恥をかくから、次にいける

なんでも最初にやってみる、というのは緊張するものだ。うまくいかないこともある。
私の場合のひとつの例は、新曲の初披露だ。どうしても歌い込む回数はそんなに多くない。練習不足のまま本番になる。どれだけ耳できいても、一人でうまくやれていても、いざ何かと起きる本番では新曲のことだけに意識がいかず、その場になるまでにかなりのパワーも使い、ぱっと切り替えたときに頭が真っ白になることもある。でも、このハードルは超えるしかない。初めて歌うとき、弾く時のこの緊張はなんとも言い難い。
今回の「かもめりぃ」も、前回の「人生ななつぼし」も緊張ではじまり、緊張で終わった。まだ自分のものになっていない。人前に出てやっと初めて生まれたようなものなのかもしれない。歌い込むことでもっとよくなる。
だから、はじめは仕方ない。ただし、新曲だからおそらく誰にもその間違いや動揺も気づかれない・・・でも、
自分が緊張してゆとりがないため、感動を届けるまでにはいたっていないはず。最初は創った!ということに
感激してくださる。今度はしっかり聴いていただき、もっと感動していただけるといい。
いくつになっても、恥をかいたり、失敗をすることも、こういう世界では大いにいい。もっとも、大人になってからできる緊張って初々しくてよいではない?

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「おもろい」、「楽しい」は褒め言葉!

ライブで楽しい、面白いというお言葉はまあよくいただけ、とてもうれしいが、実はセミナーでも「楽しかった!」というお言葉を、勉強になった、役立ったというお言葉と同じようにいただくことも多く、実はこれが私の悦び、やりがいになっている。
楽しくなくちゃ、続かない!楽しくなくちゃ頭に入らない!子供の宿題、お勉強だけでなく大人だって同じこと。
また、個別面談や相談会などで最近はお話ししていると、よく笑っていただき「おもろいです」と、企業さんに言われる。
お会いするとき、したあと、別れるとき、相手の表情が変化して、元気になって帰っていただけるのがうれしい。おもろいにも、努力は要る。でも、人を喜ばせることが好きだ。だからもっと勉強する。
学びにエンターテイメントを、感動を。プロはそこも意識しなければならない。そして敷居をぐっと下げること。

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同じ繰り返しはありえない

ルートセールスだって、同じタイトルで講演するにしても、何をやるにしても、同じことをやる・・・というのはありえないと思う。相手も違えば、日時も違う、場所も違えば、情勢も違う・・・。いろいろ違う状況の中で、同じ人間がやること・・・だから同じでいいわけはない。第一、自分自身も日々変化していっているのではないか。
どんな小さなことでも、細かなことでも、工夫を忘れない、変化を恐れない、面倒がらない・・・そんなことが必要ではないか。
私のこの2か月の間の同じタイトルのセミナーをたまたま2回聴講された方より、まったく内容が違っていたことに驚いたというメッセージをいただいた。それをわかってもらえると、うれしい。どの人にとっても、いつも新鮮でいたい。

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私は、どんな調味料?

企業さんから「わが町に刺激を与えてやってください」とセミナー当日朝、エールのメールをいただく。刺激か~。あるときは別の方から「わが業界を元気にしてください」とのお言葉も。
コミュニケーションクリエイターとは、人間関係づくりの調味料のような存在であろうか?
刺激と言われて、うーん、タバスコか、和からしか、はたまたマスタードか、山椒か・・・いやいや新潟のかんずりか??
刺激を与える調味料といっても、いろいろあるが、自分はなんだろう。
ときには、みりんになったり、ときには塩になったり、ときにはふりかけ?
何でもいいけれど、調味料が出すぎてはいけない。できたら隠し味の調味料がいい。
素材を生かしながら、うまく調合でき、そして新たな感動が生まれる。そのつなぎ役なら
面白い。
ときには、自分を誰かの調味料と考えると面白いかもしれない。
と、セミナー前の落ち着かない時間にゆとりの瞬間をいただいた。

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熱い時こそ、集中集中!

