1986年の入社でした。

世田谷の美術館で、花森安治の展覧会をやっていると知り、
急ぎ出かける。これは編集の仕事に何等かのカタチでかかわった
ものには、興味がつきないコンテンツ。
この感動には別途触れるとして、たまたま併設されていた
1986年というテーマの常設展にも注目。

なんでも、この世田谷美術館が
その年に開設したということでの、1年遅れのアニバーサリーのような
企画であった。
私は、実はその展示内容以上に、この1986年について忘れていた
記憶を取り戻した。
その展示のはじまりに、1986年からの社会年表と美術館の年表が
展示されており、1986年とは、まさに男女雇用機会均等法が施行
された年であったのだ。
そのことを忘れていた。
その年に、私は就職をした。会社に入社した。
男女同じ給料をいただける、代わりに男女同じ仕事をする。
という大変気持ちのよい、納得できる社会になったもんだとおもいながら
誇りをもって入社した。
入社式がはじまるこの4月3日に、ふと、1986年の4月の自分を
重ねていた。
思わずそのときの入社式の写真を探してみる。
あれから、まる30年。
ああ、老人施設にいる上司に会いに行かなくちゃ。
私の仕事人生は、1986年から始まったのだ。
初任給は忘れない、123000円だった。
ここでも、123であり、記念すべきお給料だった。
春は初心に帰る、いい季節。
満開の桜が、日本の新入社員たちにエールを送っている。

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どんな営業も、サービス業。

世の中には、モノ・コトをつくる以上、それを売る人がいる。
それは、「販売」という「営業」という仕事。
それを生業にしようとする以上、
営業なしには、売買・ビジネスが成り立たない。

今もよく覚えている。
印刷会社につとめている20~30代の頃、「営業は第一線だ!」と、
当時の営業部長が会議や朝礼で、営業マンを鼓舞していた。
営業という仕事がなかったら、仕事をとってくる人はいないんだぞ、
売り上げがたたないんだぞ。だから営業はえらいんだ~。
ぐらいの勢いであった。
個人的には、製造部門であろうか、管理部門であろうが、社員全員が
営業、広報マンでいるぐらいの気持ちが必要だと思っているし、
営業だけがえらいんじゃないよと、いつも思っていたが、
いいもの・技術があっても売れなければ意味がないわけで、
とにかく、企業存続のためには、「営業力」が重要だ。

最近、たまたま車のセールスマンの方とやりとりすることがあり、
営業とは、とことんサービス業であるということを、実感した。
大方のお客は、昨今はネットで情報を得てから、販売店に電話で
コンタクトする。もちろんメールでの問い合わせもあるだろう。
そのファーストコンタクトでの対応が大切だ。
そしてそこからやりとりがはじまる。もしくはそこで終わることも
ある。
今回出会った営業担当者は、最初ショールームを訪問した
瞬間から印象に残った。
見た目は嫌味なく、でもそこそこのセンスは必要で、
控えめであるが、いい感じを醸し出す人物であった。
そう、営業は自分がどう見られているかを常に意識している
ことが、まず重要だ。
人を見て、信頼したり、がっかりすることは多い。
そして言葉遣い、目線。いけいけの押し売りではなく、
やんわりソフトな受容力。挨拶、目線、しぐさ、言葉、見送り
のすべてでその人の印象すべてが決まる。
そして、なんとなく、余韻に残る人・・・これは重要だ。

今回この営業マンとメールや電話、面談含め2週間ほど
のやりとりをしたが、最終的に思ったのは
「いい距離感をつくることができる」ことが営業には大切だということ。
そして、もちろん売るもの、コトによるが、一回の商談が終われば
仕事が終わりではなく、そこから関係が始まることが大切で、
長く愛用してもらえることで、リピーター、ロイヤルカスタマーに
なる顧客も少なくないはずだ。

商品が良いという大前提に加え、売る人の力、それはコミュニケーション
力であり、サービス力だ。

今も、その営業マンが見えなくなるまで、ずっと見送っていた
姿が焼き付いている。
営業なんだから、当たり前のことではあるが、その行動に心がこもって
いるからこそ、伝わる。
サービスとは、値引きをすることだけではなく、
いい関係づくりができること。

