社長が心を開くとき。

ある事業者さんが、地元の金融機関からの紹介で、私が担当する広報相談会に来られることがある。
金融機関がお取引先のお客様に、「こういうのがありますよ」と、紹介し、申込も代行、そして
同席されるというケース。
金融機関も企業支援にますます積極的だ。そのおかげで、これまで出会うことがなかった事業者さんに
出会えることもあり、こちらとしても大変ありがたい。
その金融機関担当者同席のもと、1時間ほど、お話をして、そろそろおしまい。というときに
企業さんが、その金融担当者のことをこういった。
「これまで、どこの人も、私のことを「社長、社長」と呼んで、ちょっと気に入らなかったのですが
彼は『〇〇さん』と、私の名前を呼んでくれたんです。だから、『お、これはいいと信頼しようと
思って・・・」
本人の前での発言。その金融担当者はその言葉をきいて、思わず「やった」というガッツな顔になった、
そうか、金融機関の渉外担当者が、企業の社長さんに対して、名前(苗字ではなくあくまでも
名前)で呼ぶということだけで、こんなに経営者の心が開かれるのか。
だから、「この人がいうから行ってみよう」と、この相談会にも来てくれたのかもしれない。
と思うと、この渉外担当者の一言は、私にとってもありがたい。
若い青年であったが、なかなか人の心がわかる人だ。
ある健康サービス事業をやっている企業は、世の奥さまをひとりひとり、下のお名前で呼ぶ
ことで、人が集まるようになったと聞いたことがあるが、世の中、男でも、女でも、
「社長、お父さん、お母さん、先生」ではなく、
名前を覚え、呼んでくれることで、心が開くものなのだ。
人として接するということが大切なのだ。
本音で語れる、悩みを聞き、一緒に解決を目指すには、この入口は大変重要だ。

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「音楽で送ってね」への返信が難しく

母からの朝メールには前の日にあったことが、ほとんどひらがなで打たれていることが
多い。
うれしい話はいいけれど、私の同級生のお母様が急死され、その報告には胸がつまった。
同級生の親の死となると、父母からすれば同じ世代の方々の訃報。

それをどのように受け留めているのかと思うと、とても複雑な気持ちになる。
母のメールには葬儀の様子が簡単にかかれていて、息子さんが立派に挨拶されていたと
書いてあり、そのあと、自分の場合は・・・・と書き続けているのだ。
「私は音楽流して送ってね。『みのり愛』でもいいわ」など書いてある。
みのり愛とは、私がつくったふるさとの曲のひとつだ。
そんな縁起でもないことを書きつられたあと、「あははは」と、笑って結んである。

へんなメール。返事に困る。「わかりました」というには、そんなときの訪れを
認めたくないため、答えが難しい。
「ま、長生きしてください」とクールに返事するにとどめた。
同世代の人の死に接し、自分のことを想像しているのだろうかと思うと、
それ自体が・・・悲しい。
でも、そういう日が増え、また来てほしくない日もいつか来てしまうのだろう。
でも、そのことよりも、今できることを最優先したい。
つらいことも、かなしいときも、「あははは」と笑い飛ばしながら・・・。

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あなたより無駄に年を重ねてしまいました・・・

テレサテン。
彼女に会うことは叶わなかったが、憧れの歌手、そして尊敬する女性であった。
台湾での仕事の契約が更新できたときは、毎年、彼女が眠る金宝山という高台の
墓地に行き、お礼を伝えに行った。
台湾の仕事ががんばれたのは、彼女が見守ってくれているからだと勝手に
思っていた。
42才で亡くなってから、18年になる。
グラン・ルーの歴史と重なるのも不思議だ。
彼女は今、生きていたら60歳。今年は生誕60周年とのこと。
彼女は7歳上のお姉さんだ。
歌姫であり、国際人であり、自由を愛する活動家でもあった。
単なる歌手ではなく、歌に想いを、愛を込めていた。
だから、人々の心に深く伝わり、その響きは永遠なのだ。
気が付けば、私はテレサテンが亡くなった年よりも10年以上
年を重ねた。
無駄に生きてきていないだろうか。
久しぶりに彼女が歌っている映像を見て、自分の20代、30代前半が
蘇ってきた。
無駄に長生きするもんではない。
惜しまれていくぐらいがちょうどいい。
彼女が亡くなったときに、なんという宿命かと思ったが
その人生の終わりまでも尊敬していた。