「暑いな~」と、この季節は、無意識にこの言葉がまず出てしまう。バカンスというのもよく考えているし、本当に暑すぎると人は行動するに不便であり、なかなか力を出せない。と、言うのは言い訳。
夏であろうが、冬であろうが、がんばるときはがんばらなくちゃいけない。
冬はあかぎれで指が・・・とかいうがそれでもピアノに向かう。夏も暑いけれど、自分だけじゃない、みんな同じ。だから、いつも以上に集中しよう。
集中すれば、いろんなことを忘れる。暑さもやわらぐことだろう。
ということで、これから夏のピークを迎えるにあたり、自分のパワーも全開していこうと思う。

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人間関係はじっくり育むもの

最近、セミナーなどで、マーケティングとは事業の存続であり、その主体であり、事業者の存続そのものであるという話をするなかで、それはまさに関与者(ステイクホルダー)との「関係づくり」に他ならない、という話をする。
と、書くとなんだかエラそうであるが、生きていること自体がマーケティングだと常々思っている故に、自分が生きるということは、社会との関係づくり、言い換えれば人間関係をはぐくむことだと思えてならない。
何かのパーティーや集まり、勉強会で名刺交換をしたり、あるいはSNSなどを通じて、知らない人と出会うことは容易であり、そのときの勢いも含め、いい感じでおつきあいが広がることもある。
しかし、10年経ってみると10年前に出会った人の中の何人と、変わらぬおつきあいをしていることだろう。
その数は決して多くない。
ふと10年前に知り合い、今も変わらぬおつきあいをさせていただいている方から暑中見舞いを兼ねたメールをいただき、10年か。いろいろあったな。その方は当時、会社の社長さんで、引退され、今は娘さんに全権交代され、御母上の介護をしながら、そしてご自身の病気とも戦いながら、自分らしく生きておられる。いろんなことがあったな、笑いあったこと、抱き合って泣いたこと、心配でたまらなかったこと、ありがたい言葉をいただいたこと・・・。人間関係というのは、瞬間では、また自分本位では育たない。いつも、相手に感謝し、感謝され、励まし合い・・。そんな繰り返しで、共通の時間を生きていくことだろう。
夫婦やパートナーも然りだろう。長く一緒に仲良くいられるのは、まさに関係をはぐくんでいるからだと思う。
相手を尊重し、感謝し、共有する時間をいつくしむことができるか。
いろんな方から、ご挨拶をいただくこの季節。改めて、ありがたいと思う。
人間関係は育むもの。だから、もうそんなにたくさんは要らない。良質な関係を長く、大切に。
ある方が10年ほど前に教えてくれた。「人脈を減らすことも大切になるときがくるわよ。」だんだんその意味も
私なりに見えてきた気がする。

