どこまで本気で顧客目線?で差が出る。

新潟県内を毎日、違う宿で泊まるという週末。
日常の出張であれば、同じ宿を拠点に過ごす方が便利であるが、
今回はどんどん移動していくため、毎日違う宿。
新潟、佐渡、十日町、上越。
ビジネスホテル、政府登録観光旅館、リゾートホテル・・・とそれぞれ
業態が異なるが、いずれも宿泊、食事サービスを提供する。
普段の出張は食事は適当に済ませるが、今回は食事付きという施設も
多く、その施設の力量が全体的に見えてくる。

あるところは、とことんコスパにこだわり、無駄がない。でも、それが
わかっているから、余計な期待もないし、気軽で良い。なんといっても
設備が清潔でスタッフが親切というのが良い。
必要な化粧品をもってくるのを忘れたので、フロントでたずねたら、
「私たちが使っているのをお貸ししましょうか?」
と接客マニュアルには絶対載っていないことを言ってくれる。

あるところは、過去には皇族もお泊りになったようである、老舗旅館。
団体客がバスごと訪れる大型の旅館。
いい時代を過ぎた後、経営にも苦労されていることが部屋に入ったとたん
にわかってしまう。
汚いスリッパ、浴室・・。お金をかけなくてもできる日常の手入れを
怠っている。
なんといっても、布団のシーツを毎日交換していないような・・・匂い。
おかげで夜は眠れず・・・。不満な朝を迎えることになる。
食事は地元の良い食材を使っているようではあるが、
なぜか美味しいと感じない。食材をもってこの町をもっとアピール
すればいいのに。
せっかくの仲居さんの説明がない。
淡々と料理を、運んでくるだけ。笑顔もなければ、質問をすると、
適当にあしらわれる。聞いてはいけないお店なのか・・。
旅の客は、会話も楽しみたいはずなのに。
飲み比べの商品も、説明文を添えて、テーブルにおくだけという
お粗末な接客。
せめて、「このお酒は、どこどこの・・・」ぐらい言えるだろうに。
食事のあとに、施設内のバーでの二次会をすすめたり、
とにかくお金をおとす誘導が優先・・。
接待で潤った、おじさま相手の時代は去ったのに、ここは
時計が止まったような感じだ。
現代のお客が喜ぶサービスとは?についての意識がなさそうな・・。
いずれ、ここは淘汰されてしまわないか・・。
と心配しながら、自分ももう来ないと思ってしまった。

あるところは、この何年かで経営者が代わり、再生された
高原リゾートホテル。
最近では東京から、新潟からの送迎バスも整え、県内外から
多くの客を集めている。リピーターがとても多いのが特徴だ。
ここでは、さりげない楽しいコミュニケーションが心にくい。
家族全員がそれぞれ楽しめるアトラクションの企画を次々
連発し、話題性も豊富だ。
最近では併設のゴルフ場を夜に周って高原に住む生き物
を発見する企画など行っているが、企画の目線がちょっと
面白い。
一番驚いたのは、大浴場の「シャンプー・バー」。
10種類ほどのシャンプー・リンスのセットがおいてあり、
どれでも好きなものを使えるように、小さなカップが
置いてある、シャンプーが選べるお風呂とは初めて見た、
部屋もきれいで、安心して休むことができる。
値段もお手軽。
高級ではないが、何かと気が利いている。

などなど、毎日違う宿をおとずれ、違うもてなしを受けながら
様々な経験を通して、言葉は古いが、勝ち組負け組の存在を
肌身で感じる。
どこまで、本気でお客さんが喜ぶかを常に考え、行動できるか。