テレサの歌を聞きながら、改めて、自分ができることについて
考えさせられた。
何をもって、何を伝えるのか。
それが人生において、大変重要だ。

テレサの眠る、あの町に今再び行きたくなった。

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冥途の土産をたくさん。

親との毎朝メールはもう2年続いている。母はがんばって返事を返している。
どうやら、朝メールを見るためにトイレにまで携帯を持って入っていると
聞いて、笑ってしまう。
昨日あったこと、うれしかったこと、こんなことがあった、こんなことがあったと
何かしら前日のことを書いてあり、「また冥途の土産が増えました」
と最後に結んである。
もうメールでのやりとりだけでも100以上はその土産話を見聞きしているような
気がする。
私に関わることでは、コンサートをやったり、東京見物をしたり、そんなことも
その土産であるが、そんな非日常のことだけでなく、ちょっとした友達とのランチや
季節の行事もすべて、その「冥途のみやげ」にカウントされる。
彼女は、胃がんになってから、そのことをより意識するようになったと思う。
いつか死ぬ、そのうち死ぬという覚悟をもってから、より生きようという力が
湧いてきて、おかげさまで元気になって、以前と変わらず活動的に生きている。
「あんた、どんだけ、冥途に土産もっていくの。」
笑いながら、母に突っ込む。
それができる今がありがたい。
この土産は、モノではない、思い出。その大切さが少しづつわかってきたような
気がする。
もちろん、母はモノのお土産を旅先で買うのも、大好きだ。
これは、この世のお土産だ。

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自分らしく「3S」で生きる。

生き方や働き方は人から変えてもらうものではなく、
自分から意識して、行動していくのが前提。
他人が自分の人生を生きてくれることはなく、
最後、自分の一生に満足するか、悔いを残すか
は結局は自分次第。
もう死ぬというときに誰かのせいにしても、もう手遅れだ。
だから、日々、自分の人生は自分で創る、見直す
ことを、今改めて大切にしたい。

そんななかで、最近、自然と共感できた言葉。
あるビジネスマンとのメールのやりとりで
いただいた言葉。
それは、「3S」。
SLOW,SMALL,そしてSPECIAL。
急いで、無理して巨大な投資をして大勝負をして
他人に、他社に、他国に相対的な優位性を目指して
進むことにあまりいい結果はない。
企業もこの考え方で、スペシャリティをもつ存在になることが
大切という考え。
大いに共感する。そして、それを
人の生き方に、そのままあてはめてみる。
相対的な速さ、数字の積み上げを目指す方向での努力よりも、
誰とも違う、自分自身が輝くための
方法を考え、トライする方が、その過程自体も楽しめるはず。
とにかく、自分らしさ、自分しかできないことを
極める、スペシャルを目指す生き方がいい。
この価値を共有できる仲間がいることが、何よりうれしい。

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いつかスポットを当てたい。

芝居に少しかかわることになって、その筋の方々との
交流も広がった。
作家、演出関係者、そして役者。
最近、前一緒に芝居をやった仲間の役者たちが、違う作品にも出ると
聞けばできる限り出向くようにしている。
その人が違う作品に出たら、どんな演技をするのかということ
への関心と、いろんな作品の内容や演出について知りたい
という興味による。
最近、わかってきたのは、役者という仕事は大した仕事だ。
役によって、まったく違う人生を演じるのであるが
ああこういう役もできるのかと感心することしきり。
1か月ごとに新作に取り組むというのは大変な努力が必要だ。

そして、あまたいる役者の中で、主役というのは1作品に
限られている。
もちろん脇役(この表現は違和感があるが)がいないと、
いろんな交わりがないと劇自体は面白くないので、
すべての役者が不可欠な存在ではあるが、
みな主役を目指して、日々努力していることは間違いない。