いつも人生は営業であると思っている。
だから、いろんな人に出会うたびに生きる営業のヒントを
いただけることがうれしい。

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ブレない、群れない。

弁当店を経営している仲間と半年ぶりに合う。
もう10年以上のつきあいであるが、出会いの頃は、彼も20代であったのに
今は40代になり、二人の娘もいる。町内会や幼稚園の父親会の役員もつとめ、
立派な店主であり、お父ちゃんだ。貫禄も十分だ。
彼も会社員時代を経て、独立し、この店を立ち上げ10年。さらにラーメン店も
開業、センスの良さと誠実さ、そして抜群の料理の腕前で、いずれも繁盛店だ。
毎日夜型の人々が眠る時間に起きて、市場に行き、今日の主菜・副菜をつくる。
早朝に「今日の副菜です」とメールで送られてくる画像を見ると、美味しさが
伝わってくる。
毎日毎日、こつこつと弁当を作り、売り続けている。
近所で働く人たちにとって、頼れる弁当屋さんであり、毎日行列が絶えないのは
一重に彼の真面目な仕事ぶりだ。
半年ぶりに会い、食事をしながら、仕事のことから、人生のこと、世界のことを
語りつくす。
3時間半以上話して、お互いに確認できたことは、
「好きな仕事をでき、生きている」ということへの喜び。
そして、ずっとブレない、群れない生き方をしていることへの静かな自信。

違う世界でがんばっている仲間がいる、ブレない生き方を続けているがんばって
いる人がいるということは、新たな挑戦への勇気にもつながる。
彼が、市場で買ってきたという美味しいトマトをいただき、
毎朝通う市場がどうなるのか・・も気になりつつ・・。

ブレずに、群れずに。やっぱり、この生き方が好きだ。
これからもお客さんが元気になる、おいしい弁当づくり、
頑張ってほしい。

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グラン・ルー公式サイト 春のメッセージ更新

グラン・ルー公式サイトでは、シーズンメッセージを更新しました。
フランチェスコの夢の演奏とともに、国内外のスライドショーもお楽しみください。

グラン・ルー シーズンメッセージ

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毎日、「にんじん修行」。

実は、ここのところ、1か月ほどになろうか、朝か夜、とにかく1日1回、にんじんを1~2本
スライサーで、「しりしり」している。
この「しりしり」とは沖縄方面で、野菜しりしり・・と呼ぶところからきているそうで
そのスライサーも「しりしり器」と名付けられているそうであるが、
要するに、野菜の千切り用スライサーを使って、にんじんを千切りしている。という意味だ。

なぜ、この「にんじんしりしり」がはじまったかといえば、毎朝つくるおにぎりに加え、
野菜を手軽に家人に食べさせるためなのであるが、煮物では食べないのに、この「しりしり」
状態にしておけば、黙っていても野菜を食べる。そう、にんじんはこの方法で生食にすると
大変おいしいのだ。
とくに、新潟など雪国でとれる(つくる)雪室ニンジンだと、なおさら美味である。
ほんのり甘くて、しゃきっとしている。

そんなわけで、毎日10分ぐらいではあるが、にんじんと向かい合う時間をもつようになった。
私自身は、食べるよりも、にんじんを見ていてとても感動するようになった。
にんじんにはいろんな色がある。オレンジといっても、いろんなオレンジ。
最近では黄色っぽいニンジンから、紫ニンジンまで・・。
金時にんきんなどというものも先日はしりしりしてみた・・。
スライサーの上をにんじんを動かしながら、
なんて自然の色はきれいなんだろう・・とうっとりする。
腱鞘炎にはあまりよくない作業であるので、ゆっくりしりしりする。
にんじんのきれいな色に意識をとられていると、思わず指までしりしり
するので気を付けねばならない。
注意しながら、にんじんを千切りにする、いわば修行である。

どんなに多忙であっても1日1本、にんじんをしりしりする時間がもてると
心にゆとりが生まれる感じだ。

私にとっての、この「にんじん修行」は、心身にとても良くて、
ずっと続けたいと思っている。

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頑固と素直のはざまを

年を重ねると、長年生きてきた経験がいいか悪いか判断材料となって、
人の話を、とくに年下の人の話など素直に聞くことができずに、
自分の考えと違ったり、少しでも生意気に聞こえるような発言に出会うと
不機嫌になったり、「今どきの若い者は~」とか「小娘のくせに、若造のくせに・・」
と思ってしまうことはないだろうか。
私は正直、ときどきある。
「こんな若いもんに、何がわかる」とか、「やってもいないのに、何いってんの」とか。
一般的には年を取ると頑固になるといわれる。
これは、気を付けなくてはいけないと思う。
そして、自分の若い時を振り返り、年上の方々に
失礼があったのではと、気になり、反省する。