どんな仕事も、やっぱり相手目線が一番だ。
「また行こう」と思うかどうかは、ここにかかっていると思う。

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自分を変える、自分に合ったメソッド。

自分の周りには、がんばりやさんの若手経営者たちがいる。
ある人は、忙しくも平日仕事の合間にカラダを鍛えながら、
各地で開催されるトライアスロンに出場。この週末は知多半島での
大会に参加とのこと。
走って、泳いで、自転車乗って・・・の長距離レース。
私にはとても真似ができないが、彼はもう数年以上、
挑戦し続けている。時には仲間を誘い、一緒に戦っている。
戦うのは、自分。
自分の弱さと戦うのだそうだ。
完走することがいかに大変か。でも、それをやり抜いた
ときの爽快感、達成感は絶大だろう。
毎回毎回、この自分との戦いを繰り返し、その人はどんどん
強い人間になっていく。この半端ない苦しみを思えば
日常のしんどさなんてなんのその・・・。ということなのだろう。
佐渡生まれの人だから、トライアスロンが身近であったかも
しれないが、彼にはそれが自分を変える、自分をつくる
いい修行になっているようだ。

一方、違う経営者は、最近、自分のブログを新たに作り始めた。
自分の専門領域での情報提供のページだ。
会社がどのように変化していっても、その会社の社長としての
自分ではなく、個人の自分として
発信し続ける行動を起こし、その記録・履歴を自分の財産に
したいと思ったのだそうだ。
事業拡大を目指すのも良いが、親から受け継いだ事業をうまく
納めつつ、自分のしたい道を作ろうと動き始めている。
その地道な挑戦に好感を抱く。

いずれも、みんな、それぞれ自分との戦いだ。
どの方法で戦うと、自分がより成長できるのか。
私も、トライアスロン「級」の挑戦が、そろそろ必要か?

とにかく自分に合った方法をみつけ、
自分を磨き続ける生き方は、とても良い。

弟のような経営者たちの奮闘ぶりに敬意を表しながら
ずっと応援していきたい。

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不安定な自分を、夢追い人に変える東京ナイト

ある人と、やっとゆっくり話をする機会を得ることができた。
その人は、役者さん。ご縁あって、一緒に仕事をし、お近づきに
なった。初めてその人の生い立ち、芝居にかける意気込みなど
聞かせてもらう。
どうやら、地方から東京へ出てきて約1年。
京都から出てこられたというのも、何かの縁と思わせてくれた人。

その彼女、
「やったるで~」と思って東京へ出てきて、志半ばの日々、
最近は、どうも心が安定しない、本人いわくおちっぱなし・・
だそうだ。

「ふーん。不安定なんや。」
私はその言葉にひっかかりを感じた。
「でもさあ。みんな、最初から不安定なまま生まれてきて、
生きている間、基本は不安定なんじゃないかな。
不安定が当たり前と思えば、別にそんなことは苦しくないと
思うけど。安定を求めるから、不安定がつらいかもしれないけど、
もし、安定しても、また不安に思うよね。
地震が来るかもしれないし、事故に遭うかもしれないし、
生きるということは、基本、不安定と思っておいた方が
気が楽じゃないかと思うけど・・」
と話し始めると、彼女の目の色が変わった(ように感じた)。
「そうか、みんな不安定か。そう、そうやね!」

私は彼女にいろいろ話しながら、時々
「これは、あなたに言いながら、自分にも言い聞かせているよ」
と確認のように言う。
そう、自分だって、何か不安定な状態、心持のときは、しんどい。
そんなときもないわけではない。
でも、基本、何も保障されているわけでなく、世間と向かい合って
生身で生きていく・・それが人生よ。と開き直ってしまえば
気持ちも楽になる。と時々開き直るようににもしている。

だから、今ここにいることに感謝して、楽しくほどよく
頑張るのが良い。
「だって、好きで東京に出てきたんだからね」

彼女との会話は、不安定から夢に向かった。
「夢に向かってやらねばならないこと、やりたいことを100個
挙げて、それをひとつづつやろうよ」
役者での成功を目指す彼女の目は次第にきらきらして、
いつの間にかメモをとっていた。