ある女優が以前わたしにこぼした。
「若い人はいいけど、もう私は年なんで~。」
役者の世界は若い方が優位なのだろうか?
でも、私にとっては、中年というか少し熟した、
あるいは少し枯れた感じの演技が似合う役者は
絶対必要で、やりがいもあると思っている。
要は多くの作家が、この人を起用したいと思い
声をかけてくれることが必要だ。

私はこの中堅世代の女優さんが好きだ。
彼女が楽屋でまっすぐにこだわりつづけて
稽古をし続けているその姿勢を知っているから
彼女がずっともっと活躍できるといいなと
思っている。

一握りの人が成功するといわれているこの業界で
あるが、可能性を持つ人々が多くいる。
厳しい競争の世界ともいえる。
私は、いつか彼女に演じてもらえる作品を
創りたい。いっぱいスポットを当てたい。
と、彼女の新たな作品への取り組みを見ながら
強く思った。

一度決めた夢を捨てない人が残れる業界。
その意欲、意地がすごい、素晴らしい。
好きな仕事なんだから、できること。

応援したい人がこうしてこの世界にも
じわじわ増えつつある。

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「一生勉強」は幸せ人生。

仕事でお世話になり、個人的にも気が合い、親しくお付き合いいただいている
知人との久しぶりの会食。
その人は、営業マン畑ではなく、管理面から地道に組織に貢献し、
私と同学年であるのに早くから上場企業の取締役である。

そんなビジネスマンの彼を尊敬するひとつの理由は、大変勉強熱心であるということ、
自分のための勉強だからといって、自腹で勉強を続けておられることだ。
たまたま、私も1年作家大学に行き、この春から別のことを学ぼうとしていると
話すと、その意義をよく理解してくれる。
彼自身が、語学が好きで、英語は独学を続け、今中国と韓国語の両方を週末
習いに行っている。
会社の取締役で多忙なのに、自分から学ぶ姿勢をずっと撮り続けており、そこが
大尊敬するゆえんだ。

学ぶことは、仕事にももちろん役立つし、自分自身の成長にも役立つ。
そして、彼との共通認識は、いろんな役割になってみることは大切ということ。
役員という自分だけではなく、学校の一生徒になることで、視野が広がる。
私もそうだ。自分も講座を行う仕事もするが、自分が生徒になることにも
違和感はない。
そう、1年間通った、作家大学での収穫のひとつは、
90歳近いおじいさまが毎週通っておられたこと。
定年後らしきおじさま、自分史を書きたいおばあさまたちの受講も
目立ったが、いずれも、書くことを学びたい、イコール よく生きたい
ということの現れだろう。

一生学ぶことを楽しめるとは、なんと楽しいことだろう。

春だから、こういう気持ちがより高まるのだ。

人間だから学べる。いくつになっても、謙虚に学び続けたい。

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無理して需要つくる仕事は卒業。

生涯現役。それがもう自分たちにとってはスタンダードであり、
その代わり、今のうちに稼いでおこうとかは考えない。
定年のない仕事についてしまった、そういう「働き方」を選んでしまった
ので、退職金も年金も期待できないが、自分の好きなように仕事をしていける
という良さもある。
知人が転職をするとのこと。20年以上営業マンをしていたのに、
地方移住をきっかけに、全く違う職種に就こうとしている。
「いやー、もう東京で、無理やり受注しようとして売り込む
仕事、コンペばかりの仕事がもう嫌で、限界だったのよ」
「なんだか、せいせいしているわ」
と大変すっきりした様子で、それを聞いて安心もする。

私自身も同じだ。
売り上げ、利益ファーストを意識した時代はないが
若さゆえ、がんがんやっていた時代と比べると
今はスローテンポになりつつも、違う軸で社会に
役立つ仕事をしなければと思い、またもっと才能を
磨かねばと向学心も高まっている。

