時間割変更でご無沙汰解消

NYの仲間よりメールが舞い込む。「今回のキャンセルは正解です。ゆうべから降り積もった雪をやっと雪かきしたかと思ったら、次々と激しくまた降ってきて・・・ギフトショーに行く予定でDCから帰ってくる娘も中止しました・・」悪天候、便の欠航の可能性、この世界情勢とそんななかで不安定な体調・・・ということからどたキャンしたNY行。1週間不在の時間が戻ってきた感じで、急きょ、国内での予定を組みなおす。
普段であれば、国内外限らず、まず出張が優先になり、レギュラーで会う仕事関係の方が優先であるため、「時間が合ったら会いましょう」という約束になっている人々とはなかなか一度に会うことが難しい。が、今回はどこまで普段の不義理を解消できるかも含め、次々とご無沙汰している方にコンタクトし、どんどん予定を入れていく。もちろん急にはお会いできない人もいるが、OK即答の人も多く、あっという間に不在であったはずの1週間の予定が充実したものに変わる。さらに、いつも後回しにしていることもどんどんこなしていける。「この人に会う」という1枚のパズルがたくさんたまっていたが、それぞれのピースが自分の時間に組み込まれていく。
予想していなかった充実の1週間が進んでいく。冬はトラブルも多いけれど、その結果得られるラッキーもある。どんな事態も自分次第で楽しく過ごせるのがうれしい。
ご無沙汰だった方々と急遽連続面談でき、不義理も果たせてなんだかすっきりする。そしてもちろん行ってやるはずだった課題もできる限り片づけなければ。
時間割変更で、当初とは違う経験を積む。これもまたよし!ニューヨークの列車事故の報せに、上記のメールの知人はそこに乗っていないよな?・・・とふと気になりながら。。

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売れる本、好きになる本。著者の志も評価軸

最近、急にブレイクしているように見受けられる、フランス人経済学者のピケティ教授。
「21世紀の資本」という著作で、経済格差を生み出すのは労働による賃金でなく資本であり、この資本をもつ富裕層への税制改革こそ、格差是正にはまず必要だ。ということを書いているらしい。これまで格差といえば、目先の給料、労働による所得が問題になっていたが、確かに長き歴史を振り返ってみれば、本当のお金持ちとは、働かなくても食べていけるような地主だったりしているわけで、素人の私にもなるほど、と思う部分が多々ある。まだ解説やインタビューにしか触れておらず、本書は読んでいないが、長い年月をかけて世界各国の税制を調べてこられたというその緻密さと地道な姿勢に頭が下がる。そして、この教授は、今回のこの出版を通じ、経済学というのは、一部の専門家が議論するものだとされてきた・・というこれまでの常識を変え、より多くの人が経済学に興味をもち、意見をもてる、その議論の材料になればいいと思っている・・・という発言をされた・・実はこの点に共感を抱いた。
本とは、確かに人々の刺激になったり、議論の素材になったりするものが良い。人々に問題提起をし、読者が考えるという行為を促進させてくれる本こそ、ホンモノだ。ただ700ページの本を持ち歩く気にもならず、重い本はインテリアになりがちなので、こういうものこそ、電子書籍に向くのかな?この教授の自然な語り口が著作への興味にもなる。動機がいい、志が高い、そしてどこかに庶民的な空気を漂わせている点も興味あるところだ。いずれにせよ、よくある一過性のブームにならないように願っている。本書はうーん。一般向けというならばもっと薄くて分冊にしてもらっても・・・いいのですが・・。

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同次元では解決しないこと

親がおかげさまでとても元気で、今だに電話でも、顔を見ても親子喧嘩をする。まあ、一種のスポーツかレクリエーションという感覚かもしれないが。昔は親という圧力になかなか勝つことができなかったが、今はこちらは理屈で返すのと、鍛えられたおかげで口で負かしてしまう・・こともあるが後味は良くない。激しい言葉と言葉は次第にエスカレートして、その過程は決して爽快ではない。そしてあとで、大いに反省をする。ああ言い返したらダメなんだ。もう年寄りなんだからいじめたたらダメだ・・と。「ああ、そうなんだ~へえ~。それで~。そうだね。でね・・・」とやんわり、やさしく対応すれば、ケンカにならず素直に聞いてもらえるということに気づく。と、親子喧嘩はまあいい、根っこがつながっているから根本的にはなんとか着地できるはず。しかし、国と国はそうはいかない。これは自国を守るための外交である。共存共栄であるが、まずは自国を防衛し、発展させるためにいかに他国とつきあうかということだ。だから、よっぽど考えてコミュニケーションしないと解決なんてしない。目には目を、歯には歯を。では仲良くはできない。
自分が理解できない難しい相手であればあるほど、同じ次元でやりあっても何も通じないはずだ。今回の一連の事件のことについて「もしも」と考えてみる。もしネットがなかったら・・よかった。そして、誰も騒がなかったら、自分が自分が~と言わなかったら、どうなっていただろうか?同じ土俵に乗っていいのは、同じベースがある、同じ条件で向かい合える相手の場合。そうでない場合は、同じではないステージで粛々と・・・ということも必要なはずだ。また表層的なパフォーマンスは感動を生まない。
ネット社会はいろんなものを同質化し、人間の感覚を狂わす事もある。