人生は不安定だから面白いのだ。その面白さを私は彼女に
演じてほしい。
がんばって!私も頑張るから。
一緒におもろいこと、やろうね。
にこにこしながら、一緒に歌舞伎町から電車に乗って帰った。
京都から東京へ出てきた時代を思い出しながら、
心から彼女を応援し、一緒にがんばろうと思った夜、
まさに東京らしい時間となった。

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通った道、歩いた階段、持った荷物と我が東京時間。

最近、この23年間通った道を歩きながら、いろんなことを
思い出す。
とくに何気なく、毎日乗ってきた地下鉄と利用駅。
一番の馴染みは東西線の神楽坂駅。

最近は、これまで何とも感じなかったことにも、懐かしみや
愛おしみや・・・いろいろ思い、感情がじんわりとこみ上げる。
駅の看板、電車の音、ラッシュアワーの人の波・・。
最寄りのこの駅は、都内の、国内の、世界のどこに行くにも
大変便利な駅だと思ってきた。
駅から近い住まいを選び、どんな出張でもタクシーを
できる限り使わなくて良いようにしてきた。

確かに便利な駅。
でも、でも、この駅にはエスカレータもエレベータも
ついておらず、あるのは急な階段のみ。
やっと2~3年前に、車いす専用の補助具は設置されたが
わが出張の荷物持ちを軽減してくれるものではなく、
混雑する朝の出勤時も、疲れ果てて戻ってくる出張帰りの
シンデレラ状態のときも、いつも荷物を
「えいっ」といって、気合いを入れ、持ち上げ運んだ。

この23年間、この階段を何万回、利用しただろう。
その間、
「もってあげましょうか」
と手を差し伸べてくれた紳士が2名。うち1名は海外の方。
みんな、それどころじゃない、急な階段だ。
あるときは、スリに襲われ、泣いていた人に出くわし
その人にハンカチとお金を貸し、あとでお礼が
届いたこともあった・・・
などなど、駅ひとつとっても、なんだか思い出が詰まって
いる。
同じに駅に降り、同じ駅で乗り・・・すれ違った人の数は
いかほどだったか・・。
この階段のステップを踏む人、それぞれにも違う人生があるのだ
と思うと、感慨深くもなる。

この階段を重い荷物をもって移動するという試練・
修行の日々もそろそろカウントダウン。
と思うと、階段一段一段にも、なぜか思いがこもってしまうものだ。
よく転ばずに怪我をしないでこられたな。
よくあんなに思いものを連日運んだな。
さすがに腱鞘炎と腰痛は神楽坂時間と比例する・・。

始発の新幹線にも間に合うように、最終の新幹線の後にも
動いている地下鉄。
おかげさまで、心置きなく移動した。
飛行機だけでなく、この駅から始まった移動の
距離はミリオンマイルかもしれない。

東京はグレイト、そして東京は腰痛のもと、
でも、東京は、今やわが第二のふるさと。

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勉強熱心な愉快なジェントルマンとの出会い。

今、通うある外国語の講座。
マダムのサロンかカルチャーセンターのような空気はなじめないが、
大学の講座となると、来られる方も多様で興味深い。
たった3か月の講座。十数名のクラスであるが、不思議と毎回座る席が
固定化される。私はなぜか右後ろがお気に入りだ。
そして、その前がいつのまにか指定席になっているおじさま。
白髪頭の、学者風な風貌が興味をそそられる。
そして、授業の合間にふとしたきっかけで、こっそり名刺交換。
なんとそのジェントルマンは原子力関係の研究者であることを知り、
こういう違う業界の方と出会えるのは、学校のおかげと貴重な
縁に感謝。
講義日程がまもなく終了する前に、この人がどんな人なのかもっと
知りたいと思った。
いただいた名刺に、「今度、授業終わったあと、お時間あれば
30分ぐらいお話しませんか?」
とメールする。すると、なんとまあ、今まさに習っている言語での
返信。すごい、習いたてなのに、さっそくその言葉で返事をされる
とは、やっぱり研究者だ、勉強熱心なんだ。
私はそのメールに感心し、でもその言葉を間違ってもWEBで簡単に
翻訳してはならぬ、と一語一語辞書を引きながらその文面の意味を
追いかけた。
「ふむ?なんかわからない文脈だ、これ合っているんかな」
できれば、こちらもその外国語で返信したいと思うが故、
いただいた文章の解釈にうーん。悩んでいてもしょうがないので、
そのWEB翻訳にコピペでお世話になる。瞬時に訳されたその文章は
やっぱり意味不明だ。
返事に困っていたら、ご本人から再びメール。今度は日本語の文面。
「先日お送りしたメールは、わけわからん内容でした。正しくは・・
・・・・です」との内容。
あ、理解できていなかったのは、こっちの不勉強だけでじゃなかった・・・と安堵。