画一的でなく、自分らしさをみつめる人生。
自分らしく働ける仕事。それが何よりだ。
無理して、いつまでも需要をつくろうとする必要はない。

人に言われ、人が勝手に考える「働き方改革」ではなく
とことん自分らしさを追求する道が、幸せにつながる
と最近思えてならない・・。

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ぼちぼち捨て、大いに反省。

断捨離という言葉。わかりやすいので、最近使うことが多いが、
これはかなり強い言葉であり、中途半端な私にはちょっと違うかも、
そこまでしてないな~、できてないな~と思う今日この頃。

「断捨離」という三文字には、「さあ、とことん捨ててやるぞー」
というかなり積極的な印象があり、何か思い切ろうとしている、そして
どこかしら自分と戦っているような、そんな印象が強い。
大変インパクトある言葉であるし、よく考えられた造語だと思うが
そこまで思い切ってはいないのが私の現状だ。

最近、たまったモノの整理をしはじめている。同時に自分の20余年を振り返り
いろいろ反省したり、改めて感激したり、考えなおしたりしながら
今も、これからも「不要」と思うものを処分し始めている。

最近は、不要なものを売るという方法もあり、ある意味便利であるが
売る、捨てるぐらいなら、最初から買うな。という反省に行きつくのだ。
しかし、本のように読み捨てというモノもあるが、それらが捨てないまま
所有し続け、モノが増えていく。意識しないと増えるものだ。

とくに、東京暮らしは、気を付けないと無駄な消費をしがちだ。
情報の大洪水のなかで、甘い誘惑にのって・・・ということ
も多く、買っては不要で売る、捨てる、そしてまた買う・・・といった
ある意味、愚かなる消費行動を繰り返している。

今、私はこれからいかに無駄なく生きていくかということについて
考え始めなければと、たまったモノを処分しながら、反省しながら
考え始めている。

そう、ぼちぼち捨てながら大変反省・・の日々。
これも悪くない。

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反省の親孝行

元気なうちに、歩けるうちに・・。変貌する東京の軌跡の片鱗を直に触れることも
生きる刺激になるかなと思って、親を久しぶりに東京へ呼ぶ。
数年ぶりに親と歩く東京。両国、都庁の展望台、巣鴨、葛飾、
横浜・・・父母の記憶によると、かなりいろんなところへ一緒に出向いたが、
季節外れの雪など、異常気象などがとくに強い印象として残っているようだ。

今回、ちょうど桜が満開。春の神様がいてくれたようだ。
では少しでも花見を楽しんでもらおうと、東京駅から歩き始めた。
皇居の庭園が休みで入れず、お堀の周りに咲くしだれ桜で記念撮影。
そこには多くの観光客が集まっている。
「ガイジンが多いな~」
そう、確かにもともと岐阜に比べれば東京は外国人が多いが、数年ぶりに来たら
まずその変化を感じるはずだ。
その後お堀沿いに歩き続けたが、さすがに歩きなれていない、しかも老人にはしんどい。
歩く速度が遅くなって、老いを感じるとともに、もう歩くのは無理だと思い、
タクシーを拾う。
たまたま親切な運転手さんに出会って、千鳥ヶ淵まで回って、車中からの花見が
盛り上がった。
その後も、一緒に桜咲く東京を一緒に廻ったが、前回東京へ
来たときと比べて、歩くのがつらそうで・・・。
東京人はよく歩き、そして歩き方も早い。
前回でも、そういえばしんどいと言ってたが、口だけは達者な
親を見ていると年をとっていないように思っていたのに、
いざ歩いてみたらさすがに歳月の重なりを感じた。
少し歩いては止まり、少し歩いては座って一休み。
そう、いつの間には私は早く歩く生活に慣れてしまった。
これは生きるペース、生活のリズムにもリンクする。
これからは、もっとゆっくり歩かなくては。

喜びながらも、東京は疲れるな~と親たちは思っていることだろう。
もっと寄り添わなくちゃ。

東京ペースをそろそろ改める、お年頃。

反省の多い、親孝行もどき時間であった。

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