近、当たり前のように、巷にカタカナが増え続けている。
まだ英字で書いた方が意味がわかるが、カタカナだと何かしら別の意味があるのかもと
思ってしまうものもあるが。

さて、そのなかでもよく聞き、見る、
東京にかかわるマスコミや政治家が使う、今年の言葉のひとつ。

「都民ファースト。」

とてもいいと思う。本当に貫いてほしい。
それを示すためにも、身を削って望んでおられるトップの姿勢に敬意を表したい。
行政の長であれば、公務に携わる人ならば当然、国民、県民、市民、町民ファーストで
なければならないとは思うので、
本来の姿を示すという心意気があるのだと思う。

そして、その成果を期待したいし、国の運営を担う方々にも、国民ファーストを実践してもらいたい。
どんな仕事をするときも、自分ファーストはいけない。
当たり前のことを、いいな~と思わせてくれる、都民ファースト実現の行動に
期待したい。

企業向けの勉強会で、
顧客目線ということをいつも言っているが、同じことだ。
そう、行政も変わらねば、マーケティング発想が必要なのだ。
これも、当たり前のことであるが・・。

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「足る」を知る。改めて。

タイの国王が亡くなった。79年も在位されていたので、ほとんど国民はその代しか知らない。
国民の父として、師として、その生き様、存在そのものが国民の心のよりどころであった
ため、そのかけがえのない存在を失くした今、悲しみは計り知れないようだ。

即位60年のときに発行された特別紙幣。そこには国王が農地を訪問され
農家の人々の話を伺っておられる姿が描かれているとのこと。
いかに国民の目線でモノを見ようとされていたか、人々にとっていかに身近な王様であったか
象徴的な記念紙幣になったようだ。
日ごろより、国民に「足るを知る」ことの大切さを説いておられたとのこと。

背筋がすっと伸びる言葉だ。

成長成長発展・・・これは足るを知らない、南米のかの元大統領も言われたところの
貧困な人の発想なのかもしれない。

足るを知ることが、真の豊かな人生につながる。
私自身、反省すべきところが多い。

そういえば、タイの人たちは本当に心優しく、穏やかだ。
これは国王の存在も大きかったのだと今になって思う。

いい父親に導かれ、生きてこられたのだ。

喪に服す黒い衣服が買えない人たちに、Tシャツを黒色に染めたり、
無料で黒い衣料品を人々に提供する人たちがいるという。

偉大な人の最期から、学べることはたくさんある。
教材、教本は、変化する世界中にある。

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もっと丁寧に、一日を生きる。

勢いで流してきたような、とにかく駆け抜けてきたような
そんな時代を過ぎ、ふと立ち止まる。

先への見えない不安がどんどん増すなかで、
ただひとつ確実なのは今日ここにいるということ。
この現実と向き合い、
元気に仕事をし、ものを食べ、眠ることができる。
そんな これまで、当たり前と思ってきたことに対し
改めて感謝をしながら、
とにかく、丁寧に丁寧に生きなければと思う。

1日をかみしめる。
そんな意識をもつことで、自分の行動も変わってくるはずだ。

毎日毎時、この瞬間を見過ごさないように、
とにかく丁寧に、精一杯生きたい。

もちろん楽しく、明るく、元気にをベースには
変わらない。

という心積もりで一日を始めると、気持ちも穏やかで
パワーも満ちてくる。

今日も丁寧に、心を込めてスタートする。

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ネット時代の世論形成

昔は選挙でも、何でも一方的な発信が基本。
人びとはそれを熱心に受容した。
街頭演説も、ポスターもそれなりの意味があり、新聞記事を読み、
政見放送などを見ながらその人や政策を判断。
組織力がある候補者は、その人脈で票集め。
これが昔からのニッポンの選挙スタイルだったと思う。

それが今や、ネットの時代となり、、、。
いろんな立場の人が、それについての意見を出し合うものだから、
見えないうちに世論が変わっていくということにもなっている。
論点はそこだけじゃないはずなんだけど・・と思っても、ある1点だけが
集中的にチェックされて、その一言で民意が動いてしまうこともあり・・。