そして、先日の授業の後、大学構内のカフェでお茶をする。
たった3~40分の会話であったが、とても興味深い話題であった。
定年後、現職時代の仕事を違う形でサポートされ、また全国で
技術者育成のための研修をされ、その一方、ひとりで中南米へ
旅したいと、NHK視聴覚学習に飽き足らず、母校の講座を受講。
学生時代を懐かしみながら、わが子の自立を安堵しながら、
ほっとコーヒーを飲み干す姿が印象的。
広島出身で、おじいさまが原爆で亡くなり、建設業をされていた
お父様が、なんと原爆ドームの修復保存にかかわっておられた
話をお聞きし、その生い立ちが原子力研究につながった・・・。
などなど、他ではなかなか出会えない新たな縁が生まれた。

私の生い立ち、なぜ今、外国語なのかなども尋ねられ、
ザビエル、ブエノスアイレスの話題には、大笑いしながら
興味をもたれた様子。
「おもしれえなあ」
「今度、アルゼンチンいくとき、教えてくださいよ」
と、きさくで、ノリも良い。

いくつになっても学ぼうとする人が好きだ。
いくつになっても、わが道をいこうとする人が好きだ。

意外なところで、不思議なアミーゴに出会う。

自分の知らない世界に導いてくれるよき縁を
これからも見つける、心の旅を楽しみたい。

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自分がメディアであるという自覚。

ネット社会の到来も久しいが、
情報に向かう「姿勢」をきちんと教育する、される機会がなかった
ことに今更ながらではあるが、憂いを感じる今日この頃。
最新の機器を扱い、情報操作を知り、ハイテクに慣れることももちろん
大切であるが、
なぜ、それがあるのか、それで何ができるのか、それがもたらすいい面、悪い面。
それをどう向き合うべきか・・。という本当の意味での、情報教育は
学校に限らず、社会においてできているだろうか?
私が知る限り、それは無いか、少なすぎるような気がする。

どんな道具を前にしても、
人間はなぜ存在するのか、なぜ生きるのか、ではどんな風に生きるのか、
なぜ人とかかわるのか、ではよりよくかかわるにはどうするのか?
では、そのためにどの道具をどう使うのか・・・など
きちんと考えられるようになってから、扱うのが良いはずだ。
リテラシーとか言葉だけが先行しているような傾向であるが、

まずは、それが何のためにあるのか。をよく考え、
それに向かうのが良いと思う。

最近、スマホ依存で脳に異常をきたす子供たちが増えていると
いう報道も聞く。
脳がやられては、人間として生きていけないではないか。

依存せず、強い自分で生きられることがまず優先で、
それに道具をどう加えるかだ。

そして、マスコミは今や「マスゴミ」であり、
マスメディアの存在意義も考えさせられる時代。
むしろ、生活者ひとりひとりが立派?なメディアになって
しまったことを自覚せざるを得ない時代。

そのことをきちんと教育していく必要がある。
子供に限らず、大人にも。

コミュニケーションに関わる者として自分ができることは?
ということを改めて考え、実践していかねばと思う。
もちろん 否定や批判ありきではなく、
希望ある社会のために前向きな作戦を考えてみたい。