年を重ねていようが、若かろうが、何か自分に向かって言ってくれることは
関心をもってくれる証しであり、教えられることもあるのだから、
いろんな発言や指摘も、感謝して受け止めるようにしなければならない。

一方、年をとると、素直になるという向きもある。
すぐ涙ぐんだりするのもそういうことかもしれない。
感謝の言葉がすぐ出てくるのも、そういうことだろう。

頑固になるのは、まだまだ未熟だ。
いつまででも、吸収したい、学びたいと思えば、気持ちも変わる。
もちろん、相手が不快にならないように、言葉遣いなどには気を付けたいし
お互いがそうであれば、不快感や不機嫌もなくなると思う。

頑固と素直。
春だ、今の自分を再点検したい。
がんこなだけの、ばあさんには、ならないように。
何を言われても、にこにこしながら「ありがとうございます」
と言える、ゴッドマザーを目指したいところだ。

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手紙のお花見も、またよし。

桜の季節がやってきた。
この春は悲喜こもごも、いろんな別れや出会いの場面があり、
感謝の意を伝えたい季節でもある。

私も改めてお礼を伝えたい人がいて、
今回は電子メールではなく、郵便で伝えることにした。

そして、事務用の便箋と封筒でもなく、1枚のはがきでもなく、
季節感のある素敵なレターセットで・・と思い立ち、
文具屋へ足を運ぶ。
文具業界の仕事をしていたころが懐かしいが、絵葉書とか
季節のお便りセットのデザインは今も種類が豊富で
送りたい気持ちがたかぶって、気が付けば値段も気にせず
素敵な絵柄のカードセットを手にとっていたりする。

今回は桜の花のポップアップカード。
封筒から出すと少し立体的になったカードが
出てくるというものだ。
忙しくて、花見もままならない人には、こういった
お手紙花見も悪くない。

失敗できない一組のレターセット。
間違えないようにとペンを握る手が硬くなる。
丁寧に一文字づつ書く。
失敗できないというのは、たまにはいい。
心を落ち着けて、ゆっくり、まっすぐに書く。
そう、バタバタと書いてはいけない。

ゆっくり書く。
丁寧に書く。

これからは、そんなことももっと意識しよう。

ときにはメールをやめてみる。
とくにメールが毎日多数舞い込む人には・・。

気持ちがまっすぐ届きますように。
手紙のお花見、こちらは散らない、枯れない。

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昔の雑誌を今一度。

最近、断捨離を少しづつ実践中である。
なんで人は意識しないと、モノをためていくのだろう。
捨てられない人は、思いきりがないというか、過去にこだわるというか
潔さがないか、保管スペースがあるか・・・の理由かもしれないが、
改めてその保管しているものを見て、その当時が思い出され、
整理の手を止めてしまったり、「や、やっぱり捨てられないわ」
と思うものも少なくない。
とくに最近、本の処分をしようと普段開けない本棚の扉を開けると
20年前の雑誌類が大切に保存されている。
雑誌だから、情報の鮮度が命。だから、もう過去のものだから
迷わず捨てればよいのであるが、
その当時の世の中(たとえば20年前といえば20世紀と21世紀の
境界線にあたる時期)を物語る雑誌のバックナンバーを見ていると
デザインも良く、編集も洗練されていて、まさに保存版なのだ。
だから、捨てられないものも多い。
本当は図録や文学・思想・芸術に関するものだけを残そうとするが
ファッションや旅のテーマも捨てられない。
はやりすたりがあっても、その変化自体を見るのが楽しいのだ。