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拡散する社会に、あえて目を向けず

どんな情報も画像も動画も、瞬間にして世界に向け、広く発信できる時代。何の予告もなく、一方的に匿名性をもって。。顔の見えない無責任性もつきまとう。
情報には蓄積されるものと、拡散されるものがあるが、最近はネット社会により、拡散が容易だ。その善悪を問わず、情報の質を問わず、クリックひとつで拡散できてしまう。
恐ろしいとしか言いようがない。と思っている。
ニュースといわれるものも、もともと存在していたマスメディアだけでなく、それらは今やニュース源としてミドルメディア、パーソナルメディアと言われるものに転用され、人々が目にするニュースは実は記者がきちんと取材したものではなく、あたかも・・・というものが多くなっており、またネット上で見つけた情報を記事にするマスコミもあり、ホンモノのネタをみつけるのも難しい時代だ。
そしてその結果、どこへ行っても同じような記事がころがっている。不気味な感じさえしてしまう。
テロに関するニュースは、もう見ないと決めた。その動画も、画像ももう見なくていいではないか。チャンネルを変えたり、ページをめくったり、閉じたり、クリックしたり・・。
見ない、聞かない、読まない方が冷静に考えられるときもある。自分の冷静な思考が妨げられないように。心の中がざわざわする今日、情報にのって自分自身が拡散していかないように、しっかり地に足を付けている必要がある。改めて、拡散社会は情報の生ごみ箱のようだ。恐ろしいとも思える。

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生きざまと正義と、愛と

職業とは自分の人生の意義を明確にし、その目標を達成するためのものだと考えたい。
単に対価を求めるだけではなく、それ以上に何かのために、誰かのために、そして一番根底には自分のために・・・という使命、目的があってその仕事を選び、それに励むのが一番だろう。一生懸命に取り組んでいる人の姿は素晴らしい。その人の表情は優しく、深い。目には力があり、その存在には光り輝いて見える・・。と、そんな風に生きたいと思っているが、惑いや迷いも多いのが現実だ。
生きている限り、自分の目標に向かって止まらずに行きたい。そして、周囲に喜んでもらえるようにしたい。そして、最後、笑って悔いなく終わりたい。
そして・・家族を悲しませる終わり方は、やっぱりよくないかな。
「そんな人生だった」と後で語られるにしても、どんなに自己責任であっても、できれば
愛する人を泣かせない方が・・。
正義のために生きた、そして亡くなったジャーナリストの死が無駄にならないように、多くをそこから学び、生きるものががんばらねば。
心から哀悼の意を奉げます。

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背中と心で、3回目の成人式に向かう!

20年来、仕事も含め交流させていただいている仲間。同学年ということもあり、同い年だからともにがんばろう!といつも激励しあって、季節に一度ぐらい会食を重ねる。
その方は私とは違って、立派に組織人としてのつとめをこなしている。大企業で働くというのは大変なことだな~。と、いつも尊敬する。一方、彼は自称?コミュニケーションが得意な方ではないらしく(私の前ではそんなことは決してないが)コミュニケーションクリエイターという仕事について敬意を抱いてくれているようで、そこがうれしい。また損得勘定では人とのつきあいは成立しないという点も共有できる価値観だ。
今年になって初めての会食は気が付けば4時間。「おっと帰らなくちゃね」今回の話題で心に残ったのは、娘さんが成人式を迎えられたことで自分の人生を振り返り、また人生は20年単位が節目だとすると、次の自分の節目である60歳にどう向き合うか、そして
次代の人に恥ずかしくない背中であること、そして仕事でもいつでも、心ありきであること。1月の締めにふさわしいミーティングになった。普段酒を飲まない彼が、珍しくあれこれ美味しく飲みながらつきあってくれたことも、新年らしかった。もう2月だ。

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1月の「愛の元気人」オンエアは本日31日18時~です

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ハッピーコミュニケーションプログラム「愛の元気人」1月分は、本日31日18時~よりオンエアです。
今回のにいがた元気人のゲストは、学生服専門店のバロン早川の早川直希さんと、習いごと教室の夢教室ドリームアドバンス 喜多村哲平さんです。
プチプチ感動体験談は「にいがたで出会った京都人シェフ」の話です。
どうぞお楽しみください。スマホにFMケント専用アプリをダウンロードされると、世界中でお楽しみいただけます。www.fmkento.com