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わが歴史を愛おしむ、ひととき

長年のたまった手紙をまとめて見直し、心に留めながら
感謝しながら、順次処分していく。
スキャンして保存しておくのも良いが、どうも私にとっての
情報とは、手触りとともに・・というのが大切なようで、
封書やはがきの大きさや手に取った感じも含め、思い出としたい
傾向があったようだ。
だから、心に残る手紙は捨てられず、長いモノは20年以上
保存してきた。
しかし、ここのところ年賀状は2年で処分し、今回は手紙類も
かなり整理をする。
スキャンもしないで、心に残しておくというかなりあいまいな
方法で・・。
そのなかで、自分を救ってくれた、支え続けてくれた一通は
今回も残すことにする。
いただいた手紙を拝見しなおして、多くの人がいっぱい「ありがとう」
という文字を書いてくださっていることに、改めて感激する。
これは、メールでかくよりも面倒で、手間もかかるのに、
いっぱいお便りをいただいたこの10余年。
ひとつの節目に向かい、この東京暮らし20余年で出会った人々を
思い出す。
間違いなく、東京に来たからで会えた人の数が、わが人生の
すべての出会いの数を上回っており、受けた影響も多大だ。

もう会えなくなった人、しばらくご無沙汰の方、その数も
多いが、間違いなく、刺激や発見を多くいただいたのが
この東京というステージ。

こんな機会がなければ、過去を振り返ることもしなかった。
いただいた手紙や、集めてきた資料をみながら、
うーん、それなりに歩んできたかなと振り返る。
たまには、過去をおさらいし、無事元気に過ぎ去ってきた
時間に感謝することは大切なことだ。

東京の空を、最近よく見る。
どんどん小さくなってきているような気がする。
初めて東京に出張したとき、当時の上司が言ったことばを
今、改めて思い出す。
「東京は、ほら、24時間ビルの電気がついているんだ。
これが東京だよ」
静岡出身で京都の会社へ就職した上司。もう亡くなっていると
風の便りで知ったけれど、東京出張をいつも勧めてくれていた。
そんな方たちのおかげで、転勤、独立・・・の東京時代に突入した。

すべての過去は今につながっている。
感謝し、感謝され・・。
こんなありがたき人生、ほかにない。

毎日毎日を大切に生きていこう。

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真のグローバル主義について考え直す機会。

素晴らしい講義とは、お話とは、自分自身の世界が広がり、
正しいモノの見方が養われ、
行動への勇気が沸いてくるものを指すのだと、最近感じることが多い。

先日受講した、ジャーナリストの講義も、マスコミを卒業され、
独立した立場で活動を続けておられる方。
同世代であり、四半世紀、世界とくに危険な紛争地帯での取材をしつづけて
こられた方で、とことん現場主義であることに、敬意を抱く。
そして、そんな厳しい環境に身を置いた立場だからこそ言える
「希望を見出す」前向きな生き方である点にも頭が下がる。

デスクワークでネットサーフィンをし、それを取材とする
似非ジャーナリストも増えているなか、
真実を求め、現地取材を続けてこられている。
真のジャーナリストが存在していることを確認できたことを
とてもうれしく思った。

その方はロシアやその周辺の国々に精通されている方だ。
今回興味深い話のなかで、とくに興味をもったのはプーチンの世界観、
グローバル戦略についてだ。
いつも気になっていたからだ。
氏いわく、プーチンにとって世界は3つ。ロシア、中国、アメリカ。
日本はアメリカの一部。
だから、ロシアはアメリカがどう動くかで自らがどうするか。を
考えている。日本が何をしようが、その先を見ている。
世界制覇を目指すということは、相手がどう動くかについて、
かなりシビアに観察、分析し、いざというときに先手をうつ。
それが現在のロシアのグローバリズムだと理解できた。