ネットではなく、紙の本。
雑誌がオンラインマガジンに変わりつつあるが、リビングに座って
コーヒーを飲みながら、ゆったり見開きの誌面を眺めるのは
大切な時間だ。

捨てるのはもう古くなったビジネス書。
そうだ、一番はやりすたりがあるのは、ビジネスのハウツーものだ。
これから買うときには、
本質が見える1冊を選びたい。

断捨離。
単にモノの処理ではなく、生き方をみつめなおすきっかけ、
よき反省のきっかけにもなっているようだ。

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ザビエルとファドと、ワインの縁。

先日書いた、ワインのネットショップの話。
そのお店が今月で長期休業に入ると知り、これもひとつの
節目と思い、店の近くまで店主に会いに出かけた。
自宅でネットショップをされており、実店舗はないようなので
最寄りの駅近くのカフェで待ち合わせ。
会ったことがない、メールだけでやりとりして何年・・・ではあるが
ホームページを見てもらい、顔も出ていますと伝えていたせいか、
すぐにわかった。
それから1時間ほど、話した。
ネットというツールがあるからこそ、知り合った。
そして店主はもともとワインが好きで、勉強してから独立し
ネットショップを開店、もう7年やってこられたというが
一人でやってこられたとは、大したものだ。

その間、ご自身がポルトガルへ出かけた際に出会ったあるワインが
気に入って、それも取り扱い始めた。
そのワインこそが、偶然にも私自身もリスボンでそれに出会い、大変気に入った
ものだった。

その1本のポルトガルワインがきっかけで、店と、その店主と
知り合い、お会いしたとき、なぜか初めて会った気がしなかった
のも不思議であった。

彼女は長年の利用のお礼といい、その出会いのワインを持参
し、プレゼントしてくれた。
あまりにその気持ちがうれしく、リスボンで創ったフランシスコ
ザビエルの曲や、ファド風の曲を入れたセカンドアルバムを
彼女に贈った。
いずれも、ポルトガルつながりだ。

またいつか、できれば、早いうちにお店が再開されることを
願っている。

それにしても、たった1本のワインから生まれる出会いがある
ことに感動を覚える。

素敵な店主に会ったあと。店じまいまでに
もう一度、注文しておこうと思った。
少しでも応援したい、改めて思ったのだ。

注文した最後の商品とともに、バラの便箋に書かれた
きれいな文字の手紙が同封されていた。
先日お会いしたときの、透明感のある素敵なその店主の顔が
浮かんだ。

これも、ザビエルがくれたご縁だと思う。
再開、再会を楽しみにしている。

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役者という仕事への興味。

先日芝居の仕事に関わったおかげで、新たな人脈が広がりつつある昨今。
ビジネスマン、行政マン、農家の人たち・・・いろんな世界での交流を
育んできたつもりであるが、この役者の世界は、これまで出会った世界と
違う部分がある反面、アーチスト的な生き方も求めているため、違和感もなく
すんなりとそこに馴染めている。
そして、ビジネスの世界で学んできたことも、この芝居業界に生かせる点も
面白く、自分にとってはこの経験は大切なお宝になっている。

芝居の世界では、お互いに助け合う、というちょっと懐かしいコミュニティ世界が
ある。
関係者同士で告知し合ったり、差し入れ交換したり、お互いにお客として
見に行ったり・・。
お互いに盛り上げていかねばいけない世界なのだ。
もちろん、そこだけにとどまっていても新しい客層を取り込めないため
SNSの活用はじめ、いろんな工夫、チャレンジは必要だ。
それはそれとして、助け合いが大前提。
前回共演した役者たちから、次々と次の出演作についての案内が届く。
このように新たに出会った仲間に、役者自身が営業を行うのが
当たり前。
自分の客を自分で連れてくる。が基本。ある意味自立している。
もちろん、著名になれば別であるが・・。

そんなこんなで、最近、共演した役者たちの舞台に出かけることが
多くなった。すべては作品づくりの勉強であり、情報収集であり、
また役者という仕事を学ぶためであり・・。
いろいろ見ながら、こんな風に自分なら・・・とか、彼と今度
コラボしたいな・・などなど、自分の企画に役立てている。

そして、純粋に楽しんでもいる。
前回、電球工場で働いていた役の彼が、前科者の農家の青年
であったり、彼女に彼女がいたことにショックを受ける高校生の
役であったり・・。
違う役をどんどんこなす彼らの仕事に敬意を表している。

役者という仕事、面白い。
黒子として、新たな企画がふつふつと湧いてくる感じが
楽しくで仕方ない。

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