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男あっての女!みんな元気にがんばろー

どこかの国のトップが、これからは女性の時代とか、女性の活躍を。。。と言えば言うほど、違和感をもってしまうのは私だけなのか。はっきりいって、何をいまさら、うるさい。という感じ。もう何十年もこうやって生きてきたんだから、今さらいいよ。という気持ち。
男でも女でもやる人はやる。男だから、女だからと言っていること自体、おかしいんじゃない?と心の底から思っている。どんな環境であっても、その気がある人はいろんなことを捨ててでも、がんばる。環境が整っているからがんばるのは、本当にがんばることではない、と私はずっと思っている。権利が先ではない。
だから、女、女、女ががんばれーという今の日本社会は、時代遅れのそれこそアホの男社会の残骸と思っている。
男が女が仕事をするのではなく、「人」が生きる、働くのだ。そこからだ。
マスコミが政治家が女性女性といいすぎるせいかどうかわからないが、最近、幸せでない、元気がない男性が増えているという。自分らしく生きていると思えない男性が多いそうだ。一家の主人として、職場の長として・・・最近は「イクメン」という呼称のもと、育児も男の役割・・・だそうで、でもいろいろしなければならないと思う男性は、それができないと自分が一人前じゃないと落ち込み、またどれも自分らしくないと思うそうだ・・はっきりいって、とても気の毒な状況だと思う。生き方がいろいろありすぎて、情報が多すぎて、自分らしく生きるということが考えづらくなっているのか、どれもやりたくないのに、やらねば相手にされない。やりたくないことだけどがんばる、でも感謝されない・・・なんだか男性たちが、この世の中で漂流している感じ・・・。
女性女性と周りが騒ぐから、男性は委縮したり、あきらめてしまったりしているのか・・。
とにかく、男性たちに元気を出してがんばって!と心からエールをおくりたい。
私が会社員だった頃、上司たちは偉いな~。家族のために滅私奉公ともいうべき会社員人生を送って、またそれを男の勲章と思って当たり前とがんばっておられるので、本当にえらいと思っていた。
今、世の中が自由になり価値観が多様化し、男女同権っぽくなってきて(本当は違うと思うが)、しかも定年という区切りがあれば、これまでの自分の肩書きも無用となって、いったい自分は?ということになっているのではないか。
世の中は、男性あっての女性、女性あっての男性。お互いがお互いを認め合い、お互いができることをやりながら助けていければよいのでは。
もっと男か女かではなく、人としてお互いを尊重できる、尊敬できる、協力できる社会だといいと思う。
とにかく、男性が元気がないのが、私としては心配。そこで、相方に問う。「男の人ってしあわせを感じる人が少ないららしいよ。あなたは?」「お前次第」という回答。そう、すべてはお互いさま、鏡。
私もオンナで生まれた以上、世のオトコたちが、元気になることをしたい。そうすれば女性ももちろん輝くから。
ニッポンの男性たちへ、自信をもってがんばってー。(心からエールをこめて

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12時間の電車移動と、心ばかりのプレゼント

約2年ぶり。大船渡の老人福祉施設でのチャリティコンサート。3月11日にこだわらなくていいから、いつでもいいから、迎え入れてくださるタイミングで再び!と心に決めていた。そしてやっと実現。8月11日は当施設の開所6周年のアニバーサリー。大切な日に呼んでいただき、もったいない気持ちもあるが、とてもうれしい気持ち。前お会いしたみなさんのうち何名が覚えていてくださっているだろうか、そして新たな出会いもあるかな?といろんなことを想像しつつ・・。お祝いの場に呼んでいただき、演奏をさせていただく。他にプレゼントはいいだろうか?花束?いろいろ考えた。いや、今回は花屋さんにお願いするブーケではなく、自作の花束~そう、オリジナルの曲を持参するとしよう~。何があってもその日までに創る。と決めたのは早かったけれど、なかなかそのための集中ができないで時間が経過。でも、予定どおり?本番までには間に合った。
その施設の6周年のお祝いと、その町(大船渡)の皆様にエールを送りたい気持ちで作ったバラード。
タイトルは「かもめりぃ」。「かもめの玉子」が代表名菓であるこの町、町の鳥は「うみねこ」だそうだが、かもめの方がピンとくる感じ。「かもめ+MERRY」の造語であり、「カモン・メリー」という感じで、幸せよこっちへ!という意味も勝手に添えた。
片道6時間、まだ通常ルートが復旧していないため、ぐるり大回りをして、現地へ向かう。春に全面復旧した三陸鉄道も体験した。台風で電車が遅れ、会場到着から1時間も経たないうちに、リハーサルもほとんどできないままでのあれよあれよの本番。着いてから帰るまで息切れのままの滞在となった。
ライブの最後に、その肝心なプレゼントをサプライズご披露。やはり息切れのままのクライマックスだった。正直、そんななか自分としては新曲の演奏はまだ完ぺきではなかったけれど、つくりたてのほやほや感と思いは届いただろうか。
ニューヨークへ行くのと同じ時間かかってたどりついた東北の町。真の復興とはまだまだ・・と教えてくれる方もいる、今回の移動を通じて、確かにと思うことも。もう一度行くと決めていたわがボランティア。やっと自分への責任が果たせて、一安心。スタンディングオペレーションしてくれた涙顔のおばあさん、東京から息子さん夫婦にノリノリの姿を見せ、幸せそうで興奮気味だったおばあさん、アルゼンチンタンゴやワルツを踊っておられた方々・・幸せの現場、一コマをこちらもたくさん見せていただき、握手もハグもいっぱい・・。出かけていった甲斐はあった。そして「かもめりぃ」に込めた気持ちがずっと伝わり続けるように・・・。東京駅に戻った午後11時45分。へとへとでよろよろではあったけれど、すがすがしい気持ちで長い1日を終えた。
※新曲「かもめりぃ」の歌詞は近日、公開。本秋からのライブでも演奏予定