そう、大切なことはいつもターゲットがどう動くか、ターゲットが
何を考えているか。という目線だ。
マーケティングも同じこと、常に相手目線でなければ、市場は
作れない。
まさに、戦略・戦術などいかにも、「戦争用語」を使うマーケティングとは
まさに政治・戦争と同じなのかもしれない・・と、
授業を聴きながら、改めていろんなことを考えた。

素晴らしきジャーナリストから学んだ真のグローバリズム。
世界中の民がオールメディアになってしまった今、
目先のスマホに使われるのではなく、この先にある
世界の広がりのいい面、悪い面をしっかり見極める
必要がある。

どんな人間も、グローバル社会のなかで生きている。
それぞれの役割のなかで、自分自身のグローバリズムを考え、
実践していく時代だ。

そう、その根底には「希望」をもって、そして
自分が勝つための相手目線ではなく、共存・共生のための
相手目線を忘れずに・・・。

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子供時代のうわさ話から思う、親心。

自分は親になったことがないため、母親という存在は死ぬまで
子供の存在在りきで生きるという実感がもてない。
とくに田舎で、専業主婦で、子育てだけを一生懸命してきた
親の世代の「いつまでたってもPTA」感覚は理解できない。
幼稚園や小学校を卒業して半世紀経っても、同級生の話になる。
「〇〇ちゃん、おまえと同級生やったやろ、あの子のお母さんが
先日亡くなったよ」
こんな話題はここ何年、とても多い。
そのたびに、ああ、自分の同世代の親たちも・・・そんな年になって
きたかと、悲しい気持ちになると同時に覚悟のようなものも生まれる
のであるが、親はそのあと、その同級生自身の子供時代の話をする。
「あの子は、よく発表すると失敗して泣いとった。そんなんでも
今は立派な大人や、葬式でも立派だった」
と、こんな話題になる。
「そりゃ、みんな大人になるわ。いつまでも泣いているわけないやん。
人の子供の頃の話はもういいって、人のことなんかどうでもいいやん。
もうあれから、何十年経っている?」
と母の同級生話を断ち切ろうとする。
すると、母は意外な発言をする。
「おまえのことも、いわれていたよ。」
「は?」
「昌子ちゃんは、テストの点数が悪いと、破っていたって聞いた。
家が怖かったので、そうやったんかなと、適当に言っておいたけど」
「はああ??何言っているの?いいかげんにして。誰がそんなことする?
もう、あほらしい。そんなことした覚えもないし、いわれる覚えもない。」
思わず、私は母親に真剣に怒ってしまった。
「おまえに言うと怒るで、ずっとだまっとった。余計なことを言って
ごめん・・・」
本人には覚えのない、根も葉もないことを、何十年経ってか知らないが
母は他人にそんな噂話をされ、どんな思いでいたのだろう。
彼女なりに傷ついていたかもしれない。
そして、私も母のその噂話の報告に、ちょっと不快感をもった。
「人のことなんかどうでもいいし、あんたは娘を信じていればそんな
言葉も出ないよね」
ちょっと攻めてしまった。
ま、親子だから、すぐ仲直りするし、何事もなく、その日も別れた。
そしてあとで
「さっきは余計なこと、ごめん」
とメールが来た。
「人のことはどうでもいい。娘を信じましょう。」
と返事をした。
広い視野で、小さな世間にとらわれず・・・と思ったが、親はその
世界でのみ生きてきたのだ。
田舎での人生とは、そんなものかもしれない。

帰り際、母はきっとその心ない噂話をきいて、当時ショックに思ったのかも
しれないな。でも、娘に言うと怒るだろうな・・と
長年葛藤していたのかもしれない・・と思うと、母が可愛そうにも
なってきた。