広報とは世論形成であるといった人がいるが、まさにネットでは
それが容易にできてしまう、ある種の怖さがある。

またトータルに観るのではなく、部分的に見て全体を判断して
しまう傾向もあるかもしれないのも、個人的には気になるところ。

日本だけでなく、アメリカも同じこと。
ネットというメディアに、翻弄されながら、注意深く発信を
していかねばゴールにはたどり着けない。
何が正しく、何がそうでないのか。
見極めが難しい昨今、見る目だけはきちんと養っておきたい。

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方言に泣く。

今、大ヒット中のアニメ大作「きみの名は。」を劇場で観る。
アニメを映画館で観た記憶はほとんどないが、これは舞台がわがふるさと?らしい。
ということもあり、どんな風に描かれているかの興味も沸いて、劇場に向かう。

最初のセリフから、岐阜弁が流れてくる。
そして、岐阜の片田舎に住んでいた少女が、東京に行く夢を見る・・・
そこで映る、東京の風景・・。
方言は、昔の私自身。親元を去ったときの自分の状態。
そして、東京は20年以上住んできた自分のホームグラウンド・・。
この両者が自分の中にぐいぐいっと入ってきて、私は映画の最初から
泣きっぱなし状態になってしまった。

この映画は様々なメッセージが込められた、そしてとくに、
レクイエム的な要素を含んだ、今だからこその作品だ。

世の中にとってもそうであり、私自身にとっても、今だからこその作品
として楽しませてもらった。

方言に泣ける。思い出しても・・また・・。

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ボーダーレス、混沌から何が生まれるか?

先に書いた、ノーベル文学賞のこと。
音楽の歌詞は、文学か?という問いの答えは、実はとても難しい。

文学は目で文字を読み、言葉を耳で聞く。
音楽では、サウンドに乗って言葉を聴く。

文学が音楽を含むのか?いや、重なる部分もあるということか?
いや、もうそういった境界線はないということなのか?

じゃ、なんでもありの時代になるのでは?

今、社会は性差も、障がいも乗り越えて、ノーマライゼーションの方向に
進んでいる。
マイノリティの人が住みやすく、生きやすい世の中はいいこと。
と思う反面、
さまざまなボーダレスが混沌にもつながっているようにも感じる。

いろんな価値観が変わるなか、自分はそういうつもりじゃないのに。
と置いてきぼりになる人も増えていくのかもしれない。
そして、さらに混沌が広がる?

なんでもあり。これもあり、あれもあり。
本当にそれでいいのかな?
自由に感謝しながらも、どこか落ち着かない自分がいる。

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そうか、文学なんだ~。

毎年思うが、いつまで続く?ノーベル賞。
ノーベル財団、本当に恐るべし。
しかも、世界中が注目する、まさしくダイナマイト級の賞だ。

マスコミや業界の人が予想しているのと外れるのが
また興味深い。
そんななか、今回は文学賞を「歌手」のボブ・デュランが受賞とのこと。
へ?なんで?
賛否両論あるようであるが、まさに予想と反する結果であったことは
間違いない。
歌詞をメロディに乗せて・・。プロテスタント・ソングなるものを作り、歌い継いだ。
反骨の精神だとか、飾りことばではない「メッセージ性」が文学賞として
ふさわしいのだとか・・。

私も歌詞は書く。これと他の言葉紡ぎとどう違うのか?と考えることはある。

ただ、言葉に何かをプラスして(今回の場合はメロディ)伝えることも
広義の文学だとすれば、かなりのアートも文学に含まれることもあるかもしれない。
定義づけが難しくなってくる。もちろん文学そのものも変遷するということなのだろう。

歌詞だけ取り出しても、立派なメッセージになっていれば、やっぱり文学といえるのかな。

いずれにせよ、言葉とメッセージに関わる賞なのだろう。

そういえば、文学部を卒業しても、社会の役に立たないよ。と30年前いわれていたのを
思い出した・・。

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