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要するに心がこもっているかどうか?

感動的なスピーチ。これはなかなか難しい。でも、これはテクニックの問題でなく、相手がちゃんと見えており、その相手を大切にする気持ちがあれば、その人にあった言葉がかけられるはず。
同じテーマの講演、あいさつであったとしても、時間は経過し、状況も変わり、相手も変わる。
そのとき聴く人がどんな気持ちになるか、を察知して、用意できているか。が大切だと思う。
ちゃらちゃらした軽い言葉の羅列ではなく、一言づつ心を込めて。
とくに言葉を職業にしている人は、話すこと、言葉ででしか、存在を伝えることができないのだから、もっと
言葉を大切にしてほしい。心がないスピーチだったら話さないほうがいい。
心に響くメッセージは、心から出ているはず、心がこもっているはず。

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死は生の対極にある?延長にある?それとも?

人間の命が軽んじられているような気がする。恐ろしい事件、事故が立て続けに起きており、なぜそんなことが?と耳を疑い、目を覆いたくなるようなことが国内外でおきている。
宗教上の闘争で、罪なき一般の人々が殺される、一度人を殺してみたかったという動機で友達を殺す、最近は世間を騒がせた科学界では有名らしい学者が自殺・・・。生きたいのにわけもなく殺されてしまう、興味本位に死のサンプルにさせられてしまう、死んで責任をとる??よくわからないが、いずれにしても、死とは一体何なのかと考えさせられる。
最近では、テレビ番組でもお葬式の謎に迫る?といった軽いタッチの番組が企画されていたようであるし、一方で生前葬儀や終活という言葉も日常的になって・・・。一般社会でも死の存在、距離?が一見近くなっているようであるが、いったいこれは何なんだろう。
死は生の対極なのか?延長なのか?そしてやたら延命したがる今日の医療業界、科学界も最終的にはどうしたいのだろう?
私には、現代社会における死の在り方がよくわからなくなってきている。
小さな存在である人間、何びとも生まれた瞬間から見えない最期の日まで、がんばっていきるしかない、人間とはそういう不安定な存在である。人間の仕事は生きることだ。よく生きることだ。そう思う。
だから、そんなにやすやすと死を口にしては・・・。
命果てればすべて終わる。その時に向かって生き続ける、できれば生きがいのある時間を・・。
そんなことが平等にできる社会が本来の姿ではないかなと思う。
「死」という言葉があまりに安直にマスコミはじめ各メディアで露出することが心配。
この長崎の忘れてはいけない記念日に、罪のない人々が瞬間にすべてを無くした・・・この日に改めて
普通に生きていられることに感謝し、今という瞬間をいつくしみたいと心から思った。
生きぬいて死ぬならば本望。それ以外は、あまりに悲しい。

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