一生、母親だから、彼女なりの苦悩と喜びと・・。
これは、私は理解できないが、ただ、親不孝な噂が流れるような
そんな悪い娘であったなら、申し訳ない。

テストを破って捨てた記憶はまったくないが、
それは別として、不良だったし、テストどころかピアノを捨てて
家を出たし・・・。

と、昔の噂話から、悲しい親心を感じたある一日。

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生涯現役と芸人魂。

先に、演芸経験の感動を書いた。
テレビでおなじみの人も、見たことがない人も老若男女とも、それぞれが
切磋琢磨している姿は、感動した。
それは本当であるが、ひとつだけ、なんとも複雑な気持ちになる一幕があった。

それは、30年以上前に、流行った芸人さんの登場。
お年はたぶん、80歳前後になられているだろう。
唄を歌いながらのひとり漫談だ。一世を風靡した人ともいえる。
私自身も、子供の頃、その珍しい派手な衣装の芸人さんのことは、
よくテレビで見たことがあり、その名も記憶していた。
今回のプログラムのトリに記載されているのを知り、「まだ、現役なんだ」
と懐かしく思い出した。
若い芸人たちが、ずらり熱演を魅せてくれたあと、その大御所がその日の最後の
ステージに立つ。
誰もが知っているから、みんな最初は大拍手。
誰もが「ああ、懐かしい。今もお元気だね~」と好意的だった。
そして、30年前に一世風靡したその芸が始まった。
ぼやきトークに歌が混じる。
観客は笑いたくて来ているので、一生懸命聞いている。

しかし、話にオチがなく、その話が何の意味があるのかだんだん見えなくなる。
唄を歌い始める。どうやら秋に出したい新曲のようであるが、なんと五番まで
延々と歌う、しかも歌詞を忘れたところで、「あ、わかんなくなった」といって
終わり、あっけにとられる。そんなことが二度三度。
ここは、練習場でもカラオケでもないんだぞ。ステージなんだぞ。
厳しいお客がいれば
「金返せ」というかもしれない。もっともそれまでに十分、
他の芸人で素をとったので
ま、いいかと最後の芸を余韻で楽しむ感覚で座っている感じだろう。

それでも、その大御所は自分の間違いを気にせず、
10分以上、昔の芸をやり続けた。笑いは失笑に代わり、観客は我慢してきいている。
そう、心から笑える場面がひとつもなかったが、お客は席を立たずに座っている。
ああ、年だけどがんばっているから・・という応援、いや同情もあったかもしれない。

年をとっても、昔と同じように若々しく見せたいと真っ白なスーツに、カツラに
サングラス・・。この努力は素晴らしい。
これは遠くから見れば確かに昔と同じであり、スターの座に上り詰めたその「十八番」も
同じであるが、時代が変わったことに気づいていないかの演技に、なんとも
複雑な気持ちを抱き、憐憫というか、なんというか・・・見ていてつらくなってきた。
他のお客様は同じ芸人芸を見て、何を感じられたかはわからないが、
私は芸人の生涯現役の難しさを感じていた。

セリフが、芸が覚えられなくなったら、体が動かなくなったら
引退しなければならない。
引き際が大切・・だけど・・・それが自分だから、それから身を引くことは
イコール・・・。
そんな厳しい仕事なのかもしれない。

あまりに昔、流行ったからといって、いつまでもトリをつとめるのも
いかがなものか。もしかしたら、古い業界なのかもしれない。
会場アンケートぐらいとって、どれが面白かった・・と聴いたら
答えは出る・・。でもそんなことはしないで、「あの懐かしい芸人も出ている」
というのも、その演芸場の特徴と理解すべきなのかもしれない。
もしかしたら芸人にも優しい演芸館か?

とにかく、最後の芸人さんを見て、芸人魂とは何か、生涯現役とは
何かについて、いやおう考えさせていただいたことに
複雑な意味で感謝だ。

たゆまぬ訓練、そして、時代の変化を感じ、認め、そこで現役で
あり続けるならば、自分も変わっていく努力。
人に感動を与えるという仕事は、体を張った覚悟が必要なのだと
痛感した。

芸人とはすばらしき、そして悲しき職業かもしれない。ということも
知ることができて、良かった。

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