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麺とMEN

いろんな職業、生き方をしている方に会えることで、そのつど共感やら、ときには違和感、とにかくいろんな感情を抱く。そしてそれをもとに自分を見つめなおすことができる。そんな点から、まず人との出会いは大切にすべきだと思う。共感するのは、「ああ、いいなあ」「そうそう」「やっぱりそうだよね」という感じで、その人と自分が同じ方向に向かっているか、根っこが同じかである。一方、違和感をもつのは、何かしら目線が違う場合。自分自身ではなく、たまたま所属する組織の看板だけで生きているのが感じられた場合。口先、思いつきでの行動をみた場合。一見エラそうでも、行動が伴っていなかったり、人のことを大切にしていない、結局は自己中心ということがわかってしまうと「なんやこの人、ぺらんぺらん」かな?と思ってしまう。言葉巧みであっても存在の薄っぺらさが透けて見えてしまう。一方、人生に対して、いくつになっても燃えている人、本気で自分の能力に賭けている人、挑戦を忘れない人、自分の主張をきちんともち、言動が一致している人、勉強熱心な人、そして存在自体に、「コシ」があって、「気概、気骨」を感じさせる人、付き合うごとに、かみごたえがある人にはたまらない魅力を感じ、自分もそんな人になりたいと思う。
その人が「コシ」あるホンモノか、吹けば飛ぶような薄っぺらな存在かどうか?その見極めも、残された人生時間の中の人付き合いを考える上で大切だ。目利きがいる。そして自分も、思う人に思われるようにホンモノにならなければならない。
麺類だけではなくMENにおいても、「ぺらんぺらん」よりも「コシある、あっつあつ」がいい。

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カラー・インパクトの恐怖

色彩というのはコミュニケーションにおいて、言葉や文字以上に、即伝わる伝達素材である。ビジネスにおいても、イメージカラー、テーマカラーをコンセプトにもとづき、設定することで統一イメージなり、固有のメッセージを伝えようとする。私自身も自営業開始以来、一貫して16年、同じ色をテーマカラーとして活用し、何も言わなくても気づく方からは「紫がトレードカラーですか?」「パープルがお好きなんですか?」とのお言葉をいただき、それがきっかけで会話がスムーズになることも多く、イメージももってもらいやすく、色は音楽同様、人の感性に無意識に伝えることができる有効な手段として意識している。
このようにコミュニケーションにとって、色は大変重要なのであるが、ときには反抗のアピールにも使われることがあり、最近このことについて考えさせられる。マスメディアからいやおうなく伝えられる残虐な写真。ここではオレンジ色が圧倒的に目立っている。目をそらしたいけれど、そらすことができない色、それがオレンジ色だ。もともと私が好きな色のひとつであり、時々サブカラーとして使いたい。それは太陽の色であり、まさしくフルーツオレンジをイメージさせ、元気なイメージがある。イタリアのオレンジのマフラーを以前もらったことがあるが、なんと目の覚めるようないい色だと気に入り、おもいっきりおしゃれになった気になった。しかし、この糸はその分大変目立つ色であり、アメリカなどにおいては、もっとも罪の重い囚人に着用される服の色がオレンジ色だそう。脱走させないように、万一のときもすぐ見つかるようにという意図らしいが、本当に目立ち、目に焼き付き、また目を閉じても鮮やかに脳裏によみがえる色がこのオレンジだ。店のサインや信号にも使われる赤色と、注意を喚起する黄色の両方の要素をもっているから、目立って目立って・・・。そしてパワーを人に与えてしまう。今回の利用はまさしく、負のパワーの象徴だ。
文字よりも、その写真を見るのがいやで、新聞を折り返してしまい、すぐ捨てたくなる。テレビもネットもその写真から目をそむけたくなる。悲しい写真と情熱の色が恐怖を倍増させている気がしてならない。人を釘づけにし、恐怖にさらす・・。色も言葉も文字も人が幸せになるように工夫されたい。もうこの写真が世の中に出回るのを見たくないし、このことに人々も慣れてはいけない。
色のプロパガンダ。恐るべしだ。皮肉なことにこんな現実からも広報戦略について考えさせられてしまう。

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正々堂々と人を向き合う生き方を

ネット依存の人たちが増えていると聞く。とくに若者にはその傾向が顕著だということも社会問題にもなりつつある。ネットがなければ・・。30年前はなかった。そんなものがなくても人々はちゃんと不便なく生活していた。昨今のこの一見便利なこの情報インフラは、見事に人間の行動だけではなく、本性にも影響を与えているようだ。
人間とは何かがわかっていれば、何が一番大切かをわかっていれば、ツールもうまく活用もでき、また時には使わない選択もあるが、人生経験や相談相手も少なく、目先の情報だけがすべてであると思い込んでしまうぐらいの免疫しかないと、その使い方もわからず、ただ流されるように生きるようになる危険がある。
ネットは便利であることは間違いない。しかし、この反面、人間をときに狂気に導くこともあることも否定できない。
知られたい、見られたい、誇示したい。そんな人間の欲望にはぴったりのツール。
しかも匿名でも、架空でもなんでも公開できてしまうという現実。
人間は正々堂々と向き合って、顔が見えるところで対話、交渉するのが人としてのルールのはずであるが、いろんなルールが崩れていく。
人間が生んだツールが、人間社会を破壊していく。ここ最近のあれこれを見ながら、個別の事象だけにではなく、その背景にある人間という本性に悲しみを抱いてしまう。顔の見えない、迷惑メールに遭遇するだけでも、どんな人がいったい?と首をかしげたくなる。何か言いたかったら、直接どうぞ。卑怯は許せないことだ。
正々堂々と。これが一番いい。

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